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【映画評書き起こし】宇多丸、『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』を語る!(2016.12.10放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
 一体、誰が映画を見張るのか?
 一体、誰が映画をウォッチするのか?
 映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
 その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画……『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

(BGM:テーマ曲が流れる)

音痴でありながらソプラノ歌手を夢見る社交界の名士フローレンス・フォスター・ジェンキンスの、実際に行われたコンサートの舞台裏を描いた人間ドラマ。マダム・フローレンスを演じるのはメリル・ストリープ。そして妻の音痴を隠し通そうとする夫シンクレアをヒュー・グラントが演じる。監督は『クイーン』『あなたを抱きしめる日まで』などなど多数作品ございます、スティーブン・フリアーズです。ということ、でこの『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどでいただいております。みなさん、ありがとうございます。

メールの量は……残念ながら少なめでございます。まあ、あまりこの番組とかで盛り上がるタイプの作品じゃないという印象だったんでしょうかね? 少なめでございます。賛否の比率は「賛」が半分。残りの半分が「まあまあ」「良くない」で半数ずつという感じでございます。「コメディとして笑えつつ、最後は優しくて切ない」「主演2人、特にヒュー・グラントがよかった」などなどの声も多かったです。否定的な意見としては、「想像していた話と違った」「主人公たちの行動に共感どころか不快感さえ覚えた」「後味が悪い」「マダムの歌が下手すぎて普通にキツかった」など。もしくは、「そんなに(歌が)下手じゃなくてがっかり」という方もいらっしゃいました。代表的なところをご紹介いたしましょう……。

(メール紹介略)

……ということで『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』、私もTOHOシネマズ日本橋で2回、見てきました。映画として、ものすごく似たようなタイプの映画ということで、非常に身も蓋もないわかりやすい要約の仕方をしてしまえば、まあ歌手版の『エド・ウッド』です。史上最低の映画監督として名を残しているエド・ウッドをね、ティム・バートンが愛情たっぷりに映画化しましたけども、歌手版の『エド・ウッド』という要約の仕方ができると思います。要は、こういうことですね。有り余るほどの情熱と、実行力もあるんだけど、絶望的に才能を欠いている。だけど、本人はその自覚が全くないがゆえに……とにかく情熱と実行力はあるけど、才能はないという自覚がないため、傍から客観的に見れば非常に滑稽ですし、場合によっては、周りの人間にとっては非常に迷惑なタイプの表現者。

ただ、その本人の徹底した邪気のなさ、ある種の純粋さゆえにですね、ただ単にダメとか不愉快であるというようなものを超えた、なんかチャーミングさ込みで、時代を超えて――もちろん半笑いでではあるんだけど――時代を超えて愛され続けてもいるという、そういう存在でもあるという意味で、やっぱりエド・ウッドと相当近いところがある実在の人物だなという風に思います。フローレンス・フォスター・ジェンキンスさんという方ね。アメリカでも去年、ようやく評伝が……今回の映画化に合わせてなんですかね? 評伝が出て、その邦訳が『フローレンス・フォスター・ジェンキンス 騒音の歌姫』っていうのが出ていたりしますけども。

今回の映画の『マダム・フローレンス!』。これを見て、本人の、実在の人がどういう人だったのか? とか、実際にどうだったのか?っていうのに興味を持った方に、いちばんオススメしたいのはですね、ドナルド・コラップ(Donald Collup)という方が2007年に撮った『Florence Foster Jenkins: A World of Her Own』という1時間半ほどのドキュメンタリー作品があるんですけど。これは輸入DVDも日本のAmazonとかで手に入りますし、ぶっちゃけ、まあインターネットでサラリと見ることができます。日本語訳は入ってませんが、要所要所、大事な言葉は字幕でフッと出してくれたりするので、今回の映画版『マダム・フローレンス!』と、さっき言った評伝『フローレンス・フォスター・ジェンキンス 騒音の歌姫』をあわせて読んでおいた上であれば、まあそんなに英語力がなくてもわかるというような内容なんですけどね。

で、とにかくその『A World of Her Own』というドキュメンタリーを見ると、今回の映画版が、事実に基づいたディテールを結構ふんだんに盛り込んでいる、「あ、このセリフも本当に言ったことなんだ!」「この展開はさすがにフィクションかと思ったら、これも本当だったんだ!」みたいな。そういうのもふんだんに盛り込みつつ、彼女と周囲の人々の人生を、今回の映画版、スティーブン・フリアーズ監督版はどう「解釈」したのか?っていうことがより明確に見えてきて、本作の味わいがより増す、という風に思います。プラス、もちろんフローレンスさんご本人の豪快極まりない実際の歌声もたっぷり聞けるということで、今回の映画版はメリル・ストリープが歌っていますから。ご本人がどうだったのか? というのもたっぷり聞けるという意味で、本当にこのドキュメンタリー、おすすめしておきたいんですけども。

いま、「解釈」と言いましたけど、というのはですね。やっぱりこれだけ興味深い、面白い実在の人物の話なので、何度も実は……特に舞台化は何度も何度もされているんですね。僕は正直、それらは不勉強で見ていないんですけど、実は映画もすでに先に1本作られている。フローレンス・フォスター・ジェンキンスという人の直接の伝記という形ではなく、大幅に設定を変えたフィクションとしてなんだけど、でも明らかにこれはフローレンス・フォスター・ジェンキンスがモデルでしょ?っていう映画があって。今年2月に日本で公開された映画なのでご覧になった方も多いと思いますけども。『偉大なるマルグリット』というフランス映画があって。

こんなのもあったりして、要はこれ、どんな物事もそうなんですけど、解釈次第でどういう方向にも転びうる話なわけですよ、これって。なので、さっきのメールにもあった通りですね。実際、本人だけがみんなにバカにされていると知らないまま、金の力でおだてあげられて……とかね。金の力で、金にモノを言わせて私物化して……って全くその通りで、その事実だけ取り出せば、たとえばその夫人からすれば、むしろ残酷な、悲惨な話に……あの(劇中に出てくる)厳しい評論家も言ってましたよね。「これ、ひどいことをしているよ、あんた!」と。そういう風に解釈することも全然可能な話ではあるわけですよ。

で、実際にフランス映画『偉大なるマルグリット』という作品の方は、同じ人の人生を元にしていますから、当然のことながらプロットとかは今回の『マダム・フローレンス!』と重なるところも結構多いにもかかわらず、最終的にはこの『偉大なるマルグリット』の方は、どっちかと言うともう、明らかに悲劇的というか、もっと言えば、僕は「陰惨」と思いました。もう陰惨とさえ言っていいような、暗い余韻が残る映画でしたね。『偉大なるマルグリット』の方は。で、たとえばその劇中で主人公が音痴な資産家の女性、老婦人っていうところは同じなんですけど、その歌ううたそのものもですね、だいぶ表現のバランスが違うんですね。その『偉大なるマルグリット』の方は、言ってみれば1から10まで調子外れな感じっていうか。もう最初から最後まで音程がズレズレで。言っちゃえば、誰の耳にも明らかな下手さ、ダメさっていうがわかりやすく表現されているのは、むしろこっちの『偉大なるマルグリット』の方だったりするんですよ。

という意味で、その点、同じモチーフ、同じ素材にもかかわらず、今回の『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』という今回の映画版は、非常に対照的なアプローチをしているなということが……本当に対照的です。どっちの映画がいい悪いっていうのは好みが分かれると思いますけども、対照的なんですね。っていうのは、メリル・ストリープ本人が歌うその歌唱というのはですね……ちなみに、女優としてのメリル・ストリープはもちろん超絶技巧派の女優さんであり、その技巧の一部として、当然のごとくこの人、歌もめっちゃ上手いわけです。『マンマ・ミーア!』とかご覧になった方はわかると思いますけど、普通に歌のスキルも半端ない人なんだけど、そんな名女優が再現するフローレンス・フォスター・ジェンキンスさんの歌唱というのはですね、これは先ほども言った『騒音の歌姫』という評伝の中で引用されているメリル・ストリープご本人自身の表現。これが引用されているんだけど、メリル・ストリープはジェンキンスさんの歌に関して、こんなことを言っている。「出だしは悪くないんです。希望が持てる出だしなんです」「ところが、ある一点に来ると外れてしまう。それでおかしくなってしまうんです」という、そういう歌唱のバランスでメリル・ストリープは演じているわけです。

つまり、先ほどのメールにもあった通り、「『いや、そんなに下手じゃなくね?』って一瞬は思う」っていう、ここが大事なんですよね。「たしかにまあ、めちゃめちゃ上手いか?っていうと、どっちかって言えば下手だけど。そんな、危なっかしいところはあるけど、まあまあ、素人の歌にしてはこんなもんじゃない? それほど完全にめちゃくちゃってわけでも……」って思いかけた途端に、突然、突拍子もない、イコール、絶妙なタイミングで、しかもこちらが――ここが大事だと思うんだけど――予想もしていなかったような発声の仕方とか、予想もしていなかったような声量……「うわっ、そこは怒鳴るんだ?」みたいな。で、ドンガラガッシャーン! とちゃぶ台をひっくり返してくれる。

つまり、「ああ、うん……おいおいおいーっ!」みたいな、この緩急の部分ですよね。これはまさに、現存する音源で聞けるフローレンス・フォスター・ジェンキンスさんの歌唱が実はそのままのバランスなんですけども。このバランスでやっていると。さっき言ったように、『偉大なるマルグリット』の方の歌唱が、もう1から10まで「ああ、もうド下手ド下手。はいはい、話にならない」っていう感じなのと、バランスとしてちょっと違うんですね。「出だしは希望が持てる」(笑)。しかもそこに、要は当人は至ってご満悦……当人は至ってご満悦すぎて、こういうのはわかりますかね? 本人があんまり楽しそうすぎて、こっちまでなんだかうれしくなってきちゃうような感じっていうか。いい湯加減の表情やら身振りやらが加わって、一言でいえばこういうことですね。ものすごーく愛嬌があるんですよね。とにかくチャームがあると。

で、それを完全に、先ほどのメールにもあった通り「体現」してみせるメリル・ストリープ。僕、メリル・ストリープが上手いっていうのはあまりにも常識になりすぎちゃって改めてそんなこと思ってもみなかったけど、やっぱり今回、「メリル・ストリープってすげーな!」って思いましたね。っていうのは、もう本当に彼女の歌声のバランス、声の出し方とか、タイミング一発で笑わせるとか。あと仕草とか表情全体で、もうそのちょっとした表情とかだけでもかわいいし、楽しいしっていう。たとえば彼女がこうさ、歌い終わった後に口をこうやってガサツにこするところとか、そういうのも「ああ、これもかわいい!」とか。あと、歌詞が見えないのか、こうやって(楽譜に顔を近づけて)見て、「あ”あ”あ”~!」ってまた急にがなりだすとか。そういう1個1個がもう楽しくてかわいいみたいな、見事なもんだという風に思いました。本当に。

とにかくその「チャーム」っていうことね。下手は下手なんだけど、それを超えたチャームがあるという部分を体現しているメリル・ストリープは、半端ないと。で、実際にね、先ほどから言っている評伝によればですね、下手で有名だった歌手っていうのは結構彼女の他にもいたらしいんですよ。過去、その時代から。なんだけど、やっぱり彼女ほど広く長く愛され続けた例っていうのはないわけで。だからそこにはなにか特別ななにかがあったというね。僕のジャンルで言うと、僕はとにかく日頃から、「”上手いラップ”と”いいラップ”はかならずしもイコールではない」というのは、常に持論として言っているあたりなんですよ。

で、そこで僕、いちばん今回見ていて、本当にごめんね! 天国にいるマキくん、すいません。失礼ながら、連想したのはMAKI THE MAGICという亡くなったラッパーなんですけども。マキくんはとにかく、スキルとしてはある意味、破壊的なスキルっていう感じなんだけど(笑)。もう発声一発で、そのタイム感一発で、独特で大爆笑しちゃう。ただ、こっちは笑っているんだけど、それってバカにしているっていうよりは、なんか豪快な、ルールを飛び越えた何か……こっちも解放される笑いであり、そしてやっぱり独自の良さっていうか、かっこよさもちゃんとある。なにか良さがあるっていうこと。「自由だな!」って感じられるというか。だから、おそらく当時のフローレンスさんの時代の観客も、ゲラゲラ!って笑いながら、なにか堅苦しいオペラとかクラシックの歌唱の中でそれをやる痛快さみたいなのを感じていたんじゃないのかな? というようなのは僕はすごくわかる気がします。

ということで、とにかくその彼女の歌唱やパフォーマンスを、先ほどの『偉大なるマルグリット』みたく呪いとして描くか? それとも頭ごなしに否定して済ませられない何かなんじゃないか? やっぱりある種の祝福として描くか?っていうところが今回の『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』と『偉大なるマルグリット』の大きな差になっているんじゃないかな、と思いました。事程左様にですね、今回の『マダム・フローレンス!』は、「いい/悪い」とか「正しい/間違っている」というような単純な二元論では割り切れない、たとえばその表現論、なにをもって「よい表現」とするのか? ということであったり、あるいはパートナーシップのあり方であったりとかに対して、表面上非常に軽いタッチなんだけど、そういう二元論では割り切れない複雑な世界観というか価値観を描き出す、非常に大人な喜劇、スクリューボール・コメディだなという風に思いました。

たとえばやっぱりね、久々に役者業に復帰したヒュー・グラントが、少なくとも表面上は、彼のこれまでのパブリックイメージそのままの、まあ軽薄で、ちょっとズルくて、モテるっていう、プレイボーイな英国紳士っていう風に演じる、フローレンスの夫のシンクレア・ベイフィールドさんという方。現実にもこのシンクレアさんは、キャサリンっていう、(今回の劇中では)『ミッション:インポッシブル ローグネイション』にも出てきました女優さん、レベッカ・ファーガソンが演じているキャサリンという別の恋人がいて。現実にはフローレンスさんが死んだ後、結婚するんですけども、あの2人は。劇中では別れていましたけどね。でね、別に女がいるなんて!っていうことで、それをもって彼を、不実であると……それこそさっきのメールにもありましたけど、フローレンスの財産目当てのひどい男と「解釈」することもたしかにできるでしょう。この映画を見て、そう感じる人がいてもおかしくはないと思います。

ただ、この企画の出発点である脚本のニコラス・マーティンさんを始め、今作の作り手たちは明らかにその、シンクレアさんのフローレンスへの愛の深さは、それはそれで嘘じゃないんだっていう……これは彼が残した日記などから、やっぱりそうやって解釈したっていうことなんですよ。そして僕は、その、決して単なるいい人、完全な善人ではない、むしろある種のズルさとともに生きてきた男が、それでもというか、だからこそですよね。小ズルい男だからこそ、フローレンスさんの純粋さ、その魂だけは守り抜きたい、その輝きっていうのは信じたいっていう風に心から思っているという、このバランスにこそ僕は心底共感するし、感動します。で、そのためのヒュー・グラントというキャスティングでもあるわけですよね。

さっき言った通り、彼のこれまでのパブリックイメージ……軽くてズルいプレイボーイだったはずの男が、その甘いハンサムな顔に、今回ばかりはシワをいっぱい刻み込んで、最後にそのシワがグーッと強調される、もう全力の笑顔で、彼女にその人生最大級の愛と敬意を注ごうとする時にですね……もちろん彼のしてきたことは、客観的に見たらあの辛口評論家の言う通り、むしろ残酷で許しがたいことかもしれないけども、だからこそ、世間から見ればいびつかもしれないこの関係、この2人にしかわからない愛と年月っていうのが……彼がもう満面で、シワをグーッとやって笑顔を作る時に、その年月と愛を感じて。僕は正直、ちょっとどうかと思うぐらいここで涙腺が決壊してしまいました。

ということで、やっぱり超演技派として長年君臨しているメリル・ストリープと、決して演技派という評価はされてこなかったヒュー・グラント。このね、なかなか思いつかねえぞっていうキャスティング。まぁ、メリル・ストリープがフローレンスさんは思いつくでしょう。でも、その相手役にヒュー・グラント。このバランス、これを思いついたアイデアと大人なバランス感覚。ここでまずこの映画、勝ったなという風に思いますね。対してね、事態の成り行きを劇中もっとも客観的に……つまり、我々観客に近い目線で見守っていくサイモン・ヘルバークさん演じるコズメ・マクムーンさんね。あの、顔に出すまいとしつつ、お前、モロに出ているよ!っていうあの感じ。(笑いを)抑えようとして顔が横に揺れる感じとか、もうたまらないっていうね。

ちょっとゲイッシュな振る舞いとかね、あれは実際のマクムーンさんがゲイだったということでああいう立ち振る舞いなんですけども。(そういうディテールのひとつひとつが)いちいちコメディとしてもおかしいし。言ってみれば、彼女の歌唱力にもっとも近いところで批判的な目を向けていた彼が、それでもやっぱり彼女のチャームに、言ってみれば魂の純粋さにほだされていくというくだり。あのケバいお姉ちゃんとかもそうだけど、その変化っていうのに、ベタではあるんだけどグッと来てしまうというのもありましたね。でも、最後の最後には、「とは言えド下手はド下手なんですけどね。ド下手で自覚がない、本当に困った人なんですけどね」とか、あと「お金がもらえるなら、それはそれでうれしいです!」みたいな、やっぱりちょっときれい事すぎない大人なバランスをちゃんとキープしているあたりも、非常に僕は好ましく思いました。

スティーブン・フリアーズ監督、自分で脚本は書かない人ですけども、一貫して、これはパンフにもあるヒュー・グラントの見事な表現だと思います。「慣例を覆す作品」。っていうか、「慣例を覆す人々」を描いてきた人だと思います。全部一貫してそうだと思います。で、社会通念上、それがたとえば詐欺的な行為であろうとも……という。その意味で、たとえば日本では今年公開された、前作にあたる『疑惑のチャンピオン』。これも実話の映画化で、作品のトーンとしては180度違うんだけど、やっぱり連なる作風だなという風に思いましたね。まあ、ここんところ、この『マダム・フローレンス!』とか、あと『あなたを抱きしめる日まで』も素晴らしかったですし。その1個前の『噂のギャンブラー』っていうね、地味な映画なんだけどもね、スティーブン・フリアーズは好ましい映画を撮るなと私は思いました。

スルスル軽く見られる割に、見終わった後にそれなりの思考を促されるというか、少なくともそこまでちゃんと考えてこそ十全に味わえたと言えるという意味で、やはり大人な1本だと思いますね。クラシカルなスクリューボール・コメディとしても楽しいし、夫婦論としても結構意外とドスンと来るしということで、僕は思いがけず大切な1本となりました。ぜひ、劇場でご覧ください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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