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MASACA!息子が歌舞伎にハマったのは、ワンピースがきっかけ? ゲスト:市川右近さん(part2)

コシノジュンコ MASACA

2016年12月25日(日)放送

ゲスト:市川右近さん(part2)

出水:市川右近さんは歌舞伎界を代表する歌舞伎俳優でいらっしゃいますが、実は右近さんのご実家は、日本舞踊飛鳥流のお家元で、ご長男でいらっしゃいます。本来でしたら、その日舞飛鳥流の跡継ぎでいらしゃいますよね。
市川:そうですね。昭和38年に大阪で生まれるんですけど、長男なものですから、本来ならば日本舞踊をやっていたかもしれないんですけど、たまたま新作の舞踊劇の発表会を松竹の演劇プロデューサーの方がご覧いただいて、歌舞伎の子役で出てみないかというお話をいただいて。
JK:向こうから言われて。
出水:スカウトだ
JK:それは何歳ですか?
市川:8歳の6月でしたね。それでウチの師匠(三代目市川猿之助)が一座されていまして、一緒には出ていなかったんですけど、その中で義経千本桜の狐忠信という、師匠の当たり役があるんですけど、宙乗りもあって。それの芝居で無垢な子ぎつねの役を演じていらっしゃる師匠にあこがれまして。また歌舞伎のファンタジックな一面というですかね
JK:狐という、なんか不思議なね。
市川:僕にとってはディズニーの世界だったんですよ。歌舞伎が。とかく解りにくいんじゃないかっていうのもあるんですけど、それで憧れましてですね。師匠の下に弟子入りさせていただいたのが、昭和50年の1月。10歳かな。
JK:10歳で。子役で。

出水:実際にご両親は「歌舞伎の世界に入りたい」と表明した時というのは、どういう反応でしたか?
市川:父もですね、ゆくゆく日本舞踊をやるにあたっても歌舞伎の修行をやらせていただくということは、非常にありがたいということで、市川の名字を頂いて市川右近になったわけなんですけど、まもなく大阪から東京へ出てこないかというお誘いを頂きまして、中学から東京へ上京しまして、中学から東京へ上京しまして、師匠の書斎に親子4人分の布団を用意していただいたり、エアコン入れて下さったりして、そこで書生生活を始めるわけです。
JK:あぁ、そう・・・
市川:中学3年のときに、一門の若手の勉強公演がございまして、その折に父が挨拶に伺いましたところ、「おとうさん、最終的には連れて帰られるんですか?」と師匠が父にお尋ねになったところ、父が「中学でお預けして以来、一生お預けするつもりです」と父が言ってくれまして。僕が歌舞伎が好きだというのを父が感じてくれたと思うんですけど、「それじゃお預かりしましょう」ということで、師匠もそれに応えてくださいまして、それから先の人生を指し示していただいているという状況ですが、東京に出てきたいと申し出したのは私ですから。でもいざ出てきたら中学1年生ですから、寂しいんですよ。
出水:そうですね、関西と関東じゃ、また違いますからね。
JK:中学1年じゃねえ・・・
市川:それで、自分でも帰って日本舞踊やるのかな、二足の草鞋を履くのかな、それともこのまま歌舞伎俳優になれるのかなっていう風に、暗中模索の3年間でしたけれども、父がそうやって冒険に出してくれたおかげで、今日があると思って。。。僕が寂しいと思う何百倍も何千倍も両親は寂しかったんじゃないかと思って、それでもよく冒険に出してくれたと思って・・・
JK:そうですね、大きな愛ですね。

出水:冒険に出るという、それだけ大きな決断だったと、その言葉から伝わってきますね。
JK:日本の中だけど、それでもまだ子供だからね・・

出水:実際に(右近さんの)息子さんも歌舞伎の演目を見て、魅かれたと
JK:ワンピース!
市川:そうです。スーパー歌舞伎がセカンドステージに入りまして、昨年上演いたしました「ワンピース」に倅がはまりましてですね、それまでももちろん芝居は観ていて、ド派手なシーンだったり、パパが出ているシーンはじっと見ていたんですけど、全幕通しで休憩入れて4時間強くらいの作品を、ずーっと黙ってみていたのは、そのワンピースが初めてでして。「どうしても最前列で見たい」というものですから、家内と倅の席を、最前列のど真ん中を私買いました(笑)
出水:優しいお父さま(笑)
市川:それで一番前で見ていましたけどね。それでいよいよ演りたくなっちゃった。
JK:心が決まったのね。
市川:そうみたいです。
JK:子供は子供なりの接点というものを見せないとね。そこで人生変りますよね。
市川:そういうことですね。確かに僕がファンタジーを感じたように、彼もなんか歌舞伎を見て何か感じたんて、歌舞伎をいよいよ始めることになるんですけど・・・・。

TBSラジオで日曜17時から放送中の『コシノジュンコ MASACA』
「JUNKO’S COLUMN」では、デザイナー:コシノジュンコの日々の出来事、気になっているコトやモノをフリートーク。

JK:この1年、外国に縁がありましたね。
出水:そうですね、海外に沢山行かれていましたね。
JK:最初はTAOのブロードウェイからはじまって、つい最近は北京なんです。孫中山先生って、この方、日本に10年いらして、今年で生誕150周年なんですね。
出水:何をやられた方なんですか?
JK:中山服って言ってね、人民服ですよね。この人民服ってどこから来たかといいうと、日本の学生服なんですよ。あの学生服が、あの時代に中山服として中国全部、中山服一色になって、いま中山通りっていう通りにも名前があったり、素晴らしい方ですけれども。私も1985年(に開催したのは)、人民服を脱ぎましょう、っていうショーなのに、改めて30年経って(今)みると、やっぱりアレはいいなあ、ということで、まだ着ている人もたくさんいて、今の若い人なんか知らないから、これを新しくコンテンポラリーなショーにしようというデザインをして、ショーをやったんですよ。
出水:喉元の襟が高くて、学ランのような・・・
JK:そうそう。男の人はアレを着ると、誰でもスマートに見えて、オシャレで。でもそこにデザインを加えることで、新しくよみがえるというか、みんながハンサムで格好良く見えるんですよ。それで、このショウをやった場所はね、釣魚台って言って、国賓館なんですけど、そこで18人の要人にこの服を着ていただいたり、なんか日本が底力となって改革をするという、心地よさでした。
出水:ジュンコさんにとっても海外に縁のある、刺激のある1年でしたね。
JK:はい。

=オンエア楽曲=
M1. Santa Claus Is Comin’ To Town / Diana Ross & The Supremes
M2. I Saw Mammy Kisiing Santa Claus / The Jackson 5