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【映画評書き起こし】宇多丸、『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』を語る!(2017.1.7放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
 一体、誰が映画を見張るのか?
 一体、誰が映画をウォッチするのか?
 映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
 その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。2017年一発目、最初に扱う映画は、先々週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』

(BGM:テーマ曲が流れる)

『ホテル・ルワンダ』や『アベンジャーズ』シリーズに出演するドン・チードルの劇場用長編としては初監督作品。テレビドラマとかはちょっとやったことあるみたいですけどね。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスに実際に起こった出来事からインスピレーションを受けて……まあ、ちょっとその比率の問題がありますけども、インスピレーションを受け、マイルスの活動休止期間になにが起こったのか? を描き出していく。マイルス・デイヴィス役を演じたドン・チードルは共同脚本や製作も務めている。

レポーターのブレイデン役をユアン・マクレガーが演じるほか、ライブシーンではハービー・ハンコック、ウェイン・ショーターといった一流ジャズ・ミュージシャンも共演ということでございます。ということで、『MILES AHEAD』。もう2週間たったんでね、どのぐらいみなさん、見てらっしゃるかな? と思いますが、この映画をもう見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどでいただいております。メールの量は……2週間あったんですけど、やや少なめ。公開館数がそんなに多くないですからね。シャンテでしかやってなかったですね。僕も、シャンテに行ってきました。

賛否の比率は「賛」の方、褒める方が6割。普通が3割。残り1割が否定的感想。だからまあ、そんなに嫌っていう人もいないけどという。

「ジャズは詳しくないけど、それでも楽しめた」「とにかく最後のライブシーンがいい」「名作とは言えないかもしれないが、ドン・チードルの愛が伝わってきた」などが主な褒める意見。一方否定的意見としていちばん多かったのは「ジャズにもマイルス・デイヴィスにも詳しくないのでよくわからなかった」。関係ないっていうね(笑)。「知らね」っていうやつですね。

それでは、代表的なところをご紹介しましょう……「パンチドランク男」さん。「宇多丸さん、こんばんは。日比谷シャンテで鑑賞してまいりました。僕はマイルズの大ファンで、ロバート・グラスパーが音楽をやっているということもあったので、映画としての面白さなどは正直あまり期待せずに見に行きました。しかし、結果的に映画としてとても好きになってしまいました。完璧な映画とは、もちろん言いません。むしろちょっと青臭かったりスマートじゃない部分も多くありました。構成自体も新鮮とは言い難く、過去と現在のシーンの行き来の仕方も面白げではあっても意味を欠いていたり、あるシーンでは作り手の意図に反して客席から失笑が漏れていたりもしました。ラストの演奏シーンは特に謎で……」。はい。ちょっとその話は後でしましょう。

「……時空の歪みが生じていて、『ん?』となったり。それでもなお、この映画には監督ドン・チードルの『俺、こういうことがやりたいんだよね』というような無邪気なアイデアや情熱にあふれていて、エンターテイメントとして存分に楽しめてしまいました。欠点として挙げられそうなところも全てチャーミングに思えてしまいました。また途中、録音テープ(マスターテープ)をマクガフィンとしたバディ・ムービー的なアクションが展開されるシーンでは、伝記映画として見に行ったつもりだった僕としてはよい意味で裏切られた気分でした。ドンさんのマイルズなりきり演技もすさまじく、顔が全然似ていないにもかかわらず全く違和感なく、マイルズがしゃべっているとしか思えませんでした。あ、村上春樹さんいわく、マイルスの呼び方は“マイルス”ではなく“マイルズ”が正しいというということで、それに倣わせてもらいました」と。ああ、“マイルズ”。なるほどね。

一方、ダメだったという方。「キバラシ」さん。「マイルス・デイヴィスのことは言うにおよばず、ジャズのことは何も知らない私の感想ですが、正直なところ、物語としての面白みは感じられず。『だから、なに?(So What)』だけで終わってしまいました。ヤクに溺れ、妻に逃げられ、5年もの長きに渡って音楽活動を停止していたマイルス・デイヴィスの人間としてのエキセントリックさばかりに目が行ってしまい、人間的な魅力を感じられないまま映画が終わってしまいました。伝記映画としてこれは合格点ではないと思います。そもそも、これは伝記映画なんでしょうか? たしかにラストの復活のシーンはかっこよかったです。しかし、そのシーンにたどり着くまでの物語の必然性、つまり私が予め期待していた、いかにして彼は活動再開を決意するに至ったのか? に対する説明が乏しくて、正直なところ消化不良でした」というね、「キバラシ」さんでございました。

あと、マイルス、非常にジャズとかに詳しい方。「コムロタカユキ」さん。すごく中の歴史的考証の部分とかを詳しく書いていただいて。そんな方もいらっしゃいました。

ということで、みなさんありがとうございます。『MILES AHEAD/マイルス・デイヴィス 空白の5年間』、私もTOHOシネマズシャンテと、もともと年末にLAWSONで限定発売された『週刊文春エンタ!』の星取表がございまして、それに参加したんですけども。それ用に私、いち早く拝見しておりましたので、計3回ほど見ております。結果ね、その『文春エンタ!』の方は私、採点を星5つが満点で3つというね、点数的には多少微妙な点数に見えるかもしれませんが、私としては結構愛を込めた3つだというあたり、これから語っていきたいと思っております。

とにかく、まず言えるのは先ほど、「これは伝記映画なのでしょうか?」って言ってましたけども、まさにそういうことですよね。通常の伝記映画的な作りでは全くないですね。たしかに、70年代半ばからの約5年間、それまで何度も音楽界に革命を起こしてきた、ジャズ界のそれこそ<モード>を変えたマイルスが様々な理由の積み重なりから……体調不良で、腰を悪くしちゃったとか、ドラッグ依存であるとか、レコード会社との軋轢とか、いろいろあるんだけど。ただまあ、いちばんの本質はこういうことでしょうね。やっぱり音楽的な足踏みの時期というか。常に「新しいマイルス」、新しい音楽像を提示しなければいけないというプレッシャーと、それに対しての行き詰まりの時期っていうことなんじゃないかな? とは思うんだけど。まあ、その長いブランク期というのが実際にあったというのは事実なんですけども。

ただ、その5年間というか、その5年間の終わりの2日間に、本当にこういうね、銃撃戦だのカーチェイスまで含むマスターテープの奪い合いなんていうね、それこそポスト・タランティーノ的と言っていいでしょうね。オフビートなクライム・コメディみたいな、あんな事件があったわけでは、もちろんありません。基本的にはその部分は100%嘘っぱちです! 100%フィクションです。そんなことはございません。だし、たとえばマイルス・デイヴィスという方は非常に、いい意味で自己演出に長けた方で、彼の発言自体もかなり「盛っている」人なんで。たとえば、『マイルス・デイヴィス自伝』でその時期について言っているところで、「その5年間、俺はただの一度もトランペットに触らなかった。ただの一度もだ!」とか言ってるんですけど、「おい、嘘つけーっ!」っていう(笑)。実際には1976年の暮れに、それまでも何回か軽いセッションみたいなのはやっているんだけど、日本のTDKのコマーシャル用に、もう完全にトランペットを吹いて1曲レコーディングとかしているんですよ。別に。

で、(その曲は)日本では流れていると。これ、『マイルス・デイヴィスの真実』という小川隆夫さんという、マイルスに直接いっぱいインタビューをされている方の本に書いてあったことで。マイルス・デイヴィスの自伝とあわせて読むと、マイルスが言っていることとのズレとかも含めてすごい面白かったりする。そう、TDK。これ、覚えている方もいると思いますね。日本で流れたのが1977年だと思うんですけど。さっきせのちん(妹尾匡夫)さんも言っていたし、僕もそうですけど、そのTDKのCMで初めてマイルス・デイヴィスを知ったという世代の人は結構いるかもしれないですね。僕ぐらいの歳だと、結構そうだったりしますけど。

ということで、まあユアン・マクレガーが出て来るくだりは全部嘘、フィクションということですよね。で、合間合間で出てくるエピソードっていうのも、当然のように事実に基いているパートも多いですよ。たとえば、白人女性を、ライブハウスのバードランドでライブ終わって出てきて、タクシーに乗せたところ、白人警官に嫌がらせを受け、殴打されて、告発されてしまうという、1959年に本当にあった事件とかはもちろん入っておりますが……まあこの映画、フラッシュバック構成で時系列が頻繁に前後するというだけではなくてですね、たとえば架空の登場人物がいるわけですよ。

ユアン・マクレガーのあの記者も架空の人物ですし。架空の登場人物である、若く才能のあるトランペッターでジュニアっていうキャラクターが出てくるけど、そのジュニアっていうのは、これはマイルスに詳しい人だったらね、奥さんの名前がアイリーンだとかでもう、わかるんだけど、実は若き日のマイルスっていうのを象徴する、メタファー的な存在であったりとか。あるいは、前の奥さん(フランシス・テイラー)への未練っていうのがそのまま、過去の自分の音楽像への未練とその決別という構図と重なるように描かれている……要はだから、史実としてマイルスが奥さんとかいろんな女性と関係があったこととは別に、マイルスの音楽的な苦悩と変遷みたいなものを、フランシス・テイラーとの関係に、この物語上では託して、象徴として語っているというような作りになっていたりして。

要は、虚と実。本当にあったことと嘘というか作り事の部分のみならず、過去・現在、果ては未来……未来っていうのは2010年代半ばである現在までを含めて。あるいは、事実と象徴的なこととかも含めて、すごくシームレスに、その全部が入り組んで混在しているという、非常にトリッキーな作りになっているわけですよね。で、それもあってというわけじゃないけど、ぶっちゃけ手際というか作りとしては、かなり粗削りな作りだと思います。こういう、ちょっとトリッキーな構造にしても、相当粗削り。実際に製作条件がかなり厳しかったみたいなことはすごく聞きますし……あとその製作条件が厳しかったせいもあってか、歴史考証とかが結構ゆるゆるだったりして。

たとえば、この間僕、年末にSOIL&”PIMP”SESSIONSの面々とまたセッションを一緒にしたわけですけども。トランペッターのタブゾンビさんという方がやっぱりこのマイルスの映画を見てですね、まず、「楽器周りの考証が結構めちゃくちゃだ。トランペット周りの描写が結構めちゃくちゃで、俺はそれが気になっちゃって……」っつって。あと、さすがタブゾンビなんだけど、「カザール(サングラス)の型がめちゃくちゃ新しいんだよ!」とかさ。そういう感じで、そういうところの考証はかなり脇が甘かったりするみたいだということで。

なんだかまるで、さっき言ったちょっとポスト・タランティーノ的な、オフビートなクライム・コメディで、時系列が前後したりするのも含めて、なんかちょっと前の若い映画監督が……まあタランティーノというよりは俺、ダニー・ボイルっぽいと思いましたけどね。ユアン・マクレガーが出ているっていうのもあって、ダニー・ボイル作品っぽい編集と構成を、若い監督ががんばってやってみました的な、先ほどのメールにあった通りですね、そういうある種の青臭さすら感じさせる作りなわけですよ。実際にドン・チードルは監督としてはたしかに若い。青いっちゃあ青いんだけど……っていうね。

ただ、その作り手、今作の場合はドン・チードルの、そういう青臭いぐらいの気負いっていうのが、そのまま、本当にさっきのメールにもあった通り、作品としてのチャーミングさにつながっているなという風に、そういう映画になっているなという風に私は思いましたね。言うなればですね、この映画は、厳密に「伝記」と言っていいのか? というぐらい、これはあくまでもドン・チードルによる、「俺が考えたマイルス(の心象風景)」っていうことなんだけど、その「俺」っていうのはすなわち、「ほぼほぼ現在の俺はマイルスとイコール。俺、ドン・チードルはいま、マイルスとほぼほぼイコール、いまの俺はマイルス!」というところまでドン・チードルの気合いが、マイルスなりきりっていうのが煮詰められきっているため……これは「俺が考えたマイルス」映画ですよ、でもその「俺」っていうのは「=マイルス」だから! みたいな(笑)、そんな感じになっているため……しゃべり方とかさすがに完コピ、素晴らしかったですけど。

ただぶっちゃけね、さっきのメールにあった通り、顔は全然似てなくね?っていう(笑)。でもそこも含めてなんかかわいいっていうか、かわいげがある演技派なんですよ、やっぱりドン・チードルはね。とにかく、「俺の考えたマイルス。そしていまの俺はマイルス」っていうその構造があるため、「チマチマした史実的、歴史的な答え合わせとかは、全てこの『俺(チードル)=マイルス』世界の中に、そんなもんは包括されてしまうのだ!」「(マイルスとほぼイコールな)俺がいいって言ってるんだから、いいんだ!」みたいな(笑)……あと、さっき言ったように、現在、過去、未来がシームレスに入り組んでいる構造のため、たとえばカザールが割と新しめのデザインのものだったりしても、それすらも、もういいんだ! ぐらいの、非常に豪胆な押しの強さがあるわけです。そしてその豪胆さっていうか、この感じはたしかに、教科書通りに歴史を順に、丁寧に史実に忠実にたどっていく伝記的な手法よりも、たしかにマイルス・デイヴィス的ではあるかもな、という風に思えてくるところがあるなという風に思います。

で、ですね、そうした「俺(チードル)=マイルス」構造……大丈夫ですか、みなさん? ついて行ってますか?(笑)。「俺(チードル)=マイルス」構造が極に達するのが、実はこの映画の本当に終わりの終わりの部分。エンドロールまで続くライブ風景が出てくる。これは先ほど言ったLAWSON限定の『文春エンタ!』の私の短評でも書いた通り、この最後のライブ風景が「俺(チードル)=マイルス」構造の極に達する部分ということで、僕はこのライブシーンがこの映画のキモだという風に思っております。

まず、その手前の部分。劇中終盤、いろいろあって。先ほどのメールにもありましたけど、奪い合っていたマスターテープっていうのは本当にただの、いわゆる「マクガフィン」でしかなかった。マクガフィン、各自で調べてね。マクガフィンでしかなかったというのが判明して、「じゃあもうマイルスっていうのは才能的にも完全に枯渇してしまったのか?」っていうところまで来て、そこから、さっきも言ったように若いトランペッター……それは実はマイルス自身の若き日の姿なんだけど、彼に、言ってみれば自分の中の初期衝動のようなものに、再び向き合うということですね。その象徴的な構造ですね。

自分の中の初期衝動に向き合うことで、マイルスが次第にっていうか、フッと、自分の中の何かを取り戻すというくだり。僕はここはやっぱり、比べるのもおこがましいですけど、結構そこそこ長年ラッパーとしてキャリアを積んで、いい加減やっぱり確かに疲れを感じることもなくはない身としては、自分の中の、若き日の俺の姿を……たとえばそれこそ若いラッパーにそれを見て、なにか自分の中でも燃えるものがあったりとかっていうところはあるので、やっぱりちょっとここは思わずホロリとしてしまったところですね。若き日の自分と自分が並んで音楽を作るっていう。で、そこから先、作品冒頭の、非常に自信に満ちたインタビューシーンに円環構造的に戻って。で、「やっぱり俺の言語は音楽だ!」と力強く宣言してみせたところで、劇中で何個か演奏シーンはあるんだけど、それとは明らかにモードが異なる、ドキュメンタリックな、生々しい、「あっ、本当のライブなんだ」っていう感じのライブシーンが始まるわけですね。最後の最後に。

で、これね、F-U-T-U(普通)に考えたらですね、物語のオチとして、マイルスは無事復活を果たしました……という物語のオチの後に来るわけだから、史実に従えば、1981年の6月とかにやったライブの再現場面ということになるはずなんだけど……見ているとどうもこれ、81年じゃねえぞと。81年を再現する気はねえぞと、見ていると。要は、メンツからしてどう見ても、これいまのライブだろ?っていう感じになるわけですね。実際に演奏している曲はロバート・グラスパーによる新曲「What’s Wrong With That?」という曲。ちょっと流しながら行こうか(BGMでかかる)。今回のサントラ全体を手掛けたロバート・グラスパーさん。先ほどのオープニングでも言った通り、現在のジャズとR&Bとヒップホップを股にかけて活躍する素晴らしいミュージシャンのロバート・グラスパーと、あとは『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でサントラも手掛けていたアントニオ・サンチェスとか、ゲイリー・クラーク・ジュニアとか、ベースのエスペランサ・スポルディングとか、そういうのがいて。まあ、見るからにいまのメンツですよ。

「おおっ、“いま”じゃねえか!」っていうメンツと、あとハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター。もちろん、かつてマイルスと劇中でもバンドを組んでいたようなメンツ、レジェンドたちが、年老いたいまの姿で演奏に参加していて。さらに、これいまトランペットが聞こえてますけど、これを吹いているのはキーヨン・ハロルドさんという方。ケンドリック・ラマーとかディアンジェロとかとも仕事しているキーヨン・ハロルドさんが実際には吹いているこのトランペット。「マイルス風」に吹いているこのトランペットを、「#SOCIALMUSIC」っていう、もう“いま!”っていう感じのロゴの入ったジャケットを着たドン・チードルが、完全マイルスなりきりモードで「演奏」してみせるというですね。「なんだ、これ!? これ、なんだ!?」っていう(笑)。特になりきりっぷりがすげえなと思ったのが、ウェイン・ショーターがソロでサックスをワーッと吹いているところを、横で全く身じろぎもせずに見ているところとかさ。これ、「俺=マイルス」って本気で思い込んでいないとあの佇まいは無理だと思うんだよね(笑)。

ということでこの「What’s Wrong With That?」というこの曲が流れるシーン。虚と実、過去と現在と未来、ドン・チードルとマイルス、全てがシームレスに入り混じって混在する本作の構造の、本当に極致で、もうクラックラさせられる。「これはなに!?」ってなるんだけど、でもちゃんと曲としてかっこいいし、ちゃんと「マイルスしている」っすよね。舞台演出の、マイルスの描いた絵をバックに映像で流したりとかも含めて、ちゃんと「マイルスしている」。その後に流れる、さっきオープニングでオンエアしたオーガナイズド・コンフュージョンのファラオ・モンチがラップした「Gone 2015」という曲を含めて、要は決して歴史というところに安住しなかった、常に“AHEAD”であろうとしたマイルスというアーティストの精神に忠実であるためには、やっぱりなるほど、こういう作りこそ正解だったなという風に、僕はしっかり納得させられる着地だったなという風に思う。このライブシーンは本当にね、なんかクラックラするし、かっこいいし、楽しいしで。

さっき言ったように、メールでも多かったですけども、決して上手いとか、巧みな映画ではないです。特にさっき言ったようなポスト・タランティーノ的な、オフビートなクライム・コメディの部分。まあダニー・ボイルっぽい編集感とかも含めた部分は、いまどきはかえって新鮮味を欠くというような気も正直します。あと、いくらなんでもちょっと展開としてあり得なさすぎることが続いて。ちょっとなんか「いや、これはないだろう?」っていうところも多いんですけど。ただね、『MILES AHEAD』というこの映画の場合、「じゃあだったら、こうすればもっと良くなったのに」とか、そういう問題でもない作品なんですよね。部分的に直せば良くなるとか、そういう作品じゃないんですよ。ドン・チードルによる俺の考えたマイルス。そして、「俺はいま、マイルス」構造が芯にある限りですね、これはこれであって、これ以外ではないんです!(笑)

そしてその、俺にとってはこれ以外はあり得ないという作りを、決して恵まれているとは言い難い条件下で作り上げた、貫き通したドン・チードルの熱さ、濃さっていうのは、確実にやっぱりこの作品に、他では得難い輝きを……もっと丁寧に、文句言われないようにした作りの映画よりも……もたらしているなと思います。何度も言うけど、とにかくそこがかわいいし、チャーミングな映画だと思いますね。あの「チードル=デイヴィス」に会いに行きたくなるっていう、そんな感じのチャーミングさがあると思います。あと、やっぱり興味や知識がなかったとしても、僕はやっぱりマイルス・デイヴィスを……僕はそこまでそんなにマイルス・デイヴィスに詳しいわけじゃなかったですけど、「改めてちゃんと聞いてみるか」っていう気にさせられるという要素はあったと思いますね。

要は、どこまで本当かな? みたいなのも含めて、マイルス・デイヴィスの自伝とか、さっき言った小川さんの著書とかを読み比べてみると、スルスルスルスル、マイルスの歴史みたいなものが入ってきて。このタイミングで素晴らしい勉強にもなったりしてですね。年始めに見るのにはちょうどよいんじゃないでしょうか。ドン・チードルのこともますます好きになってしまいました。非常にかわいらしい映画です。ぜひ、劇場で見てください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『疾風スプリンター』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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