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【映画評書き起こし】宇多丸、『溺れるナイフ』を語る!(2016.11.12放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」

宇多丸:
ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して当たったこの映画……『溺れるナイフ』!

(BGM:テーマ曲が流れる)

漫画家・ジョージ朝倉の同名少女コミックを実写映画化。東京で雑誌モデルをしていた少女・夏芽は、父親の故郷に引っ越すとそこで謎めいた地元の青年コウと出会い、その不思議な魅力に惹かれていく……。監督は『5つ数えれば君の夢』などを手掛けた新鋭、山戸結希監督。主演は小松菜奈、菅田将暉、ジャニーズWESTの重岡大毅などなど……ということでございます。ということで、この作品をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、普通よりやや少なめ。まあ、公開規模はそんなに大きくないというのもあるんですかね。で、ですね、賛否の割合はほぼ真っ二つ。ああ、そうですか。「邦画が豊作だった今年を代表する傑作」という声もあれば、「理解できない」「今年ワースト」というような声もありました。概ね漫画原作ファンからは「原作エピソードを切り貼りしただけ」というような不満が多く、逆に山戸結希監督のファンからは「山戸監督らしい叙情性が炸裂した美しい映画」という賞賛意見が目立ったということでございます。どちらの陣営からも小松菜奈と菅田将暉の美しさについては賞賛の声が上がっていたというところです。

それでは、代表的なところをご紹介いたしましょう……。

(メール読み中略)

……はい、ということで、『溺れるナイフ』。私もTOHOシネマズ渋谷で2回、見てまいりました。とりあえず渋谷に関して言えば、めちゃくちゃ入ってますよね。売り切れ回続出してますよ。本当、すごかったですよ。ということで、ヒットしている作品でございます。公開館数が決してそんなに多くはないかもしれませんが。まず、ジョージ朝倉さんの原作漫画『溺れるナイフ』自体が非常に熱狂的なファンがたくさんいる作品なわけですもんね。実は、僕の奥さんもすっごい、生涯ベスト級に好きな漫画だと言っていて。2013年に別冊フレンドで連載が終わった時に「大好きな漫画が終わってしまいました……」という報告があったぐらい。ということでございます。

それだけに当然実写映画化というのは、相当にハードルが高い物件でもある。これは間違いないわけですけども。で、これは僕なりの結論から先に言っちゃいますけども。ご自身も原作漫画の長年のファンであるどころか、『溺れるナイフ』の原作を読んだことで、何かを作るという行為への衝動を呼び覚まされた、という風なことをインタビューなどでもおっしゃっている、脚本・監督の山戸結希さん。そもそも山戸結希さんの映画作品自体が、前から僕、いわゆる少女漫画的な心情描写みたいなものを映画の中で再構築というか表現してみせようとしているというのが特徴だなと思っていたんですが。その山戸結希さんによる今回の映画化。(しかも今や)その山戸結希さんの作品自体がある意味、カルト的な人気を誇っている――プログラムにも書いてある、中森明夫さんのこの文章なんかでも、改めてそうういうことになっているんだなというのがわかったんですが――という。そんな山戸結希さんによる今回の映画化ですけども。

単行本で17巻分ある話なわけですよ。それを当然、大幅に整理しているわけですけども、僕はこれね、原作と比較しても、話の核となるエッセンスを、過不足なく抽出して、再構成している、という風に思いましたけど。しかも、ここが大事なんですけど、それを、「実写映画ならでは」の表現として、見事に作品に焼き付けてみせている。要するに、『溺れるナイフ』(という原作漫画)の、どこの部分を切り取るか? ですよね。僕は、お話的な流れというもの以上に、もっとそれより大事なことがある、と(この素材に関しては)思うんで。『溺れるナイフ』というもののエッセンス。「ここがキモなんだ!」というところを押さえた実写映画化として、僕はちょっと、これ以上、120分以内に収めた作品としては想像しづらいなっていうぐらい、相当最高の結果を叩き出しているという風に思いましたけども。

で、まずその最大の関門の部分ですけども、これは長谷川航一朗というキャラクター。「コウちゃん」という、世俗を超越した……少なくとも序盤は、まさしく神様のようにすら見える存在っていうのを、いかに説得力を持って、嘘くさくなく実体化させるか。実際の俳優に演じさせるかっていうことですね。これ、地元の古くからの祭り事にも関わっていて、というような設定。で、ちょっと暴力的な志向があったりとかというところで、僕は(最初は)何も知らずに普通に見ていて、中上健次の『火まつり』の映画化の、柳町光男監督の映画版『火まつり』。この間、『ディストラクション・ベイビーズ』評でも「『火まつり』を連想した」みたいなことを言いましたけども、『火まつり』っぽいところもあるなっていう。まあ、実際に火祭りっていうのが(『溺れるナイフ』の劇中に)出てくるから……と、思っていたら、この原作者のジョージ朝倉さん自体がそもそも、映画の『火まつり』を見て、この原作を思いついたっていうんで。まあ、そういうキャラクター。言っちゃえば本当に中上健次的なキャラクター、コウっていうね。

それをどうやって、そんな神様みたいな存在っていうのを実際の俳優に演じさせるか? これ、要するにここを失敗したらもう目も当てられないことになるわけですけども……山戸結希さんのこれまでの作品、たとえば『おとぎ話みたい』とか、『5つ数えれば君の夢』っていうのを見ているとですね、僕は男子校出身で、男子校気質がいまだに抜けない中年おじさんなわけですけど、そんな僕から見ても、女の子というのがなにに恋をするのか、どんなことに憧れるのかっていうのが、山戸さんの作品を見ているとなんとなくだけどわかる気がする! ということで。非常にね、勉強になるな!っていう感じで見ているんだけども。その意味では、『溺れるナイフ』のコウというキャラクターと、後ほど詳しく言いますけども、「大友勝利」というね、これは言うまでもなく『仁義なき戦い 広島死闘篇』からのネーミングですけども、大友というキャラクターの、この2人のキャラクターは、女の子が恋したり憧れたりする対象の、ある意味、二大究極形でもあるわけですよ。

特にやっぱり、そもそも現実から遊離した存在であるからこそ、それを仰ぎ見る側、女の子側からすると、信仰にも近い絶対的な憧れの対象にもなるコウちゃんというのはですね、生身の俳優が体現できるか否かっていうのは本当に実写化の成否を握っているわけですね。で、そこでなにしろ菅田将暉!っていうことですね。撮影したのは去年の9月の、しかも17日間だけっていうことですから、まさにその時期、その瞬間の菅田将暉!っていうことなんですけども。いま、同じシネコンで3本、彼の出演作が同時にかかっているという異常事態が起こっているわけですけども。もちろんね、彼自身めちゃくちゃ演技が上手い俳優さんですから、作品や役柄によって大きな振れ幅があるわけです。

で、大きく言って2つ方向があると思って。ひとつの方向は彼の得意技。「犬キャラ」ですね。犬のようにキャンキャンなついてきたり、吠えまくってきたりするというね。もちろん、その代表格は彼の俳優としての出世作でもありましょう、『そこのみにて光輝く』。あれは本当に捨て犬スレスレのきったねぇ犬っていうね(笑)。きたねぇ犬がキャンキャンキャンキャンなついてくるようなキャラクターを、見事に演じられてましたけども。他にも、さっき言った『ディストラクション・ベイビーズ』であるとか、『何者』のあれもやっぱり、それぞれ性格は異なるけど、やっぱ犬!っていうね(笑)。性格が悪い犬もいたりしますけどもね。犬キャラっていう意味では一致していると思うんですけど。

ただ、菅田将暉さん、もう一方では、言うまでもなく、とんでもない美形なわけですよ。なので、その美しくかっこいい、ゆえにちょっと冷たく見えたりもするという方向の役柄も当然、菅田将暉さんは多いわけですね。で、その意味では今回の『溺れるナイフ』のコウ役は、「美しい菅田将暉」の最高打点を、一切の手加減抜きで追求した結果、ということが言えるかなと思うんですよね。2015年初秋の菅田将暉、という最高の素材を使って、どこまで行けるか? という。たとえば、金髪というよりほとんど白に見える髪であったりとか、その髪と同じように、海辺の町にずっと住んでいるキャラクターでありながら、もう陶器のように真っ白な身体、肌であったりとか。そして、伊賀大介さんによる、真っ白なスタイリング。要は、あの立場の人間が現実にいたらもっと普通にヤンキーっぽい男なわけですけども、現実には絶対にいない髪型であり、肌の色であり、服装でありというので、そんなのも相まって、結果、美しすぎてほとんど神のようにすら見える男の子。

で、自分自身でも半分、「自分はまあ神様のようなもんだ」って本当に思っていて。で、傍から見ていてもそれが全く嫌味じゃない。おかしくない。「まあ、そりゃそうだろうね。これだけ美しければ……」って思えてしまうような、そんなとんでもなく現実離れしたキャラクターを、今回の映画の中の菅田将暉は、完全に「体現」することに成功しているという風に思いますね。特にあの、斜めから見た時の顎と、おでこのラインですよね。あれがもう……髪がこうなびいている時の、『AKIRA』の鉄雄みたいになびいている時の、あのおでこから、顎にかけてのライン。あれ、俺の理想ですね。理想の顔ですね、あれね。

ということで、まあ序盤はそんな、文字通り神がかった美しさを手加減なしで振りまく菅田将暉演じるコウとですね、やはり、ほとんど役柄そのまんまにも見える小松菜奈演じる主人公・夏芽。要するに、天才的な美少女ティーンモデル。なんだけど、まだ若いから荒削りな原石感もあるというか。その存在感も含めて、非常に小松菜奈本人そのものとも重なる役柄でもある夏芽。要はコウとその夏芽、美男美女ですよ。この世のものとも思えない美男美女の、キラキラしすぎていて、我々凡人はそれを遠巻きに仰ぎ見るしかない感じというね。その視線を代表するのが、今回の映画版では上白石萌音さんが演じているカナ、というわけですけども。

とにかく、キラキラしすぎていて、我々凡人には眩しくて仰ぎ見るしかないような、そういう言わば「神々の遊び」ですね。序盤はそういう神々のあ・そ・び(笑)。それを見せつけられる。(それを際立てる)よくこんな場所見つけたなっていうような素晴らしいロケーション。たとえば、鳥居が立っている岩場もそうですし、あと、2人が写真集を持って追っかけあうあの水路。どこですか、あれは? あのキラキラした水路であるとか。あと、2人がワーッて言い合いしている、巨大な水たまりがあるあの空間であるとか、とにかく素晴らしいロケーション。そして撮影。オープニングの方の、あの海の光景なんか、ちょっと現実離れしたような……多少色はいじっているんですかね? 現実離れしたようなのも含めて、素晴らしいロケーションと撮影で、とにかくその、神々の遊び、神々のキャッキャウフフが繰り広げられる。これが序盤なわけですよ。

で、ここで、「まるで神のようだった、あの頃のキラキラした私たち」っていうのがしっかりと描かれていればこそ、たとえばその直後ね、コウくんに恋した途端、割と普通の10代の女の子になってしまう主人公の夏芽。で、それゆえに、一気につまらなそうになってしまうコウっていうのの痛々しさ。これね、当番組での『ぼくのエリ 200歳の少女』評に、若き日の、後の山戸監督が送ってくれたメールでの作品分析そのもの。「女の側が食いついてくると、いきなり冷めてしまう男性。そういう構造が『ぼくのエリ』から読み取れる」みたいなことが書かれたメールでしたけども、まさにその通りの構図の、痛々しさであるとかですね。

まあもちろん、物語上のいちばん大きな、ある重大な事件を境に、要は自分たちは別に神でもなんでもなくて、ただの無力な子供たちだったということを、主人公たちが思い知らされてしまう。そして、かつての輝きを失っていくという物語上の展開は、最初の「神のあ・そ・び」が……(笑)ものすごい画面上の説得力で描かれているからこそ、際立つという。観客にとっても切実なものとして、「そうだよね。あんだけキラキラと輝いていたのに」という切なさが共有できる。お話として成立するという風になっている。これは完全に実写映画ならではのものになっていると思いますし。で、そうやって、主人公たちがある事件をきっかけに、神的な世界からある種堕ちてしまう。で、その神々の世界から堕ちてしまった主人公たち。そこで前に出てくるのが、先ほどちょろっと触れた、大友勝利という、もう1人の男性キャラクターなんですけども。

こいつはとにかく、果てしなく「いいやつ」なわけですね。そんなにいいやつのまんまいなくていいよ、お前!って言ってあげたくなるぐらい、とにかく優しくてさっぱりした、ある意味これも究極のいい男。つまり、言ってみればこの話はこういうことですよ。「人間離れしたいい男vs人間の上限としてのいい男」。要は、「ドキドキするような憧れvsほっこりする安心」。つまり、女子が欲する、女子が恋してしまう二大要素。これの狭間で、主人公が揺れ動く、というこの身も蓋もない要約(笑)。まあ、そういう話なわけですけども。とにかく、じゃあその人間的いい男の上限の象徴である大友。これを今回の実写版で演じるのは重岡大毅さんという方で、僕は例によってこの人、ジャニーズの人って知らずに見ていて。「あっ、この人、上手いな。いいなー」と思っていたら、「ああ、ジャニーズWESTのメンバーなんだ」って後から知ったんですけども。

とにかく彼がものすごく、またいい。菅田将暉とはまた違った方向でいい。とっても上手いです。特に小松菜奈演じる主人公・夏芽との、すごく親密な、親しげなやり取りみたいなのが、ものすご~く自然ですよね。どうってことない会話だけで、2人の精神的な距離が近いっていうことが……「あっ、ここはすごく合っているんだ」っていうことが、フッと自然に伝わってくるということだと思います、この2人のシーンは本当に。で、そこだけは長回しで、会話の自然なテンポ感、空気感をそのまま生かす方向で、つまり夏芽とコウ、小松菜奈と菅田将暉の2人のシーンとは対照的なやり方で、ごく自然主義的に撮っている。という意味で、そこはやはり山戸監督の手腕も大きいのでしょうが、とにかく、この重岡さん演じる大友の、「地に足の着いた」実在感。これもまた、菅田将暉の神めいた存在感、現実から遊離した存在感と同じぐらい、今回の『溺れるナイフ』実写化を成功に導く、大きなファクターであったことは間違いないなと思います。

で、やっぱり、会話の自然な親密感みたいなの、長回しで見せて、その自然な空気感で「ああ、ここは親しいんだ。ここは友情があるんだ」っていうのがわかるっていうのは、これはやはり実写映画ならではの表現なわけですからね。加えて、映画オリジナルの展開で、まさか吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』があんなに悲痛な叫びっていうか……しかも、あの曲のコミカルさっていうのもちゃんと機能した上で、(感動的に)見せられるとは思わなかったですね。びっくりしちゃいましたね。「オラこんな村、いやだ~♪」で涙がポロッ、っていうのは、初めて味わいました。それだけでもすごいことだと思います。

あとですね、原作漫画ではもっともっと比重が大きい、大変重要な役回りであるカナちゃんですね。もうカナちゃんをめぐる原作の話は、本当にキツすぎ、痛すぎで、非常に重要なファクター。で、今回の映画版では、そのカナちゃんの出番っていうのが、大幅に……まあ少ないわけだね。非常に削られている。で、たぶん原作ファンがいちばん不満を抱くのはそこなんじゃないかなっていう気もするんですよ。カナちゃん、超重要なんで。ただ、このカナを今回の映画版で演じる上白石萌音。これの、もう嫌ですねえ。尋常ならざる芸達者ぶりですよね。とにかく、ごくごく普通の会話なんですよ。していることはごくごく普通の会話なのに、ちょっとした目線の動かし方とか、ちょっとした身ぶりから、彼女の抱いている真意……もっと言えば悪意ですよね。が、もう嫌ってほど(伝わってきて)、「うわっ、キツい!」っていう。話しているのは「元気にしていた?」みたいなことだけなのに、嫌ってほど伝わってくる、というような彼女の芸達者ぶりによって、要は彼女(カナ)のキャラクターとして果たすべき物語上の役割は、実はきっちり押さえられているな、という風に思いました。出番は少ないんだけど、カナちゃんが果たすべき役割はちゃんと押さえられている、という風に思いました。

あと、原作漫画だともうちょっとコミカルな扱いでもあった一流カメラマンっていうね、広能晶吾という。この役名もやっぱり『仁義なき戦い』の広能昌三から来ているわけですけども。これを演じられているのが元・毛皮のマリーズ、現・ドレスコーズの志磨遼平さん。本格演技挑戦は初めてっていうことなんですけども、この抜擢、また志磨さんが、すごく説得力のある存在感ですよね。要は、こういうことだと思うんですよね。彼(広能というキャラクター)っていうのは、クリエイティブ的に、作品的にプラスであるかどうかだけが絶対唯一の基準であるという、まあ純粋アーティストというか、そういう存在として登場するわけで。

要するに、夏芽にとっての神的領域ですよね。自分が女優として、モデルとして表現すること。彼女にとっての、ある意味「火祭り」というか。彼女にとっての神的領域っていうその話に、今回志磨さんが絶妙のバランスで(ニュアンスを加えている)……ご自身はもちろんアーティストでらっしゃるわけですから、ちょっとふにゃけているようにみえるけど、そこにある残酷な線引き感っていうんですかね? ものすごく残酷に線引きしている感じみたいなのが(伝わってきて)……非常に「鋭い」説得力というのを帯びている、という風に思いました。

ということで、僕は原作ももちろん全部読み込んだ上で言ってますけども、物語上必要な要素は、エピソードとして大きく端折られてたり、ダイジェストされているところは多いですけど、物語上の本質として必要なところは、きっちりと押さえられている。だから見事に要約しているなと思ったぐらいです。コウくんの家族周りの設定とかが大きく省かれたりするんだけど、そこはむしろ、家族話とかは省いた方がコウの神性は際立ったりするわけですから、全然これは有りな省略じゃないかな、という風に思って見ていました。

たしかに、全17巻を端折ったダイジェストであることの弊害のように、いちばん見えやすくなっているのは、クライマックス。ある、またまた重大な事件が起こるわけですけど、現実なのか幻想なのかがわからないというような描写で、これは山戸さんの過去作でもクライマックスにはそういう描写が多いですけども。やや、わかりづらく感じる人が多い(であろう)のは、やむ無しだとは思いますが。ただこれ、原作もこういう展開でもあるんですよね。「夢なのか? いや、現実だった」みたいな感じで、ある意味そこが折り重なるような展開にもなっているので、このわかりづらさは、ある意味原作のトレースとしてはそのままやっているとも言えますし。

ただまあ、今回の映画の結末だと特に、「現実の」コウくんがこれから生きる人生、それでいいのか?っていう感じがちょっと残らなくもないというのはなんかわかる気もしますが……ただその、クライマックスのある種のわかりづらさっていうのは、原作の映画化表現としては、僕は全然アリだと思ってます。(それよりも)今回の『溺れるナイフ』、僕は概ね申し分なく楽しんだんですが、あえて言えばですね、最後の最後で、ちょっと若干ネタバレになってしまいますが、夏芽が主演して(国際的な)賞をとった映画、彼女の実人生を映画化したような感じの作品で、その一場面を、受賞会場で見ましょうってことになりますよね。夏芽が演じる主人公が、田舎から出てゆく場面を御覧くださいっていう。で、そこから始まる(劇中映画の)場面がね……要はその後に出てくる、ラストのラストの、幻想というか、彼女の心の中にあるコウとの(別れの)場面というのとの落差をつけるために、あえてちょっと安っぽく描いている。これはわかるんですけど……わかるんですけど、その結果、「これ、(そんな国際的な)賞をとるような映画かな?」って見えちゃうんですよね。

そこはやっぱりもうちょっと、たとえば本当に、菅田将暉くんが今回の映画版で演じている級の美しさを実際に体現している誰かみたいな……要は、そこはあんまり(わかりやすい)落差をつけなくてよかったんじゃないかな?っていう風に思う。なんかね、やっぱり先週の『金メダル男』じゃないけども、「これで賞はとらないだろう?」っていうところで、急に冷めちゃうっていうところはありますよね。

ただですね、その先のラスト。バイクに2人乗りした(夏芽とコウの)やり取り。ちょっとこっぱずかしいやり取りではあるんですよね。でも、あのこっぱずかしさも含めて……可能性が閉じていく、まさに青春を、2人で、いまこの場で線を引いて終わらせていく、という会話なわけで。キラキラして輝いてるやり取りのように見えるけど、次第に「ああ、もうこれで終わりなんだ。さようなら、私たちの青春」という感じで、曲がり角を曲がるたびに、その感情の変化が顔に表れてくる。これも、実写映画ならではの素晴らしさですし。

で、その(トンネルを抜けた)瞬間(の2人の表情)が、パッとストップモーションで終わる。瞬間を切り取る。これはまさに実写映画。そしてこれは、実際のところ2015年の初秋にたった17日間を使って撮られたという、菅田将暉であり小松菜奈自身の、このフィルムにしか焼き付けられない表情という点で、ある種のこっぱずかしさとか、ある種の青臭さというの含めて、ドキュメンタリー的に切り取ってもいるという意味で、これは今回の(実写版)『溺れるナイフ』というのの締めくくりとして、申し分ないというか、これ以外の終わり方、あるのかな?っていうぐらいのものだと思う。とにかく、実写映画(版『溺れるナイフ』)の締めくくりとしては、僕は完璧だというぐらいに思いましたけどね。はい。ということでございます。

山戸結希監督ですね、間違いなく今回、こんぐらいの規模で公開されて。山戸さんの過去作とか知らない観客たちも集まってきて、そこに楔を残すような作品というか、作家としても確実に、ネクストレベルに行かれたのではないでしょうか。という風に思います。私は堪能いたしました。特にやっぱり、菅田将暉がキレイなんだよな。本当にね。もうペロペロしたくなる!(笑)という作品でございました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『コウノトリ大作戦!』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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