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8年目のスランプを乗り越えて・・・1日4試合の末の優勝、MASACA!

コシノジュンコ MASACA

2017年5月7日(日)放送

ゲスト:杉山愛さん(part1)
1975年 横浜市生まれ。
15歳で日本人初の世界ジュニア・ランキング1位に輝き、17歳でプロに転向。1999年の全米オープン混合ダブルスで、グランドスラム初優勝を果たします。翌2000年の全米オープンでは、日本人女子としては25年ぶりの快挙となる女子ダブルスで優勝。2003年の全仏・全英でも女子ダブルス優勝。2009年の全豪オープンを最後に引退してからは、解説者として活躍しています。
WTA世界ランキングの自己最高位はシングルス8位、ダブルスは日本人選手初の1位。
5月7日ゲスト 杉山愛さん

出水:いまでこそ10代のプロ選手も大勢いますが、当時は10代でプロとして世界で活躍するというのは珍しかったですよね?

杉山:そうですね、少し早いプロ転向だったかもしれません。

JK:何歳ぐらいから始めたの?

杉山:4歳からです。そのころはテニス以外にも、体操教室に通ったり、クラシックバレエをやったり、フィギュアスケートに水泳教室といろいろやっていたんですけれど、中でもテニスが一番楽しくて。週1回では物足りなくなってどんどん通い始めて、最終的に小2の時にテニス1本に絞ったんですけれども、そのころからもうプロになりたいなという夢がありました。

JK:プロになるには何歳から、と決まっているんですか?

杉山:一応ある程度の年齢から、というのはあるんですけれども、最近はどんどん若い子たちがプロになってきて、14歳、15歳のプロたちもいます。ただ、昔ジェニファー・カプリアティという選手が14歳でいきなり大活躍したんですが、そのあと少し、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまって。それから年齢に対するルールができて、14歳~15歳の選手には出場できる大会数の規制がかけられるようになりました。そういったコントロールで、燃え尽き症候群の問題は今ではあまり聞かなくなりました。

出水:素晴らしいですね、選手の未来を考えて、若いうちから選手生命を守っているわけですね。

JK:でも、それだけ一途にやっていると、途中で挫折ってありますでしょ? 私も転んで怪我しちゃってるんですけど(笑) 怪我とかは?

杉山:私は本当に怪我が少ない選手だったと思います。せいぜい捻挫ぐらいで、大会に出られない期間が長かった、というほどの怪我はなかったので。引退当時は、グランドスラム最多連続出場というギネス記録、今ではロジャー・フェデラーという偉大な選手に破られてしまいましたけれども、女子ではまだ一応歴代1位です(笑)でも、テニスはワールドツアーがあるので、あちこち点々として年間およそ250日を海外で過ごしています。

JK:じゃあ、日本にあまりいなかった?

杉山:当時は日本の家に帰るのも延べ3か月か4か月ぐらい。プロになってから17年、ジュニア時代から数えたら20年ぐらいはそんな生活でした。

JK:20年も外国生活! 日本のこともほとんど忘れちゃいますね?

杉山:いまのように、インターネットで情報がすぐに取れる時代ではなかったので、スタートのころは浦島太郎状態というか・・・FAXでやりとりしたり、高いお金を払って衛星版の新聞を買ったり。

JK:今では情報はすぐ手に入る時代だから、なんでも手に入っちゃったり、なんでもうまく行っちゃって誰でもできるような気になるんだけれど、あの当時の苦労というか、リアルなストーリーを、次の世代の子供たちに伝えてほしいです。

出水:我々も、杉山さんの輝かしいニュースをずっと見てきたので、なんでも上手くこなしてキラキラしているように見えますが、実はスランプも経験されているんですよね?

杉山:ジュニアからプロになりたてのころは、「テニスが大好き!」という気持ちで勢いよく行けたんですが、プロになってから8年たった25歳の時に初めて壁にぶち当たりました。初めて「テニスを辞めたい」と思うぐらい、絶不調の時期がありました。

JK:辞めたいと思って、ちょっと休憩したんですか?

杉山:とはいえ、休憩する間もなく時間はどんどん過ぎてゆきますし、大会を欠場すればその分、ランキングも下がってしまいますし。調子が悪くなり始めたのはまだ世界Top30にいた時だったんですけれども、自分の中ではどんどん絶不調になって、どんどん負けが続いて、このままいくとどうなっちゃうんだろう?という不安がありました。

杉山愛のスランプ脱出法とは?

JK:でも、ここまで長く続けるコツっていうのはありますか?

杉山:初心に戻って自分を見つめなおすことの大切さとか、いま集中しなくちゃいけないことをひとつひとつ乗り越えていくこととか。スランプの乗り越え方を得られたというのが、自分の中で大きな収穫でした。

JK:独特の乗り越え方があるんでしょうね?

杉山:朝起きてから夜寝るまでに必ずやるルーティーンワークが、試合がない日は23個、試合がある日は+10個=33コあります。試合が始まる4~5時間前には必ず起きて体を目覚めさせ、それから30分かけて、いいイメージを持ちながら深く呼吸を整えていきます。イメージトレーニングも兼ねているんですが、気持ちいい状態で1日をスタートできるようになるんです。脳はだまされやすいというか、実際に起きていることとイメージしていることを同じようにとらえるらしいので、どれだけいいイメージを持てるかというのはアスリートにとって大事だと思います。

出水:杉山さんはどんなシーンを想像していたんですか?

杉山:実際にプレイしているところ、自分の得意なフットワークとか早いタイミングでとらえるところとか、足が細かく動いて躍動感ある動きとか、そして狙ったプレイを決めてガッツポーズ! みたいなのをリアルにイメージしていました。対戦相手も事前に決まっていたりするので、相手との対戦をイメージしておくと、結構そのように動いていったりするものなんですよね。

JK:それにしても、よく走りますよね!

杉山:ありがとうございます(笑) 背も高いほうではないので、海外の190cmクラスの選手を相手にどう戦うか、「自分の強み」を知るのは重要ですよね。シャラポワ選手も180cm以上ありますし、ヴィーナス選手、セリーナ選手・・・背が高いとリーチもありますし、遠心力というかパワーもありますし、体が大きい分筋力の体積も増えますしね。パワー対パワーでやったら勝ち目はないので、他のところで戦わないと。

出水:シャラポワ選手といえば、ウィンブルドンのセンターコートで対戦したことがありましたね? 現役時代で一番印象に残っている試合は?

杉山:スランプで優勝からも遠ざかっていたころ、5年間もツアーで一度も優勝していなかった時があったんです。そのスランプを乗り越えた3年後、2003年3月にアメリカの大会で優勝したんですけれど、その日の試合数が4試合! シングルスとダブルス両方出場していましたし、しかも前日に流れた準決勝も同じ日にやったので、シングルスの準決勝&決勝、ダブルスの準決勝&決勝と、合計4試合。それを全部戦って、全部勝つことができました。4試合全部合わせると、試合時間は6時間18分。一番思い出深い日ですね。

JK:きゃー!マラソン選手が手も一緒に動かしてるみたいな感じ!

杉山:この日は体力、気力、精神力、技術面もすべて充実して、スランプを乗り越えて久しぶりの優勝という、自分にとって大きな1日でした。シングルスの決勝で破った相手はダブルスのパートナーだったキム・クライシュテルス選手という、当時世界ランキング2位の選手だったので、「やっとここまで来た!」という手ごたえを感じた試合でもありました。

出水:その日はほかの日と何が違ったんでしょう?

杉山:その日が始まったときは、実はちょっと憂鬱だったんです。準決勝で勝っても、そのあと余計に試合をしなくちゃいけないわけですから。でも、ひとつひとつ行くしかないなと思って、1ポイント1ポイント着実に積み重ねていきました。その日はとても充実していて、体も気持ちいいように動いて「取れないボールはない」という感覚があって、疲れは感じませんでした。ボールの行く方向が読めるというか、いわゆる「ゾーンに入る」という、今までに数回しか経験したことのないうちの1回だったと思います。

=OA楽曲=
M1.  Love Child / Diana Ross & The Supremes
M2.  Upside Down / Diana Ross