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視聴率96.1%をマークした伝説の男

檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」

毎週金曜日は、「プロの仕事」と題してお送りしていますが、きょうは、「2003年に亡くなった、日本初のボクシングの世界チャンピオン、白井義男さん」をご紹介しました。

突然ですが、ここで問題です。
日本のテレビ放送で、最も高い視聴率をマークしたものは何でしょう?

それは、きょうご紹介する伝説のボクサー、白井義男さんが1955年の5月30日に臨んだ、アルゼンチンのパスカル・ペレスとの世界王座リベンジマッチ。
実は、白井さんは、この前の年、1954年の11月に行われたペレスとの試合に敗れて、王座陥落。
しかしその半年後、当時31歳の白井さんは現役引退をかけて、王者ペレスに挑みました。日本中がTVの前で、固唾を飲んだ世紀の一戦は、白井さんが5回KOでペレスに敗れてしまい、現役を引退。残念な結果になりましたが、テレビの最高視聴率は、驚異の96.1%をマークしたそうです。これは、もう破る事の出来ない数字かもしれませんね。

戦後の日本のヒーローとも言える、白井義男さん。
白井さんが日本人初の世界チャンピオンになったのは、1952年のきょう、5月19日でした。今から65年前の事になります。

そして、白井義男さんの「ボクシング人生」で最もスポットライトを浴びたのは、1952年から55年。年齢で言えば、28歳から31歳までの4年間でした。しかし、白井さんの「ボクシング人生」は小学6年生の頃から始まったと言われています。
    
ボクシングに興味を持ち始めたきっかけは、地元、東京・荒川のサーカスの余興でカンガルーと対戦したことだそうで、激動のボクシング人生はここから始まりました。
20歳の時に、入門わずか2週間でプロデビュー。その後も8戦全勝という輝かしい成績を残しましたが、戦争が激しくなった為、白井さんは、海軍航空隊に入隊。
その結果、戦地で腰を痛めてしまい、それまでの輝きを失いかけます。戦後、リングに復帰した後は、3勝3敗とスランプに突入。

しかし、運命とは不思議なもの。戦争でチャンスを失いかけた、当時25歳の白井さんの可能性を見出したのは、なんと、戦後、日本にやってきたGHQの職員で生物学者だったカーン博士という方でした。

ボクシングが好きなカーン博士は、当時まだ無名だった白井さんの素質を見抜いて、栄養面を含めた、科学的な指導で、白井さんを世界チャンピオンに育て上げたのです。
白井義男さんとカーン博士の友好的な師弟関係は、引退後も続いたそうで、カーン博士は、白井さんの引退後も、白井さんのお宅で一緒に暮らしたのだとか。なお、カーン博士が認知症になった晩年も、白井さんは自宅で献身的にサポートをして、カーン博士の最期を看取ったと言われています。まるで家族のような素敵な関係ですね。この優しさも、戦後の日本のヒーローとなった白井義男さんの魅力と言えるのかもしれません
     
     
   

 

     

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