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MASACAのオリンピック4大会連続出場を経て、さらに自分を超える松田丈志

コシノジュンコ MASACA

2017年5月28日(日)放送

ゲスト:松田丈志さん(part2)
1984年、宮崎県延岡市出身の競泳選手。地元の東海スイミングスクールで久世由美子コーチの指導のもと、4歳から水泳を始めます。アテネ・北京・ロンドン・リオデジャネイロと、4回連続でオリンピックに日本代表として出場。ロンドンでは男子400mメドレーリレーで銀メダル、北京・ロンドンでは男子200mバタフライで銅メダル、リオデジャネイロでは男子800mフリーリレーで銅メダルを獲得。2016年に現役を引退。

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出水:4歳のときから指導してきた久世由美子コーチとの共著「夢を喜びに変える自超力」(ディスカバートゥウェンティワン)が、今年の3月に出版されましたね。

松田:この本の出版にあたって競技人生を振り返ったときに、日々目標にむかって壁を越えていく=自分を超えていくことの連続だったな、と。それでこういうタイトルにしたんです。僕自身は水泳と向き合ってきましたけれど、自分のフィールドの中で結果を出す、結果を出すためには成長しなくてはならない、という点は、さまざまなフィールドで戦っている皆さんに届くメッセージかなと思います。

出水:この本には松田さんのエピソードだけじゃなく、久世コーチのエピソードも交互に書かれていて、お互いの視点で振り返るという感じですね。

JK:「夢なきものは理想なし 理想なきものは目標なし
      目標なきもの実行なし 実行なきもの成果なし
      成果なきもの喜びなし」

っていう久世コーチの言葉。もとをたどれば、全部子供のころからの夢から始まっているんですものね。

松田:僕自身もこの言葉がすごく好きで、つねに意識しています。誰しも夢は持つと思うし、それを目標に落とし込むこともできると思うんですけど、一番難しいのは「実行」。実行し続けることが永遠の課題かなと思います。

JK:夢は誰でも平等に、ただでも見られるけど、それを最後まで実行するのは難しいですよね。

出水:本の中で松田さんが「目指すべき目標があるのは幸せなことなんだけれど、苦しいことでもある」と書いていた言葉にドキッとしました。

松田:いまでも実感としてありますけど・・・なんでしょうね、このジレンマ! 目標がないならないで、何かに向かって頑張っていた自分が輝いて見えるし、目標があったらあったで、プレッシャーがあったり、苦しかったり。

JK:でも、これからの新しい目標は? 大きな山を越えたから、次の目指す山は種類が違うと思うんですけど。

松田:これからの人生を作り上げていく上で、スポーツは自分にとって僕自身の軸になる部分なので、引退まもないアスリートがやるべきこととして、これからの選手、いま現役中の選手に自分の経験を伝えていくのが大きなウェイトを占めていると思います。引退してあらためて思うのは、やっぱり一番好きなことは水泳だったんだなと。いまは水泳をやってきた松田丈志というのは一度リセットして、とにかくいろんな刺激を自分にいれて、いろんなところに顔を出して、自分の心が何にどう反応するのかを見ていきたいと思っています。

出水:現役時代は毎日必ず「練習ノート」をつけていらしたそうですが?

松田:いまは練習ノートに代わって、つねに手帳を持ち歩いて書いています。現役中は、毎日その日の練習と課題、明日やるべきこと、いまやるべきことを書いて、つねに意識していました。今はそこまでできていないので、もう一度明確な目標を具体的に描いて、そこに向けて1日1日を積み重ねていかないと、と思っています。

JK:ある意味、新しい夢を見つけるのかな。これから東京オリンピックがありますが、子供たちにどんな成長を望みますか?

松田:「自超力」という言葉にもありますけど、やっぱり子供たちには自分が夢中になれること、頑張れることを見つけてほしい。すぐに見つかる子もいれば見つからない子もいるけれど、いろんなことにチャレンジする子供が増えてくれれば、日本にとっても大きなプラスになるんじゃないかと思いますね。

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JK:松田さんにとって人生の「Masaca!」とは?

松田:直球過ぎて申し訳ないんですが、僕にとっては「まさか4回もオリンピックに行くとは!」。子供のころは、1回でもいいから行きたいという思いでやっていたのが、4回も行って。最初のオリンピックから12年、その中で4つメダルを取ってというのは「Masaca!」だし、あんなに幸運なことはないと思いますね。

出水:その12年は、振り返ると速かったですか? それとも長かった?

松田:うーん。12年早かったですね。夢中でやっていたので。やっているときは辛かったですが、最初のオリンピックに出た20歳のころと、32歳、最後のオリンピックとでは気持ちの上では変わっていなくて、本当にあっという間。でも振り返ってみたら長くやっていた、という感じです。

JK:他の水泳選手で、32歳を超えている人はいますか?

松田:日本の競技会でいうと、30を超えてオリンピックに出場したのは僕が初めてで、日本の競泳でいえば最年長記録。ということは、メダルを獲得したのも最年長。やっぱり家族がつねに献身的にサポートしてくれましたし、久世コーチに関しては、僕がやるかやらないか迷っているときにつねに背中を押してくれて、チャレンジを応援してくれたというのはあります。応援してくれる人がいるから頑張ろう、頑張るから応援してくれる、というサイクルがあったんだと思います。

JK:でも、延岡ですよ!私も行ったことあるけど。

出水:昨年9月、その延岡・東海中学校のプールで、現役最後のレース前の調整で泳いだんですよね。

松田:現役中は、時間が空けば合宿の合間に宮崎に戻って練習していたんですが、引退レースの前はやっぱり感慨深いものがありましたね。明日で選手としてはレース最後かぁ、と思うとグッとくるものがありましたね。

出水:28年間の水泳人生を振り返ってみて、一番自分の支えになったものとは何ですか?

松田:やっぱり周りからの応援ですね。久世コーチもそうだし、家族もそう。子供のころから水泳を始めて、だんだん目標が大きくなって、オリンピックに出て、最終的には金メダルを取りたいという思いでやっていたんですけど、戦う舞台が大きくなればなるほど周りからの応援が必要で、自分ひとりでは戦えないことを実感していました。周りの応援、サポート、知恵や経験、そういうものをどんどん自分が吸収していくことで成長してきたし、だからこそ頑張れた。

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JK:東京オリンピック・パラリンピック・・・とくにパラリンピックですけど、障害をもった選手を教えるというのは大変ですよね。

松田:正直、現場レベルでいうと、僕らがやってきたオリンピックに比べて環境の面ではまだまだ。指導者も全然足りないし、練習施設も足りない。僕自身も、リオ大会でメダルを取った全盲の木村敬一選手を取材して、真っ暗になるゴーグルをつけてプールに飛び込んで泳いだんですけど、暗闇の中で泳ぐというのは恐怖心との闘いですし、純粋にアスリートとしてもすごいなというのを感じました。そういう意味では、今度の東京大会がパラリンピック選手の環境を整える大きなチャンスになると思うので、それが今後の大きな課題ですね。それがひとつのきっかけとなって、オリンピック以降もパラリンピック選手や障害を持った方々への理解へ広がっていかないといけないと思います。

出水:引退されて10か月が経ちましたが、これからこういうことしたいな、というのはありますか?

松田:やはりスポーツが僕自身の軸なので、これからは水泳だけでなく、いろんなスポーツに触れて、元アスリートとしてファンの皆さんに魅力を伝えていきたい。そのためには僕自身がもっとスポーツのことを勉強しなきゃいけないなとも思っています。そういう意味で、いま博士号の取得を目指していて。鹿屋体育大学でスポーツ栄養の研究を進めています。

JK:それは、教える側の自信にもつながりますものね。

松田:これから自分が伝えていく立場になったうえでは、自分自身の学びを蓄積していかなくてはいけない。オリンピックメダリストというだけで終わらないようにしたいなというのが、僕の今の気持ちです。

出水:どんどん今の自分を超えていく、まさに「自超力」!これから選手ではない松田さんがどのように成長していくのか、私たちも応援しています!

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=OA楽曲=
M1.  Say It Loud – I’m Black And I’m Proud / James Brown
M1.  Please Please Please / James Brown