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森山良子ージョーン・バエズに見いだされ、MASACAのデビューから50周年

コシノジュンコ MASACA

2017年6月4(日)放送

ゲスト:森山良子さん(part1)
1948年東京都出身。ジャズトランペッターの父・森山久と、ジャズシンガーの浅田陽子の間に生まれる。ムッシュこと故かまやつひろし氏は従妹にあたります。1967年「この広い野原いっぱい」でデビュー。ミリオンセラーとなった「禁じられた恋」をはじめ、「涙そうそう」「さとうきび畑」など数々のヒット曲を生み、2008年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。長男の森山直太朗もシンガーとして活躍中。2016年にデビュー50周年を迎えました。

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出水:森山さんと音楽の出会いをお聞きしたいんですが、幼少期から音楽に囲まれて育ったんですよね?

森山:そうですね、父がジャズのトランペッターだったのと、母もいつも歌っていて。私、母がジャズシンガーだったと知らなかったんです。デビューしてから評論家の方に、「あなたのお母さんはいいお声でしたよ」って言われて、「何がですか?」って聞いたら、「知らないんですか?ジャズをうたってましたよ」って。

JK:私たちの時代って、ジャズから始まった感じがします。ジャズ喫茶でジャズを覚えて、そこからアメリカ文化へつながるという。

森山:家の中ではもうすでにジャズがかかっていて、ラジオはFENが流れていました。音楽しかなかった、というぐらい。物のない時代、音楽だけはふんだんにあった。ムッシュの家は隣の隣で、ムッシュの家に遊びに行くと、お父さまが生徒さんを教えていて、私たちがおままごとする隣の部屋からお稽古がずっと聞こえてきました。だから、どこへ行ってもジャズが流れていて、自然とそういう曲を覚えた。そして、叔父の生徒になりました。

JK:身内だと、緊張感がないんじゃないですか?

森山:でも厳しい人でしたよ! 遊び人のくせに、厳しい人でした(笑)

JK:本気で歌手になろうとおもったのはいくつぐらい?

森山:小学校5~6年生のころですね。父と母に「学校行きたくないから、小学校を卒業したら歌手にならせてください」って言ったら、「とんでもない、高校を卒業するまでは何にもしてはいけません」「甘い世の中じゃないから、ちゃんとクラシックの声楽を学んで、基礎をしっかり勉強してからじゃないとだめだ」と言われて。すごく柔らかい家庭なのに、その時だけ厳しくて(笑)

JK:フォークソングは成城学園にいたときの影響ですか?

森山:中学校のときに、男の子とカントリーウェスタンのバンドをやっていました。ギター弾いて、ボーカルで。それを成城学園の先輩が見ていて、フォークソングをやらないかと誘われて。それが黒沢明監督の息子の黒沢久雄さんだったんです。当時はとってもカッコよくて、憧れの先輩だったので、二つ返事で「はいっ!」と答えて、フォークソングに入っていきました(笑)
Songbird

森山:ちょうどそのころジョーン・バエズが来日して、コンサートを見に行くつもりでいたら、お友達が取り入ってくれて、なぜか彼女の楽屋に連れていかれて。「貴方のレパートリーをいっぱい歌える女の子がいる」「じゃあ歌って! Sing!」と言われたので、楽屋で歌ったんです。そしたら彼女が「休憩が終わったらステージにあなたを呼ぶから、この曲とこの曲を一緒に歌いましょう」と。えっ?! えーっ?!という感じでした!

出水:ものすごいラッキーですね!!

JK:場所はどこですか?

森山:新宿の厚生年金会館。しかも2日間続けて! 明日もいらっしゃいって言われて!もう夢のようでした。ちょうど生放送のテレビ中継が入っていたようで、私はまだ高校生でデビュー前だったんですけれど、「日本のジョーン・バエズ」というレッテルがついたわけです。あの時代にああいうプロの人の横で歌うというのは・・・もう音が違う。ピーン!ピ・ピ・ピーンッ!っていうかんじ。そのことで驚いちゃって。アマチュアとは雲泥の差があるというか、プロの洗礼を受けたとでもいいましょうか。

出水:そこから本格的なシンガーになることになったわけですが、デビュー曲の「この広い野原いっぱい」は30分ぐらいで完成した曲、というのは本当ですか?

森山:私、あまり自分で曲を作ることに興味がなくて。あくまでもシンガーになろうと思っていたんです。ちょうどお友達が、リスナーから詩を募集してメロディをつける、というラジオ番組をやっていて、私はピンチヒッターで行っていたんですが、「ノルマだから、曲をつけろ!」と言われて、逃げられなくなって。そのとき、スタジオにたまたまあったスケッチブックに、小薗江圭子さんの「この広い野原いっぱい」という詩が載っていたんです。詩を読みながら、読んだままメロディをつけていったら、「あ! できたできた!」という感じでした。

JK:それは募集された詩だったんですか?

森山:そうじゃないんです。月光荘という画材屋さんのスケッチブックの、背表紙に印刷されていたんです! その時はどなたの詩か全くわからなかったんですけれど、それをレコーディングすることになって。だから、まさかこの曲でデビューすることになるとは思ってもいませんでした。

JK:最初のmasacaだわね。

森山:その日のオンエアのためだけの、間に合わせみたいな曲だったので。それでおしまい、って思ったら、リスナーさんからリクエストがたくさんあって、じゃあまた今週も、って歌っていくうちにどんどん広がっていって・・・抜き差しならないままフォークシンガーになっていったという(笑)

JK:道が開かれるってそういうことなんでしょうね。計算じゃなくて、目の前にあることが使命になっていくんですね。目の前にあることってすごく大切ね。

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JK:50年ってすごいことだと思うんです。

森山:いえいえ、コシノさんに比べたら!

JK:まだいるの、って言われてるけど(笑) でもいかがですか、50周年の思い出は?

森山:前ばっかりむいて走ってきた感じがあります。あんまり後ろを振り返るタイプではないので、50周年を機会に一度振り返ってみたら、「おお、結構長かったんだなー」なんて思いました。

JK:早いですねー。もう、先の50年はないですからね。だから、今は大切だと思います。50年は過去ではなく経験で、この経験が若い人たちにとってお手本になるから。次の世代の人たちのために残してください。・・・いいこと言っちゃったかな?

出水:デビュー50周年を記念したアルバム「Touch Me…」が発売されています。「この広い野原いっぱい」「涙そうそう」がアレンジされていたり、斎藤工さんとの芝居仕立ての曲があったり・・・バラエティ豊かな1枚ですね。

JK:息子さんの曲も?

森山:「今」という曲です。いつもプレゼントをくれない息子が、50周年でようやくプレゼントをくれたという(笑)

出水:ひとつひとつ丁寧に解説がついていて、どの曲も大切にしてらっしゃるんだなあと思いました。

森山:そうですね、新しい曲もありますし、いままで自分の心にふれてきた曲・・・それをみなさんにも触れてほしい、という意味で「Touch Me…」というタイトルにしました。

出水:コンサートも行われていて、「Touch Me…」コンサートでは50という数字にこだわったそうですね?

JK:50か所を回るとか?

森山:いえ、もう50か所以上、100ぐらい回っています(笑)最初は、去年の1月18日、お誕生日のときに、50曲を歌うというコンサートから始めたんです。5時間ぐらいかかるかな、と思ったんですが、結局なんだかんだ言いながら、60曲ぐらいを6時間半かけて歌いました。

JK:6時間! お客さんもずーっと? 休憩なし?

森山:もちろん途中で休憩もあって、限られたクローズドのコンサートだったので、途中休憩で、私の好きなパンやおつまみをつまんでいただいたり、シャンパンを飲んでいただいたりとかして、6時間半をともに過ごしました。ムッシュウも飛び入りで参加したり。

JK:それは最高でしたね!

森山:楽しかったですね~! あとは、リクエスト100曲の中からお客様に選んでいただく「オールリクエスト・コンサート」というのもずいぶんやりました。

JK:100曲全部を覚えてるというのがすごいですね。

森山:暗譜のもありますし、久しぶりに歌うものは歌詞を用意して。毎日何が出てくるのかわからなかったので、怖かったです。すっごくシリアスな曲のあとに、すっごくコケティッシュな曲を歌う時なんかは、歌いだしても気持ちの切り替えがなかなかできなくて、「ちょっと待って~!」って、一度止めていただいたり(笑)お客様も、おおーっと面白がってくださって(笑)

JK:そういうことができる仲間というか、理解のあるお客様でとてもいいですね(笑)

森山:日常にはなかなかない出来事でしたね。

=OA楽曲=
M1.  この広い野原いっぱい / 森山良子
M2.  この道が教えてくれました / 森山良子