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【映画評書き起こし】宇多丸、『光をくれた人』を語る!(2017.6.3放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(毎週土曜日22:00〜24:00) 放送の音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『光をくれた人』

(BGMが流れる)

このアレクサンドル・デスプラのスコアもめちゃめちゃよかったですね。この作品の風格にばっちり合っているんじゃないでしょうか。『ブルーバレンタイン』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命』のデレク・シアンフランス監督の最新作。第一次世界大戦後のオーストラリア。戦争で受けた心の傷を癒やすため、灯台の番人としてやってきた男と、その男と結婚した美しい妻。二度の流産で失意の底にある2人の前にある日、赤ん坊が流れ着いたことから運命は変わり始める。主人公トムを演じるのはマイケル・ファスベンダー。共演は……これ、読み方がいろいろある(日本語でどう発音するかが定まりきっていない)んだけど、アリシア・ヴィキャンデルさん。そしてレイチェル・ワイズということでございます。


ということで、リスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。メールの量は、これ残念ながら少なめ。これね、まあ公開館数とかそんなにドカン!(と多い作品)じゃないけど。たださ、アメコミ・アニメになるとドカーン!って(大量の感想メールが)来るのに、こういうのになると露骨に少なくなるのって正直どうなの?っていう気持ちがちょっとしなくもないんですけどね。でも、公開館数もあれですしね、地味めな映画という感じがあるんですかね。メールの量は少なめ。賛否の比率は、およそ半数が褒め。普通もしくは、いまひとつといった感想が半数。「先が読めない展開に引き込まれた」「どの登場人物にも感情移入してしまい、胸が締めつけられた」などの褒める意見も多かった一方、「悪くないけどのめり込めない」「主人公夫妻の自業自得では?」など覚めた意見も目立った。もちろん、主人公夫妻のやったことは完璧にアウトなんですけどね。そういう話なんだけどね。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「赤い影法師」さん。「最近は見るに堪えない映画が多い中、久しぶりによい映画を見ました。自分なら真実を墓まで持って行くか? 家に帰って何回も考えましたが、本当に自分が直面しないと答えは出ませんね」。まあ、「自分ならどうする?」とかそういう自問自答を見ながらするタイプの作品なのは間違いないですね。それこそたとえば、『そして父になる』とかじゃないですけども。「こういう時に子供のためにはどっちなのかな?」とか。そこも考えるタイプの作品ではありますね。

あと、いまいちだったという方。「フキボー」さん。「『光をくれた人』、ウォッチしました。演技に凄みがあればなんとか見れてしまう代表的な例。終幕まで、主人公たちが自業自得で一向に話が入ってきませんでした。生きるためには仕方ない選択だったというものの、その孤島での生活が到底精神に異常をきたすほど辛い生活に映らず、逆に雄大な自然に囲まれた何不自由ないスローライフに映る。よって、それはお前たち夫婦で解決する問題であって、他人を巻き込む動機には不十分で不信感が倍増」。要は、主人公たちがちょっと許せなくなっちゃったっていう感じですかね。「……それでいて、上辺だけの感動が大量投下されるものだから、どんどん滅入りました」というご意見でございました。

はい。ということで『光をくれた人』。私もTOHOシネマズ日比谷シャンテで2回見て参りました。結構、老若男女幅広くお客が入っているなという感じではございました。ということで、2010年の『ブルーバレンタイン』、当番組では2011年4月30日。この評のコーナーだけでは収まりきらずに放課後ポッドキャストまでやるぐらい盛り上がって、2011年度のランキング4位に選ばせていただいた『ブルーバレンタイン』。言わずと知れた倦怠夫婦物、暗黒夫婦物の大傑作ですよね。で、続く『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命』。これ、2012年の作品。当コーナーでは2013年6月8日に評しました。これもね、3部構成なんだけど、アメリカン・ニューシネマ的なアウトロー物。から、警察汚職物。から、最終的にはファミリーメロドラマという風に、主人公とジャンルが次々に変わっていく、ちょっとユニークな3部構成になっていて。やっぱり非常に見事に映画的な語り口で、一気に見せ切る素晴らしい作品でございました。

で、とにかくこの『ブルーバレンタイン』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』の脚本・監督で知られるデレク・シアンフランスさんの4年ぶりの長編四作目にして、今回が初のメジャー作品。で、初の原作物。で、初の時代物ということで、わりとはじめて尽くしの一作ということですね。話だけ見るとね、たとえば灯台守の夫婦の山あり谷ありの話だっつったら、僕なんかは木下惠介の『喜びも悲しみも幾歳月』っぽいなとかね。それに加えてちょっと、『八日目の蝉』っていう日本映画もありましたよね。あ、ちょうど今週の『日曜Abemaロードショー』で僕が解説付きでやるんですけど、ああいう、人の子供を途中まで育てちゃって……っていう。その罪の話ですよね。というところで、『喜びも悲しみも幾歳月』+『八日目の蝉』っていうような話だなという風にも見えると思いますけども。


ただ、案の定と言うべきか、実際に作品を見てみると、当然のようにデレク・シアンフランスさんらしい、ものすごく明白に彼の作家性が刻み込まれた映画に、ちゃんとなっていたなと。もちろん、これはちょっと見解が違う人がいるかもしれませんけども、僕は、安直なお涙頂戴には全くなっていないというか、もう一線も二線も画している出来になっているなという風に思いました。まず、これはやっぱり『ブルーバレンタイン』と同じく、実は、子供がキーポイントになっているように見えて、けどやっぱりこれは「夫婦物」ですよね。「夫婦とは何か?」を問う話ですね。当初は理想的なカップルとしか思えなかったような2人が、結婚をして夫婦生活を続けるうちに、ある事件があって……まあ、『ブルーバレンタイン』ではその(夫婦に亀裂が入ってしまうような)ある事件っていうのは直接は描かれないんだけど……いつしか決定的な溝ができてしまった夫婦。決定的に壊れてしまった夫婦の物語であるということ。

で、これね、今日はちょっとたぶん何度も引用することになるんですけど、Real SoundというWEBのところの、宇野維正さんの監督インタビューが非常にいい記事で、何度も引用することになると思うんですけど。これによれば、監督がハタチの時にご両親が離婚をしてしまったんだけど、そのご両親の様子っていうのを見てきた、それの影響が強いということらしいんですね。で、また別のインタビューではこれ、監督はこんなことを言っていて、子供の頃は2人の口論を記録しておかなければいけないという謎の義務感に駆られて、こっそり録音とかしていた(笑)、っていう。そんなことをしている。さすが、後に『ブルーバレンタイン』を撮る男(笑)っていう感じですけど。要は、さっき言ったような夫婦というもの、ひいては家族というもののあり方を、冷徹に問い直す、見つめ直すような視点っていうのは、完全にデレク・シアンフランスさんの、本当に作家的メインテーマというようなことだと思うんですよね。

で、それを容赦なくあぶり出す、えぐり出すような演出手法も、やっぱり彼独特のものがあって、今回の『光をくれた人』も、実は非常に彼独特の手法でえぐり出しているんですけど、それはちょっと後ほど詳しく言いますけどね。あとですね、『ブルーバレンタイン』とはそういう夫婦物というところでも通じていますし、あと、特殊な出自を持った子供が、やがてその自分のルーツに向き合うっていうような点。そして何より、「罪の懺悔と赦し」によって、最終的に真の魂の平穏と自由を得る話……まあ、間違いなく非常にキリスト教的、カトリック的なテーマ設定。こういう部分において、やっぱり『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』とも、完全に通じ合う物語ではあるわけですね。なので、その『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』以降、4年間空きましたけど、その後キャリア上の挑戦に向けてちょっと……要は自分から出る引き出しに限界を感じていて、挑戦を求めていた、というそのデレク・シアンフランスさんが、この原作小説の映画化に、高いモチベーションを持ったっていうのも、必然だなという風な感じがします。

原作はM・L・ステッドマンさんの世界的ベストセラー原作小説。日本では、古屋美登里さんの訳で、『海を照らす光』というタイトルで出ている。これ、原題は『The Light Between Oceans』。これの原題が持つ、シンボリックな意味合いも含めたニュアンスに対して、僕は、この『海を照らす光』というタイトルも、あと『光をくれた人』っていうのも、どっちもとてもいい日本語タイトルだと思います。テーマというのをすごく柔らかく、ちゃんと捉えている……先週の『(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:)リミックス』とは対照的に(笑)、これはいい日本語タイトルだという風に思います。で、まあたしかにですね、とにかく……(構成作家)古川(耕)さんからも「元の小説がとにかくいいんですよね」って聞いていたんですけど……たしかに、この元の小説が、まあ本当にとても素晴らしくてですね。


で、読んでみるとね、デレク・シアンフランスさんは、元の小説の良さを、ごくごく控えめな、しかし映画的語り口という意味では確実に大きい意味を持つ独自のアレンジも含め、とても丁寧に、映画というメディアに置き換えてみせていると思います。たとえば、アレンジ部分でいうと、主人公夫婦が、海に流れ着いた赤ん坊を、その時点では親が誰かとか、どういう経緯なのかを全く知らないで育てているわけですけども。まあ、あるポイントで「ああ、実はこの人が母親なんだ。『旦那と子供を海で亡くした。死んでしまった』と思い込んでいるんだ」っていう真実に気づくくだり。映画だと、夫のトムが先に気づいて。で、しばらくしてから……いったん島に帰ってしばらく生活をする間、そのトムは、(今回の映画版では)ずっと秘密を抱えたままですよね。原作小説だと、夫婦が同時に知るんです。で、今回(の映画版)は、トムが先に知る、ということになっている。これによってやっぱり、片方の人物がある重大な秘密を抱えている、という映画的サスペンス、映画的「興味の持続」というのにも、非常にプラスになっているし。

あと、ここも大きいと思うんだけど、ともすると、奥さんがものすごいわがままを言った結果の悪いことじゃないか?っていう(だけの話に思われかねない)のに対して、ちゃんと、その一定期間夫も黙っているっていうくだりがくっつくことで、奥さんが一方的に悪いというよりは……それ(トムが見て見ぬふりを続けていたこと)で結構時間がたっちゃっているわけで……そこで、ずっと黙っていた夫側の、秘密を抱えていたがゆえの罪っていうのを(映画版では増したことで)、そこのバランスがすごく良くなっている、という風に思うので。これは非常にいいアレンジだなという風に思いました。脚色ね。で、映画というメディアに上手く置き換えている部分。たとえば、映画ならではの部分で言うと、まずは何しろ、メインの舞台となる、「ヤヌス・ロック」という、灯台がある孤島。これが舞台となるわけですね。そこの景観……まずこのヤヌス・ロック、ヤヌス島、「ヤヌス」っていうのはこれ、もちろんね、日本のみなさんには、大映ドラマ、杉浦幸主演の『ヤヌスの鏡』でおなじみ(笑)、(ドラマを観ていた世代はなぜかピンポイントで)「ヤヌス神のことは知っている!」っていうね(笑)。前後2つの顔を持つ、ローマ神話の神様ですね。

言うまでもなく、今回の『光をくれた人』、物語のテーマ性に対して、非常にシンボリックな意味合いを持っているわけですね。ここはもう、僕が説明するまでもないですけども。2つの顔を持つ神様の名前がついた島であると。で、とにかくこの島の景観が、まず単純に、スペクタクル的にすごい。映画としてね、「うわっ、すっげー場所だな!」っていうね。ニュージーランドの、キャンベル岬っていうところの灯台で本当にロケしたらしいんですけど。まあ、とにかくこの物語において、このヤヌス・ロックという舞台の島は、俗世間と隔絶した、主人公たちしかいない……言ってみればこれは完全に「エデンの園」なわけですよ。そこだけでは全てが許される、その世界。エデンの園的な場所なわけで。それをですね、本当にこの地上にある場所として、要するに作り物ではない形で、グリーンバックとかじゃなくて、ドーン! と見せることで、まずはやっぱり、非常に圧倒されてしまう。「本当に、天国みたいな、エデンの園みたいなところがあるんだ」っていうね。これ、撮影監督のアダム・アーカポーさんの、非常にクラシカルなテイストも相まって、堂々たる画になっていると思いますね。

で、もちろんたとえば、そこに暴風雨が襲ってきて……という夜。案の定、その夜にまず、最初の悲劇が起こってしまうわけですけど、その暴風雨、自然の猛威を前に、2人ぼっち……しかも、1人1人が分断された2人ぼっち。で、為す術もない、みたいな怖さが、非常に視覚的に、サスペンス風に迫ってくるというあたり。これ、当然映画的な見せ場になっておりますし。ただ、そこはですね、やはり監督のデレク・シアンフランスさん。このエデンの園的な、パッと見にはきれいな、スペクタクルな、非常に開けた……視界は開けていますよ。360度ワーッと見えるような、そういう空間ですよ。その2人だけの世界がですね、これはやっぱり、デレク・シアンフランスのタッチですよね。次第に、特にやっぱり不幸が降りかかってきた後はですね、その「2人だけ」だからこその、視界は広いけど、実は世界観としては「狭い」世界として、ある種の圧迫感を持ってですね……具体的にはやっぱり『ブルーバレンタイン』の、特に「結婚後」のパートを思わせる、超クローズアップ――これ、やっぱりデレク・シアンフランスの得意技ですね――超クローズアップで、描かれるようになっていくわけです。

特に、アリシア・ヴィキャンデルさん演じるイザベル。奥さんの方がですね、何かを思いつめている時の超クローズアップ。たとえ隣に誰かがいて、話しかけていたとしても、決して同一画面に収まらず、どアップで何か、宙を見つめて思いつめているようなところ。まさに、「自分1人だけ」の思いに取り憑かれてしまって……要するに、「他者が目に入らない状態」っていうのを、視覚的に、ものすごい圧迫感で表現する。まさにこれはデレク・シアンフランスの真骨頂な演出、映像表現じゃないかなという風に思いますね。だからぜひ、デレク・シアンフランスの作品を見る時はですね、やっぱり画面のサイズっていうか、人物がどういうサイズで捉えられるかっていうあたりに注目して見ると、非常に面白いんじゃないかと思います。

またね、少数のスタッフ、役者陣と、実際にロケ場所の島で寝泊まりをして、実際にそこで生活をしながら撮影していると。で、マイケル・ファスベンダーは最初そういう、なりきり演出っていうか、そういうのを嫌がっていたらしいんですよね(笑)。「僕は演技がしたいんであって、本人になりきるとかそういうのは嫌なんだけど……」みたいな風に言ったんだけど、結局監督に説得されて。「じゃあ、ちょっとだけだよ」ってロケに臨んだら、最終的に、結局相手役のアリシア・ヴィキャンデルさんと本当に恋に落ちてしまって。で、「このロケ地が僕にとって非常に特別な場所になった」みたいなことを言い出す始末(笑)ということで。まあ本当に、そのデレク・シアンフランス演出の、要は「リアル」を超えた「ホント」感っていうか。本当に、そこにそういう人がいて、生きているんだ、っていう感じみたいなのね、やっぱり半端ないなという風に思います。

たとえばまあ、インタビューなどでも繰り返し触れられているところですけども、マイケル・ファスベンダーが、途中、幸せな日々のところで……新婚ほやほやでね、マイケル・ファスベンダーのヒゲを、アリシア・ヴィキャンデルが、本当にカミソリで剃るという場面。途中、キスをしていて、なんかちょっとヒゲが邪魔そうな素振りをするんですよね。で、そこから(カットが)変わってヒゲを剃って。で、まさにカミソリという、一歩間違えば(主演男優の顔に傷をつけかねない道具をあえて使わせる演出)……要するに、(夫婦が互いを)完全に信頼しきっているという(ことが端的に伝わってくる)くだり。で、2人でおどけあって……そこでまた、剃った後の顔を見て2人がおどけるんだけど、そこで奥さん側が「赤ちゃんみたい」(とさらっと言う)とかね。こういう、要所要所でね、ポーンと、その後にちゃんと響くようなセリフが放り込まれてたりするわけです。といったあたり。

あとやっぱりね、子役。「ルーシー」「グレース」という2つの呼び方で呼ばれていますが、子役の、特に幼児期の役のあの自然さとかね。「子役の演出が上手い監督は巨匠」っていう法則を僕、勝手に立てていますけども、やっぱりデレク・シアンフランスさんも完全にこれ、(その意味では)巨匠の部類と言っていいんじゃないでしょうかね。あと、たとえば冒頭。駅に到着したマイケル・ファスベンダー。こうやって荷物を持って、何気ないところですけど、それ以外の男性は、結構な割合で、身体が欠損している。つまり、このトムという主人公は、第一次大戦で非常に過酷な戦場を経てきて……第一次大戦っていうのは本当に、戦争の概念を根本から変えてしまう、近代戦争の始まりですから。で、その傷痕、トラウマっていうのが、やっぱりこの物語世界全体に影を落としている……っていうのを、さり気なく画で説明しているというあたりも、非常に、普通にスマートだなと思いました。

もちろん、後半のトムの強い贖罪意識っていうのは、これは基本的にはやっぱり、戦争で、いろんなことをしてきた……まあ、ぶっちゃけ人もいっぱい殺してきたし……というあたりがベースにあるわけですから。非常にここ、実は大事なあたりですよね。あと、忘れちゃいけない。本作『光をくれた人』はですね、これまでの『ブルーバレンタイン』とか『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』と比べても特に、さっき言ったような「罪と赦し」っていう非常にカトリック的なテーマが、はっきり前面に出ている話である分ですね、そこをシンボリックに表現した演出というのも各所にあって。これも本当に見逃せないあたりだと思います。

まあ、わかりやすいところではやっぱり、主人公夫婦が、そのエデンの園にいたのに、アダムとイブだったのに、決定的な「罪」を犯してしまうくだりね。要は、「赤ん坊を私たちのものとして育ててしまいましょうよ」ということを決めるあたり。で、いろいろやるわけです。で、そこでもう不穏に音楽がどんどんどんどんなっていって、マイケル・ファスベンダーが、どんどんどんどん、もう取り返しのつかない、いろんなことをやっていく。で、最後にそのマイケル・ファスベンダー演じる夫のトムがですね、死産した2人目の子供の墓に刺さっていた十字架を、引き抜く。もちろん、証拠隠滅のための具体的な行動なんだけど、明らかに、「何か決定的な一線を越えた」という感じがする演出であるとかですね。

あと、他に僕が印象的だったのは、いま言ったところと対照的に、「赦し」の象徴……いまの話は罪の象徴でしたけど、この物語における赦しの象徴。死んでしまったドイツ人の移民のフランクさんという、要するに子供の父親ですね。フランクさんのことを、妻だったハナ……これ、レイチェル・ワイズがですね、レイチェル・ワイズの、たぶん最高演技じゃないでしょうかね。ベストアクトじゃないですかね。本当に見事に真摯な演技が、全編に渡って胸を打つんですけど。たとえば、後半に出てくる、雑貨屋で(イザベルと)鉢合わせしてしまうシーンの、もう、いろんな感情が去来しまくる(ハナの表情)……あれを表情だけで表現しているレイチェル・ワイズ、本当に素晴らしいですけど。まあ、そのレイチェル・ワイズ演じるハナさんがですね、夫を思い出すところ。

作劇的に上手いのは、このフランクさん。最初にボートの中で死体で発見されるわけですけど、その時点では絵面的に、顔を見せないわけです。つまり、観客に感情移入をあえてさせない作りになっているわけです。で、いろいろ、さっき言ったいろんな一線を超える……要するに主人公夫婦が罪を犯す時に、(フランクの)死体を埋めるわけです。その一瞬前に、チラッと、はじめて顔が見えるわけです。で、観客もはじめて、「あっ、そうだよね。この人にも、家族や人生があったはずなのに、それをいま隠蔽しようとしているんだよね。闇に葬ろうとしている。それって……」って、やっぱりちょっと、チクッと程度に、はじめて良心が観客も痛むという。これ、上手い作劇の順番。で、後半ハナ側の視点でですね、事の経緯が、(赤ん坊の漂着に至るまでの)本当にあったことが語られるに至って、「ああ、やっぱりそれ、ダメだったよ。あれはダメだよ」という風に、主人公たちが犯した罪の重さに、観客も改めておののくことに……観客も主人公夫婦に(感情移入していた結果)「もういいんじゃない? 育てれば」ってくらいに思っていたのが、「やっぱりダメでしょう!」ってなるという。

で、ですね、そのフランクさん。劇中では完全に不在にもかかわらず、奥さんであるハナの心を最終的には「光」で照らし……心が非常に美しい男であると。で、さらにそれ(フランクに改めて影響されたハナの行動)が、イザベル、トムの主人公夫婦(の心情を軟化させ)、そしてさらに、その主人公夫婦の行いがまた、ハナへ照らされ返すという。要するに、(フランクとは)「赦しの波及効果」というのを生んでいく存在なわけですね。まさにこれ、原作でトムがする灯台の説明……水平線の向こう側にも、灯台っていうのは光が届くんだ、ぼんやりした輝きが水平線の向こう側に見える、あそこに輝きっぽいものがあるというだけで、海上の船には救いになるんだ、っていうこの説明通りの、本当に「灯台的存在」そのもの。(光源は)見えないんだけど、(いま見える視界の)向こうにある輝き。それが救いになる、という存在ですよね。で、とにかくそんな彼の言葉。劇中で、おそらく最も重要なセリフ。赦しを巡る、ある感動的な一言。僕、もう思い出すだけでちょっとウルッと来ちゃうんですけど。その一言がですね、幼いグレースを抱く彼の姿に重なる。まさにその時、横にある物干し台が、完全に十字架型。ボン! と(図像的に)示しているというね。一瞬しか映りませんけどね。

考えてみればですね、劇中でいちばんひどい目にあっている人なわけです、この人。ひどい目にあったまま、要は街の人々も含めた周囲の罪を背負ったまま、死んでいるこの男。一体誰を、何を象徴しているか? それはもう言うまでもないでしょうね。ということでございます。と、同時にね、その、コミュニティーで差別・迫害される移民っていうテーマは、非常に今日的であるとも言えますよね。この日本でも、無縁だとはとても言えない話でございます。その上でね、最終的には、これもさっき言った宇野さんのRea lSoundでのインタビューから引用させてもらいますが、「夫婦間の愛情は子供の存在を乗り越えられるかどうかを追求した」っていう、ある意味『ブルーバレンタイン』とかの、さらにその先を行く試みというか、着地にまで至る、というあたり……それでいて、でもこれまでの作品にはなかった、ある種クラシカルな、古典的文芸メロドラマの風格もちゃんとあるっていうね。ということで、これはやっぱり見事な、デレク・シアンフランスのネクストステージに相応しい一作、と言えるんじゃないでしょうか。非常に見事な映画だと思います。

あえて言えばですね、たぶんもし、「ちょっと食い足りない」っていう風な印象があるとしたら、これはたぶんね、ちょっと「短い」んだと思うんです。2時間は短い。3時間とかあっていいタイプの映画なんだと思います。もちろんね、テンポのいい、スマートな省略話法っていうのはデレク・シアンフランスさんの十八番、いいところでもあるんですけど、ことこの物語に関しては、ちょっと長い時間感覚、タイムスパン感っていうのを、観客にも体感させた方が、よりストーリー的/テーマ的な重みが増して伝わったんじゃないかな? という風に思います。実際に、これは何度も引用して申し訳ない。リアルサウンドの宇野維正さんインタビュー。これは非常に(インタビュアーである宇野氏の)視点が鋭くてですね、こんなことを聞いている。「あなたのように登場人物の人間性をじっくりと描き込むタイプの作家にとって、作品の尺に制限が比較的ないテレビシリーズの方が映画よりも魅力的だったりはしないのでしょうか?」という、この質問が鋭くて。

で、シアンフランスさんが「いまの僕にとっての最大の悩みを、ズバリ言い当ててくれたね(笑)」っていう。で、やっぱり「『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』も映画の尺に収めるために1時間10分、映像をカットしなければいけなかった。今回の『光をくれた人』も長編映画のフォーマットにするために、第3幕だけで45シーンもカットしなければいけなかった」というようなことをおっしゃっているということで。で、実際にテレビシリーズもいま、何個か作る話が進行中ということなので、まさに宇野さん、これは非常に鋭い視点でインタビューされているなという風に思います。なんですが、ただやっぱり、そのテレビシリーズとかでは逆に伝わりづらい、さっきから言っているようは、映像に集中している(観客向け)ならではの、ある種のシンボリックな表現であるとか、あるいはさっきの、非常にスペクタクルな、島の光景がバーッと広がって……というようなあたりっていうのは、やっぱりそれは「映画ならでは」のものでもあって。この今回の『光をくれた人』に関しては、やっぱりこれは、映画というフォーマットこそが相応しいですね。非常に、間違いなく上質な一作ではないでしょうか。

エンドロール、人生の黄昏に、主人公トムだけが1人残されました。で、夕日が映ってエンドロール。人生の黄昏に、おそらくはその、人生最良の日々を振り返っているのであろうトムの視点が、うっすらと……うっすらと、トムの思い出の画みたいなのが(エンドロールに)重なる。だからこれ、『ブルーバレンタイン』エンディングとも近い、うっすらと重なるそのトムの視点。こうやって人生が黄昏れていくっていうね。だからその……人生の豊かさというか、「豊かな人生」ってなんだろうな? なんてことをね、改めて私もね、いい歳になってきましたんで、しみじみと考えながら映画を見終わることができた。非常に上質な一本ではないでしょうか。みなさん、ちゃんとこういうのも見てねということで(笑)、『光をくれた人』。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『美しい星』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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