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【映画評書き起こし】宇多丸、『LOGAN/ローガン』を語る!(2017.6.17放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告する映画評論コーナーです。今週扱う映画は先週の「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『LOGAN/ローガン』

(BGMが流れる)

このマルコ・ベルトラミさんの、すごく抑えた、ちょっとミニマルな感じに抑えた音楽も、いい感じで合っていたんじゃないですかね。『X-MEN』シリーズの人気キャラクター、ヒュー・ジャックマン演じる「ウルヴァリン」シリーズの第3作。不死身の能力が失われつつあるウルヴァリンことローガンが、ミュータントの少女とともに命を賭けた壮絶な逃避行をする様子を、ハードなバイオレンス描写とともに描いていく。監督はシリーズの前作『ウルヴァリン:SAMURAI』も手がけたジェームズ・マンゴールド。プロフェッサーX役をパトリック・スチュワート、少女ローラを新星ダフネ・キーンが好演ということでございます。

ということで、この『LOGAN/ローガン』を見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多い。まあやっぱりね、非常に注目作でもございますしね。賛否の比率はおよそ8割の人が絶賛。世評も非常に高い作品なんですけどもね。「アメコミ映画、いや全ヒーロー映画の中でも屈指の傑作」「血みどろのアクションシーン、老いさらばえたローガンやプロフェッサーXの姿はいろいろと容赦ない」「ローラを演じたダフネ・キーンがよかった」などなど絶賛の声が並んだ。一方、「ローガンとローラの交流が思ったよりも描かれていない」「『X-MEN』シリーズのファンとしては乗れなかった」といった否定的意見もやや見られたということでございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。「カトウ」さんからいただいているメールです。「おそらく今年一番。『許されざる者』かと思ったら『グラン・トリノ』も合わせた死と後悔の2時間。これは現在進行形のマーベルでもDCでも作ることができない。悪い言い方だけど、終わりかけている『X-MEN』シリーズだからこそ作りえた作品。本作はアクションではなく、暴力を描くことに徹している。(暴力は)凄惨で理不尽で突然訪れる。ヒーロー映画が正義の下に暴力を肯定してきたことへの回答とも取れるし、西部劇が引用されたのもハリウッドが作ってきたヒーローがそうした暴力を常に行ってきたからだろう。結局そうした暴力は暴力でしかなく、負の連鎖を生み続けていく種になる。ローガンの逃亡のどん詰まり感はそうした暴力の連鎖を上手く捉えている」……というような褒めメールとかですね。

ダメだったという方もいらっしゃいました。「けん」さん。「『LOGAN/ローガン』ですが、僕は全然楽しめませんでした」と。で、結構いろいろと書いていただいて。「……人間ドラマに関してはここに至るまでいろいろあったからこそグッと来る話になっているんだろうと思いつつ、ここに至るまであった”いろいろ”を全然知らないので……」。要するに、『X-MEN』のシリーズをそんなによく知らないで見たので。「……ウルヴァリンのチャールズへのアンビバレントな気持ちとか、疑似家族になっていく物語とか、あくまでも『理屈としてはわかる』という脚本の要素として冷静に見てしまいました」ということでございます。

はい。ということでちょっとね、すいません。時間が押してますんで。メールがいっぱいあるんですけど、なかなかちょっと全部読みきれなくて申し訳ございませんでした。『LOGAN/ローガン』、私もTOHOシネマズ日劇。あとTOHOシネマズ日本橋。あと、輸入ブルーレイがすでに発売されておりますので、そちらで「ノワール」バージョンっていう……要は白黒バージョンなんですけど、これとか、あと音声解説とか含めて計3、4度は見ております。白黒バージョン、なかなかね、特にオープニング近くのまさにちょっとノワールタッチなところとかの、光と影の輪郭が非常に際立った画とか、この「ノワール」バージョンもよかったので。これ、日本盤に入るのかわかりませんけどもね。入ったら、ぜひ見ていただきたいと思いますが。

ということでまあ、『X-MEN』実写映画シリーズ、そしてウルヴァリンスピンオフ作品の最新作。物語の時間軸的には2014年の『X-MEN: フューチャー&パスト』、当コーナーでは2014年6月14日に扱いましたが、そのエンディングから6年後、という設定では一応ありますが……ただですね、今回の『LOGAN/ローガン』は、たとえば『フューチャー&パスト』のエンディング、非常に希望に満ちたラストだったんですけど、そこからわずか6年でこう(プロフェッサーXたちが非常にうらぶれた暮らしをしている状態に)なったっていうのは、ちょっとはっきり言って、すんなりとはつながらないというか、全くつながりません、はっきり言って。というのはですね、今回の『LOGAN/ローガン』は、そうやってこれまでのシリーズの延長線上に……要するにこれまでの映画シリーズの、どのタイムライン上でもいいんですけど、「続き」として単純に並べられるような作品としては、そもそも作られていないから、ということですね。

たしかに劇中、たとえばウルヴァリンの部屋に日本刀が飾ってある。これは当然、『ウルヴァリン:SAMURAI』。ウルヴァリンシリーズとしては前作にあたる『ウルヴァリン:SAMURAI』、監督も同じジェームズ・マンゴールドですし、それを当然、連想させます。あるいは、シリーズ一作目『X-MEN』、2000年の作品です。これのクライマックスの舞台が、自由の女神だったということを、明らかに踏まえたやり取りがあったりなどはします……が。たとえばそういう、いろんなディテール……過去の作品とのつながりを連想させるディテールが、たとえば近年の、特にマーベル・シネマティック・ユニバースの大成功以降、アメリカ映画でどんどん強くなっていく傾向である、要するに作品をまたいでのクロスオーバーした世界観。それぞれの作品の連続性、クロスオーバーした世界観との連続性を示すための、いわば「目配せ」として……「あの作品のこれですよ、あの作品のこれですよ」というのが目配せとして扱われているのでは、今回の『LOGAN/ローガン』はない、ということですね。


むしろ、その正反対だ、という風に思ったりします。まあ実際、ジェームズ・マンゴールド監督自身が、僕がいま言ったような傾向を揶揄するかのように……「グッズと次回作のCMのための映画を作らせたいんだったら俺に頼まない方がいいね」とか、あと「無理やりシリーズ物とのつながりのシーンを入れさせられたりするのは本当に嫌なのでやらなかった」とか、そういうことをね、結構わりとはっきりとした、そういう(クロスオーバー要素優先な)傾向に対する批判的なスタンスを、インタビューなどで公言されていますけども。で、むしろその正反対だと。今回の『LOGAN/ローガン』の中では、X-MENっていうのはもはや、コミックの中で伝説化された……要するに「エンターテイメント化された」存在という、ちょっとメタ的な扱いをされているわけですよ。

要するに、みんなX-MENは、エンターテイメントの中のヒーローとして知っている、という存在。で、それに対して、劇中の「本物」の、たとえばウルヴァリン(ローガン)はですね、「その君たちが楽しんでいるエンターテイメントは、実話をベースにしてはいるけど、実際にあったことはこんなもんじゃない」と。つまり――これはもちろん劇中のリアリティーの基準で――「“本当に”人がいっぱい死んだりする事態っていうのは、エンターテイメント用のお話とは全然違うんだ。そんなにいいもんじゃない」っていうことを、主人公のローガンは繰り返し言うわけです。ということで僕は、この今回の『LOGAN/ローガン』と過去の『X-MEN』の映画シリーズの位置づけも、まさにこのコミックの扱いと同じだと思います。その「コミックの中のX-MEN」の話と、ほぼ同じ距離感で捉えて間違いないと思う。

つまり、たしかに実話はベースにしているけど、劇中のローガンが経験してきたことっていうのは、僕らが見てきた過去(の映画)シリーズの中でも通じるところはあるけど、でも、(今回の『LOGAN/ローガン』になかの”現実“基準でいうと、実際は)そういうもんじゃないと。たとえば、さっき言った日本刀。たしかに『SAMURAI』で描かれたような日本でのすったもんだは、本当にあったのかもしれない。あるいは、自由の女神を舞台にしたなにか大暴れみたいなことも、本当にあったのかもしれない。でもそれは、今回の『LOGAN/ローガン』という劇中のウルヴァリンことローガンにとっては、我々が過去の映画で見てきたような、エンターテイメント化できるような、そういう経験ではなかったということですよね。おそらくはもっと泥臭く、血なまぐさく、陰惨な……少なくとも人に誇れるような出来事ではなかった、というようなことですよね。

というように、過去の『X-MEN』映画の世界観との直接の連続性を断ち切って、むしろそれをメタ的な視点から批評的に再解釈してみせる、みたいな今回の方向性。作り手たちもかなり意図的にそっちに振り切っているという。まあ、その証拠としてと言うべきか、他のX-MENメンバーの具体的な固有名詞とかエピソードが出てくるシーンは、これ、いずれ日本でもブルーレイ・DVDがリリースされれば「削除された場面」として見られると思いますけども、わざわざカットされているわけです。たとえば、ジーン・グレイ。ウルヴァリンとはちょっと悲しい過去がありましたね。ジーン・グレイとの悲しい過去について、プロフェッサーXことチャールズが、ある和やかな食事の席があって、そこで気を許したというのでうっかりと口を滑らせてしまい、場が凍りつくというですね。これは、アドリブを非常に活かしてあの場面を撮ったらしいので、それで撮ったシーンとか。

あるいは、ラスト近く。この『X-MEN』実写シリーズではついぞ出なかった、コミックではおなじみの、マスク姿のウルヴァリンの人形を持っているミュータントの少年がいますよね? あの少年とローガンが、セイバートゥース……セイバートゥースの人形もあるわけです。で、「セイバートゥースはたしかに実在したんだ」という話を交わすシーンとか、これがカットされているわけです。これ、場面としては、削除されたとは言え、とってもいいですし。もちろん、『X-MEN』ファンへのサービスには間違いなくなる場面のはず、なんですけど、今回の『LOGAN/ローガン』という作品単体の完成度を上げるためには、やっぱりバッサリと、あえてカットしていると。

特にそのセイバートゥース(ビクター)云々の話に関しては、ウルヴァリンと鏡像関係的な存在という意味で、今回後半に出てくる「アレ」とかぶってしまうので。セイバートゥースは本作の中では名前とか出さない方が……存在としてはちょっと忘れていただいた方がいいのは間違いないと思いますし。カットしたのは非常に賢明だと思います。あと、プロフェッサーXが過去にしでかしたらしい、ある重大な何か、というのが劇中で暗示されるんだけど、これも実は、具体的なフラッシュバックのシーンで途中までは見せていたらしいんですけど、これもカットしたと。これもやっぱり、そこにとどめておいたのは結果、単体の作品としては非常に正解だったと思う。

ということで、我々が映画で見てきた『X-MEN』の世界観とはちょっと一旦切り離された、「それは本当にあったことがベースになっているかもしれないけど、やっぱり違うんだ」という、そういう距離感になっている。で、ですね、これ、かつて自らが演じた、アイコン化したエンターテイメントアクションヒーローを、「本当にそういうやつらが現実にいたとしたら、ヒーローである以上に、常軌を逸した暴力的な殺人者であって、それは決して拭えない罪を背負った存在になってしまうはずだろう」という風に批評的再解釈をした上で、そこに作品的・物語的な落とし前をつけてみせる、という試み。この意味で、今回の『LOGAN/ローガン』は、作り手のみなさんもインタビューであちこちでもう認めている通り、これはもう完全に、クリント・イーストウッドが自らずっと生きてきた西部劇というジャンル全体に決定的なくさびを打ち込んでみせた――なんなら引導を渡してみせた、言わずと知れた名作中の名作、1992年『許されざる者』の、アメコミヒーロー版という言い方ができるでしょうし。

まあ、先ほどのメールにもあった通り、同じくイーストウッド作品で言えば、次世代への継承と、あと「古い暴力的なアメリカ」へのレクイエムという意味で、やっぱり名作中の名作、『グラン・トリノ』を思わせたりとかですね。あと、自己言及的な暴力的ヒーロー論という意味では、僕は『ランボー/最後の戦場』、非常に通じるあたりだなと思いました。要は、「俺が昔ヒーローとして映画でやったことっていうのを、“本当に”、現実的にやると、こうだよ」っていうことで、すっごくバイオレントでゴアな作品になっていくという。このあたりも『ランボー/最後の戦場』、非常に重なるあたりだなと思います。とにかくそんな感じの、『許されざる者』とか『グラン・トリノ』とか『ランボー/最後の戦場』とかの、「思索的暴力映画」の系譜に連なる一作、っていうことですね。



ちなみにですね、劇中で非常に重要な形で引用される『シェーン』。1953年の言わずと知れた西部劇クラシックなんですけど、『シェーン』っていう作品は実は、1953年にして早くも、その西部劇の中に、さっきから言っているような暴力というものへのリアルな問いかけというものを持ち込んだ、先駆的な作品でもあるわけですよ。ジャック・パランス、悪役がボーン!って冷酷に撃ち殺す場面とか、非常に当時の西部劇としては、冷酷でショッキングな場面。で、劇中の中でも「暴力とは?」っていう問いかけをしているような、そういう思索的暴力映画の、ある意味始まりだったわけです。で、ジェームズ・マンゴールド監督も「『許されざる者』というのは『シェーン』の続編だという風に勝手に思っているんだ」みたいなことを『映画秘宝』のインタビューとかでも答えているぐらいで。だから『シェーン』~『許されざる者』という流れはある。

で、ちなみに『シェーン』のラスト。「シェーン! カムバーック!」っていうあのラストのところは、実はあれ、シェーンは死んでるんじゃないか? 墓場に向かっているんじゃないのか?っていう指摘は、昔からよく言われる『シェーン』解釈なんですね。で、まさにその、一度死んだ男がまた再び山から現れて……っていう『シェーン』の続き的アプローチを、クリント・イーストウッドは『荒野のストレンジャー』、そして『ペイルライダー』と、繰り返しやっている。で、その延長線上に、さっきから言っている決定打としての『許されざる者』っていうものがある、っていう位置づけなので。加えて、今回の『LOGAN/ローガン』の、アメコミの方の原案のひとつでもある、マーク・ミラーとスティーブ・マクニーブンの……まあ『シビル・ウォー』の原作者たちによる『オールドマン・ローガン』という作品。これももう、原作をこの機会に読んで……まあ映画とは最終的に展開は全然違うんだけど、これももう超絶面白かったので、ぜひちょっと読んでいただきたいんですが。




まあその『オールドマン・ローガン』も完全に、『許されざる者』の影響下にある作品。明らかにそれはそうなので。ということで、『シェーン』~『許されざる者』~『オールドマン・ローガン』的なこの流れがある。言ってみれば「ポストモダン西部劇」的な要素ね。『シェーン』『許されざる者』的なポストモダン西部劇要素を軸に、まあ導入部は、さっき言ったようにフィルム・ノワール。ハードボイルドタッチで始まり、そこからやがて『ペーパー・ムーン』的な「少女との凸凹珍道中ロードムービー」的な展開が出てきたりとか。あとまあ、「エデン」と呼ばれるある場所に着いてからはちょっと、要は『蝿の王』の世界の中に大人が入ったような……要は『マッドマックス3』ですね。「寝ている間にヒゲを切られる伝説的な存在」って(今回の『LOGAN/ローガン』にある展開は)、あれはもう完全に『マッドマックス3』ですけども。ちょっとそういう、神話的なムードが漂いだしたりとかですね、それも含めて全体に、とにかくイマドキのアメリカ製ビッグバジェット映画、特にアメコミヒーロー物ということではちょっと考えられないほど、物語のスケールは全体にとっても小じんまりしているし、非常にホコリっぽくザラついた、主に70年代的と言ってよかろう空気感、これをブレずに貫いている作品だと思います。

で、ですね、これはさすがジェームズ・マンゴールド監督というか……フィルモグラフィーは多岐に渡るんです。いろんなジャンルを職人監督的にこなす人なんだけど、今回の『LOGAN/ローガン』に関しては特にですね、『ウルヴァリン:SAMURAI』を撮った人、というよりは、やっぱり2007年の傑作西部劇『3時10分、決断のとき』というね――これ自体がまず1957年の『決断の3時10分』の理想的リメイクなんだけど――それを撮った監督であると。非常にテイストも近いものがあるんですね。子供と一緒に旅を続けて、尊敬されない父親だったのが最後にこう、継承をする、というような部分もそうだし。そして、1997年、これはスタローンの隠れた名作でもある警官汚職物ノワール『コップランド』。(過去にそういう作品も手がけているわけ)だから(今回の『LOGAN/ローガン』特に序盤の)ノワールテイストっていうのもありだしっていうことで。要は骨太の、泥臭く男臭い、リアルなアクション物で最も光る作り手、としてのジェームズ・マンゴールドさんの腕が、今回は存分に生かされている。もう本当に好きなように撮っているな!っていう感じだと思いますね。

ちなみにその『3時10分、決断のとき』の原作はエルモア・レナード。ノワールの作家ですよ。で、今回の『LOGAN/ローガン』の脚本家の1人、スコット・フランクさんは、『ゲット・ショーティ』『アウト・オブ・サイト』と、まあエルモア・レナード原作のノワール脚本で名前を上げた人なので、今回のちょっとオフビートなノワール風味というのはさもありなん、っていう感じ。たとえばオープニングね、エルパソで、リムジン運転手をしているローガンの車に、メキシカンギャングたちがそれと知らずにちょっかいを出して……というくだり。まあ、起こることはとんでもなくバイオレントですね。めちゃめちゃ暴力的なんだけど、ぶっちゃけちょっとユーモラスというか、ちょっと笑っちゃうオフビートな間抜けさ感もある、というこのバランス。やっぱりちょっとスコット・フランクさんの持ち味かな、というのも思ったりしますけどね。

あと、ジョン・マシソンさんの、本当に「ザ・ノワール」な、陰影が効いた画作りとかももう、最高だったりしますけどね。はい。で、そこから現在のウルヴァリンことローガンの、侘しい暮らしぶりというのが次第にわかってくる。あそこのリムジンの後ろ(後部の客席)で、次々と変わっていく人たち……で、なんかいまのアメリカの雰囲気みたいなのを、なんかそれとなく、イヤーな感じで伝える感じもとっても上手いですし。で、特にやっぱりショッキングなのは、パトリック・スチュワート演じるプロフェッサーXの現状。なかなかショッキングですよね。まあ老人介護という、おそらくこれは世界共通のリアルな社会問題なのかな、というあたりも肩にのしかかりつつですね、ローガンにとっての父代わりだったこのプロフェッサーXと、どうやらローガンの子種らしいローラというね、これを演じているダフネ・キーンさん。スペインとイギリスのハーフの、本当にもう見事な演じぶりをしていますけども。この三代の家族たちが、逃避行をしていくと。

で、それを『ラン・オールナイト』……みなさん、覚えてますかね? リーアム・ニーソン主演『ラン・オールナイト』で非常に印象的だった悪役、ボイド・ホルブルックさん。今回もね、僕は見ていて、「あっ、『ラン・オールナイト』のあいつだ!」っていう感じだったんですけども。その冷酷な追っ手の手から逃れる、という旅に出るという。で、この映画が楽しいのは、さっき言った通り基本的には70年代アメリカ映画的な、ホコリっぽくザラついた、泥臭い、とってもアナログな世界観の作品なんだけど、ただ舞台設定は2029年なので。やっぱりところどころに、わざとらしくない感じでSF的なガジェット感とか、SF的なスケール感を感じさせる描写が入り込んでいる。たとえば、無人トラックの車列の描写が、やっぱりすごく普通の自然の景色の中に入っていたりとか。あとあのね、遺伝子操作されたトウモロコシとそれの巨大な脱穀機っていうね。しかもそれが単なるSF的ガジェット的に見せるためだけじゃなくて、実はそれが最終的に、物語の根幹ととっても結びついていることが明らかになったりとかですね、非常に上手い作りだなという風に思いますし。

あとですね、まあSF的シーンで言えば、オクラホマのカジノの場面で、これね、前回『フューチャー&パスト』評の時にも名前を出した日本の漫画、風忍の『超高速の香織』という漫画をちょっと彷彿とさせる、まあ周りの人物は静止したまま、ジリジリと主人公だけが前進しての……という大見せ場が用意されていたり。これは非常に楽しい場面ですね。ただですね、「楽しい」って言いましたけど、この大見せ場、カジノのシーンの原因となる、チャールズの制御不能なテレパス能力っていうのは、どうやら彼らの現在の不遇とも直接関係する、ある重大な悲劇を過去に引き起こしたらしく……というのが、あくまでも匂わせる程度にだけど、わかってくるという。これね、はっきりと具体的に場面として、要するにフラッシュバックで見せなかったのは、本当に正解だと思いますけども。

つまりローガンにせよ、プロフェッサーXにせよ、特別な能力を持った存在ゆえの、ある重大な「罪」を抱えて生きている。「だから自分には、人並みの幸せを享受する権利なんか本当はないんだ」っていう風に、プロフェッサーXがものすごく切ない罪の懺悔をしたその瞬間……まさに彼らが背負った罪、宿命を、一番最悪の形で体現するかのような存在が出てきて。ビッグバジェットのアメコミ映画としてはちょっと考えられないレベルの、悲劇が巻き起こるという。で、これこそが、ウルヴァリンが抱いている恐怖そのものなわけです。要するに、自分が愛した人はかならずひどい目に遭う。だから誰も愛さない、という風に生きてきた男が、「ほら! 本当にやっぱり起こったじゃないか!」と。監督も言っている通り、彼が恐れるのは、より強い敵だとか、世界が破滅しちゃうとかじゃなくて、「自分の罪を直視する」こと。自分の罪、自分の過去と対面することが、彼にとっての最大の恐怖なわけですよ。

ということで、最終的に彼が戦わなければならないのは……まさしく、過去の自分そのものを見るような存在と戦う事になっていく。で、それによって、要するにいままでの過去シリーズとは違う、おそらく(今回の『LOGAN/ローガン』の世界観のなかで)ウルヴァリンが過去にやらかしてきたであろう非道というのが、いったいどのレベルなのか?っていうのも、何となく見えてくる、というあたりですよね。それだけに、クライマックス、さっきも言ったように、「ヒーローはあくまでもフィクションだよ」という風に繰り返し言っている世界観の中だからこそ、ローガンがもうギリギリの、ボロボロの体を引きずって、それでも文字通り「ヒロイックに戦う」シーンのカタルシスも当然ありますし。そしてついに最後、彼の罪がどういう形で解消されていくか? 贖罪が果たされるのか? で、彼の魂が最終的にどのように解放されるのか? 

ここは「手」の演出が(非常に利いているところ)……映画全体、(そういう手の演出を丁寧にやっているので)よく見てくださいね。ローラと(ローガンが)出会った時に、ローラ、手をつなぐのかな?って思ったら、ボールをバッと奪い取る。でもその後のカジノの場面では、マネキンの人形が手をつないでいるところを、なんかうらやましそうに見ている。さらにある場面で、傷ついたローガンを慰めようと手をつなごうとするけど、ローガンはそれをフッと避ける。そして最後、ローガンとローラの手で、どのような演出を見せるか? そしてそこからのローガンのセリフ! もうこれはですね、「過去シリーズは関係ない」って言いましたけど、やっぱり200年間、愛を知らずに苦しみ抜いてきた男が、最後の最後に言うセリフとして、もうこれは涙腺、ダム決壊ですね……もうね、ドシャーッ!っていうね。

最後に、シンボリックに示される「X字」の向こうに、新たなる希望、新たなるX-MENとなっていくかもしれない子供たちが消えていく、というところ、これも非常に象徴的です。要するに、彼らは全員メキシコ人ですね。いま、アメリカで、それこそね、マイノリティーに対する迫害というか……居心地が悪くなるようなこのアメリカの現状、みたいなところもありますし。その一方で、要は「暴力的なアメリカ」の象徴としてのウルヴァリンは死に、残った(現代的な)暴力というのは……つまりいまのアメリカは、と言うと、企業の論理、資本主義の論理、それによる、より非人間的な暴力っていうだけが残った。しかも彼ら(新たな希望としてのミュータントの子どもたち)はアメリカから去ってしまうわけですから。だから、(このエンディングは)古いアメリカへのレクイエムでもある。というあたりで、ここでちょっとだけ最後に、ジョニー・キャッシュの『The Man Comes Around』という(エンドロールで流れる曲を流したい)……これはヨハネの黙示録からの引用が非常に多い、非常にキリスト教的なメッセージが込められた曲と言われているんですけど。

まあ最後のね、ローガンの最期も、「罪と贖罪」っていう、非常にキリスト教的なテーマですし。そう思って(この『The Man Comes Around』という曲をエンディングで)聞くともう、アメリカへの鎮魂歌、的なテーマという風に見えてくる。という意味で、やっぱりすごくイーストウッドっぽい映画だな、っていう風につくづく思うわけです。で、ヒュー・ジャックマンが、そう考えるとやっぱりね、この映画全体で、「うわっ、なんていい役者なんだ! イーストウッド級や!」っていうか。凄まじい味わい。もう顔の表情ひとつ、シワひとつとっても本当にすごい味わいを持った……ヒュー・ジャックマンがどんどんイーストウッドに近づいている、というような感触を得るような作品でございました。そういう意味で本当に「正統派のアメリカ映画」という感じの作りを、ジェームズ・マンゴールドさん自身、たぶん撮り方から何から、非常に意識して撮られている。堂々たる……これはだからひょっとしたら、アメコミ映画とかヒーロー映画とかに偏見とというか、「最近の映画、なんだかな」って思っている人ほど、見た方がいいと思います。

もちろんアメコミファン、『X-MEN』ファンはもちろんのことですけど。ちょっと食わず嫌いしないで、ぜひこの一作だけは見ていただきたいと思います。大傑作だと思いました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『22年目の告白 -私が殺人犯です-』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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