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【映画評書き起こし】宇多丸、『ハクソー・リッジ』を語る!(2017.7.1放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『ハクソー・リッジ』

(BGMが流れる)

第2次世界大戦末期の沖縄戦で75人の命を救ったアメリカ軍の衛生兵デズモンド・ドスの実話を元に描いた戦争ドラマ。沖縄の断崖絶壁「ハクソー・リッジ」を舞台にした凄惨な戦争シーンが話題を呼んだ、ということでございます。主演は『沈黙 -サイレンス-』──最近もムービーウォッチメンで扱って、あれも素晴らしい作品でした──『アメイジング・スパイダーマン』などなどのアンドリュー・ガーフィールド。共演はヴィンス・ボーン、サム・ワーシントン、そしてヒューゴ・ウィービングなどなど。監督は『アポカリプト』以来およそ10年ぶりの監督作となるメル・ギブソン。本作は第89回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞など6部門でノミネートされ、編集賞と録音賞の2部門を受賞したということでございます。

ということで、この映画を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。『ハクソー・リッジ』、メールの量は、多め。そうですか。やっぱりメル・ギブソンが10年ぶりに監督するとなれば、これは映画ファンは普通に行った方がいいですよ、という件だと思いますが。ありがとうございます。賛否の比率は……7割の人が絶賛! 「感動したというより、ただただ圧倒された」「この主人公こそまさしくヒーロー。心を打たれた」「娯楽映画としても一級品」などなど熱い賛辞が並んだ。

また、沖縄在住の方が……やっぱり沖縄戦が舞台ですからね。悲惨の戦いとなったという。特に──本作ではなかなかそこまで視野が届く作品ではないんですけど──沖縄の普通の一般市民が巻き込まれたというところが本当はいちばん沖縄戦の悲惨なところである、というのは史実としてあるんですが。それも踏まえて、沖縄在住の方からもメールが続々と。激戦の舞台となった前田高地の近くに住んでいるという方も何人かいらした。しかし、その感想はそれぞれで、「映画としては面白かったが、素直に楽しめたとはとても言えない」「沖縄の人間としてはじめてあの戦争が生々しく感じられよかった」など、その意見は分かれていた。また、映画としての出来は認めつつも、日本人としては複雑だったという意見は他にも少数だがいくつかあった。まあ、もちろんね、戦っているのが日本軍ですからね。

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「ケンちゃんのお父さん」さん。「『ハクソー・リッジ』、脱帽です。映画表現としてギンギンに尖ったままで、万人に通じる<正しさ>でひれ伏せさせてしまうという偉業をこの映画は本当にやってのけてしまいました。わけても私が感銘を受けたのは、救出のプロセスを明快に示していたところです。負傷兵を見つけ、連れて脱出し、崖から下ろす。これを75回。しかもその中に日本兵も入っていたという事実」。これ、本当にそうなんですね。

「……この手の作品には日本兵が公平に描かれていたか? という評価尺度が常に持ち込まれますが、私は鑑賞中にそれを思い起こすことさえありませんでした。『戦場に行った。敵が怖かった』。そういう兵士の感覚を示しているだけで、政治的な匂いがつくことからも逃れている。そういう意味でも、戦争映画史上に残る稀有な作品です。それをいま、映画館で見ることができた幸せで私は胸がいっぱいです。この周到なお膳立てをした製作陣。そしてその中で存分に作家性を爆裂させたメル・ギブ御大に惜しみない拍手を送りたいと思います」という大絶賛メールでございます。

一方、微妙だったという方もいらっしゃいます。「サイトウアキ」さん。「結論から言うと微妙でした。たしかに戦闘シーンは銃弾という鉄が飛び交う様子を再現していてよかったです。しかし全体的には、沖縄戦を描いた映画というよりはアメリカの英雄を描くための舞台がたまたま沖縄だったような気がしました。まるでゲームのような日本兵たちもがんばっていましたが、米兵が1人死ぬにつき倍返しを食らっている点も気になりました」。まあ、実際にその戦力差がそうなんですけどね。「……アメリカ人にとってはこれは楽しめる構成かもしれませんが、日本人としてはなんとも言えぬ気持ちになりました。あの艦砲射撃の下にも民間人はいたことでしょう。主人公は文句のつけられないほどの狂った聖人であるがゆえに、この映画の評は難しいですね」。というご意見でございました。その他のみなさんのメールもありがとうございます。あとね、いろんな立場の方。沖縄在住の方とか、キリスト教の方とか、様々な立場からメールをいただいておりました。ありがとうございます。

さあ、ということで『ハクソー・リッジ』。私もですね、ちょっとこればっかりは後ほど言う、雑誌『映画秘宝』。いま出ている8月号で、後ほど『ツイン・ピークス』特集でもお世話になる高橋ヨシキさんと一足早く、『ハクソー・リッジ』に関しての対談をがっつり1万字やっておりまして。そのためにまず、やっぱりね、メル・ギブソンの最新作となれば、こればっかりは映画会社のお世話になって、一足お先に拝見しているのと、バルト9で1回見て。あと、もうブルーレイが向こうでは出ているので、輸入ブルーレイでも見直したりして。計何回だろうな? もう4回、5回は見ているのかな? ちょっと数えていないぐらいの感じです。

ということでこの『映画秘宝』8月号の対談、ぜひ読んでいただきたいです。というのは、実際にその対談をしているうちに……最初は僕も監督としてのメル・ギブファンなんで。「いやー、面白かったなー」なんて圧倒されているばかりだったんですけど、対談をしているうちに、高橋ヨシキさんや『映画秘宝』編集部の岡本敦史さん、岩田和明さんなどのサゼッションで、どんどん自分でも「ああ、たしかにそうだ!」っていう風に気付かされることがたくさん出てきたので。おそらく本日、これからやる評も、かなり強くこの『映画秘宝』8月号に載っている……まあ、自分がやっている対談なんですけど、その対談に影響をされている部分が非常に出てくる、要するに重複する部分が結構出てくると思いますが、ご了承のほどを、ということでございます。興味ある方はぜひそちらも読んでください。


とにかく、メル・ギブソンね。『アポカリプト』……まあ、私はもう『アポカリプト』を、世界の中でもトップランク級に好きな男(笑)。その2006年の『アポカリプト』から、10年ブランクが空いてからの、久々の監督作。なんでそんなにブランクが空いちゃったか? と言えば、これはもうみなさんご存知の通りと言っていいでしょうかね。まあ数々の問題行動、問題発言。それも、ちょっと一線を超えた問題発言ですね。もう「アウト!」っていうね。それを繰り返して。何をしでかしたのか? はここでは詳しく説明はしないので、まあネットなどで調べてください。すぐに出てきますんで。まあ、早い話が干されていたわけです。

なんですが、ただメル・ギブソン、やっぱり、そこまで手がつけられないぐらい問題がある人なのはたしかなんだけど、同時にやっぱりね、もちろん『マッドマックス』以来……あと『リーサル・ウェポン』でもなんでもいいですけど、スーパースター俳優であるのは当然なんですが、スーパースター俳優である以上に、やっぱりね、映画監督、映画作家としてのその腕、力量の評価は、非常に高い人ですね。特に同業者からの評価がめちゃくちゃ高くて……「ディレクターズ・ディレクター」っていうかですね、同業者の評価が本当に高い。だから、本当に腕があることはたしかなんですね。それこそ、まあいろんな方が言っていますけどね。ジョージ・ミラーとかね。「俳優としてももちろん素晴らしいんだけど、なんと言っても監督として彼は本当にグレートだから」っていうような言い方をしていたりとか。

あと、今回の『ハクソー・リッジ』のブルーレイに収録されているメイキングのインタビューでも、ヴィンス・ボーンが「いや、もう『アポカリプト』とかヤバいっしょ!」みたいな話をしていて。「ヴィンス・ボーン! マイメン!」っていう感じで行きたくなりますけどね(笑)。ということで、その意味で本当にやっぱりメル・ギブの……それとか、『エクスペンダブルズ3』も、スタローンは、自分でも監督をする人だけど、本当はメル・ギブを監督として呼びたかったっていうね。ただ、後ほど言う理由で、やっぱりメル・ギブは、そういう自分のテーマと合致しない作品の、単なる娯楽アクションを監督するとは、ちょっと考えづらいかな?っていうところもあるんですけどね。

まあ、ということで本当に待望の監督作。しかもそれが、本当に世間的にも高く評価されたということで。まあ僕は、本当に「監督としてのメル・ギブソン」の大ファンなので、本当にうれしい限りです。じゃあ、なぜそこまで映画監督としてのメル・ギブソンが優れているのか? というのをまずちょっと、僕なりに、先に本当に端的に説明しておきたいんですけど。たしかに作中、メル・ギブソンの作品で、たとえば『パッション』だとか、『アポカリプト』もそうですし、『ブレイブハート』も実はそうですけど、「ほとんど行き過ぎにも見えるような暴力表現」であるとか。あとはまあメル・ギブソン自身がカトリック……カトリックの中でもかなりちょっと特殊な分派、ローマ教皇を認めないというような、かなり特殊な分派の熱心な信者であるとか、そういう諸々。あと、さっき言った、ちょっと問題行動・問題発言が多い、とかも含めて、とにかく何かと作品自体も、「異常性」みたいなところがクローズアップ、取り沙汰されることが多いメル・ギブ作品だと思うんですね。『アポカリプト』も、やれ「残酷だ」とか。『パッション』もまあ、変態チックな映画なのはたしかなんだけど。


で、たしかにそういう、ある種のエクストリーム性みたいなところ、行き過ぎた暴力表現というのが大きな魅力になっているのも間違いはないです。それも間違いではない。けども、それはあくまでも表面的な部分というか。「メル・ギブ作品ってエグくて面白いよね」っていう話だけだと、それは作品の半分しか語ったことになっていない、という風に僕は思うんですね。メル・ギブが作る映画のテーマ、メッセージというのは、実は常に一貫していて。こういうことだと思うんですね。要は、我々の目の前にドーンとある「現実」という<普遍>ですね。絶対に動かしようがない「現実」という<普遍> VS 「信念」とか「理念」とか「信義」という、そういう<普遍>。こういう2つの<普遍>のぶつかり合いという、常にこれを描いているという風に僕は思います。

つまり、こういうこと。たとえば、やっぱりさっきから「暴力描写」って言っていますけど、暴力で強者が弱者を圧倒的に支配しようする……『アポカリプト』で言えば、オラが村を、よりテクノロジーの発展した人たちが襲ってきて、奴隷に取られたり女たちはレイプされたり殺されたりっていうことであるとか。まあ、『ブレイブハート』だってそうですよね。イングランドに支配されて、悔しい!っていうことであるとか。『パッション』なんかも言うに及ばずということで。そういう風に、暴力で強者が弱者を圧倒的に支配しようとする、そういう「現実」であったりとか。

あるいは、こういうことでもいい。「世の中の仕組みはこういうことになっているんだから、それに従うしかないじゃん」みたいな。世の中の仕組みはこうなんだから……たとえば、『ハクソー・リッジ』、今回で言えば、前半はそれをずっとやるわけですけどね。「世の中の仕組みはこうなっているんだから、それに従わないと生きていけないじゃん」という、要するに我々が生きていく上で、絶対的にその前に立ちはだかってくる「現実」そのもの。で、普通はそこに屈さざるをえない。そうしないと生きていけないのが普通だっていう。というのが、まあたしかに、普遍的真実ですよね。たとえば、強い者が勝つ、強い者が弱い者を搾取する、という普遍的現実。で、それをまずは徹底的に描こうとするから、メル・ギブの作品は身も蓋もなく暴力的だったり、なんなら救いがないように見えたりもしがちなわけですよ。

でも、そこでメル・ギブソンは、普通はその現実という圧倒的普遍に屈するしかないという、そういう世界の中で、「いや、そうじゃねえだろ!」と。人間の意思の力……たとえば信念、信義、理念。まあ、彼にとっては「信仰」なわけですけど、そういう人間の意思の力っていう<普遍>があるんじゃないの? (その力をもって)「現実」に対抗しうる存在なんじゃないの、人間っていうのは? っていうか、そこに賭けなければ、人間って動物と同じになってしまうだろう?……いわゆる「人間ナメんな!」ですよね。っていう、そういう問いかけを、いつも作品の中でしているわけです。だからその、暴力的な世界の描写っていうのは、それに対する揺さぶりなわけですよ。「お前はそれで折れちゃうのか? 動物と同じになっていいのか?」という、こういう問いかけなわけですよね。

で、『秘宝』の対談の中でもこれは言っていて、メル・ギブソンは、「人間っていうのはポキッと折れてしまうものだ」という、これはひとつの真実だけど、「いや、折れない人だっているさ!」っていう、そっちに賭けたい人なんだと。少なくとも、作品の中ではそれを描こうとしている人だ、っていうことを言っていますけども。つまり、彼自身はたしかに、かなり特殊な信仰とか価値観を持っている人かもしれないけど、その特殊な価値観とか信仰心を、少なくとも作品を作る際には、ちゃんと突き詰めて考えているからこそ、結果としては、元は自分の特殊な信仰とか考え方がベースになっていたとしても、ちゃんとそれがものすごくユニバーサルな射程を持つ思想、メッセージにまで、ちゃんといつも作品の中で昇華されているわけです。だからこそ、僕みたいなもう、無神論者の極みみたいな人間にもちゃんと刺さる。「人間ナメんな!」っていう考えは、「ああ、全くその通りだよ!」っていう。刺さるようにちゃんと作品はなっている。

ちなみに、これはちょっと話がズレますけども、先週、『22年目の告白』評の中でチラッと触れた『藁の楯』という作品。あの作品は、作品そのものはいろんな風な言われ方をします。それはわからなくもないんだけど、でも、「僕はすごく好き、感動しました」って(番組の映画評のなかで)言ったのは、まさにそのテーマを扱っているからなんですよね。「人は普通、こういう風に折れる」っていうのに対して、「いや、それを超える普遍的な信念とか、そういうのがあるはずじゃないの?」っていう問いかけをしている作品だから、僕は『藁の楯』を好きですって言いましたけど。

ただですね、そこでやっぱりメル・ギブは、映画作家、映画監督としてやっぱりちょっと一枚上手というか、すごいところがある。そういうある意味、極めて観念的なテーマですよね。現実という<普遍> VS 信念とか信義っていう<普遍>がどう戦うか、どちらが勝つかという話。こういう観念的なテーマを……これは『映画秘宝』の対談の中の高橋ヨシキさんの発言がいちばん見事に、もっとも端的にこれを表していると思うので、ちょっとそのまま引用させてもらいますけども。「メル・ギブは、観念的な事柄をちゃんと即物的な画として見せることに長けている。そしてそれこそ、映画監督としての才能そのものだ」……その通り!っていう。もう、それ!っていう。「なんで俺、メル・ギブソンが映画監督として好きか?……それ!」っていうことですね(笑)。

つまり、自分の中にある個人的なテーマ、それこそ特殊な信仰や、ひょっとしたら特殊な性癖もあるかもしれませんよ(笑)、「マゾっぽい」とかよく言われますから、特殊な性癖なのかもしれないけど、そういうあくまで個人の中のモチーフを、ユニバーサルなレベルにまで突き詰めて物語化し、それをさらに、映画というメディアのユニバーサル性を最大限に活かした、即物的表現として語る能力に、圧倒的に長けている、ということですね。しかもですね、ちょっといま言ったけど、メル・ギブ個人の持っているそういう歪さみたいなものは、実は作品の中で……要は彼個人の中の葛藤、善であろうとするんだけどそうはなりきれない自分との葛藤、引き裂かれる矛盾みたいなのは、実は作品の中でもちょいちょい入れ込んできてたり。今回も『ハクソー・リッジ』の父親の描写とかは、なんなら自分の中のそれの投影だとも言えると思いますけども。

ということで、ちゃんとそういうバランスも、作品の中ではきっちりと取っていたりする。しかも、特に今回の『ハクソー・リッジ』の場合は、さっきから言っているような、そういう現実という<普遍>に対抗する、信義、信念というもうひとつの<普遍>……その信義、信念というのは、ともすると非常に狭量なというか、独善にもなりうるし、まあ狂気にも当然なる、陥りかねないものですよね。いいものに転ぶとは限らないものかもしれないんだけど、『ハクソー・リッジ』に限って言えば、「人命救助!」っていう、これ以上ユニバーサルな善はないという、究極的に普遍的な善行なので。しかも、それが実話ベースっていう……っていうかこれね、実話ベースじゃないと、フィクションだと、ここまで究極的な善を描くと嘘っぽくなっちゃうから。これ、実話ベースじゃないと無理な話なんですよね。

ということで、いままでのメル・ギブ作品の中でも、普遍度が半端ないっていう。文句のつけようもない、という作りになっています。元々はこれ、製作陣がずっと温めていた企画で……元々は人から振られた企画。『アポカリプト』を作っている時からずっと打診されていて、でも、『アポカリプト』に専念していたんで断っていた企画にもかかわらず、やっぱり出来上がってみるとというか、「いや、こんなメル・ギブソン的なテーマ、あります?」っていう(笑)、異常なまでにメル・ギブソン的なテーマに合致した題材と言うしかないのが、今回の『ハクソー・リッジ』じゃないかという風に思いますね。

上映時間は139分、エンドクレジットとか諸々を抜いて実質お話が語られている部分は2時間強なんですけど、これね、パッコリ真ん中で分かれる二部構成となっております。かなりはっきり二部構成。後半はもちろんメインの舞台となる、ハクソー・リッジこと沖縄の前田高地戦ということですね。で、前半1時間はそこに行くまでの話なんだけど、この前半1時間もほぼ半分で、これも二部というかニ構成になっていて。前半1時間のうち前半は、主人公のデズモンド・ドスが、生まれ育った土地でどうやって信仰を育み、恋人と出会い、軍に志願することになったかというくだり。そしてその前半1時間のうち後半は、戦争映画おなじみの「新兵訓練もの」シーン的なところと、最後にちょっとだけ法廷劇的な流れもついて、ドスが銃を持たない“純”衛生兵として軍に認められるまで、を描くということですね。まあ、そういう構成になっています。

で、さっき言った後半1時間の前田高地戦シーンも、まあやれトーチカ攻略だ、やれ死体のふりしてやり過ごすだ、やれスナイパー戦だっていう風にね、特に後ろの方に行くにつれて、僕は今回輸入ブルーレイを見ながらタイムラインをちょっとメモしてみたんですけど、もう本当にね、分刻みで、戦争映画のあれこれの面白い見せ場が次々と投入されていくので。それでいて、1個1個の見せ場の描写はしっかり丁寧に描かれるので、軽くない。やたらとせわしくいっぱいブチ込まれているという印象も全然しない、という構成になっていて。とにかくですね、味わいは重厚なのに全く退屈する暇もないというね。とにかく、展開が早いです。ということですね。

つまりですね、やり方が巧みでスムーズなのであまりそういう風には見えない作りなんだけど……たとえばタランティーノみたいな露骨な感じじゃあ全くないんだけど、実はやっぱり今回『ハクソー・リッジ』も、作りとしてすごく、「いわゆるイイ映画感」が『アポカリプト』より強いからそういう風にさらに見えないのかもしれないけど、やっぱり『アポカリプト』同様の、超高密度サンプリング映画になっていると思います。いままでの戦争映画の(いいところのエッセンスを)ブラッシュアップして、高密度で濃縮してグッと詰め込んでて、なおかつ、クラシカルな感じに見せるという離れ業をやっていると。超正統派なのにフレッシュでもあるという……これ、要は僕、メル・ギブ作品がこんなに好きなのは、たぶん自分がラップでやっていることも含めですけど、僕がいちばん理想とするエンターテイメントのバランスなんですよね、たぶんね。すげー正統派なのに、やっていることは古典的なのに、ちゃんとフレッシュだ! みたいな。僕はそういうのが好きなんです。

で、まあもうちょっと順を追って細部の話を今日はしましょうね。まず、オープニング。最初に話が始まる前に、物語的には実は終わりに近い部分。もう高地戦で主人公ドスがケガをしている状態で、神を称えるナレーションが流れて。でも、光景としては地獄のような戦場の様子がバーッと流れている。ここでもうすでに、信義、信念、真理という<普遍> VS 現実という<普遍>という対立構図が、もうオープニングですごくわかりやすく示されますよね。そこから少年時代の話に行って……で、ここで、少年時代の話になって結構さっそく、「切り立った崖」っていうモチーフを見せて。あとでもう1回「崖」っていうイメージを出すことで、観客は後半に崖が出てくるという話は知っていますから、予感をさせる、という、こういうあたりとかは本当に正統派な映画の演出。画的にちゃんと後半を予感させるというあたり、非常に上手いなと思いますし。

あと、今回ヒューゴ・ウィービングが本当に哀切たっぷりに演じるお父さん。まあ、さっきも言いましたけど、酒や何やらで人が変わってしまったお父さん。矛盾に引き裂かれる男っていうのは、メル・ギブ自身の投影でもあるような感じがする。監督デビュー作の1993年の『顔のない天使』っていうのも、実は同様の話、出てきます。お父さんね、お酒に酔っておかしなことになってしまって……で、『顔のない天使』といえば今回、一瞬出てくる傷痍軍人。あれはすごくやっぱり『顔のない天使』を……「ああ、そういえばメル・ギブの一作目は『顔のない天使』だったな」と思い起こさせる、火傷した顔の方が出てきましたよね。とか、ヒューゴ・ウィービングが哀切たっぷりに演じるそのお父さんが、ベルトを使う。お父さんのベルト使いは、暴力というか、罰ですよね。罪に対する罰としてのお父さん(のベルト使い)に対して、その直後、青年になったドスがベルトを使って何をするかというと、人を救うという。この、小道具を使ったお父さんと息子の対比と共鳴のさせ方とか、まあ上手いなという感じですし。

共鳴といえば、この序盤部でお父さんが結構繰り返し語る……お父さんは第一次世界大戦の体験者で、はっきり言って戦場PTSDなわけですね。当時は戦場PTSDっていうのは認められていなかったんで、お父さんは社会からドロップアウトしつつあるような状態なわけですけど。その戦場で実際に自分が見た残酷話っていうのは、全て後半の前田高地シーンで、「ああ、お父さんの言う通りだった! あの話を具現化すると、そりゃこうなるわ……」っていう、まさに即物的な画として再現されることになるわけですね。

たとえば、「親友が後ろから撃たれて内臓をブチまけて死んだ」っていうの(お父さんが語るエピソード)が、後ろから撃たれて(脳みそを)バッとブチまけて死ぬ(という後半の描写で即物的に再現される)とか。あるいは、「死体になったらウジの餌になるだけなんだぞ」っていうね。ウジだけじゃないですね、今回はネズミというね……実際に、ネズミがめちゃめちゃ死体を食うというのは戦場であるらしいんですけど、意外と(過去の)戦争映画で、ウジはあってもネズミはあんまり出てこなかったので、なかなかフレッシュ!というあたり。とにかくお父さんのそういう言うことが、後半にちゃんと響いていたりとかですね。

他にも、主人公のデズモンド・ドスが、後に奥さんとなる、テリーサ・パーマーさんという方が演じるドロシーという女の人を見初めるところで、その病院なんですけど、人を救うという行為と戦争の影……要するに、やっぱりここでも後半になにが起こるか、どう行くかのすでに暗示があって。で、それが両方ある部屋の中。両方、人を救う行為と戦争の影。人を救う行為と戦争の影。目線で追っていくと、その視線が移っていく先に、彼女がいる!という、まさにザ・映画な、正統派演出。ただし、ここからの、アンドリュー・ガーフィールドの無垢感ビンビンの素晴らしい演技と相まって、「女慣れはしていないのに迷いはない口説き方」、ここから生じるサイコ感(笑)。まあ、これが前半の面白みではあるんですけどね。「お前、おかしいぞ?」と(笑)。

あと、その彼女絡みで言うと、デートしていて再び崖の上に行って。要は後の惨劇の予感がするんだけど、それと対照的に、もうザ・ハリウッド・クラシック!っていう感じの、堂々たるキスシーンであるとか。とにかくここだけでも、メル・ギブの映画監督としての演出力、上手さ、十二分に、前半部分だけでも堪能できる。続いて、新兵訓練のシーン。戦争映画定番のくだりですよね。『フルメタル・ジャケット』でもなんでもいいですけども。まあ、これ語弊はありますが、安心して楽しめるくだりではありますね。まず、後に戦友たちとなっていくメンバーそれぞれの個性を──ここはヴィンス・ボーン演じる、いわゆるこれもわかりやすい鬼教官の、ルックスいじりとあだ名つけっていうくだりも含め──コミカルなんだけど、非常に的確かつ最短の時間で、観客に「この人はこのキャラ、この人はこのキャラ」って(理解させる)。しかもまた、ルックスいじりをさせるだけあって、やっぱり顔や見た目に、異常に特徴があるメンツをちゃんと並べているし。

挙句、1人は全裸であるとかね(笑)。このコミカルなあたり。全裸ギャグに、あと刃物で遊んじゃいけませんギャグ(笑)。本当にくだらないギャグとかを挟み込むというあたりね。でも、ここのギャグが非常に無邪気にくだらない……まあ言っちゃえば本当に青春映画的なというか、そういうくだらなさもあるだけに、これがしっかりできていればこそ、そのキャラクターの描き分け、観客もちゃんと覚えることができているからこそ、後半の戦場シーンでの地獄も、物語としてより効果的に機能するわけですよね。「ああ、あいつが撃たれちゃったよ。ああーっ!」ってなるっていうことですよね。これ、まあ『アポカリプト』序盤で、いちばん最初に(仲間たちの)名前を呼びながらそれぞれに獲ったバクの臓器を分け与えて、その中でキャラクターの関係性を示していってからの……っていうのと同じような作劇。非常に丁寧な作劇をしていますね。はい。

同時にですね、主人公ドスの信念を、さっき言いましたね、世の中の仕組みというね、「世の中こうなっているんだから、普通従うでしょ?」っていう、世の中の仕組み側が、あの手この手で折ろう、曲げようとしてくるが……という、このテーマ的にも非常に重い意味を持つ展開にもなっていると。当然、いじめもあったり。ただ、いちばん決定的に陰湿ないじめである、まあ闇討ちの起こるところ。『フルメタル・ジャケット』でもありましたけど、あそこはその闇討ちをした当事者は見せずに、むしろ周りの、感じ悪く見えていた奴らは止める(ので、感情移入を邪魔しない)というね。このあたり、作劇上非常に穏当なバランスでやっていると思いますけどね。

あと、やっぱりね、いくら軍隊全体で、組織的にある意味嫌がらせをしているんだけど、ただあくまで……要は、建前としての法的手続きは、絶対に踏もうとしますよね、アメリカ軍が。ここがやっぱり、さすがアメリカっていうか。これだってね、旧日本軍でドスみたいなことを言い出してごらんなさいっていうね。もう想像するだけで、比べるべくもないというか……ちょっと恥ずかしくなってくるというね。そしてやっぱり、どっちの軍隊が強いか? どっちの共同体というか国が強いかは、もう証明されているということだよね、という気も私、いたしますけどね。要するに、多様性を許容する方としない方だったら、どっちが強くなるかは……っていうことだと思うんですけどね。はい。

このくだり、特に興味深いのは、ドスを精神病と診断して辞めさせようと、上官がひっかけ問題を出してくるところがある。「君は神と対話するそうだね」と話しかける。そうすると、ドスがですね、「いや、しませんって。僕、狂っているわけじゃないんで(笑)」「神様と話をするとか、インチキでしょう?」って、ものすごく理知的に返すというくだり。つまり、信仰だけじゃなく、個人の中の信念、信義、理念というのが、傍から見ると狂気に見えかねないというか、そういうことにして片付けたいという風に傍からは思われているっていうのはこれ、作り手もわかっている、という場面なんですね。要するにドスは、非常に狂気じみた行動を取るという風にみんな面白おかしく言うけども、実際にそういう風に見えるのはわかって作っているわけです。

っていうか、実際メル・ギブの作品は、ここにこそ彼個人の心情がいちばん現れていると思うんだけど、社会からそういう自分の信念とか信義、信仰が異端視されるっていうことへの恐怖が、繰り返し出て来る、彼の作品には。でも、そういう狂気の問題じゃないんです、っていうね。ちゃんと善と悪、倫理的な話なんですよ、もしくは、人間の尊厳の話なんですっていうのを、この場面とかではっきりと言っている。その上で後半。この作品である意味最も重要な瞬間。後半に出てくるその戦場のシーンで、主人公ドスの信念が、唯一自壊しかけるというか。唯一彼が葛藤する瞬間があるわけです。彼は基本的には迷いがない人なんですけど、一箇所だけ迷うところがある。で、彼が神に問いかける。「神様! どうすりゃいいんすか!」っていう場面。ここで何がどう返ってくるか?っていう。要するに、彼にとっての神との対話とは何か?っていうのが、後半にしっかり出てくるわけです。ここともちゃんと対応している。上手いですね。これを前半に置いてね。

で、まあその後、アメとムチというか、懐柔するような物言いなど含め、あの手この手で彼の信念を折ろうとするんですけど。まあ、彼の最大の理解者である奥さん、もしくは我々観客まで、「まあさ、もうこれぐらいは妥協してもいいんじゃないか? 銃を持つぐらい……持つだけだよ」って。いわゆる「形だけだよ」っていうやつ。なんだけど、そこで、そうじゃないんだと。「形」って言うけど、それをやると自分が自分でなくなってしまう。つまり、やっぱりこれは個人の尊厳の話なんだというね。という、物語のベースとなる、芯になる倫理っていうのをここでいったんバシッと、ちゃんと物語中盤で打ち込むあたり。これもやっぱり作劇として、非常に正しいあたりだと思いますし。

で、短いながらも腰の座った演出で、見応え十分の法廷劇シーンで、まさしく「軍法より、憲法で守られているはずの思想・信条の自由の方が、より上位の<普遍>なんだ」、つまり「現実よりも上位に置くべき理念というのはたしかにあるし、少なくともそれを遵守することこどがアメリカ合衆国じゃないんですか?」っていうひとつの結論を出してからの……これが前半部。で、後半部は、いったんその立派な結論は出ましたが、その立派な理念は果たして、本当に最も過酷な現実という<普遍>の前で、本当に折れずに、屈さずにいられるんでしょうかね? という。これが後半、本題になっていくわけですね。舞台となるこの前田高地。これ、沖縄の方、いっぱい(感想メールを)送っていただいてますが。浦添市という、前田高地のあるところのホームページが、当時の写真とか実際の地形と映画のシーンを比較して、今回の映画がいかに考証を結構ちゃんとやっているか、というのをホームページに載せていたりするので。ぜひ、こちら参考にしてください。

あと、参考文献。『私の沖縄戦記 前田高地・六十年目の証言』。これ、角川ソフィア文庫から、要するに前田高地を生き残った旧日本軍の方が書かれているんですけども。これ、巻末に米軍側資料で、デズモンド・ドス二等兵の話がいっぱい出てくるので。こちらも参考資料、必読でございます。見てください。あ、ヤバい。時間がなくなった。結局時間がなくなってまいりました(笑)。詳しくはまたね、『映画秘宝』の対談も参考にしてください。ということで、本作最大の見せ場であるのは間違いない、ウルトラバイオレンス、ウルトラゴア描写がここから始まるわけです。ヘルメットを撃たれてからのボーン! とかね、いろいろあるんだけど。ここでやっぱり、「崖」という(空間的な)絶対座標を置きながら……要するにすごいカオスな戦場だったという史実を、たしかにカオスなように描きながら、観客には、位置関係とか、何が起こっていま何を守ろうとしているのかという、そういうことは絶対に混乱させない。アクション監督としてのメル・ギブのこの手腕。これも存分に発揮されていたと思いますし。

まあ、見せ場。さっきも言ったようにね、トーチカ攻略、スナイパー戦、敵の陣地に入り込んじゃってというサスペンスシーンもあってからの……というあたり。あと、銃を持つのか? と思わせておいてからの、救出と銃を撃ちまくりの連携プレー。これ、ちょっと西部劇的だったりして。その後ね、崖の下からの応援はあれ、ラストミニッツ・レスキュー、まさに騎兵隊的だったりして……そういう(西部劇的な)要素もあって。要は、アクションエンターテイメント要素もいっぱい詰まっていて、しっかり「面白い」ということ。その上で、さっきも言った、神への問いかけ。これ、もう本当に『沈黙 -サイレンス-』との対比ですよね。

「神よ!」っていう、神への問いかけに対する、究極的に即物的な答えが返ってくるわけです。そしてそれに対して、究極的に即物的な行動……善行で返す。つまり、善をなすなら、信仰を本当に形にするならば、ただ行動せよ! 実際に動け……つまり、「アクション」しろ!と。テーマ性と、映画というメディア(の特性)の完全合致(がここでは達成されている)。しかもその絵面は、「えっ、でもさ、マジでここに戻るの?」っていう、地獄絵図に向かって……ドッカンドッカンなっているところに向かって、彼が本当に戻っていくという。やはり、狂気スレスレの強さという印象も強烈で。まさに映画ならではの感動が来るあたりじゃないでしょうかね。他にもいろいろね、「水で洗って目を開く」という、まさにキリスト教的奇跡(を思わせる描写)なんだけどこれ、本当にやったことですっていうのが最後に出てくるのとか。

あと、ラスト。崖から下ろされているのに、カメラの位置で「昇天」しているように見えるっていう(笑)、これもやっぱり、観念を即物的に見せるメル・ギブの真骨頂のあたりじゃないでしょうかね。全然ね、俳優さんの名前とかを出さないうちにこういうこと(時間切れ)になってしまいましたが(笑)。はい。ということで、とにかく、絶賛の度合いはともかく、大変水準の高い、よくできた、「面白い」映画なのは間違いないので。ぜひぜひ劇場で見てください。メル・ギブソンね、いっぱい映画を撮ってほしいので、もうトラブルは起こさないようにしてください(笑)。次はもうちょっと歪な映画でもいいよ~。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ありがとう、トニ・エルドマン』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

『ハクソー・リッジ』ね、ハラキリシーンの話も、(『アポカリプト』との類似を町山智浩さんが指摘されていた『裸のジャングル』の主演監督コーネル・ワイルドが、その翌年に作った太平洋戦争もの)『レッドビーチ戦記』との比較の話もできなかった!

◆過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!