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日本の着物、世界の着物をめぐる旅~長崎巌さん

コシノジュンコ MASACA

2017年7月16日(日)放送

ゲスト:長崎 巌さん(part 1)
1953年、大阪市生まれ。東京芸術大学で芸術学・工芸史を専攻し、博士課程を修了。東京国立博物館の染色室長を経て、2002年より共立女子大学家政学部教授に就任。日本の着物文化・染色文化史の研究や、海外に流出した日本の染織品の調査に携わっていらっしゃいます。2017年、パリのギメ美術館で開催された展覧会「Kimono – Au bonheur des dames」では監修を務めました。著書に『日本の美術 小袖からきものへ』(至文堂,2002年)『平安の配彩美 春夏秋冬 かさねいろ』(ピエ・ブックス,2005年)『きものと裂(きれ)のことば案内』(小学館,2005年)」など。

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JK:ギメ美術館の展覧会でご一緒しましたが、大変な評判でしたね。その時の思い出話からしましょうか?

出水:松坂屋が収集した着物120点や、ジュンコさんをはじめ高田賢三さんやジョン・ガリアーノ、ジャン=ポール・ゴルチエ、イヴ・サンローランの作品なども展示され、今年2月から3か月間、開催されました。

JK:こういった古典的な作品を運ぶこと自体が、大変でしたよね。

長崎:日本ではこういったものを「文化財」と呼んでいますが、日本とは環境が違いますので、外国に持っていくのは気を使いますね。今回は美術館の温度・湿度の設定を日本と同じにしていただくというのが最初の交渉事でしたが、向こうも頑張ってくれまして、非常にいい環境で展示することができました。着物に関していうと乾燥しているほうがいいんですが、今回は漆製品もいっしょに持っていきましたので、こちらはどちらかというと湿度が高いほうがいい。この間をとるというのが、なかなか難しかったです。

JK:今回は桃山時代から、日本の着物の歴史を視覚的に見せるというので、みなさんものすごく興味を持っていましたね。

出水:10万人が来場したと聞いています。

長崎:予想以上の入りで、やりがいがありましたね。

出水:そもそも松坂屋にはどのぐらい所蔵数があるんですか?

長崎:着物だけで1200点、その他帯なども合わせると7000~8000点と言われています。いちおう全て見ているんですが、2年ぐらいかかりました。その後、展覧会に向けて展示作品を選びまして、展示に耐えられる状態かという点検もありますので、本当に大変でしたね。今回は飛行機で輸送しましたが、輸送中に温湿が変わらないようにという工夫もされていました。

JK:ごいわよ、箪笥長持ちじゃないけど、しっかり木枠を作って、密閉して。あれは見事でしたね!

出水:今回は日本とフランスのキュレーターが協力しての開催でしたが、美意識や視点が違いましたか?

長崎:これが意外でしたが、サミュエルさんという学芸員さんと私が選んだものが、そんなにズレないんですよね。もちろん強調したいところは若干違いますけれども、美意識や価値観で一致がみられたというのが成功した理由だと思います。

出水:長崎先生はどういった点を重視して選ばれたんですか?

長崎:模様と技法のマッチングという点と、江戸時代は階級社会ですから、身分によって好んだものが違うんですね。そのサンプルを選んだんですが、その視点が面白いと彼女も言っていました。

JK:武家社会、町人、感性が違うわけですけれど、町人になるとすごくカジュアルでユニークなものを選んで、武家になると古典や重みのあるものを選んで・・・。

長崎:そうですね。武家は保守的、重厚感を求めますし、町方は明るい色で、開放的。

JK:友禅が出てきたのは町人文化からですものね。武家の女性は一歩も外に出ないじゃないですか。何枚も着て、手入れも大変。

長崎:出るときも小籠に乗ってですからね。自分で動くことはないんです。

出水:フランスに着物がもたらされるようになったのはいつ頃?

長崎:やはり19世紀末、日本から輸出されたものが中心です。その前に、オランダが日本と通商していた江戸時代にも、わりと早い時期からオランダには輸出されていて、着物を室内着にするという流行があったんです。フランスでの着物ブームはその後ですが、そういうのが根っこになっているとは思います。

JK:当時は肩から羽織る感じで、そのせいで着物が部屋着みたいに思われて嫌だなあと思っていたんですけれど、フランス人は着物を尊重して着てくださるので、それは大きいですよね。

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出水:海外に流出した着物の調査で、アメリカのボストン美術館にも長く通っていらっしゃるそうですが、いつごろから?

長崎:博物館に勤めていますと、「在来研修」という一生に一度のチャンスがありまして(笑) 私の場合はドタキャンする先生がいらっしゃって、入りたての私が「代わりに行ってこい」と言われまして、それこそMASACAだったんです。大学院を出た後、29の時。海外旅行は初めてで、しかも言葉の問題もあったので、3か月間島流しみたいなものでした。

JK:素晴らしいし、ラッキーだけど、大変でしたね(笑)それも研究員だから、専門語もあるし。アメリカ人の感性というか、日本と違った見方があるんですかね?

長崎:ボストン美術館にはフェノロサ、モース、ビゲーの3人が集めた「三大日本コレクション」というのがあるんですが、当時のコレクションは、明治に入って政治体制が変わって伝統文化が大切にされなかった時代に、ちょうど日本に来たインテリ・文化人が素晴らしいと持って帰ったものなんです。ビゲローは研究者ではなお医者だったんですが、日本文化に興味があって、お金があったので1000点ぐらい工芸品を買って帰って、美術館に寄贈しました。彼がえらいのは、アメリカに帰ったあとも買い続けて、寄贈しているんですね。

JK:アメリカの場合は寄贈すると税金がかからないからね。日本だと、どんなに頑張って寄贈しても、税金がかかるから結局高くついちゃうのよね。すごく問題だと思うんです。まだまだいっぱい良いものがあるはずなのに。

長崎:そうなんです。なんとかなりませんかね(苦笑)ビゲローがなぜ日本に来たかというと、一時帰国したモースがボストンで日本美術文化の講演会をした時に、ビゲローもその場にいて興味をもって、モースに「一緒に日本に連れて行ってくれ」と頼んで、結局8年間日本にいました。日本が大好きになって、京都で出家して真言宗のお坊さんにまでなったんです。

出水:実際にコレクションを生で見て、どのような印象を受けましたか?

長崎:ひとつには、いい目を持っているということ。もうひとつは、選ばずに買ってくれているので研究者にとってはとてもありがたいです。日本人は「これはいいもの」「これは悪いもの」と区別して買うので、いいものだけ残して他は捨ててしまうんですが、彼、持ち込まれたものを全部買っていたんです。だから、今になってとても大切だというものが、日本ではなくアメリカにある。江戸時代末の伝統的な様式のもので、明治時代には「こんなもの興味ない」と捨てられてしまったものも、ビゲローは買っているんです。

JK:能の衣装とか、そういうものには興味はなかったのかしら?

長崎:いやいや、あります! ビゲローコレクションで大事だと思うのは、能装束を100点も持っているということ。これは日本以外では世界一です。

JK:でも、一歩も外に出しちゃいけないということなんですよね? ボストンに行かなきゃみられない。

長崎:東洋部に展示されています。ようやく没後100年が経って、遺言の効力が切れたので、2013年の「Kimono Beauty」という展覧会でもお借りしました。ですから、これが最初の“里帰り”です。

出水:かなりの間、日本を離れていたんですね!

JK:伊藤若冲のジョー・プライスもそうですが、アメリカ人の目利きは本気ですよね。日本のためにとっておいてくれたというか。これは財産ですよね。

=OA楽曲=
M1.  Ping Pong / Armin van Buuren

M1.  Le Petit Kimono / Andre Claveau