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Q:なぜ着物は「着物」と言うのでしょう?? 長崎巌先生、教えて!!

コシノジュンコ MASACA

2017年7月23日(日)放送

ゲスト:長崎 巌さん(part 2)
1953年、大阪市生まれ。東京芸術大学で芸術学・工芸史を専攻し、博士課程を修了。東京国立博物館の染織室長を経て、2002年より共立女子大学家政学部教授に就任。日本の着物文化・染色文化史の研究や、海外に流出した日本の染織品の調査に携わっていらっしゃいます。2017年、パリのギメ美術館で開催された展覧会「Kimono – Au bonheur des dames」では監修を務めました。著書に『日本の美術 小袖からきものへ』(至文堂,2002年)『平安の配彩美 春夏秋冬 かさねいろ』(ピエ・ブックス,2005年)『きものと裂(きれ)のことば案内』(小学館,2005年)」など。

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出水:学生時代は東京芸術大学・美術学部芸術学を専攻していたそうですが、ご自身で作品を作ったりもしたんですか?

長崎:入学試験には石膏デッサンがあったり、授業でも油絵を描いたりしましたが、作品を作るわけではなく、美術史の研究ですね。今でも芸術学科からは西洋美術・日本美術の研究者が出ております。

出水:その後すぐに東京国立博物館に勤務されましたよね。

長崎:はい、実は私、ずっと上野の住民でございまして(笑)1年間大学院受験を失敗したので合計10年芸大におりました。そのあとは、道を斜めにわたった国立博物館に20年いました。最初は法隆寺宝物室で、法隆寺に献上された飛鳥奈良時代の裂を保管しているところに2年おりまして、それから工芸館の染織室、近世の着物や中世の裂を保管展示するところにおりました。個人的なことを申しますと、両親とも美術大学卒でございまして、父は京都芸大、母は女子美。ですから、宿命みたいな形で流れ着いたわけです。

出水:小さいころから博物館や美術館へ足を運んで、鍛えられたわけですか?

長崎:いえ、それはないですけれども、父親の仕事が楽しそうだというのを見ていました。父は京都芸大で色彩文化史を研究していたんですけれども、学問の話も大人になってからで、家にいるときはとても気楽そうな職業に見えたんです(笑)それで・・・

JK:こりゃ楽だな、と思って。それで東京芸大を受けて?

長崎:そう。それでまぁ、首尾よく受かりまして・・・

出水:着物の研究に入り込んだきっかけは?

長崎:芸大時代の先生、染織史という授業を担当していた方だったんですが、教室じゃなく、博物館の研究室で授業をして、収蔵庫にあるものを直に見せてくれてもらえたんです。そこからですね。

出水:そもそも着物っていつごろ日本に来て、どういう進化をしたんでしょうか? 私、恥ずかしながら、知らないんです・・・

長崎:着物の出発点はどこか、というのはなかなか難しいんです。だいたいの意見では、弥生時代の貫頭衣――みなさんポンチョだと思っているかもしれませんが――、ところが、日本の織物は1人で織るように作られているので、幅は40cm以下。ですから、首を通すには足りないんです。

出水:40cm以下になるというのは何故ですか?

JK:手で織るからよ。手織りだから。手の幅のサイズ。

出水:ああ! 肩の幅ぐらいしか届かないということですね!

長崎:だから体を覆うためには布が2枚要るわけですね。2枚をつないで、首のところだけ開けておく、それが貫頭衣。そしてそこに袖がついて・・・でも、袖がついたら脱ぎ着ができないから、必然的に前を開けるようになって・・・前を開けたら今度は襟がついて、おくびがついて・・・という順序です。これが着物の出発点ではないかと言われています。

出水:いつも着物を着ていて、きれいだとは思うんですけれど・・・袖の部分、ちょっとジャマですよね??

長崎:初期のころは袖はなかったんです。あれは中国の影響で、奈良時代に中国風の衣装が入ってきた時に、中国の上流階級が大きい袖をつけているのを見たんですね。上流階級がなぜ大きい袖かというと、自分で労働しなくていい、という表れ。重ね着も同じで、平安時代の十二単や束帯も、袖が大きくて丈も長くて、重ね着しますよね。上流階級は労働しないという、日本の伝統的な表現なんです。

JK:じっとしてなきゃいけないから大変ですね。置物(おきもの)みたい。なんちゃって。

出水:パッと見で権威を表すものなんですね。柄や織りの変遷は?

長崎:これには、日本が身分制度の時代だったということがあります。平安時代までは貴族の時代、その当時は絹を使った紋織物が主流でした。それから鎌倉時代、武家の時代になると、武家はもともと庶民ですので、絹ではなく染物を使っていた。ですから染物が衣服の中心になってきて、江戸時代になるとそこに刺繍が加わる。そういう流れになっています。

JK:あのね、うちの家はもともと呉服屋なんですよ。呉服屋の「呉」っていうのは中国から来てるのよね。呉の国から広島について、そこから日本の着物になったのよね。

長崎:そうですね、魏呉蜀の三国時代に中国から技術者が日本へ移住してきたんです。そういう人たちによって飛鳥時代の初期あたりに染織技術が伝えられました。ですから「呉」という言葉が残っているんですね。

JK:だから今でも、着物屋とはいわない。「呉」服屋っていうでしょ(^^)

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出水:私たち、日常的に「着物」と呼んでいますが、この呼び方はいつごろ出来たんですか?

長崎:これは桃山時代と考えられています。

JK・出水:桃山時代!!

長崎:平安時代は究極の身分社会で、貴族は「大袖」という大きな袖のついた衣服を、庶民は「小袖」という筒状の袖のものを着ていたんです。鎌倉時代や室町時代には「大袖」「小袖」両方を着る階層がいて、たとえば武士の人々はもともと小袖を着ていたんですが、彼らが来ていた着物に「袂」というものがつくようになった。それも「小袖」と呼ばれていました。桃山時代になると、経済活動で生活が楽になった人たちが町人から出てきて、彼らもまた小袖に袂がつくようになります。一方、貴族の人たちは武家社会になると生活も楽ではなくなって、小袖を着る機会もでてきたんですね。そうなると、世の中で着るものが小袖ばかりになって、「着る物」=「着物」という言葉が小袖の別称として使われるようになりました。この時はまだ大袖を着る人もいたんですが、明治時代になって、大袖を着ていた貴族や武家が洋装化します。

JK:そう、鹿鳴館の時代。みんな突然ヨーロッパになっちゃった。

長崎:そうすると、大袖を着ている人たちがいなくなったのに、わざわざ「小袖」と分類するのはおかしい、ということになって、これまで小袖と同義だった「着物」という言葉が一般化して和装全体をさすようになった。ですが、言葉の発祥そのものは桃山時代からあるんですよ。

JK:日本って大胆ですよね、着物から洋服にバーンッと変わる! この度胸って素晴らしいと思いますよ。新しいものを着るという度胸。日本ってそういう無節制なところがあるんですね。

長崎:そうですね、明治時代は国の存亡をかけてましたので、思い切って服装改革をしたということでしょうね。

JK:江戸時代って一番華やかな時代だったと思うんですよ。歌舞伎ができたりして、家にこもっているんじゃなく、外に出る活動的な女性たちがいっぱい出た時代だと思うんです。それで小袖が華やかになったんじゃないかって。

長崎:江戸時代はよく男尊女卑の時代だと言われますが、実は女性にとっては結構いい時代だったんです。男同士は身分制度があって着る物がガチガチに決められていましたが、女性は「奥にいる人」=表立って活動しない人だ、という建前があって、男たちはやかましく言わないという暗黙の了解があったんです。ですから、女性たちがおしゃれをしたり流行を追うということに対して、男性は大目に見るという傾向にあったんです。男性の立場からすれば、女性のファッションを邪魔するとロクなことがない(笑)そういう点では今も昔も同じですね。女性が一番大事にするおしゃれを邪魔することはできません。

長崎:実際には、女性はおしゃれして「奥」から「表」に出て行ったわけですけれども、その名残が「おはしょり」。武家女性は籠に乗れましたが、町方の女性は遊山するときも籠は使えない。そうすると、服をたぐらないと歩けないので、紐でたぐる。とくに江戸後期は、裾を引きずって歩くというのがおしゃれで、室内では芸奴さんみたいに引きずっていたんですが、表へ出るとそれができませんので、はしょったんです。これが明治以降、武洋装化した後も着物を着ていた町方の間でそのまま残って、現代まで「おはしょり」として残っているわけです。

JK:あれがなかなか難しいのよね~! 男性の着物は丈そのままだから、鏡を見なくても簡単に着れるけど、女性はおはしょりが大変だから着るのが大変。

出水:おはしょりの「処理」が大変・・・

JK:そういうのは改革しなきゃいけないのかな、とも思うんだけど、でも残したいものは残したいですね。

出水:着物というのは、毎日来ているとかなり消耗してしまいますよね。昔はどのように保存していたんですか?

長崎:昔は大量発注していましたので、単価が安かったんです。今は芸能人の着物が2000万円だとかなんとか言われますけれども、当時はたくさん発注されるので、職人さんも、単価を下げても生活ができたんです。上流社会の方が一番高いものを頼んでも、100万円もしない、せいぜい30万円ぐらいで上等な着物を注文できたんです。ちょっと意外ですけれどもね。

JK:あぁ、だからたくさん着物を持っているんですね。でも大量生産するとはいえ、やっぱり手織りで、1点1点手造りなわけでしょう。オートクチュールですよね。

出水:おしゃれだな~

JK:それだけ職人さんがたくさんいたということですね。今は職人さんがいないから、着物の価値があがっているけど、今度はなかなか着る人がいない。

出水:いまは共立女子大学で教鞭をとっていらっしゃいますが、今の若い女性は着物に対してどの程度興味をもって、日常的に使っていこうと考えているんですか?

長崎:勤めてから14年目になりますが、最初のころは私も心配しました。着物に興味がないんじゃないか、とかね。ところが、浴衣から始まって、その後アンティーク着物と、わりと気楽に着てみたら本物に興味を持つようになって、ここのところ本物志向が増えてきました。本物、伝統的なものを観たい・着てみたいという傾向が出てきて、悲観すべきことではなくむしろいいほうに向いていると思います。時間はかかると思いますけれどね。

JK:浴衣は着物のTシャツだと思うんです。まずは軽く浴衣から! 浴衣をプレタにしたのは私なんですよ、いまから30数年前ですけれども。なんでもいいから、とにかく浴衣から始まっていけば、本物へとだんだん続いていくから。

長崎:やはり、まずは気楽に着てみるということ。そのうちだんだん伝統的なもの、本物の良さがわかってきますから、まずは手近なところから、どんなところからでもいいと思います。私のところでは、授業に着物を着てくる生徒もいますよ。

出水:すてき~!

JK:私も話に聞いたんだけど、京都大学の女の子が着物着て学校に行くって。まぁ環境もあるんだろうけど、そういう自由さがいいなと思って。

長崎:うちの学校でも和裁の先生は着物で授業してますし、学生も着物で授業を受けています。

出水:お話を聞いていて、今日は着物でくればよかった! という思いが芽生えてきました(^^)

JK:じゃあ、次の機会に!

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=OA楽曲=
M1.  Chovendo Na Roseira / Goro Ito Ensemble