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【映画評書き起こし】宇多丸、『セールスマン』を語る!(2017.7.22放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

20170722_05

↓↓実際の放送音声はこちらから↓↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今週扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『セールスマン』!

(BGMが流れる)

『ある過去の行方』『別離』などで知られるイランの名匠アスガー・ファルハディ監督によるサスペンスドラマ。小さな劇団でアーサー・ミラーの戯曲『セールスマンの死』の舞台を演じる夫婦が、引っ越し先の自宅で、ある事件に巻き込まれる。妻を襲った犯人を探し始める夫は、やがて意外な真実を目の当たりにする……。第89回アカデミー賞で外国語映画賞。第69回カンヌ国際映画祭で脚本賞、男優賞を受賞ということでございます。

アスガー・ファルハディはね、『別離』に続いて(アカデミー賞)外国語映画賞2度の受賞ということで、これは非常に画期的ということですけどね。ということで、この『セールスマン』をもう見たよというリスナーのみなさん、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。



メールの量は、いつもよりちょっと少なめ。まあ、公開規模が非常に小さいですし。あと、公開からずいぶんと時間もたっているので、致し方ない感じもいたします。むしろまあ、この時期でこの規模の作品だったら多い方とも言えるかもしれませんが。賛否の比率は8割が「賛」。「サスペンス映画としてよくできている」「自分だったらどうするだろうと考えながら見ていて、最後にはズシンと来た」「イランの社会情勢も自然と伝わってくる」などの声が並ぶ。一方、「ファルハディ監督の中では凡作」「劇中劇の説明がないので、話のつながりがわかりにくかった」など苦言を呈する声も……ということでございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「ベンジャミン」さん。女性。「8年ぶりぐらいにBunkamura(ル・シネマ)で映画を見ました。客席は割と年齢層が高めで8割ぐらい埋まっていました。ものすごくよくできた脚本、よくできた映画で……でもあの、いやちょっと、こんな良作に対して本当にすいません。見た後の気持ちの落ち込みがヤバくて、渋谷で買って帰ろうと思ったものを全部忘れて帰って、最寄り駅のTSUTAYAでなんとか幸せそうなジャケットの『大統領の料理人』を借りて帰りました。非常にダウナーになれるこの映画ですが、いろいろと考えさせられるものがあり。主人公の夫の怒りは当初、大事な人(妻)を傷つけられたことから発生したのに、そのうちに妻そっちのけで怒りが暴走していく様とか、『おいおい、待てよ……』といたたまれない気持ちになりました。

あと、イランの話なので日本とは女性性に対する認識がえらい違うと思いますけど、それでもそこはかとなく漂う『性被害の対象にされた方にも問題があるよね』感とか、自分の体に対する自己と他者の認識のズレ、女が女であるというだけでついてくる面倒くささ、『本当に辛いよね』と見ながら思いました」という。はい。たとえば被害者側が訴えることでセカンドレイプになっちゃうから嫌だということで訴え出ないとか、これはっきり言って全然、残念ながらいまの日本だって、それと無縁になった事態とは思えないですよね。そんなような、全然通じるものもあるという風に思いますよ。はい。ベンジャミンさんでした。

一方、これね、「くさむすび」さん。13才。「『セールスマン』、見ました。後味はとても悪いですが、自分が最近見た人間ドラマの中ではトップレベルです。今年ナンバーワンレベルです」というね。ありがとうございます。くさむすびさんね。俺、13才でこの映画を見ててもなんだかよくわか っていなかった可能性がありますのでね(笑)。非常にいいんじゃないでしょうかね。一方で、ダメだったという方もいらっしゃいました。「ひなたか」さん。「はじめて感想メールをお送りします。結論から申し上げると、とても残念な一本でした。アスガー・ファルハディ監督作の魅力は、①不幸な歯車同士が噛み合って、最悪の不幸が起こる展開。②前半のちょっと退屈な展開にも意味があったんだ。ごめん!と謝りたくなることなのですが……」。要するに、ちゃんと後ろで伏線が回収される。

「……『セールスマン』ではそのどちらもが中途半端な印象でした。これまでの伏線を回収しまくるカタルシスがなく、中盤はただただ平板で冗長。終盤の30分は面白かったのですが、いままでの登場人物が全て有機的に結びつくような驚きがないため、発端となる事件とこの最後の展開だけで十分なように思えてきてしまいます。また、(劇中劇・アーサー・ミラーの戯曲)『セールスマンの死』に触れていないと劇中劇が全く意味不明になるのはさすがに観客を突き放しすぎです。授業中に『セールスマンの死』を知っている人にしか笑えないネタを入れるのもいかがなものでしょうか。その授業中に最低限の説明ぐらいは入れてもよかったのでは」。ああ、生徒に教えるという形でね。なるほどね。それはひとつの手かもしれないですね。

「……アスガー・ファルハディ監督の『彼女が消えた浜辺』からの過去三作が大好きだっただけに、なんでこうなってしまったのかとても不思議であり、だからこそ監督の大ファンであられる師匠の評論を拝聴したいと思います」という。いえいえ、私ごときはあれなんですけどね。はい、ということで、アスガー・ファルハディの『セールスマン』。私もまさにBunkamuraル・シネマで2回、見てまいりました。本当ね、公開から結構時間がたっている割に、昼間の回から結構老若男女問わず、かなり入っていましたね。「ああ、アスガー・ファルハディ、人気あるんだ!」っていう風に思いました。まあ、非常に作品の評価が高いというのも大きいでしょうけどね。

まあ、もちろんアスガー・ファルハディ。イランの、いまや完全に世界的にも高く評価されている、有名な監督でございます。ただ、当番組でこの監督作を扱うのはこれがはじめてということで。僕個人としてはですね、2014年に今回の『セールスマン』の前作にあたる『ある過去の行方』という2013年の作品。それの2014年の日本公開の直前に、かの日本大学芸術学部映画学科。日芸映画学科での試写&トークショーというイベントにゲストとして呼んでいただきまして。で、本当に恥ずかしながらなんですけど、その前からそのリスナーメールに、たとえば『別離』をやってほしいとかですね、リクエストメールがいっぱい来ていて。でも、なかなか当たらなかったんですよね。そうこうしているうちにと言うべきか、恥ずかしながら僕、(アスガー・ファルハディの監督作品を)ちゃんと見たことがなくて。そのイベントに呼ばれた時も「アスガー・ファルハディ」ってちゃんと言えなかったぐらいで(笑)。お恥ずかしい限りなんですけども。

そのゲストトークショーに備えて、これまでの監督作とか、脚本で関わった作品など、日本で比較的見やすいものを後追いで全部見たという感じで。本当にそれは、勉強が遅かったんですけど。というタイミングで遅まきながら、「なるほど、ファルハディが世界でこんなに評価が高いのもそりゃそうだ、超面白い!」ということで、すっかりファンになりました。以来、新作を心待ちにしていた次第でございます。ということで、まあその前作『ある過去の行方』、これはフランスで撮った作品なんですね。フランスが舞台で。一応、主人公の男性はイランの方ですけど、基本的にはフランスが舞台。それ以来の久々の作品。というのはこの間、実はファルハディさんね、スペインでペネロペ・クルス主演の企画をずっと進めていたんだけど、一旦それを後回しにして……時間ができたので、久々に母国イランで映画を作る時間ができたということで、今回の『セールスマン』をやったらしいんですけど。

まあ、約3年ぶりの新作ということですね。ちょっと間が空いたと。で、先にシンプルな結論から言ってしまいますと、やっぱりまあ、今回のも面白いです(笑)。めちゃめちゃ面白い。さすがファルハディ、非常に水準が高いです。まあファルハディさんも、前にDVDの特典映像についているインタビューで、観客へのメッセージとして「とにかく、どこの国の誰が作ったどんな映画かといった先入観を持たずに、まずは無心で見てほしい」というようなことを切々と訴えられていたりしていたので……実際に彼の作品、非常にミステリー的な要素も多々あるので、僕もまあ、「ファルハディ、やっぱり面白いです! 見てください! ウォッチしてください!」で締めてしまいたいのはやまやまなんですけど(笑)。

ただですね、僕がファルハディの前作『ある過去の行方』のタイミングで「ああ、面白いな」という風になる前は、やっぱりちょっと、評価が高いのはわかりつつ、地味めな絵面というか、世界中で高く評価されている、いわゆる「ご立派な作品」っていう感じのイメージで……「見たらいいのはわかるんだけど、足が向かない」っていう方、結構まだまだいらっしゃると思いますので。その背中を押す意味で、僕なりのプッシュというか、をさせていただきたいんですけども。

まあ、アスガー・ファルハディ作品。さっきから言っているようにですね、常に高い水準で面白いんですけど。じゃあどういう方向の面白さかというと、ざっくり言って、さっき言ったミステリー要素……ある事件の真相が次第に明らかになっていき、最終的にひとつの決着を見るというような……ミステリー要素を軸とした、まあ「心理サスペンス」ですね。

最初は、本当にありふれた、平穏な日常の描写から入るわけです。だからまあ、ちょっとそれこそ、先ほど(リスナーからのメールに)あったように「前半は一見退屈に思えるような描写」みたいなものが結構多かったりする。で、ファルハディの映画は非常に、演技も演出も、すごく自然主義的、非常に自然なので、本当にそこに生きて暮らしている普通の人々、という感じがするわけですね。まあとはいえ実は、結構常連役者さんとかを――今回の『セールスマン』もそうですけど――常連役者さんを繰り返し使っていたりしていて、意外とだからそれは計算づくなんだけど、とにかく非常に自然主義的にやっている。で、非常に平穏な日常描写から入るんだけど、そこに、劇中では直接的には描かれない――ここが重要なんですけどね――劇中では直接的には描かれない、ある事件。まあ惨劇と呼んで差し支えがないような、人の生死に関わるような重大な事件。それが影を落としてくると。

で、さっきも言ったように、実際に何が起こったか、劇中では直接描かれないので……更には、あえて劇中、直接はついには姿を現さない、でも物語の中心にドスンといる、要するに不在の中心というか、ロラン・バルトばりに「空虚な中心」と言いますか、というような重要な人物がいたりとか、まあそんな感じで。で、我々観客は、要は事件に関わりがある登場人物たちの周辺の発言などから、どうやらこういうことだったらしいということを、類推していくしかないわけです。ただですね、単なる謎解きと違うのは、どの人物の言うことも、それぞれ微妙に不確かだったり、ちょっとした保身から来ると言いますか、それ自体は重大な罪とまでは言えないかもしれないけど……ぐらいの、ちょっとした小ウソを実は含んでいたりして。

故に、たとえばですね、さっきまで非常に、この件に関しては明快にこの人が強気に出ていいんだと、「この人が強者である」という、非常に強気に出ていた人物が、実はそういうちょっとした小ウソをついていることが判明して、「えっ? だったらお前、ダメじゃん!」みたいなことがわかったりして。要はそういう、人物間の善悪とか、あるいはパワーバランスみたいなのが、結構目まぐるしく変わっていくという。さっきまで強気だった人が、「えっ、じゃあこいつ、ダメじゃん」とか、さっきまで一方的な被害者だった人が、「ん? この人は、うん? ちょっと、うん?」みたいな感じがしてきたりとかしてですね。で、まあそういう風にですね、それ自体は重大な罪とまでは言えない、心情的・立場的にまあ人として理解できなくはない、そういう各人の小ウソとか、あるいはちょっとした不誠実さとか、あるいは、たとえば社会慣習に基づく不寛容さであるとか、とにかく、誰にだってある、かすかな後ろ暗さみたいなもの……ある人にちょっとすごく冷たく当たっているとか、冷たい処置をしているとか。

そういうちょっとした後ろ暗さが、さっきから言っている中心にドスンとある重大事件をきっかけに、わりと深刻な、非常に深い傷を、人間関係の中に決定的に残してしまう、という。わけても「夫婦関係」に決定的な傷を残してしまう。ファルハディ作品はそれこそ、キャリア初期の、共同脚本のみを手がけている『フライト・パニック~ペルシア湾上空強行脱出~』という、一見航空パニック物風なんだけど、実際はその飛行機の中でずっと繰り広げられる心理サスペンス、会話劇……そこからもうずっと一貫して、夫婦やカップルがある事件を境に決定的に壊れてしまうという、その様を描く話を、繰り返し繰り返しやっていますよね。まあ、インタビューに答えて曰く、ファルハディさんは「私自身は非常に円満な家庭を築いております」というのを強調していましたけども(笑)。はい。

で、中でもやはり、母国イランを舞台にした作品『彼女が消えた浜辺』、2009年の作品。あと、『別離』という2011年の作品。僕、ファルハディ作品の入り口としてはこの2作がおすすめですけども。はい。と、今回の『セールスマン』みたいなね、母国イランを舞台にした作品だと特に、イラン社会ならではの、イスラム教の戒律を背景にした「名誉と恥」の文化。もっとはっきり言っちゃえばですね、ものすごく体面を気にする、一種建前と実際にやっていることというのがはっきりぱっくりと分かれていたりするような……たとえば表面上は「ふしだらな女性が……」みたいなことをよく言う社会なのに、その裏にはちゃんとしっかり、たとえば売春婦がいて、それを利用する男たちがいて……みたいな、そういう非常に体面を気にする、建前的な文化であると。そういう意味で、日本社会はむしろ直接的に通じるところが多いとも言えるなと思いながら見ていますけどね。日本だって体面を気にするという、「恥」の文化ですからね。はい。

そういう名誉と恥を重んじる文化が故にですね、さっき言ったような、誰もが密かに抱えている後ろ暗さが、よりこじれた事態を生み出しやすいという。つまり、心理サスペンスとして、より重くなりやすい。まあ要は作品としては、広い意味で「面白く」なりやすいっていうことですね。特にやっぱり、女性に対して、まあ一種超保守的というか、抑圧的なというか、そういう文化圏という側面が非常に大きい要素としてあって。で、それと表裏一体としてのマチズモ。男はやたらとやっぱり「男らしさ」にとらわれている、というような部分。そしてこの、「男らしさ」にとらわれているというこそが、ファルハディ映画においてはいちばん致命的な傷の元になる、というあたり。これも一貫しているなという風に思います。なので暗に、やっぱりそういう社会みたいなものを、批評的に見ているところがあるんですよね。

また、直接的にセリフでそういうことが語られたりはしないんだけど、主人公たちとその重大事件を通して関わることになる人々との、社会階層の微妙な違い、っていうのが毎回ある。今回の『セールスマン』という作品で言えば、主人公夫婦が、裕福では全くないんだけど、間違いなくインテリではある中流の夫婦なのに対して、後半に登場するまた別のある家族。あるいは、さっきから言っている、物語の中心にドスンといるはずなのに、劇中にはついに姿を現さない、あるもうひとつの家族……誰からも顧みられれることが結果ない、ある家族がいるんだけど。それは明らかに主人公たちより、明白に貧困層であると思われたりする。で、そういう風に重大事件の当事者同士が、本来異なる社会階層に属しているが故の、微妙な緊張感の高まりであるとかですね。

さらに言えば、そこにたとえば、まあ大人たちがそうやってモメているところに、子供だとか、今回の『セールスマン』で言えば学生たちであるとか、若者であるとか、そういう世代が違う第三者の目線がフッと刺さってくるというか。世代が違う第三者に……その大人たちのある意味、その後ろ暗さの累積を抱えたしょうもない右往左往みたいなのが、彼らの視点にさらされるということで、よりその痛々しさ、醜さみたいなものが増す、ということだと思いますね。ちなみにファルハディさんはですね、子役使いが毎回、もう信じられないぐらい上手い、っていうのも特徴でございます。本当に是枝裕和かファルハディ監督かという勢いだと思いますね。実際にちょっと、是枝さんと資質的に……ファルハディに匹敵する日本の作家は?って考えると、是枝さんかな、っていう感じがしますよね。ちょっと近しいところもあると思いますけどね。

ということで、事程左様にですね、こんな風に、様々なレイヤーから非常に重層的に、しかもその一つひとつはごくさり気なく自然に、少しずつ登場人物と観客への心理的圧力を増していく、という。いわゆる「気まずエンターテイメント」ですね(笑)。「気まず~い。気まず~い……さっきよりさらに気まず~い。そこでそれ、言う? 気まずい! しかも、言った人、悪気なし!」とかね。こういうのを楽しむエンターテイメントでございます。で、そのクライマックスでついに、その心理的圧力がある閾値を超えて、ひとつの決着を迎える。決着というのは、要は事件がひとまず解決はするんだけど、人間関係的には取り返しがつかないほどの状況にすでになってしまっている、という意味では、決着はつくけど、カタストロフでもあるというね、そういうような結末がつくんですけども。

で、それを終始、さっきから言っているように自然主義的な演出、演技、撮影、編集で見せる。極めて自然にリアルに語っている。故に、そのさっき言った「気まずエンターテイメント」が……本当に目の前で、現実の人たちがそういう気まずい目にあっているようないたたまれなさを感じる、という。しかも、なんか本当にドキュメンタリックなというか、そこで起こっていることをそのまま撮っているだけに見えるけど、全体を見終わると、実はものすごく周到に構成されている。この出来事とこの出来事がちゃんと呼応しているじゃないか。このセリフがこれをちゃんと暗示しているじゃないか、みたいなことが浮かび上がってくる。後から振り返って、非常によくできていたことがわかる、というのがファルハディ作品でございます。

つまりですね、お話としての規模はものすごく小さいです。バジェットとかも本当に小さいです。つつましやかなレベルなのに、感情の揺り動かされ度は半端なくて。言ってみれば、人間心理のグラングランっぷりこそが、何にも勝るスペクタクルであるという、そういうダイナミックな「面白さ」のある映画を作る人、それがファルハディさんということですね。ということで、まあ彼の代表作はどれも、いま僕が話してきたような構造・特徴を共通して持っているということが言えると思うんですけど。今回の最新作『セールスマン』はそこに加えてちょっと……その枠内なんだけど、これまでにない、ちょっとした試みもいくつかしているな、という風に思います。

順を追っていきますけども、まずはド頭ね。暗がりの中から断片的に、ある物や場所の一部が浮かび上がっては消えるという。まあ、今回で言えば、舞台装置がふっと浮かび上がっては消えるという、ド頭のがありますよね? これ、ほぼ毎回、『彼女が消えた浜辺』も、『別離』も、そして今回の『セールスマン』も、共通する始まり方なんです。ふっ浮かび上がってふぅっと消える。言ってみれば、断片的に真実っぽいものが浮かび上がってくるという、ファルハディ映画全体の構造を事前に予告するかのような、トレードマーク的なオープニングだと思うんですけどね。

で、それが今回の『セールスマン』では、劇中劇として非常に重要な役割を果たす、アーサー・ミラーの非常に有名な戯曲『セールスマンの死』の舞台装置だということなんですけど。この劇中劇がメインストーリーの合わせ鏡として機能する、という作り。これがまず、これまでのファルハディ作品にはない……というか、「ない」というよりは、これまでのファルハディ作品以上に、さらにレイヤーが重層的になるという、そういう作りをもたらしているんですね。

たとえばですね、これかなり序盤。まあ主人公夫婦の夫側。国語教師のエマッドさんという方がイランの……これは日本にはないやつですね。乗り合いタクシー。知らない人同士がタクシーに肩寄せあって乗っかっていると、見知らぬ女性に半分痴漢呼ばわりみたいなことをされて、非常に気まずい思いをする。で、その気まずい思いをして……しかもそこに、生徒、自分の教え子も乗っているという、非常に気まずい状況の中、「気まずいな」と思っているところに、劇中劇『セールスマンの死』の、ミス・フォーサイスという役柄の「アハハハ」というあざ笑うかのような笑い声が、編集でちょっと一瞬かぶるようになっている。

このね、編集で次の場面、次のショットの音が、ちょっと一瞬かぶるようにすることで、非常に効果的な、SE的なとか、BGM的な効果をあげるという、これはファルハディ作品十八番の編集なんですけど。まあ、笑い声がかぶってくる。で、そこからの一連の場面で、要は、イランにおいてその女性というものの扱いが、特にやっぱり我々日本の観客の側からすると非常に保守的、抑圧的なんだなということ、あるいは、表現に対する規制・検閲がいまも厳しいんだなという、現行のイランの事情(がわかるようになっている)。と同時にですね、「娼婦役だからってバカにしないで!」という子連れの女優さんというのが……劇中、さっきから何度も言っていますけども、登場しないにもかかわらず、いや、しないからこそ非常に大きな存在感を残す、ある母子の存在と、後になって響き合う、というあたりであるとかですね。

もちろん、その劇中劇『セールスマンの死』で、セールスマンの初老の男とその妻が、主人公夫婦の関係および、もうひとつの家族のあり方のメタファーになっていたり、も含め、とにかくアーサー・ミラーの『セールスマンの死』を演じる主人公たちというのが、ストーリーとさりげなく……でも、単純に呼応しているわけじゃない。僕ね、先ほどのメールに一応僕なりの「こうなんじゃないのかな?」って思うのを言うならば、あんまりアーサー・ミラーの『セールスマンの死』そのものと(直接的かつ単純に)対応させたくはなかったんじゃないかな、というか。そこの対応のさせ方にも幅を持たせたいという……見る側に考える余地を持たせたかったから、あんまりそこの説明をしないままにしたんじゃないかな?って思うんですが。

とにかく、この映画側のストーリーと、さりげなく、複雑に、舞台上の『セールスマンの死』のストーリー……というよりも、「そこで演じられている場面」が(※宇多丸補足:それが登場人物たちによって“演じられている”という構造込みで)共鳴し合う、というのが、今回の作品の特徴だと思いますね。はい。ちょっと話を戻しますと、さっき言ったド頭。その明滅する明かりの中、舞台装置が断片的に見えるという、さっきから言っているようにファルハディのトレードマーク的なオープニングに続いて、タイトルが出るまでの数分間。いわゆるアバンタイトルシーンがあるんですけど。ここがですね、ファルハディ監督作には珍しく、わりと「画的に派手」なつかみになっています。と言っても、「ファルハディ作品にしては」っていうことですけど……非常に画的に派手な見せ場になっている。

なにしろ、ワンカットなんですよ。あんまり「あ、ここワンカットで撮っている」みたいな、そういうカメラワーク的なところに意識がいかないのがファルハディ作品の特徴だったんですけども、今回はいきなり「あっ、ワンカットだ」って(わかりやすく撮影テクニックを駆使してみせている)。まずは、何が何だかわからない状況の中、「危ないからこの建物から出ろ!」みたいな叫び声で、階段をゾロゾロと逃げていくアパートの住人たちがいて、そこからの、近所の人の家の、身動きができない病人を背負って救出するエマッドさん。このエマッドさんを演じている俳優さんはファルハディ作品の常連のシャハブ・ホセイニさん。『別離』ではすごく粗野な男を演じていて、本当に今回は全然違う役ですごいなと思いますけども。とにかく、エマッドさんが病人を背負って救出をするという。

これ、作品を見終えた時点から振り返れば、これは彼がラストに取る行動とまさに正反対。完全に対称をなす行動。しかも、場所も同じですからね。はい。一種の円環構造だったんだということが終わってからわかるわけですけど、さっきから言っているように、ファルハディ一流のリアルで自然なアプローチによって、それが作家によって「設計」された場面だとは、やっぱり見ている間は意識しない、というような作りになっていますけどね。とにかくまあ、そのアパートから、何が何やらの脱出劇をするという。で、それをワンカットで見せた後、窓にカメラが寄っていって、外で何が起こっているか、覗いてみると……マジか!?っていう(笑)。ここまでをワンカットで見せて、タイトル。これ、要は急激な時代変化によって、根本から、文字通り「ヒビが入りつつあるイランのイエ制度」っていうのを、まさにこれ以上無いほど即物的に映し出す。

と同時に、先ほどちょっと触れたように、ラストのある展開。そこに至るまでに、主人公エマッドが、いかに180度違う人間になってしまうか?っていうのと呼応する、ファルハディ作品にしてはかなりド派手なつかみ。であると同時にやはり、恐ろしく周到な作品設計がなされているんだな、ということがわかる。非常に名オープニングシーンじゃないでしょうかね。で、そこから始まる、お話でいう一幕目。まだまだ、少なくとも表面上は平穏だった頃の主人公夫婦たちの日常の描写があるわけですけど。非常に淡々としています。淡々としているんですけども、その中にも少しずつ、後に大きなこじれの元となる、ちょっとした、さっきから言っている不誠実さ、不寛容さ、小ウソなどの、それ自体は些細かもしれない、だけどそれがさりげなく折り重なっていくという……よーく注意して考えて見ていくといいんじゃないかと思いますね。

そしてですね、ほぼ30分目。二幕目の始まりに、ある非常に悲惨な、本当に嫌な気持ちにさせられる事件が起こります。その直前ね、鍵が開かれ、フワーッと開いていくドアをとらえたショットの、なんと不吉なことか、ということですけども。残念ながら、世界のどこでも起こりうる、非常に……残念ながら普遍的なこの重大犯罪に、被害者である奥さんのラナと、夫のエマッドが、どう対処していくのか? というあたりなんですけども。特にやっぱり、序盤ではあれほどリベラルで穏やかな人に見えた夫エマッドが、いつしか、その妻への思いという域を超えて、どうしても復讐そのものにとらわれていく。まあ、ある意味だから、マチズモ的な風習に結局彼がとらわれていってしまうというあたり。

これ、でも別にイラン社会じゃなくても、やっぱり僕も「お前、それダメだぞ!」と……奥さんに「お前は黙っていろ!」って言った時点でもうお前は終わり!(とは思うん)だけど、でも、ありがち!っていう。そこまで重大な性犯罪じゃなくても、まあこれは結構あることかも。(被害者の気持ちに)寄り添ってあげられないっていうね、ことだと思いますね。で、まあ犯人にたどり着くプロセスも、前半、ごくごく序盤の、たとえば授業中に交わした、ちょっとした、すごく自然に交わしているように見えた、何の気なしの会話に見えたセリフが、ちゃんと謎解きのプロセスにかかわっていたりとか、非常に周到にできていると。とにかくですね、見ている間、決して価値観が安定してくれない。

今回のあれは、どちらかと言うと起こる事件、起こった事件そのものの善悪はわりとはっきりとしているので、そこを平板と感じる人がおそらくは多いのかなと思うんですけど。それでもやっぱり、倫理的に……要するに、「こうすればよし」という風にはなかなか安心させてくれないことこそが、やっぱりファルハディ作品の真髄だと思います。この(価値観、倫理観が)グラングランの状態をね、楽しんでいただきたいですが。ひとつ言えるのは、やっぱりファルハディは、子供の使い方が絶品! あのメガネの子であるとかね。この子がかわいければかわいいほど、さっきから言っている、ある不在の母子、彼らの境遇が気になってくるという。劇中ではほぼ、彼らはひどい言い方でしか……全く顧みられない存在だし。序盤では、要するに物語の中でいちばんの被害者に見える奥さんのラナも、序盤では、彼女たち親子に対して、非常に積極的に冷淡な態度を取っているという。このあたりもやっぱり、(ファルハディ作品ならではの)バランスですよね。

といったあたりね、三幕目についにたどり着いて、その真相の意外さ、なんて話はここではできませんので……と、いうことでございます。まあ、いくらでも考えることはできる厚みもありつつ、でもこれは決して「難しい」映画じゃなくて、「普通に誰が見ても面白い」というところも担保されているということで、本当に名人芸だと思います。非常に水準が高いと思いますので、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。ファルハディ作品、やっぱり面白いですよ。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『パワーレンジャー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
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