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ハードルしながらジャグリング?? 為末大さん

コシノジュンコ MASACA

2017年7月30日(日)放送

ゲスト:為末 大さん(part 1)
1978年広島県生まれ。2001年世界陸上エドモントン大会・2005年世界陸上ヘルシンキ大会の男子400mハードルで銅メダルを獲得。オリンピックでは、2000年シドニー・2004年アテネ・2008年北京と、3大会連続で出場。400mハードルの日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーターとして活動しています。

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JK:為末さんとは実は、ロンドンオリンピックのときにお会いしましたよね。あの時の思い出はいっぱいあるんですけれども。

為末:あれは震災関連でしたよね。震災でご支援いただいてありがとう、と言う・・・

JK:そうそう、「ありがとうinロンドン」という。ロンドンの皆さんへのお礼のイベントでしたね。

出水:当時為末さんは現役を終えられたばかりでしたよね。どのような気持ちでロンドンオリンピックに行かれたんですか?

為末:そうですね、ちょうど1か月、2か月後ぐらい。でも、初めて選手としてではなく行ったので、実際に会場に行ってみて、観客はこんな風に入っていくんだなとか面白かったですけれど。一方で複雑な心境もあって、あのスタートラインにもしかしたら立っていたかもしれないな、という思いもありながら。でもリオのときにはそういう気持ちも全く消えていたんで、4年間で選手の気持ちがすぅっと収まったという感じはあります。

JK:やっぱり第一線で活躍していて、引退後その現場に行くと、ムラムラ~ッとくるでしょ? 身体にしみこんでると思うの。

為末:そうですね、ムラムラ~ッと(笑)

JK:オリンピックは3回出てるんでしょ。それも日本の一番の記録を持っている方ですものね。素晴らしい。

為末:いちおう国際陸連のwebサイトだと、世界で一番背が小さいメダリスト、ということです。

JK:ってことは、跳ぶ勢いがすごいんですね?

為末:そうですね、やっぱり背が小さいと、ふつうに跨ぐとハードルに当たっちゃうんです。180cmぐらいだとふつうに跨げるんですね。脚の長さが91.4cm以上になるので。僕は170cm、だから背伸びしてもちょっと届かない。そうするとやっぱりジャンプするっていう感じになるので、僕にとってハードルはジャンプを10回連続でやる、っていう競技です。

JK:ハードルが高い、っていうけど、まさにそれですね(笑)ハードルがいいなと思った理由はなんですか?

為末:もともと短距離をやっていたんです。けっこう長く、18歳までやっていたんですけれど、初めて世界陸上に出た時に海外の選手と競争して、彼らすっごく速かったんですよ! ジャマイカの選手にすっごい勢いで抜かれて。でも、彼らはハードルは苦手そうだったんです。それでこういう複雑なものに引き込まれていって、ハードルなら戦えるかな、と思って、18の時に移りました。

JK:穴場ですね。でもジャンプ力ってすごいですね。

為末:ハードル間の距離は35mあるんですが、その間の歩数が選手によって違っていて、僕は13歩。選手によっては12歩、14歩と言う人もいます。13回も走っていると、当然人間ですから、1回につき1~2cmズレがあって、ジャンプする位置がズレちゃったりするんですよ。だから走りながら計算して、いつも同じ場所に足を置ける選手がハードルに向いている。もともと体操もやっていたんですけど、器用な人間がやるとうまくいくようです。

出水:自分が器用かも、と気づいたのはいつごろですか?

為末:器用・・・なんだろうなぁ。工夫もありますしね。どーんと大きな力を出すのは敵わないですけど、たとえば調整しながらやることとか、ボールを投げるとか、フリスビーを投げてキャッチするとか・・・何かをやりながら他のことをする、というのは日本人ってすごく上手なんですよね。自転車をやりながらジャグリングするとか(笑)

JK:じゃあ今度は、ハードル跳びながらジャグリング!

出水:それ、新しすぎます!

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出水:東京オリンピック・パラリンピックの開催まであと3年となりました! 為末さんは新国立競技場の第三者委員会に出席されていますが、あらためてオリンピックに向けてどのような気持ちですか?

為末:僕はどっちかっていうとパラリンピックの支援をすることが多いんですけど、選手たちもね、卓球でこんな選手が出てきたとか、陸上のサニブラウン選手とか、みんな東京が決まってから全然モチベーションが違うと思うんです。そういう意味で選手は間違いなく活躍すると思います。あとは大会自体がどのように成功するか。

JK:パラリンピックは1964年、日本の時から始まっているんですよね。だから、今回はもっと成功させるための知恵と努力と研究をしなくちゃいけないと思うんですよ。だってみなさんスターですから。

為末:そうですね。パラリンピックはだいたいどの競技でもみんな器具を使うんですね。車椅子バスケットでは、点を入れると得点したチームの車椅子がピカピカ光るんですよ。床のほうが反応したりとか。つまり最新技術を導入しやすいんですよね。当然コートの下にも技術を入れようと思えば入れられるし。全体的に演出すれば、見た目的にはオリンピックそのものよりも面白いかもしれない。

JK:そうかも! 楽しみですね!私もパラリンピック応援してます。だから演出を伴って、大スターに仕立てたいな、って。だって車椅子って、街で不自由だと思うんですよ。パリンピックの選手は研究してるから、一般の人はパラリアンに憧れるでしょ? あんな風にしたいなって。

為末:ほとんどのパラリンピックの選手は、先輩の本とか映像をみて、自分もやってみようと思って始めている。つながってるんですよね。そういう意味では街のデザインも変わるんだろうなと思うし、変わってほしいなと思います。

JK:変わらないと意味がないと思うんですよ。街でみんなと一緒になって楽しむ、というのが私の目的ですね。オリンピックでの勝ち負けではなく、その後に続くレガシーというか。東京はこう変わったよ、という。

為末:それは僕もいつも思うことなんですけれど、どんな風に変わるのか?というのが一番議論して決めなきゃいけないことだと思うんです。だから、2020年がみんなの機会になるといいですね。スポーツは意識を変える力があると思うので、これをきっかけにみんなが意識を変わるといいなと思います。

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出水:いまどうでしょう、3年前になりましたが、人々のパラリンピックに対する気持ちってどのぐらい感じます?

為末:それは凄く変わったと思いますよ。実際に耳にするようになったし。こういう番組ゲストで呼ばれる機会も増えた、と選手も言っていますし。たとえば、ボールペンのデザイナーが手が不自由な人と会うと、「なるほど、ボールペンの形をどう変えたら彼らにも使いやすいかな?」と考えるきっかけになるじゃないですか。

JK:すごくメカニックですよね、器具にしても機会にしても。だから日本は得意だと思います。

為末:選手たちとも、アトムのように、自分の身体のパーツをいろいろ組み合わせたりできないか、とよく話をするんですよね。僕らが一緒にいるのは膝下を切断した選手が多いんですが、義足を作っていくときに、義足のところにこんな器具を入れられないかと話したり。日本人ってもともと人型ロボットに興味があったから、そういうのは得意なんじゃないかなと思います。

JK:私、パラリンピックの会場を満杯にしたいと思って。みんなが温かく応援するような。オリンピックとの間に2週間あるんですよ。その間にみんなに興味を持ってもらえるようなことをしたらいいなと思って。

為末:ロンドンの時も思ったんですが、オリンピックもパラリンピックも、競技といっしょに文化イベントというんですかね、そういうのがセットなんですよね。

JK:そういう文化イベントが、大小合わせて4万件ぐらいあるそうです。日本はしょっちゅう文化イベントやってるから、これから新しくやるのか、その辺の区別がよくわからない。開催の1年前ぐらいからフェスティバルっていうのが始まるんですけど、企画を出して手を上げれば、参加できるかもしれないですよ。

為末:あ、もう今からやっているんですね!

出水:何かひらめきました? 目が光りましたね(笑)2020年に向けて、為末さんが考えるキーワードがあるとすれば??

為末:キーワード・・・そうですね、なんだろうな。いまはやっぱり「寛容な社会」。なんとなく世界中でいろんな現象が起きているじゃないですか。でも寛容っていう方向からは閉じる方向に行っているような気がするんです。だから、障害を持っている人が活躍できるんですよ、っていうだけじゃなく、パラリンピアンから「社会のありようってこんな感じだよね」という、ハッと気づかせるようなメッセージが伝わるといいなと思います。僕はどっちかっていうと、きっちりしているよりユルいほうが好きなので(笑)寛容な空気というのはいいなと思っています。

=OA楽曲=
M1.  Hello Dolly! / Louis Armstrong

M1.  A Summer Song / Chad & Jeremy