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【映画評書き起こし】宇多丸、『エイリアン:コヴェナント』を語る!(2017.9.23放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が──って、このくだりも冷静に考えるとなんだかよくわからない(笑)。もう元ネタがね、古いから。一応『ウォッチメン』なんですけど、さらに「オジマンディアス」という(『ウォッチメン』のネーミングの由来となった)元の話、今日、ちょっとしますけどもね──というシネマンディアス宇多丸が、毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『エイリアン:コヴェナント』


(曲が流れる)

SFスリラーの金字塔『エイリアン』の前日譚を描いた『プロメテウス』の続編。新たな主人公となる女性ダニエルズを『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』で注目されたキャサリン・ウォーターストンが演じるほか、『プロメテウス』でアンドロイドのデヴィッド役を演じたマイケル・ファスベンダーが続投。人類を乗せた宇宙船コヴェナント号がたどり着いた未知の惑星での恐怖を描く。監督は『プロメテウス』に続き、シリーズの生みの親であるリドリー・スコット監督ということでございます。さあ、ということでこの『エイリアン:コヴェナント』をご覧になったみなさん、R-15指定のハードルを乗り越えて見に行ったリスナーのみなさん(※宇多丸註:この日の番組オープニングトークで触れたリスナーからのメールにちなんでいます)、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

メールの量は、多め。そうですか。ありがとうございます。賛否の比率で言うと「賛」が半分。「普通」と否定的意見が足して半分。つまり、賛否両論ということでございます。主な褒める意見としては「『プロメテウス』に続き、今回もよかった」「リドリー・スコット監督の思想が濃縮されていてすごい」「マイケル・ファスベンダー、いい役者。いい男」ウホッ!などの声。一方、「『プロメテウス』に続き、今回もダメだった」(笑)「とにかく地球人のクルーがバカすぎる。あれはダメ」「ストーリーにもホラー演出にも新鮮味がない」といった声も少なくないといったところでございます。

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「マッコルリ」さん。「あれれ、このシーンは? と予想以上に『ブレードランナー』っぽいシーンもあり、冒頭のダビデ(デヴィッド)の命名からもわかるように旧約聖書内の物語をエイリアンをモチーフにしてリドリー色に創造した映画かと。正直『エイリアン1』や『プロメテウス』を見ていない方には意味不明なところや無理やり感も多々あるとは思うけども、リドリー&『エイリアン』ファンとしては全然OK。むしろ、好き。むしろ『エイリアン』がこんな壮大な世界になろうとは……という衝撃の方が大きい。そして、友人とこの映画の解釈を個々で口論するのには最適かと。まずは前作『プロメテウス』と『エイリアン』一作目を見て『コヴェナント』を見て、口論して梯子酒してほしいです」という。「してほしい」ってなんだ? まあ、「したい」みたいなことですかね。


一方、ダメだったという方。「黒田クロ」さん。「『エイリアン:コヴェナント』を見てきました。『プロメテウス』から続く創造主と被創造者の関係、あるいは創造主への反逆の物語としてテーマは一貫しており、おそらく作られるであろう次の作品がいまから非常に楽しみな一作でした。ただ、それはさておいて、コヴェナント号の乗組員のドジっ子へっぽこ軍団ぶりはあまりにひどいです。ロクに操作もせずになんとなくで行き先を変え、まるで中南米に行くかのような軽装で異星に降りる。『ファイナル・デスティネーション』と出る映画を間違えてないか? というようなドタバタぶりで爆発まで起こす」。

ねえ。滑って転んでね。ステーン! とかやってましたからね。しかも2回連続でやっていたからね(笑)。「……コヴェナント号もちょっと揺れたら移民のカプセルがぶつかって火花を出すわ、地上への着陸艇がどう見ても1機しかなくて、予備すら積んでないのかとか、コヴェナント号の設計者、ちょっと出てこい!と言いたくなるひどさです。また、エイリアンに殺される人たちも半ば義務感的なノリで殺されており、やりたいテーマに対して登場人物の頭の悪さが思いっきり足を引っ張っている印象です。残念ながら、トータルの印象ではあまりよくない作品だったと思わざるをえないです」っていうね。テーマまでね、「じゃあ、やっぱ人間、ダメじゃん!」みたいなね、ことかもしれませんけどね(笑)。

はい。ということでみなさん、メールありがとうございました。『エイリアン:コヴェナント』、私もTOHOシネマズ六本木ヒルズ、そしてT・ジョイPRINCE品川で2回見てまいりました。ただまあ、正直どちらもちょっと入りは寂しかったかなという印象ですかね。世界的に、興行的にもちょっと苦戦気味、という風に聞いております。興行成績師・ミノワダくん曰くね。はい。うなずいております。まあ、このコーナーでは結局、当時はまだサイコロかな? シネマハスラー時代かわかりませんけど、2012年『プロメテウス』は、サイコロが当たりませんでしたけど、リドリー・スコット自らが満を持して手がけた、『エイリアン』、1979年、言わずと知れたSFホラー映画の金字塔の、前日譚。

まあ『エイリアン』についてどうこうはもう、ここでは説明しきれないですけど……あえて言えば、このコーナーで2014年6月21日にやりました『ホドロフスキーのDUNE』。ホドロフスキーが『デューン/砂の惑星』を映画化する予定だったが……という、あのドキュメンタリーをやりましたけども。あの『ホドロフスキーのDUNE』の、遠い末裔ですね。ダン・オバノン、H・R・ギーガー、このへんのメンツは、最初は『デューン』のために集められて、それが頓挫してからの、『エイリアン』に流れていったというのがあるので。まあ、今回の『エイリアン:コヴェナント』もある意味、『ホドロフスキーのDUNE』の遠い末裔である、ということは言えるんじゃないでしょうかね。はい。


詳しくは、いろいろ調べて、私の(『ホドロフスキーのDUNE』)評とか聞いてください。で、その『エイリアン』の前日譚、的なもの……前日譚とはまだちょっと言いきれない、「前日譚、的なもの」であった『プロメテウス』。その直接的な続編にして、その『プロメテウス』から始まる新『エイリアン』シリーズ……「あと2つ脚本がある」なんてことをリドリー・スコットは言っていますけども。『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』と、これからまだ続いていくというその『エイリアン』シリーズ。で、最終的には、『エイリアン』一作目の、2124年、ノストロモ号で起こった惨劇につながっていく、というその新しい流れの、二作目という位置づけらしいです。一応ね。

ただ、『プロメテウス』に続き今回の『コヴェナント』、ちょっと興行的、批評的に非常に不評だということを受けて、正直、この続きはつくれないかも、というようなことにもなっているらしい。まあ、現段階ではわかりませんけども……で、最初にまず、これからしばらく話させていただく僕のスタンスをはっきりさせておくと、僕はその前作の『プロメテウス』が、超大好き派!で。これは決して多数派じゃないです。なので、これは言っておきます。だから「『プロメテウス』に引き続きダメだった」という人。それはそうなんです。『プロメテウス』の続きだから。でも、僕は『プロメテウス』超好きなんですね。もちろん、『エイリアン』前日譚を期待して『プロメテウス』を見に行った人が感じたであろう……「似て非なる」感じなんですよ。全然違うならまだしも、「似てるんだけど……スペースジョッキー……じゃないのか?」とか。似て非なるもの、だけに、余計モヤモヤするわ!っていうね。

要は、ある意味最悪の「コレジャナイ」感とかもわかりますし。あと、いろいろとツッコミどころが多すぎな作りだっていうのも、わかります。なんだけど、その上で僕はやっぱり『プロメテウス』、リドリー・スコットという映画監督の作家性、彼が一貫して追求したテーマ性が、最も極端な形で集約された作品だと思っている。Blu-rayのメイキングドキュメンタリーによれば、制作時、映画会社からの要望でどんどん……本当はもうちょっと『エイリアン』の前日譚にするはずだったんだけど、「エンジニア」の役割が大きくなっていった。で、エイリアンはあくまでも道具立てというか、わりと脇っちょに行っちゃったというね。ただ、リドリー・スコット自身も「いや、いまさら『エイリアン』っていうのもな……」っていうのが、結構あったんだとは思うんですけどね。

それぐらい、リドリー・スコットの一貫した作家性がここに集約されている。非常に悪趣味で意地悪な、SFダークコメディ……僕、『プロメテウス』はコメディだと思っています。SFダークコメディ、意地悪・悪趣味コメディだと思っています。絶対に嫌いになれない。ぶっちゃけ、年に何度か見直している勢いです。見直しているし、年に何度かは「エンジニア」のことに思いを馳せます(笑)。というぐらい、非常に好きな……なかなかでも、これは多数派とは言いがたい、賛同を得づらいタイプの観客である、ということは一応言っておきたいと思います。

まあ、一言でいえば『プロメテウス』は、こういうことですね。「神はクソ野郎だった!」っていう話。「人類の創造主が実は高度に進化した宇宙人だった」っていうのは、SFではよくある発想ではありますけど、ただ『プロメテウス』は、ここなんですよね……「でもさ、なんで人類の創造主だからって、“神のごとき”立派な存在、っていうことになるわけ? っていうかそもそも、話の通じる相手っていう保証も、なくない?」っていう、本当に身も蓋もないちゃぶ台返しをしてみせていて、非常に痛快っていうね。で、それはまさにですね、僕が2013年11月30日にやりましたリドリー・スコット『悪の法則』評……僕、ちなみにこの『悪の法則』の自分の評が、自分のいままでの評の中で、たぶんいちばんいいと思っています。

そこで言ったリドリー・スコット作品の共通テーマ、「一度動き出したらもう止めることができない機械的システム」「登場人物たちはそれを巡ってジタバタするけど、実はそのシステムが動き出したきっかけははるか手前にあって、もう始まった瞬間から避けようがなかった」「つまり、最初から実は“詰んで”いたんだ」っていう、こういう話。それの、ある意味究極ですよね。「人類って言うけど、最初から人類っていうのは、こういうことだったんだ」っていう風に、「最初から詰んでいる」話。まあ、あまりにも身も蓋もなさすぎて、痛快な一作でございました。あとはまあ、中盤に出てくる、ある「セルフ手術」シーンというね。本当に、世にも悪趣味な最悪展開が用意されてます……僕、これは褒めていますけど。本当に、最悪です!(笑)

あと、その人類の創造主たる「エンジニア」たちの造形が、なんて言うのかな? 「彫刻のような」なんて言うけどね、「ギリシャ彫刻のような」なんて言う時の感じとか、あるいは、今回もちょっと出てきますけど、ミケランジェロのダビデ像とか、あとはダ・ヴィンチのいろんなスケッチを参考にしたとか言ってますけど……要はとにかく、西洋文明における、理想化された、「イデア」化された肉体、存在感っていうのを、エンジニアっていうのはあえてモチーフにしているわけです。つまり、ずっと人類が仰ぎ見てきた存在っぽく……特に西洋文明がモチーフにしてきたような存在、なのに……っていうところで、これは言わば、西洋知識人にとっての『家畜人ヤプー』的悪夢、っていうことですよね。

「俺たちの文明のルーツはこれなのに……ええっ? そういう真相!?」みたいな。まさに『家畜人ヤプー』みたいな。「俺たちの歴史の真相って、それ?」みたいな。そういう超意地悪な……ある意味、逃げ場がない、というね。それも非常に素晴らしいし、ですね。ということで、そういう私、『プロメテウス』最高!派の人が言うことなんだと思って、ここから先、『エイリアン:コヴェナント』評を聞いていただきたいんですけども。ともあれ、それだけリドリー・スコット的テーマの、ある意味究極形でもあった『プロメテウス』。だけに、明らかにリドリー・スコット的には、やっぱりそこをもうちょっと掘り下げたかったのでしょう。

あと、さっきもちょろっと言いましたけど、やっぱりエイリアンというので怖がらせるのは無理だと(リドリー・スコット的には判断したんじゃないか)。1979年と同じようには……だってもう、姿形が、いまは全身見えちゃっているわけ。一作目の時は、全体は見えなかったんですよね。なんだけど、もういまはすっかりアイコン化しちゃって、もう怖がらせるのは難しいな、っていうのもあったと思うので。だからより『プロメテウス』の方向を掘り下げる、より純『プロメテウス』続編的な、要は人類の起源。人類の創造主たるエンジニアと人類の起源、その関係の続きを描く……これ、もともとのタイトルは『Paradise Lost』っていうタイトルで、企画はずっと進んでいたということですね。

「Paradise Lost(失楽園)」といえば、今回の『コヴェナント』後半でも、こんなセリフが出てくる。「天国の僕として生きるか、地獄の支配者となるか」。これ、ずばり、ミルトンの『失楽園』を踏まえたセリフが出てくるわけですね。つまり、それを言うあるキャラクターが、今回の堕天使ルシファーなわけですけども。とにかく、もっと『プロメテウス』のエンジニア、巨人族と、人類の起源にまつわる話になっていくはずだったらしい『Paradise Lost』という企画が、今度は逆に、『プロメテウス』があまりにも不評だったことを受けて、「いや、これはやべーぞ。エイリアンを出さなかったらみんな超ブーブー言ってる。やべえ、やべえ!」って(笑)、もっとエイリアン色を強くしなければならない、ってなって……。

なので、『プロメテウス』とは逆のプロセスね。『プロメテウス』は『エイリアン』の前日譚をつくろうとして、どんどんそこが薄くなったんだけど、今度はそうじゃない話をやろうとして、どんどん『エイリアン』の話が濃くなっていった。ということで、『プロメテウス』から続く、さっきのメールにもあった通り、ある生命の創造主と、それで創られた側の生命。つまり、神と人、人とアンドロイド、そしてアンドロイドとあれの相克関係みたいな……というようなそのメインテーマはそのままにして、より『エイリアン』色を増した。特に、かなりファンサービスを意識したと思える一作目オマージュ。

ねえ。水を吸う鳥のおもちゃとかも含めて、もう一作目オマージュ多めな感じ、いまの『エイリアン:コヴェナント』のバランスに落ち着いた。まあ、だから折衷案ですよね、今回の『コヴェナント』はね。なので非常に、折衷だと思って見るとわかりやすいです……まず今回の『コヴェナント』、ド頭のアバンタイトルの数分で、「今回はだいたいこんな話ですよ」という、さっきから言っているリドリー・スコットが本当は追求したかった『プロメテウス』からの続きテーマ、ストーリーっていうのが、一通り暗示されます。はっきり言って、いちばん最初のこのシーンを見るだけで、だいたいもうストーリー、どうなっていくかのオチ……実は最初にものすごいネタバレをしている(笑)というようなオープニングシーンだと思います。

と、それを前提にここの解説をするということは、イコール、これから若干のネタバレを含む、ということをご覚悟ください。すいません! とにかく、『プロメテウス』に出てきた、ウェイランド社の創業者ピーター・ウェイランド。これ、ガイ・ピアースが、『プロメテウス』では100才超えの年齢なので、メイクで演じてましたけども。今回はちょっと、中年期になっている。つまり、時代が『プロメテウス』よりは前なんだ、っていうところで始まる。すると、その創業者ピーター・ウェイランドが、マイケル・ファスベンダーが引き続き演じるアンドロイドのデヴィッドを、ちょうど起動した瞬間……つまり、デヴィッドが意識を得た、命を得たというか、その瞬間から始まるわけですね。まず、この最初の最初のカットですよね。デヴィッドの瞳のクローズアップから始まる。

これ、リドリー・スコットの映画を見ているっていう意識で見ていれば、どうしたってこれは、『ブレードランナー』を連想しますよね。『ブレードランナー』のド頭の、レプリカントの瞳のドアップを、絶対に連想させる。念のため、改めて言っておけば、まさに『ブレードランナー』っていうのは、自分を創造した創造主に、創造された側の存在が、自らが創られた意味、そして寿命、そういうのを問いただしに行くけども……という、そういう話ですよね。で、実際に今回の『コヴェナント』でも、『ブレードランナー』をほとんど直接的に引用した場面やセリフが、ちょいちょいあるわけです。たとえば後半。終盤ね。戦っている最中に、「That’s the sprit!(その意気だ!)」っていう。これ、『ブレードランナー』を見ていればわかりますよね。

あと、相手に優しくキスしてからの……とか。ちょいちょい『ブレードランナー』オマージュがあるというね。で、そもそもリドリー・スコットは、どうやら『エイリアン』、そして『プロメテウス』、今回の『コヴェナント』と、実は『ブレードランナー』と同じ世界観、同じユニバースの中に位置づけている、という(風に判断できる)ようなディテールも、ちょいちょいあるわけです。(『ブレードランナー』に出てくる)タイレル社が、実はこの(『エイリアン』シリーズの)世界の中にはあるっぽい、みたいなことですね。さらにその、リドリー・スコット・ユニバースっていうか、リドリー・スコットの他の作品との関連で言うならば、劇中で、そのデヴィッドがですね、諳んじる「オジマンディアス」に関する詩……これ、彼が「バイロンだ、バイロンだ」って言ってると、「それ、シェリーだから。パーシー・シェリーだ」っていう風に、ウォルターから訂正される。

で、そのパーシー・シェリーの奥さんはメアリー・シェリーで、つまり、『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(の作者)……まさにリドリー・スコットが、『ブレードランナー』然り、『プロメテウス』や今回の『コヴェナント』然り、で描いているテーマの、元祖ですね。これを書いた人でもあるという、そんな含みもあったりする。で、とにかくその「オジマンディアス」の詩……オジマンディアスっていうのはこれ、エジプトの王様、ファラオの、ラムセス2世の別名ですよね。で、ラムセス2世というのは、(リドリー・スコット監督作である)『エクソダス:神と王』に出てきた、あのラムセス2世ですよ。そしてその『エクソダス』というのはまさに、「神なき時代において、人類が宗教というものを、いかに理知的に……言っちゃえばいかに捏造したか?」っていう話。宗教っていうものを、ものすごく理知的に解析・解釈してみせた一作でしたよね。

なので、(今回の『コヴェナント』をより深く理解するための)縦軸として『ブレードランナー』『エイリアン』っていうのを置いた時に、横軸として今度は『エクソダス』を置くと、また面白いリドリー・スコット・マップが描けるわけですけども。そんな感じで、リドリー・スコット・ユニバースとの関連がある……とにかく、わざわざこの場面から、「アンドロイドのデヴィッドが意識を持った瞬間」から話を始めているわけです。コヴェナント号から話を始めたっていいのに、デヴィッドの話からわざわざ始めているんですよ。で、なおかつ、そこでデヴィッドという名前の由来……ミケランジェロのダビデ像が置いてあるわけですよ。まあ、あのウェイランドのことですから、下手すりゃ本物が置いてあるのかもしれないですけども。

あの像の、まず大きさ、形、色、諸々からして、明らかにやっぱり、「エンジニア」の遠いこだまとしての西洋文明の結晶だよな、という(風にも思えてくる)ダビデ像があって。そこから、ダビデって……まあ当然ダビデっていうのは、先ほどのメールにもあったように、旧約聖書からのあれですし。神たる創造主とその子の話……たとえば横に、キリスト降誕の絵が貼ってある。で、その神たる創造主とその子たち……キリストを含む……の、「玉座」を巡る話となるであろうことが、(このアバンタイトルで)暗示されている。しかも、その「玉座」にふんぞり返っているウェイランドに、紅茶を注ぐデヴィッドの表情! みなさん、見てください。で、極めつけはそこで、デヴィッドがウェイランドにピアノで弾かされる曲。ワーグナーの『ヴァルハラ城への神々の入場』という、『ラインの黄金』の中の有名な曲。これが演奏されるわけだけど。

この『ラインの黄金』を含む『ニーベルングの指環』という話、最終的には「神々の黄昏」、古き神々が滅びてゆく……で、入れ替わって人間の時代がやってくる、という話なわけですから、ラストでもう1回、この曲が流れると、「ああ、そう言えば最初から『そういう話ですよ』って言ってたわ、この映画」っていう風に思いなおすという。そういう、実は超親切設計のオープニングとなっています(笑)、ということなんですね。ただ、このまんまこの話を続けると『プロメテウス』同様、『エイリアン』ファンから、「おいっ! 『エイリアン』関係ねえじゃねえか!」ってブーイングが来てしまうので(笑)、今回は慌てるように、タイトルの出方、そして音楽からして、どこからどう見ても正編『エイリアン』……タイトルの出方がね、「これはもう、『エイリアン』以外の何物でもない!」っていう(笑)、『エイリアン』(一作目と同じタイトルの)出方をするという。

で、そこから先、メールにあった通りです。例によってというか、ある意味『プロメテウス』のクルー以上に、大変迂闊な判断と行動の重なりにより(笑)……僕もさすがに、はじめて降り立つ惑星に、いくら地球と空気の組成が近いからって、ヘルメットなしでいきなり地上に降り立ってウロウロしだした時は、「おいおいおい……」となりましたけどね(笑)。で、今回はわりとすぐ、いわゆる「目も当てられない事態」にどんどんなっていく、と……でも、このあたりはもう、俺はっきり言って、リドリー・スコットはほぼほぼ、ギャグでやっていると思います(笑)。スッテンコロリンを2回繰り返したりとか、もうこのへんははっきり、「悪意」だと思いますね。悪意が余裕で炸裂しちゃっているあたりだと思いますけどね。

ただですね、あまりにバカすぎて、その「神と人類」っていうテーマ、「これ、人類滅びてもしょうがなくない?」って思えてくる、テーマを台無しにしている、これもわかるんですが……ただやっぱり、本作『コヴェナント』独特の味わいっていうのも、ちゃんとあって。それはなにかっていうと、もともと一作目の『エイリアン』の時点で、リドリー・スコットは「これはお化け屋敷映画だ」っていうような言い方をしていたんですけども。で、毎回そういう要素はあるんだけど……今回は特に、要はまず、中盤から舞台になるところ、あれ、言ってみればいわゆる「古城」なわけですよ。おどろおどろしい古城。で、そこに謎めいた古城の主、城主がいるわけです。孤独に暮らしているわけですね。で、その美しく親切な城主に、誘われるままにそこに滞在することになるが……実は彼は、その閉ざされた城の中で、狂った実験を繰り返すマッドサイエンティストだったのだ!っていう、要はものすごく古典的な、怪奇映画の図式。

特に今回の『コヴェナント』では、古典的怪奇映画の図式が、非常に色濃く打ち出されている、ということだと思います。たとえば、灯りがわざわざロウソク風にうっすらまたたいていたりとか。不気味な実験室、そして不気味な標本。あと、巻物……巻物ですよ?(笑) その数々など、小道具からしてもう、完全にゴシックホラーテイストなわけですよ。非常に耽美的というか、その感じだと思います。まあ、それが今回の色だということですね。で、その古典的ゴシックホラーテイストと、「創造主と、神になろうとする存在」という、さっきから言っている『プロメテウス』流れのリド・スコ的なテーマと、「一作目『エイリアン』前日譚」としての筋、っていうこの三点が、見事に一点に集約される、クライマックス前の、ある恐ろしくも美しいシーンがあるわけです。これ、『プロメテウス』で待たされた分、「ああっ、ついにこのカタチ、キターッ!」というの、あると思いますね。間違いなく、本作の白眉だと思います。非常に名シーンだと思います。

ただまあ、そこから始まるエイリアンとの、はっきり言います、何度も見たような追いかけっこ。要は、しつこく追いかけて来て、なんとかして追い払う。言っちゃえば活劇的なくだり、アクション映画的なくだりは、もちろん工夫も凝らされているし楽しいんですけど、まあここははっきり言って、リド・スコもお約束として撮っている、と思った方がいいと思いますね。さっき言った「折衷」なので。「だってエイリアンを出したら、これをやらなきゃいけないじゃん!」(笑)っていうことだと思うんですよね。でもやっぱり、それよりも味わい深いのは、おそらくリドリー・スコットにとってのメインストーリーである、こういうことですね。「“創造主コンプレックス”を抱えた存在」。これですよ。創造主コンプレックスを抱えた存在。

本作で言えばやっぱりデヴィッド、その物語だということですね。今回ね、マイケル・ファスベンダーは、デヴィッドとウォルターという2つのアンドロイドを演じ分けて……非常にもう、ほとんどマイケル・ファスベンダー・オンステージと化してますが(笑)。特に、本作から遡って『プロメテウス』でのデヴィッドの行動を考えると、なぜ彼が……結構ウェイランドの言うこと、命令を超えて、エイリアン病原体を使ったある人体実験をしちゃってますよね? なんであんなことをしたのか? その動機の一端が、今回、ある意味遡ってわかるというか……要は、アンドロイドは死なない代わりに、自分では生殖できない存在なわけです。つまり、そこが彼にとってのコンプレックス。

そして、ノオミ・ラパス演じるエリザベス・ショウ博士を、実は密かに愛していた、というようなことを言う。それを考えると、今回のヒロインであるキャサリン・ウォーターストン演じるダニエルズに彼が終盤取る「ある言動」を含め、つまりはっきり彼の行動原理には、性的なもの対するコンプレックスがある。「彼女にいったい何をしたの?」「君にこれからすることさ」……はっきりこれ、レイプ犯のセリフですよね。まあもちろんですね、そもそもこの『エイリアン』シリーズは、ギーガーのデザインからして性的なメタファーに満ち満ちた作品なわけですけども。もっと言えば、その性的なメタファーっていうのは、「生命」という、よく考えると薄気味悪い、不気味なシステムのメタファーでもあるわけです。

つまり、こういうことです。『プロメテウス』以降の本シリーズは、「自らの命に意味付けをしたい」という欲望、つまり、生きている意味を知りたい、生まれた意味を知りたい、あるいは創造主に自らなりたい、そして不老不死になりたい、というような、「自分の命に意味付けをしたい」という欲望vs「純粋な命のシステム」。意味なんかない。ただ生きて、生き続けるだけ、という「命のシステム」そのものとしての、エイリアン。この対立項、この対比という。で、当然その「意味付けをしたい」という欲望、虚しい企ての方が、常に虚しい結末を迎えていくという……こういう話に、『プロメテウス』からは読み替えが行われているわけですよ。これ、やっぱり面白いなと思うわけです。

ちなみに、珍しくこの二項対立から自由になった人間のあり方を描いたのが、リドリー・スコットの前作『オデッセイ』なんですよね。「創造主になりたいとか、生きている意味とか、そんな虚しいことを追いかけなくたって、人間は十分、“科学とユーモア”さえあれば、偉大な存在だよ!」っていうことを言っている。ということで、その意味ではラスト。新たな神になりかわったつもり、のあのキャラクター……っていうことは、彼はやっぱり、改めてそのサイクルに入り込んじゃったわけですから。やっぱり終わってないですよね。彼のこの企てが、さらに虚しい企てに終わる、という話をしないと、この話は終わらないんで。だからお願い! リドリー・スコット、この話を続けて!(笑) そして、続けるためにはみなさん、お願い! 『コヴェナント』を見に行って! たしかにクルーはいろいろイライラすることをするけど(笑)、面白いところいっぱいある作品です。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は、2回ガチャを回して(つまり2万円課金して)『アフターマス』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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