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日本の芸能史の生き字引、渡邊美佐さん当時を語る

コシノジュンコ MASACA

201710月1日(日)放送

ゲスト:渡邊 美佐さん(part 2)

渡邊 美佐さん
1928年横浜生まれ。渡辺プロダクショングループ代表。
マナセプロダクション創業者の曲直瀬正雄を父にもち、学生時代よりアルバイトで学生バンドの通訳兼マネージャーを担当。1955年1月にご主人の渡辺晋さんと「渡辺プロダクション」を設立、数々の才能を発掘しました。戦後の日本の音楽産業と文化にもたらした多大な功績を認められ、2012年に藍綬褒章を受章しています。

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出水:美佐さんは兄弟が多かったそうですね。妹さんが4人?

渡邊:はい、7人兄弟の長女です。うちが親戚も含めてみなクリスチャンなもので、横浜時代は学校生活と日曜学校の印象が強いですね。山を下って、教会に行って。

JK:家族みんなでワイワイっていう感じね。だから今でもおうちに人がたくさんいてもへっちゃら、慣れてるのね。私もそういうところあるわ。昔は住み込みだったのよね、お手伝いさんが。

渡邊:お手伝いさんがいたから何の不自由もなく、友達もどんどん呼べた。

JK:たしか、おじいさまが英国系でお母さまがアメリカ系でしょ? エキゾチックよね、美佐さん。

渡邊:ハーフとハーフで、1/8です。

出水:美佐さんの芸能プロダクションのルーツをたどっていくと、ご両親の曲直瀬正雄さんと花子さんが疎開先の宮城県で立ち上げた「オリエンタル芸能社」に行き着きます。これはどんなきっかけですか?

渡邊:私たち、横浜で戦災に遭いましてね。でも親たちに故郷がないから、疎開する先がないのね。それで、長年いたお手伝いさんの実家を訪ねていって、先に子供たちが疎開して。父は仕事は全部ダメになって東京と行ったり来たりしていましたが、父方のおじいさんおばあさんも宮城に移ってくることになって。
ある日2人が北上川を散歩していたら、馬に乗った進駐軍の兵隊さんが道を聞いたらしいの。2人が教えてあげたら、「こんなところに英語をしゃべる日本人がいる」ってびっくりしてね。「うちの嫁のほうがもっと分かる」とか言ったら、ある時仙台のGHQみたいなところから母に呼び出しがきて、通訳をしてほしいって言われたんです。

JK:当時は語学力のある人はそういないからね。道で会ったのが偶然。

渡邊:母の家はみんな英語でしゃべり合って生活している人たちだから。それで母は通訳をすることになって、両親が引っ越したんです。それで私も、このまま田舎にいたら大変だということで、一緒に(笑)

JK:アメリカ人と出会ったことで、アメリカと関係しちゃったのね。

渡邊:父は、日本にも素晴らしいミュージシャンが大勢いる、そういうものを紹介したい、ということで「オリエンタル」という会社を作って、日本のミュージシャンを仙台に連れてきたんです。その当時、進駐軍のクラブがそこらじゅうにあるわけですよ。基地があって、その中にクラブがあった。
「Chiemi + Jazz」(チエミ+ジャズ)
JK:ベースのクラブでみなさん活躍したのよね。江利チエミさんにしても。

渡邊:チエミちゃんはね、仙台に引き取って、曲直瀬の家で寝起きしてたの。

JK:えっ、じゃあ江利チエミさんは仙台から始まったの?

渡邊:そうそう。かえって仙台のほうがいいミュージシャンが来るってね。チエミちゃんが仙台で大変うけてるというのを東京の人たちが聞いて、銀座の「チョコレートショップ」というお店があったんだけど、2階でジャズをやってたのね、そこにチエミちゃんが呼ばれて専属になったの。

JK:へえ~! そこから 本格的に「テネシーワルツ」だのヒットしたわけね。日本の音楽の歴史はジャズから始まったっていうことね。

出水:ジャズといえば、ご主人の渡辺晋さんはジャズバンド「シックスジョーズ」のメンバーで、音楽雑誌で人気投票No.1になるほどだったと聞いています。

渡邊:チョコレートショップのはす向かいに千疋屋があって、その上にまた「ハト」っていうクラブがあって、そこに横浜の「ザンジバル」から呼ばれたシックスジョーズが専属で入ったんです。
渡辺晋とシックス・ジョーズ

JK:ピアノが中村八大さん。サックスが松本英彦さん。一人ひとりがスゴイわね!

渡邊:ドラムスがジョージ川口。

JK:そうなのよ! ジャズを聴いて、あれがアメリカ!という感じがした。戦争に負けても、みんなアメリカに憧れて。

出水:その中に渡辺晋さんもいて、そこから日本の新しい芸能ビジネスが広がったと思うんですが、当時から晋さんとビジネスに関する夢を語ってらっしゃったんですか?

渡邊:そうですね、まずはビジネスを近代的なものにしたいと。原盤制作を確立するのが最初だったの。あのとき、作家は全部レコード会社の専属で、権利は全部レコード会社だったのよ。

JK:レコード会社が丸儲けね(笑)もしあの時そういうことをやってなかったら・・・アメリカはもうすでにきちっとしてたでしょ?

渡邊:もちろん。

JK:そういうところを見習って、1人1人の存在を世界にちゃんと認めてもらいたいっていうことで・・・

渡邊:山ほどお手紙を出して。

JK:カンヌのMIDEM(国際音楽産業見本市)でしょ? あそこから日本人のアーティストが認められたのよね。

渡邊:日本からは伊東ゆかりちゃんが初めて行って。ゆかりちゃんもそうだし、ジュリーもそうだし、みんなステージで実力があった。だからやっぱり通じますよね。

出水:日本国内で活躍するだけでなく、海外に向けて才能を見せつけた、という点で、渡辺プロダクションの功績は大きいですね。それで海外のみなさんも日本を評価してくださったんですものね。

JK:世界の舞台に挑戦して、初めて認められるっていう。もっともっと出ていかなくちゃね。

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JK:美佐さんにとってMASACAって何? 今までの経験で。

渡邊:いっつも剃刀の刃の上を歩くような気持ちでやってきたから・・・その時のいろんな使命に取り組む、それが成功する、ああまさか・・・っていうことの繰り返しですよね。そういうのは大事にしたいもんだなと思います。

JK:晋さんと会ったこともマサカかしら?

渡邊:そうですね! そうじゃなければできなかった。

JK:やっぱり一人じゃなくて、パートナーがいたから。でも、亡くなったの59歳? 最期の時にはマイケル・ジャクソンのお父さんもいたわね。本当にすごい人。海外との関係を橋渡しした人だものね。今日は、あまりにも深い日本の歴史を語ってくださって、本当にありがとうございました!

=OA楽曲=

M1.  家においでよ / 江利チエミ

M2.  Six Joes Rock / 渡邊晋とシックスジョーズ