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おすすめラジオクラウド たまむすび「バッティングセンターがつなぐ親子の絆」

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こんにちは。文字起こし職人のみやーんです。僕が選んだラジオクラウドのおすすめコンテンツを紹介するコーナーの第八回目。
今回は『たまむすび・木曜日』より「バッティングセンターがつなぐ親子の絆」です。ゲストの世界を放浪するライター・カルロス矢吹さんがピエール瀧さん、外山惠理さんと自身が取材した気仙沼バッティングセンターのオーナー、千葉清英さんと長男・瑛太くんのことについて話していました。

現在、日本国内のバッティングセンターは1970年代のブーム期をピークに、年々減少傾向にあるそうです。そんな中、最低でも1億円はかかると言われている費用をかけて2014年3月に新規開業した気仙沼バッティングセンター。そのきっかけは2011年3月11日に起きた東日本大震災でした。もともと東京出身で高校球児だった千葉さんは、結婚を機に奥様の実家の家業・牛乳配送所を継ぎ、3人のお子さんに恵まれます。長男・瑛太くんは小学校に上がり、野球を始めていました。しかし、東日本大震災の津波で、長男以外の7人のご家族(奥様、奥様のご両親、奥様の妹さんとそのお子様)を亡くされてしまいます。

そんな中、牛乳配送所の従業員の方々は無事だったため、千葉さんは牛乳配送所の再開を決断。取引先との取引継続にも成功し、5月1日には仕事を再開させます。さらには、震災復興の講演に招かれて各地を回るなど、千葉さんは精力的に活動をされていました。一方、瑛太くんは震災による影響で所属していた野球チームは自然消滅。学校も転校し、野球に触れる機会が減ってしまっていました。そんな折、千葉さんと瑛太くんはあるバッティングセンターを見つけ、「久しぶりに打ってみるか?」と立ち寄るのでした。以下、カルロス矢吹さんのトークです。

瑛太くんと一緒に行った出張の帰りに、奥州市の前沢バッティングセンターっていうところがあるんですけど、それを見つけて。「ああ、バッティングセンターがあるね。ちょっと久しぶりに打っていこうか」って。で、行ったらもう瑛太くんが一心不乱に1時間ぐらい、延々に汗だくになりながらバットを打っていて。その姿を見た時に、「ああ、これだな」と思ったらしいんです。何もかも忘れて野球に打ち込む子供の姿というのを見て、グッと来たらしいんですね。

で、その前沢バッティングセンターから気仙沼のご自宅まではだいたい片道で1時間半ぐらいかかったんですけど。もう帰りの90分はずっと野球の話。その時に、はじめて家族が亡くなったこととか地震のこととかを2人とも忘れられたらしいんですよ。その野球の話をしている時に。それから、往復で3時間はかかるんですが、毎月1回ぐらいはバッティングセンターに……そこがいちばん近いところだったんで、行こうっていう話をしていたんですけど。

で、そういうのを繰り返していた時に、ある時いきなり瑛太くんが「僕はこうやってお父さんに連れて行ってもらえるから野球ができるけど、友達はみんなできない。野球なんかできる環境じゃない人もいるんだ。ねえ、お父さん。気仙沼にバッティングセンターを作ってよ。そしたら、僕の友達もみんなできるから」って。それでいちばん最初、軽い気持ちで「ああ、いいよ。作ろう、作ろう」って言ったらしいんですよ。ただ、イメージとしてはそんなちゃんとしたバッティングセンターじゃなくて、裏庭にピッチングマシン1台とちょっとしたネットみたいなので……。それで子供たちが代わりばんこに打つぐらいのイメージだったらしいんですよ。

それで本当にやるつもりだったんですけど、やっぱり会社のこともあるので。忙しくて2ヶ月、3ヶ月、なにもせずにたっていたら、ある日瑛太くんが「お父さん、本当にバッティングセンター作るの? 本当にやる気、あるの?」って聞いてきたそうなんですね。その瑛太くんを見た時に、「この約束を守らなかったら、こいつは壊れてしまう」って思ったらしいんですよ。「家族が1人亡くなるだけでも、かなり大変なこと。それが一気に7人も亡くなってしまった。それで最後に1人残った親に約束を守ってもらえなかったら、こいつはどうにかなってしまう。それ以上に、自分自身も後悔してしまう。死ぬ瞬間に、『なんであの時にバッティングセンターを作らなかったんだろう?』って自分自身が後悔してしまう」って思って。「わかった、俺はバッティングセンターを作るよ!」と言って、もうすぐに動き出したんです。

瑛太くんのためにも本気でバッティングセンター建設のために動き出した千葉さん。しかし、バッティングセンターの開業資金はどんなに安く見積もっても1億円。その資金を捻出するため、千葉さんは自身の牛乳配送所で「希望ののむヨーグルト」というオリジナルのヨーグルトドリンクの販売を決意。1本500円のうち、50円をバッティングセンターの建設に充てることを明記し、各地を回りながら飲むヨーグルトを販売していきました。

また、同時に各地のバッティングセンターを巡り、バッティングセンター研究も進めます。さらには、開業コストを下げるため、ネットなどバッティングセンターの機材を安く提供してくれるところを探し、時には気仙沼市から埼玉まで軽トラで機材を取りに行くなどしていたそうです。そして実現したコストダウンにより、銀行からの融資も取り付け、千葉さんはなんとかバッティングセンター建設の目処を立てます。そして2014年3月30日、気仙沼フェニックスバッティングセンターは開業となったのでした。

その時、瑛太くんは中学校入学の直前。「小学校を卒業するまでにバッティングセンターを建てる」という千葉さんと瑛太くんとの約束は果たされたのでした。そしてそのオープニングセレモニー。気仙沼市長をはじめ200人以上が集まる中、千葉さんのスピーチの後に瑛太くんが書いた作文が読み上げられたのでした。以下、瑛太くんの作文です。

「3年前の3月11日、気仙沼を大震災が襲いました。その震災で僕は家族を亡くし、家を失い、何もかもがなくなってしまいました。でも、いま思えば何もなくなってしまったわけではないと思います。父が生きてくれていたから、楽しい生活ができているし、希望を持てたし。父が生きていたから、バッティングセンターを作ってもらうことができました。僕の一言で父は寝る間も惜しんで一生懸命働いてくれました。父もやりたいことがたくさんあったと思います。だけど、バッティングセンターの方を優先してくれて、とても感謝しています。バッティングセンター建設という夢があったから、たくさんの方に会うことができて僕は本当に幸せです。支えてくださったみなさん、ありがとうございました。僕は父と母の子で本当によかったです。お父さん、ありがとう。これからもよろしくお願いします。千葉瑛太」

この作文の後、始球式ならぬ始打式が行われました。以下、カルロス矢吹さんのトークです。

この作文の読み上げがあった後、始球式ならぬ始打式。第一打席に瑛太くんが立つんですけども……気仙沼フェニックスバッティングセンターはピッチングマシンが7台、用意してあるんです。この「7台」っていうのは、亡くなった家族と同じ数なんです。これは瑛太くんのリクエストで、「みんなが投げてくれる球を僕はホームランにしたい」という。

で、気仙沼フェニックスバッティングセンターは200円で23球打てるんですけども、この「23球」というのは飲むヨーグルト、乳酸飲料で建てさせてもらったバッティングセンターだから、「にゅうさん=23」なんですよ。千葉さんはこういう風なダジャレとかユーモアを絶対に忘れない人で。こういう人だから、たぶんみんなが付いてきたんだと思うんですね。真面目一辺倒なんじゃなくて、苦しい中でもこういうユーモアとかちょっとしたダジャレとかを絶対に忘れなかった人なんで。それでみんな、付いてきたんだと思いますね。

このカルロス矢吹さんが紹介していたエピソードにはピエール瀧さんも外山惠理さんも思わずグッと来てしまったようでした。この日の放送のエンディングトークでも瀧さんと外山さんが、

いい話だったんでね、じんわり来ちゃっていてね……。(瀧)
ねえ。じゃあもう、ここで終わりにしましょうか。(外山)
それでいいんじゃないかな。(瀧)

となってしまったのも頷けます。ぜひぜひ、ハンカチをご用意の上でラジオクラウドの音源を聞いてみてください!

「バッティングセンターがつなぐ親子の絆」


※5:30ぐらいからバッティングセンターの話が始まります。

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