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【アウトレイジ祭り!前編】宇多丸、『アウトレイジ 最終章』を語る!(2017年10月7日放送)【書き起こし】

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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宇多丸による、北野武監督作『アウトレイジ 最終章』(2017年10月7日後悔)の評論です。

北野武監督インタビューの前にまずはこちらを先にお読み下さい。

【文字数:8,989字】

Text by みやーん(文字起こし職人)

実際の放送音声はこちらから↓

今夜は『アウトレイジ』祭りということで……北野武監督最新作『アウトレイジ 最終章』、今日から公開ということで、まずは私の『アウトレイジ 最終章』評。というか、この後の北野武監督インタビュー、「こういう風にこの映画を見た人間だから、こういう風に質問をしている」というのがわかれば、より立体的に(インタビューを)楽しんでいただけるのではないかということで、こういった構成でお送りしたいと思います。

ということで、ここから約20分間ほどはミニ・ムービーウォッチメンというか、『アウトレイジ 最終章』を、ウォッチメンスタイル(の評の仕方)、ウォッチメン特別編というかたちで行きたいと思います。いつものテンションでいいですか? じゃないと、やりづらいんで……(笑)。

はい。ということで『アウトレイジ 最終章』。すでに感想メールもちょいちょいいただいておりますが。私、当然公開前に、日比谷のワーナー試写室で拝見しておりましたので。しかも、たけしさんにインタビューすることが決定してからは、「どうしても念のため、自分を安心させるために(笑)、もう1回見させてください」ってことで、2回、試写に行かせていただきました。当番組では、一作目の『アウトレイジ』は、2010年6月26日……って、もうそんな前なのか!っていう感じですけどね。シネマハスラー時代に、しかも井筒(和幸)監督の『ヒーローショー』、こちらも大傑作でしたが、『ヒーローショー』との二本立て評論……要は、国産バイオレンス映画二本立て、みたいな括りでやりましたよね。

あと、続く二作目の『アウトレイジ ビヨンド』は、2012年10月20日に、これはたしかオープニングトークのところで、劇場で見た時に、「客席側もアウトレイジ」ゆえの、なかなかアウトレイジな現象が起きていたという(笑)。で、それがすごく楽しかった、なんていう話をしてからの本編、みたいな流れだったかと思いますが。とにかく、やはり僕なりにガッツリと評をさせていただきました。ということで、いよいよとりあえずの最終章となるこの三作目、ということなんですけど。前回の『ビヨンド』評の時もそうですけど、北野武監督作品全体について論じているような時間はもちろんなくて。これは本当は、たけしさんのインタビューもですね、過去の作品についてもいろいろと聞きたかったんですけどもね。とにかく、なにぶん時間が40分程度ということだったんでね、それは限られますが。

 

■「天才きちゃった」監督・北野武のキャリア

本当に、僕の個人的な体験で言えば、これはあちこちで言っている話ですけども、監督第一作目となった『その男、凶暴につき』(1989年)を、リアルタイムで、最初のカット……ホームレスが出てきて、そこにカーンと画面の外から缶が飛んでくるんですけど、その最初のカットを見た瞬間に、マジでマジで、本当に掛け値なしで、「あっ、天才来ちゃった」っていう風に思いました。つまり……いまさらこういう付け足しをすること自体がもう失礼だろ、っていう感じもするぐらいなんですけども……いろいろといらっしゃる異業種出身監督、それこそ芸人さんとか、いろいろと異業種出身映画監督さんはいらっしゃいますけど、それとは正直、根本的なレベルが違う。まあ、はっきり言ってもう天才的な資質をお持ち、映画に愛されている、という風に思います。

 

特にやはり、初期作ですね。これは人によってカウントは違うと思いますが、僕は『みんな~やってるか!』まで含む、『キッズ・リターン』までの6作品は、もう何度となく見通すほど、最高だと思っています。ここに『みんな~やってるか!』が来るっていうことも含めて、ほぼほぼ完璧なフィルモグラフィーだと思いますが。とにかく初期作で、圧倒的な才能を見せつけた、という風に思います。まあ、興行的にはともかく、批評的には圧倒的な成功を見せつけたと思います。で、その後、間はざっくりと端折りますが、キャリア的に紆余曲折がありました。

 

特にやっぱり、『TAKESHIS’』(2005年)、『監督・ばんざい!』(2007年)、『アキレスと亀』(2008年)と、言ってみれば「アーティストとしての自分」への自己言及的な色合いが強い、それがゆえに、決して万人に受け入れやすいとは言いがたい、若干のキャリア的な迷走感が感じられなくもない三作が続いて。その後に来たのがこの、『アウトレイジ』の一作目(2010年)なわけです。ここ(フィルモグラフィ上の順番とタイミング)が重要なんだけど……バイオレンス映画という意味では初期作のイメージに回帰しつつも、初期作のクールでミニマルな作りとは非常に対照的に、わりとこれまでに組んだことのないようなスター級の役者を、もう大量にキャスティングして。

 

■サービス満点の一作目、本質を構造化した二作目

たとえば、爆笑を誘う豊かな日本語罵倒表現ね。まあ、罵倒表現が楽しい映画っていうのは古今東西、いろいろあるんです。『スカーフェイス』とか、日本でも『狂い咲きサンダーロード』とかいろいろとありますけども、まさに楽しい罵倒表現がいっぱい入っていたりとか。あと、アイデアを凝らした派手な暴力描写とか、いろんなものをとにかく惜しげもなくぶち込んだ、非常にサービス精神満点の……要はあえて今回はエンターテイメントに徹した、北野映画史上でももっとも間口が広いと言えるような一作になった、ということですね。

その、ひたすらサービスがてんこ盛り状態だった一作目。僕はその一作目は、とにかくなんでも、サービスだと思われるところは全部ぶち込んだ一作であるがゆえに、まあゆるいところも多々あるのが一作目の特徴かな、とも思っていますが。これは僕の評を詳しく聞いていただきたいですけど。で、まあその(一作目の)商業的、批評的な成功を受けて、その中からより、そのエッセンスというか、「本当に美味しいところ」を、その純度を高めて抽出した……そして、今回の『最終章』とも連なる『アウトレイジ』シリーズの特質というか、このシリーズならではの、いちばん本質的な面白さの部分というのを、決定的に構造化してみせたというんですかね。それが二作目の『ビヨンド』であるという風に、僕はこの2012年10月20日の『ビヨンド』評で言ったと思うんですけどね。

■日本型ヤクザの「言質取り合いパワーゲーム」

では、その『アウトレイジ ビヨンド』が決定づけた『アウトレイジ』シリーズの特質。古今東西のギャング映画とか、過去のいろいろあるヤクザ映画とは異なる、『アウトレイジ』ならではの面白さとは何かというと……っていう。これ、後ほど聞いていただく北野武監督自身へのインタビューでも、ご本人に直接ぶつけてみているところではあるんですけど。僕の言葉でいうと、要はこういうことだと思います。「筋の通し合い」とか、「因縁の付け合い」というような、ヤクザ業界内論理、彼らなりのロジックに基づく、いわば「言質取り合いパワーゲーム」こそが日本型ヤクザの本質である、と。暴力というのは、あくまでもそのパワーゲームの振り子の振り幅が、ある閾値を超えた時に発動する、とりあえずの結論……つまり、「落とし前」でしかないという。暴力・暴力性は後から来るもの、と喝破してみせたところだという風に僕は考えています。

つまり、基本はセリフの応酬、セリフ劇なわけですよ。しかも、相手の言ったことにかぶせて「突っ込む」というね。つまり、まさに実は、たけしさんの漫才師としての資質もすごく活かせる作劇法である、ということなんですけどね。で、とにかく最初は非常に小さな因縁……『アウトレイジ』の、いちばん最初の因縁の始まりを思い出してみると、結構小さな因縁の始まりなんですけど。そこから次第に、言質取り合いパワーゲームの振り子が、だんだん、どんどんどんどん大きくなっていく。振り子が止まらないうちは、どんどんどんどん大きくなっていくわけ。つまり、グーッと振り子が来ると、こっち側がズーンと押し返す。で、また強くなって戻ってくると、ズーンと押し返して、どんどんどんどん振り幅が大きくなっていくという。

それが、一作目の発端からすると、「あれっ、いつの間にかすげー話がデカくなっているんだけど……」っていうのが、『ビヨンド』から今回の『最終章』への基本的な流れだという風に思っていただいて、間違いないと思います。たとえば前作の『ビヨンド』では、小日向文世さん演じる刑事が、まあちょっと悪魔的な役割というか……振り子がちょっとね、ヤクザだってそりゃああんまり争いすぎたくはないですから、振り子をなんとか止めようとするわけですよ。で、(パワーゲームの振り子が)止まりかけると、その二大勢力の間に入って、いろんな甘言を弄して、振り子をなんとか動かさせようと画策する。そういう、いわゆる悪魔的な役目で、小日向文世さん演じる刑事が暗躍した、というのが『ビヨンド』でしたね。

で、それに対して、そのパワーゲームに否応なく巻き込まれつつも、自分自身はそういう権力闘争の磁場からは距離を置いていて……この、ワーッとした争いごとをどこか覚めた目で見つめる第三者の視点、っていうのは、これは北野映画では、それこそ『その男、凶暴につき』から結構一貫してあるわけですね。たとえば『その男、凶暴につき』のラスト近くの、「呆れる第三者視点」っていうのはめちゃめちゃ効いているわけなんですけど。それがある種の、起こった出来事に対してクールな温度感を保つ、北野映画の特徴だと思うんですけど。とにかくその、パワーゲームからは距離を置いて、なんならこのヤクザの世界のパワーゲームに、飽き飽きしているというか、疲れ切っているようにも見えるっていう。

それがゆえに、どれだけ振り子がブンブン動いていようとおかまいなしに、時には突発的にさえ見える暴力で、さっさと「落とし前」を勝手に自分で付けてしまうというキャラクターが、他ならぬビートたけしさん演じる、大友というキャラクターなわけですよ。だから大友が出てくると、振り子は強制的にそこでガツンといったん終わっちゃう、みたいなところがあって。ゆえに(パワーゲーム側からは)煙たがられているところもある、というかね。で、さっきの『ビヨンド』評の時点で、僕はこの大友というキャラクターは、間違いなく映画監督・北野武の現状の最高傑作のひとつである『ソナチネ』(1993年)の主人公・村川というヤクザの組長に近いムードだな、ということを評の中で言っていたんですけども。

■暴力の発動ポイントがどんどんうしろに

その意味で今回の『最終章』、ご覧になった方はわかると思いますけど、ド頭からいきなり、「うわっ、ものすごーく『ソナチネ』っぽい!」って多くの人が思うであろうところから始まります。海辺に向かうトラック。車が海に向かっていく。看板とかにハングルが書かれてあるんで、「ああ、なるほど。(『ビヨンド』のラストの後)大友は韓国に逃げたんだな」っていうのがなんとなく、『ビヨンド』を見た人はわかるんだけど。そこからの、ゆるーい親分・子分の「幸福な時間つぶし」から始まって……というね。で、その後に『アウトレイジ』シリーズ恒例の、「車ショット」にタイトルが付く、っていうのがあって、今回もめちゃめちゃかっこいいのが付くんです。ぜひね、これは期待してほしいんですけどね。

で、後半のある見せ場でも、『ソナチネ』のクライマックスを「内側から見せ直す」ような、非常に抽象化されたバイオレンスシーンが用意されている、ということですね。この、北野映画特有の、非常に抽象化された銃撃シーンのスタイル。特に「両者棒立ちのまま撃ち合いをする」というスタイル。その意図などについても、後ほどお聞きいただくインタビューで聞いています。(同種の質問に)過去に監督がお答えになっていることも結構あるんですけど、その中で、監督の銃に対する意外な好き嫌いの話というか……これが僕、面白かったです。これはちょっと、「あっ、そうなんですね!」っていうのが1個出てくるんで、こちらは楽しみにしていただけたらと思います。

話をちょっと戻しますと、先ほど言いました通り、「言質の取り合いパワーゲーム」。その振り子がブンブンブンブンと激しさを増していき、ついには……! という。それが『アウトレイジ』シリーズの面白さの本質なんだけど、そこに焦点が絞られた『ビヨンド』以降は、本格的に暴力が発動するポイントが、グーッと後ろに来ているわけです。つまり、ロジックゲームの方の決着が一通りついて、もうどっちが強くてどっちが負けたかがわかった後に、まさしく「落とし前」として暴力というのが行われるようになっている。どんどん後ろの方に引っ張られている。『アウトレイジ』一作目は割とすぐにね、チャチャチャッと軽く暴力は振るわれてますけども。なんだけど、どんどん後ろに来ているという。

これによって、目先の派手さは、『ビヨンド』『最終章』と減っているんだけど、物語の本質的な面白さっていうのはより――ゴシップゲーム的なって言うのかな――この『アウトレイジ』の物語の本質的な面白さは、むしろ僕は「持続するようになった」と思うんですよね。前は要するに、暴力が出てくるたびにブッた切られていたところが、「持続するようになった」。そういう風に、より洗練されたつくりになった、という風にも言えると思いますね。また、これによって、結果として暴力描写のインフレ化というか、たとえば日本国内の抗争として描くにはちょっと非現実的なレベルでのドンパチとかにいっちゃうのを、避ける効果とかもあったりとかして。ということで、非常に洗練された作りになっている。

これは『ビヨンド』評の中でも言いましたけど、いちばん近いのはジョニー・トーの『エレクション』二部作だとか、あとは『仁義なき戦い 代理戦争』とか、このあたりが近いのかなとも思いますけども。で、今回の『最終章』は、特にその傾向がより強くなっています。なぜなら今回、振り子の当事者たちが、本当に組織のトップ同士だから、ということですね。なので、おいそれと手を出せないわけです。で、このトップ同士の話っていうのは、否応なく、現実の某巨大暴力団の分裂劇を、タイムリーに連想させる作りになっているというあたりもね。これは映画を見ていて、非常にスリリングなあたりですけどね。

で、要はなかなかおいそれと手が出せない分、今回はまるで、「導火線に火がついた巨大なダイナマイトを、お互いがパスしあっている」ような、そういう面白さ……なのでその分、ある意味表面的には地味な絵面が続く一作にはなっているんだけど、さっきから言っている言質取り合いパワーゲーム、そのスリリングさ。たとえば、詫びとして持っていった3000万円。さあ、これをどうするんだ? という、この言質取り合いゲームの面白さとかね。こういうところがやっぱり、めちゃめちゃ面白くなっている。で、そもそもこういう、結論を先延ばしにどんどんしていく「宙ぶらりんな時間」、モラトリアムな期間にこそ、いいことが起こるにせよ悪いことが起こるにせよ、ある種の物語的な豊かさを見出していく、というのは、実はこれ、北野映画のほぼ全作品に共通するスタンスなんじゃないかな? という風に僕は考えていたりもします。このあたりも、(後ほどオンエアするインタビューで)監督に軽く振ったりもしていますけどね。

■『アウトレイジ 最終章』から見る「親分論」

と、同時に今回の『最終章』は、いま言ったように巨大組織のトップレベルの話でもある分、一種……これは僕の読み方ですけど、北野武による、四者四様の「親分論」「トップ論」という風に僕は読めるな、と思って。「親分論」「トップ論」として『最終章』は面白いな、と思いました。大きく分けて四種類の親分がいる。まずひとつ目は、怖がられていて……つまり、怖がられるぐらい権力も実際にあって、なおかつ慕われている、という。これは張(チャン)会長というフィクサー、『ビヨンド』の最後の方にも出てきました。これはある意味、理想的な、最強の親分のあり方ですね。「怖がられていて、慕われている」。

もうひとつは、「怖がられてはいない」。たとえば、それほどの権力はもうない。具体的な権力とかはないんだけど、慕われている。これが大友ですよね。ちなみに、この大森南朋さん演じる市川という子分との、軽口を叩き合うような関係。これ、たけしさんが演じるヤクザは、常にこのタイプですよね。これはまあ、たけし軍団がそもそもこういうバランス、というのもあるのかもしれないし、まあ殿の、「自分ならこうだ」というような理想のあり方があるのかもしれない。まあ、実際の殿は怖がられてもいて、なおかつ慕われてるのかもしれないけど。

そして、3つ目の親分論。「慕われてはいないが、怖がられている」。で、怖がられていることによって統治している、っていう。これが西田敏行さん演じる、花菱会の西野というキャラクター。で、4つ目。これが笑うんだけど、「慕われてもいないし、怖がられてもいない」(笑)。これ、大杉漣さん演じる、花菱会の会長がいるわけですね。こんな感じで、四者四様の親分論というか、トップ論になっていて。そもそも思い返せば『アウトレイジ』シリーズ、劇中で子分を理不尽に殴ったりするようなキャラは、あとでかならず、いちばん痛い目にあわされているんですよね。かならず。その繰り返しがある。ということで、今回も……はい。見ていてくださいね。序盤であるキャラクターが、子分を理不尽にぶん殴ったりする。その人はどうなるか? 見ていてくださいね。

ちなみに、『ビヨンド』に引き続き登場の張会長。影のフィクサー。今回の『最終章』における最強の存在。物語のいわば中心核として、圧倒的な磁場を発しているキャラクター。そもそも、大友っていうたけしさん演じるキャラクターの今回の行動原理は、全て張会長への義理から来ているぐらいなんですよね。物語のいちばん根本のエンジンなわけです。にもかかわらず、それを演じている金田時男さんという方に関して、我々は何も知らない。「誰?」っていうこと。それでも明白に、作品内の説得力は持っているという。要は、実はエンターテイメントとして、ちょっと異色な事態というか、一種冒険的な作品バランスでもあるあたりですね。このあたりの勝算、どうだったんでしょうか? というあたりも、監督にぶつけてインタビューで聞いております。

■臨界点に到達したシリーズ最終作

ということで、事ほど左様に、ある意味キャスティングの時点で概ね作品の成否が決まってくるとも言えるという、つまり、思いっきり「オールスター映画」でもあるこの『アウトレイジ』シリーズ。今回はなんと言っても、西田敏行さんオンステージですね。ちょっと北野映画としては、それこそ宣伝コピーじゃないけれども、やや「暴走」気味ではないかと思われるほどに、西田敏行さんオンステージだと思います。とかね、その横に控える塩見三省さんの、前作の内にこもった怖さとはまた違う、今回の軽みが面白かったりとかね。あと、前作に引き続き組だと、僕はやっぱり名高達男さん、いいですね。「怖がられてもいないし、慕われてもいない」方向の親分感(笑)、いいですし。

あとは大杉漣さんのハマりっぷりも最高です。あと、今回の振り子が動き出す最初の発端を作る、ピエール瀧さん。最初に出てきた時には、「あっ、『凶悪』路線の超怖い系の役かな?」と思いきや、どんどん坂道を転げ落ちるように(笑)コメディーリリーフになっていくあたり。このあたりもすごく合っていたと思いますし。とにかく、日本国内のパワーゲームの振り子としては、ある意味、ちょっと振り切るところまで振り切ったかな、という風に思える今回。先ほどから言っているように、具体的、本格的な暴力の発露はグッと後ろに引っ張られている。で、なおかつ、かなり抽象的というかデフォルメした形で暴力が描かれるに留まっていて、。これは、リアリティーラインという意味では、国内を舞台にしたドンパチ劇としては、ちょっともう臨界点かな? という風に思います。

ゆえに、僕はインタビューの中では、個人的な願望として――実は『ビヨンド』評の中でも言っていたことなんですけど――それこそジョニー・トーの『エレクション』がそうだったように、「銃器なし、刃物か鈍器のみ」という縛りの北野バイオレンス映画が見たい、そしたらまた革新的な描写が生まれるんじゃないですか?みたいなことを、本人にぶつけています。こういう個人的な妄想質問にも(笑)、ちゃーんと考えて答えていただいている、ということですよね。ということで今回の『最終章』、実際に見ていただければ、「ああ、なるほどこれは最終章だ」というような終わり方をしているんだけど、同時に、先ほどから言っているパワーゲームの顛末としては、実はちょっと、「ここ、落とし前つけきってなくないですか? 兄貴! ここは落とし前つけきってなくないですか? 悔しくないんすか、兄貴!」(笑)っていうところが、ちょっと残尿感が残ったりもしたりするんで。

ちょっとファンとしては、「えっ、これで終わりか……」って一抹の寂しさ、物足りなさが残るところもなくはないんだけど。これは今後、どういう風に殿がキャリアで答えてくるか、わからないあたりですね。オール鈍器、オール刃物の何かが来たりすると、僕的には「キターッ!」っていうあたりですけどね。といったあたりで、一連の私の『アウトレイジ』シリーズ、そして『最終章』の見立て、といったあたりを、本当に殿に直接ぶつけてみたインタビュー、これからお聞きいただくわけでございます。いま、私非常に威勢よくしゃべっていますけども、急に声量が変わりますので。音量にはご注意ください(笑)。ということで、いったんCMに行ってみましょう!

【後編】北野武インタビューへ!

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