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オバマ大統領と抱擁した森重昭さん 原爆はアメリカ人も殺していた

久米宏 ラジオなんですけど

TBSラジオで毎週土曜日、午後1時から放送している「久米宏 ラジオなんですけど」。
10月21日(土)放送のゲストコーナー「今週のスポットライト」では、広島の原爆で犠牲になったアメリカ兵捕虜について長年調査を続けてきた森重昭さんをお迎えしました。去年(2016年)5月、広島平和記念公園を訪れたオバマ大統領(当時)が、式典に並んだ一人の被爆者と抱擁を交わした姿がメディアで大きく報じられました。そのシーンは世界中に配信され、海外でも注目されました。その被爆者こそ、ホワイトハウスの招きで式典に列席した森さんです。なぜアメリカ政府は森さんを招待したのでしょうか。

森重昭さん

森さんは1937年、広島県広島市生まれ。現在80歳。広島に原爆が投下された当時は8歳、爆心地から2.5キロの地点で被爆しました。己斐(こい)国民学校へ登校途中でした。元々は済美(せいび)国民学校(爆心地からわずか540m)に通っていたのですが、地元の己斐国民学校(爆心地から2.5km)に転校していました。

「今でいう小学校3年生から6年生までは集団疎開に行くことが決まっていました。でも祖母が私を大変かわいがってくれて、爆弾が落ちて死ぬのなら家族みんなで死のうということで、私は集団疎開をせず、家族と一緒にいるため、済美国民学校から地元の己斐国民学校に転校したんです。そのために私は助かったんです。済美学校は原爆で全滅しました。先生も生徒(1、2年生)も事務の人も全員、真っ黒こげになって死んでいました」(森さん)。

九死に一生を得た森さんは、その後、東京の大学を卒業し、証券会社を経て、30歳から楽器メーカーの広島支店に勤めました。38歳の時に、会社勤めのかたわら地域の被爆状況を調べ始め、その中で、広島で捕虜となっていたアメリカ兵も、原爆の犠牲になっていたことを初めて知ります。実はこの事実を知らなかったのは森さんだけではありません。多くの広島市民も知りませんでしたし、ほとんどの日本人が知りません。そしてまた、アメリカでも知られていません。それもそのはず、この事実は広島の戦災の記録にも残されていません。アメリカ政府にいたっては戦後長きにわたって「日本で捕虜になったアメリカ兵はいなかった。原爆で死んだアメリカ兵もいない」としていたのです。

日本でもアメリカでも歴史に埋もれた被爆死米兵捕虜の存在を、森さんはたった一人で数十年に渡って調査を続けました。広島にアメリカ兵捕虜は本当にいたのか。なぜ広島にアメリカ兵捕虜がいたのか。何人の捕虜がいて、そのうち何人が被爆したのか。そしてその後はどうなったのか。アメリカの家族はこの事実を知っているのか…。インターネットが普及していなかった時代、こうしたことをほとんど手がかりのない状態から調べることは並大抵のことではありません。アメリカの電話帳を手がかりに片っ端から電話をかける。原爆被害や軍に関わるあらゆる書籍や資料を丹念に調べ、日米政府関係の文書にもあたる。雲をつかむような話です。

スタジオ風景

聞き取り調査は、地元の被爆調査だけで数百人、アメリカをはじめ海外への問合せも含めると1000人を超えます。結婚間もなかったにもかかわらず土日になると調査に出かけてしまうし、国際電話の料金がひと月7万円かかったこともあり、奥さんから「あなたはいったい何をやっているの。もうやめてください」と止められたこともあったそうです。中傷を受けることも決して少なくありませんでした。日本人からは「原爆を落とした国の人間のためになんでそこまでやる必要があるんだ」。アメリカ人からは「アメリカ兵捕虜の遺族から賠償金を取る気なんだろう」。

それでも森さんは調査を続けました。そうした中で、一人、また一人とアメリカ兵捕虜の存在を確認し、ついに森さんは、被爆死したアメリカ兵捕虜は12人いたと特定したのです。森さんはその全員の身元を割り出し、アメリカにいる遺族を探し出して連絡を取り、彼らの消息を伝えてきました。そして、アメリカの遺族に代わって12人を原爆死没者名に登録し、さらに、2002年に「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」(広島平和記念公園の中にあります)ができると、そちらにも12人全員の名前と遺影の登録を進めました。森さんのこうした活動によって、広島は日本人だけでなく、アメリカ人の冥福も祈る場所となっているのです。

「原爆の犠牲ということでは、日本人もアメリカ人もないんです」(森さん)。

もちろん原爆を含め戦争の犠牲になった日米両国の人たちのには複雑な思いがあります。改めて言いますが、森さん自身も被爆者なのです。でもそれを越えて森さんは、平和への思いを訴えているのです。

米兵慰霊碑

森さんは、私費を投じてアメリカ兵捕虜のための慰霊碑もつくっています。それは平和記念公園から少し離れた、広島市内のとある小さなビルの敷地にあります。人通りは多くなく、そこに慰霊碑があることに気づく人はあまりいません。なぜそんな場所に森さんは慰霊碑をつくったのかというと、実はそこはかつて中国憲兵隊司令部があった場所であり、アメリカ兵捕虜がいたところだったのです。

米兵の慰霊碑

「そこは12人の捕虜の多くの人が犠牲になった場所なんです。だから広島平和公園に慰霊碑をつくっても意味がないと思ったんです」(森さん)。

広島にある原爆死没者のための慰霊碑の中で、アメリカ兵捕虜のためのものはこれが唯一です。捕虜の遺族たちとも交流が生まれ、彼らが日本を訪問した際には森さんが被爆した場所などを案内しています。遺族たちは森さんに心から感謝しているといいます。彼らはアメリカ政府から被爆死の事実を知らされず、ずっと「行方不明」とされてきたのです。森さんから連絡を受けて初めて本当のことが分かったのです。

実はこれと同様の悲劇が、長崎の原爆でも起きていました。森さんは広島だけでなく、長崎で犠牲になった外国人についても調査し、これまでにオランダ人8人、イギリス人9人の身元を明らかにしました。今は、オーストラリア人捕虜の調査を続けています。

「調べることはたくさんありますから、まだまだ終わりませんよ」(森さん)。

原爆で死んだ米兵秘史

日米の歴史に埋もれたアメリカ兵捕虜の被爆死に光を当てた森さんが40年にわたる調査をまとめた本「原爆で死んだ米兵秘史」は、私たちが知らない事実に驚かされるだけでなく、文章としてとても素晴らしいものです。

森重昭さんのご感想

森重昭さん

私に対する質問がたいへん的確で、いい質問をしてくださいましたので、話しやすかったです。久米さんは立派なジャーナリストだと思いました。単に資料をなぞって聞いているのではなく、なんとか本質を引き出そうとしているところが分かって、たいへんよかったです。今日はありがとうございました。

2017年10月21日(土)放送「今週のスポットライト」、ゲスト:森重昭さんhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20171021140000

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)

次回のゲストは、セルロースナノファイバーの研究者・磯貝明さん

10月28日の「今週のスポットライト」には、夢の新素材ともいわれる「セルロースナノファイバー」の研究で世界的な第一人者、東京大学大学院教授の磯貝明(いそがい・あきら)さんをお迎えします。

2017年10月28日(土)放送「久米宏 ラジオなんですけど」http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20171028 140000

radikoで放送をお聴きいただけます(放送後1週間まで/首都圏エリア無料)