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【映画評書き起こし】宇多丸、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』を語る!(2017.10.21放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

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TBSラジオ『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』内の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」

ライムスター宇多丸が、毎週ランダムで決まった映画を自腹で鑑賞。生放送で20分以上にわたって評論します。

今週評論した映画は、名作SF映画『猿の惑星』をリブートした新シリーズ三部作、その最終章となる『猿の惑星:聖戦記』20171013日公開)。その全文書き起こしを掲載します。【文字数:10,512文字

宇多丸:

ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『猿の惑星:聖戦記』

(曲が流れる)

名作SF映画『猿の惑星』をリブートした2011年公開の『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』、そして2014年『猿の惑星:新世紀(ライジング)』に続くシリーズ第三弾。高度な知能を得た猿と人類とが全面戦争に突入してから2年。猿のグループを率いるシーザーが、妻子を殺した人間への復讐の旅に出る。シーザーのパフォーマンス・キャプチャーを担当するのは当代きってのモーション・アクター、アンディ・サーキス。前作に引き続き監督はマット・リーブスが務める、ということでございます。ということでもう、この『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』──僕、これすごくいい邦題だと思いますけどね。中身にすごく合っている──をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。

「シーザーはやっぱり私たちのシーザーでした」(リスナー)

メールの量は、多いということでございます。ありがとうございます。賛否の比率では、褒める意見が8割以上。「シリーズの完結作として完璧」「ラストに感動」「シーザー様、かっこいい」「過去の名作へのオマージュも楽しい」などなど賞賛メールが多かった。一方、「CGや画面はすごいけど、演出が鈍重でダメ」「シリーズの締めくくりとしては消化不良」などの声もいくつかあったということでございます。代表的なところをご紹介しましょう。

「ポテチン柿子」さん。「タマフル、毎週楽しく拝聴しておりますが初メールです。大好きな作品である『創世記』以降の『猿の惑星』シリーズへの投稿メールが一通でも多くなればよいなと思い、投稿しました。『猿の惑星:聖戦記』、見てまいりました。『猿の惑星:創世記』が人生ベスト映画であり、新作をとても楽しみにしていました。『創世記』、その次の『新世紀』と並んで大好きな作品となりました。しかし、その二作からストーリーが進み、いままででいちばん重い展開を迎え、見返すのも辛そうです。

前作『新世紀』以上に一作目の『創世記』へのリスペクト、そして旧『猿の惑星』シリーズへのリスペクトが盛り込まれ、『猿の惑星』シリーズの締めくくるとして見るには大満足の作品だと思いました。生まれたばかりの頃から人間に愛情深く育てられ、やがて大勢の仲間に慕われるリーダーとなるまでをずっと見ていた私たちにとって、憎しみにとらわれていたシーザーの姿はとても痛々しく、またその視線は(オランウータンの)モーリスや(チンパンジーの)ロケットたちエイプの仲間ともシンクロしていたと思います。

そしてクライマックス。敵の人間と相対するあの場面。言葉を用いず、全てを伝える演出方法の凄まじさは語るまでもありませんが、『どうかシーザーは私たちのシーザーであってほしい』とあんなにも強く願うことになるとは思いませんでした。そしてシーザーはやっぱり私たちのシーザーでした」という、もうシーザーが好きでたまらない、というメールでございました。

一方、ラジオネーム「ナラサメ」さん。「日曜日、Zeppに行きます。宇多丸さん、こんばんは。はじめてウォッチ報告します。『猿の惑星:聖戦記』、ウォッチしてきました。ですが、結論を申しますと大変期待はずれな出来でした。無論シーザーをはじめエイプたちの表現は本当に素晴らしいです。特にモーリス(オランウータン)が少女とはじめて見つめ合う場面ではモーリスの顔の持つ、そこに存在する力のようなものに圧倒されました。

ですが、残念だったのは演出です。特に音楽の演出。少しでも感動げなシーンになるとすかさず感動げなBGMが流れ出す。それも、何度も何度も。映像技術は世界最高レベルにもかかわらず、まるで下手な邦画のようなクドい演出の数々にそのギャップが余計がっかりでした。また今作は、全編に渡ってシーザーの弱さやエゴを見せる物語だったこともあり、英雄譚としても爽快さに欠けていたと思います。結局、このリブート三部作は何がやりたかったシリーズだったのか、最後の最後でぼやけてしまったように思えます」というご意見でございました。

アンディ・サーキスはアカデミー賞主演男優賞をとるべき

はい。ということでみなさん、メールありがとうございます。『猿の惑星:聖戦記』、私も109シネマズ二子玉川でIMAX字幕3D、そしてTOHOシネマズ日劇で字幕2Dで──ちょっと吹き替えを見る余裕がなくて申し訳ありませんでした──2回、見てまいりました。ということで、当番組では20111022日、シネマハスラー時代に取り上げた『猿の惑星:創世記』。元のタイトルは『Rise of the Planet of the Apes(猿の惑星の起源)』。で、そこから始まる『猿の惑星』のリブートシリーズ……言ってみれば、「シーザー三部作」ですよね、旧シリーズと分けて考えるなら。そのシーザー三部作の、とりあえずこれが完結編ということになるんですかね。すでにリブートの、実は四作目も企画されているそうなんですけども……まあ、みんな大好きシーザーの物語としては、まあまあ間違いなくこれが最後にはなるであろう、ということですかね。

とにかくこの、主人公である進化したチンパンジー、シーザーというキャラクターが、言わずと知れたモーション・キャプチャー……いまは表情も読み取るようになって「パフォーマンス・キャプチャー」という言い方をしているらしいですけども、パフォーマンス・キャプチャーの第一人者、アンディ・サーキスによる名演と、それを支える超高度な技術も相まって、そのシーザーというキャラクターを、最高に魅力的に成り立たせた、というところが何よりもまず、この『猿の惑星』リブートシリーズの最大の特徴である、ということに異論の余地はないと思います。最初に「『猿の惑星』をリブートしますよ」という企画の話を聞いた時に、一映画ファンとして、「まあ、だいたいこのぐらいの出来かな?」って予想していたラインを、大きく上回る出来だったというのはこれ、間違いないですよね。

僕、アンディ・サーキスには、どこかのタイミングで絶対に、アカデミー賞とかの「主演男優」賞……だから男優としてちゃんと評価する機会を絶対に作るべき、と前からこのコーナーでも言っているんですけども。だとしたら、やっぱりシーザー役でね(大きな賞を獲ってほしい)。やっぱり代表作というか、彼のスキルの全てが込められた役ですからね。シーザー役で何か(大きな男優賞)を獲ってもいいんじゃないかな?って思うぐらいなんですけどね。で、ですね、そのリブートの一作目『創世記』。先ほどメールでも「生涯ベスト」という方もいらっしゃいましたけども、僕も大好きな作品でございます。

マット・リーブス本領発揮の勝負作!

その『創世記』を大成功に導いた監督のルパート・ワイアットさんが、当然続投して第二作以降もやるかと思いきや……公開予定日までの制作期間が不十分だという風に主張して、製作陣と対立して、降板してしまい、急遽『クローバーフィールド』とか、『ぼくのエリ 200歳の少女』のアメリカ版リメイク『モールス』とかの監督である、マット・リーブスさんが代わりに起用されて完成にこぎつけたのが、当コーナーでは20141025日に評しました、リブートシリーズの二作目『猿の惑星:新世紀』。原題は『Dawn of the Planet of the Apes(猿の惑星の夜明け)』という作品でございました。

で、その時の評でも言いましたが、この二作目は二作目で……そのマット・リーブスさん、急遽起用されたんで、やはり時間的になかなか厳しい条件下での制作だったのかな? とうかがわせる部分はあるにはある。たとえば、場面が実は意外と限定的だとか、あるはあるんだけど……まあ、その監督のマット・リーブスさんと脚本のマーク・ボンバックさん共に、一作目が達成したもの、つまりさっきから言っているように主人公シーザーの恐るべきキャラ立ち、そこに最大限の敬意を払いつつ、それを受け継いで発展しつつ、実は一作目『創世記』にはちょっと希薄だった、オリジナル『猿の惑星』シリーズのムードとかテーマ性みたいなものを、改めてシーザーの物語に、もう1回織り込みなおして。

なおかつ、マット・リーブス自らの映像作家としての持ち味もきっちりと盛り込むという、『創世記』の続編としては本当に、『新世紀』も、これはこれで申し分ない仕上がりだったと思います。コバも大活躍でね。コバという悪役キャラ、今回もチラッと出てきますけどね。非常にかっこよかったと思います。というところからの、今回のリブート三作目ということで。前作『新世紀』に引き続きマーク・ボンバックさんと、今回はマット・リーブス監督自らも脚本作りから始めて。で、要はシーザー三部作にきれいに幕を引く。それと同時に、1968年のオリジナル版第一作目『猿の惑星』へと、最後にブリッジさせる、というようなことを事前に言っていて。要は、マット・リーブス体制としては、前回の『新世紀』は途中から急に起用されたので、ある意味今作こそが、ついに本領発揮の勝負作!と言えるのではないかと思いますね。

私のシーザーのモノマネが下手になったわけ

で、その一作目『創世記』は、先ほどの「生涯ベスト」っていうのもわかる通り、非常に面白い、楽しい映画なんですけども……オリジナルシリーズも含めて、他のどの『猿の惑星』とも違って、『創世記』だけは、非常にストレートなカタルシスがある作品だったですね。それこそ、勧善懲悪的なところも含めて、本当にストレートなヒーロー誕生譚だったのに対して、二作目の『新世紀』は、オリジナルシリーズ(旧シリーズ)で言えば『最後の猿の惑星』(1973年)、旧シリーズのいちばん最後の作品『最後の猿の惑星』にあたるような……要はこういうことですね。エイプ(猿人)たちが、人間同様に「原罪」を背負ってしまう、という話。つまり、「エイプはエイプを殺さない」という掟、戒めを破ってしまう。そのことで結果的に、それまで住んでいた「楽園」を出ることになってしまう、という、明らかにカインとアベル的なというか、聖書をモチーフにした、非常に苦い話だったわけですね。まあ、オリジナルシリーズもそういう聖書モチーフの話はいっぱいあるんですけども。

で、つまり前作以降、エイプ……わけてもその象徴であるシーザーが、もう原罪を背負って、殺人ならぬ、猿殺しという原罪を背負ってしまったので、ほぼほぼ「人間も同然の存在」にすでになっている状態から、今回の『聖戦記』は始まるわけです。さあ、ここで私がシーザーのモノマネが下手になった理由、というのが出てくるわけですね(笑)。見返すとはっきりとするんですけど、まず一作目のシーザーは、言葉といってもほぼほぼ一言しかしゃべれない。(劇中非常に重要な役割を果たすある)一言とか「Home」とかしか言えないような感じですけど。で、二作目は単語のつなぎあわせで……まだカタコトなわけですよ。「Ape, do not want, war!」みたいなことですよね。

なんだけど、今回はもう、前作で倫理的にもほぼほぼ人間同然の存在になってしまったシーザーなので、もう言葉も文法として普通にしゃべるし、ということで。なので、ああいうモノマネが……で、発声もそういう猿っぽい発声とかあんまりしていないんですよ、シーザーだけは。なので、もうできませーん(笑)。ということなんですね。私が(モノマネが)下手になったのには、作品性と関係があった、ということなんですね。で、(シーザーが)人間同然の存在に既になった状態から『聖戦記』は始まるので、ここは実際、好き嫌いが分かれるところのいちばんの要因だと思うんですけど、要は非常に重苦しい、「人間的苦悩」表現――これを主に、顔の表情で見せるわけだけど――おそらくはこれ、パフォーマンス・キャプチャー演技の最高峰なんだけど、その顔の(表情で見せる)重苦しい人間的苦悩ドラマ表現みたいなものが、全編に渡って繰り広げられるので、いかんせん流れとしては鈍重になりやすい、というところがあるということだと思うんですけどね。

オリジナルシリーズに近い政治的寓意

とにかくまあ、そういう作りなわけです。で、その人間同然の存在になっているエイプの一方で、オープニング。猿たちの基地を、人間軍が急襲する、というくだりがオープニングなんですけども。これを最初僕は見ていて、「ん? なんで人間軍側に猿がいるんだ?」って思ったら……「はっ! そういうことか……」って。僕はここで、いきなりかなりギョッとさせられたというか、ちょっとショックを受ける描写でした。つまり、人間側に寝返ったのはいいんだけど、要は奴隷化させられた猿たち、っていうのが今回、はじめて登場するわけですね。道具を持ってこさせて、頭をグッとすごく乱暴に下げさせられるところとか……ついぞこのシリーズでは見たことがない、奴隷化させられたエイプっていうのが出てきて、思わずはっとさせられてしまうところ。そこから始まるわけなんですけど。

要はですね、オリジナルシリーズ。たとえば人種問題であるとかっていう、現実の社会問題のメタファー、その寓話である、という側面がオリジナルシリーズは非常に強かったのに対して、どっちかって言うと新シリーズは、わりと原作小説『猿の惑星』とかのそういう人種問題というよりは、たとえばカレル・チャペックの『山椒魚戦争』っていうのをみなさん読んだことありますかね? あれみたいな、どちらかと言えば文明論というか、そういう趣が強かった。それが新シリーズなんだけど……今回の『聖戦記』では、その奴隷化させられた猿たちっていうものの関係性を通じて、改めてピエール・ブールの原作小説とか、あるいはオリジナルシリーズに近いような、要は政治的寓話という色が、非常に今回、ここに来て強くなっている、というあたりが特徴だと思います。

たとえば、こういうことですよね。強制収容所に皮肉に鳴り響くアメリカ国歌……こういう場面、出てきますよね。あるいは、「南軍」と「北軍」同士の、内戦の話でもありますよね。そして、「壁」を築いて外敵を防ぐ、というある種のオブセッションにとらわれたカリスマ的指導者、というのが登場して。そしてもちろん、奴隷制というのがあって……なるほどとってもわかりやすい、要は現実のアメリカ合衆国という国の、現在であり歴史っていうもののメタファーにあふれている。これが今回の『聖戦記』でもある、ということですよね。全体としてはこういう話ですよね。

シーザー三部作の締めくくりとしてこれ以外ありえない

と同時に、先ほども言ったように、前作で「原罪」というものを背負って、「人間も同然」の存在に堕ちかけたシーザーが、隷属状態にあった同胞たちを再び率いて、まさしくモーゼの如く「エクソダス(Exodus・出エジプト)」するわけですよ。民族移動をして。その民族移動の過程では、なんて言うんですかね? ある大規模な自然現象が味方して……みたいな、まさにモーゼ的なことが起こって、そしてついに「約束の土地」へとたどり着く。しかもその約束の土地っていうのは、おそらくは1968年一作目の、『猿の惑星』に出てきたあの、湖があって、周りが砂漠で……っていう「あの土地」にたどり着くという。要は、こういうことですね。一旦は人間同然の存在に堕ちかけたシーザーが、人間的存在を超えた、神話的存在になる。つまり、シーザーのこの物語全体が神話となる、っていうのが、今回の『聖戦記』の大筋の着地なわけですよ。

なので、僕はシーザーの物語、シーザー三部作の流れとして、ぶっちゃけこれ以外の流れ、終わらせ方っていうのは、ないと思いますね。猿が知性を得るという一作目。そして、その知性を得て文明を築きかけた猿が、文明を築く過程で、人間と同じ原罪を犯してしまい、人間同然の存在に堕ちてしまう、逆に言うと、人間と入れ替わることが示唆される、という二作目。そしてその、一旦は人間的存在に堕ちかけてしまった存在が、ついには神話的な存在というところにたどり着く、というこの三作目。もう非常にきれいな三部作の構造。これ以外はあり得ない、という三部作の構造になっていると思いますね。はい。

前半は西部劇、後半は収容所物

で、今回の『聖戦記』、ざっくり分けて2つ、二部構成というか、前半と後半にざっくり分けられる。ざっくり分けて前半は、西部劇。それも、黄金期西部劇というよりかは、ちょっと後期の、ポストモダン入りかけた西部劇というか。特にやはり、たとえば壮麗な音楽が流れる中、馬で並んで走る……それもあえて、また(別の場面の後にも同じように)音楽が流れて、馬で走る。しかも並んで、並走する……みたいなあの絵面は、もう西部劇的!以外の何物でもないですし。特にやっぱりこれ、マット・リーブス監督自ら参考にしたという風に公言している、クリント・イーストウッドの『アウトロー』。要するに、妻子を殺されて復讐の旅に出る、というくだり。物語的にもそうですし、何よりもシーザーの……最初に見ていて、本当にもう、イーストウッドそっくりだな!っていう。目を細めて、口をへの字に結んだ表情っていうのが、本当にモロにイーストウッド風の表情をしていたり、とかもありますし。あと、寂れた村に入っていくくだりとか、すごく『アウトロー』を彷彿とさせるような見せ方だな、と思ったりもしましたけど。

で、前半はそういう西部劇。後半は、「収容所物」あるいは「収容所脱獄物」、っていうことですね。もちろん『大脱走』とか、あと『第十七捕虜収容所』とか、いろいろとありますけども。もちろん、『猿の惑星』の原作小説を書いたピエール・ブールの、同じく原作でもある『戦場にかける橋』とかを彷彿とさせるような、まあ収容所物でもあって。そこにさらに、たとえば『地獄の黙示録』であるとかね。劇中で本当に、モロにネタバレです!みたいな部分も出てきますけどね……今回のウディ・ハレルソンが、モロに「カーツ大佐」っていうね。『地獄の黙示録』とか。あと、『七人の侍』とか……冒頭の、煙の中からボーンと猿たちが馬に乗って出てくる感じとか、雨の中の戦いもそうですし。あと、高台のところから下を覗いて偵察する感じのショットは完全に『七人の侍』風、とか。まぁいろんなオマージュが折り重ねられているんですが。

ただ、今回の『聖戦記』の場合は、いろんなその映画のオマージュみたいなものが、単にオタク的なサンプリング感覚っていうよりは、先ほど言った、たとえば聖書モチーフの挿話の部分であるとか、あるいは寓話的な要素みたいなのと、ある意味でフラットに混ざりあって……この『猿の惑星』シリーズという映画作品自体の神話性っていうか、要するに、映画の神話性も組み込んでいる。本当の聖書とかの神話性も組み込んでいるし、映画という歴史そのものの神話性も組み込んでいる、というか……それによって、この作品自体の重みみたいなものを際立たせようとするための、様々なオマージュ、というか。僕はそういう風に見ましたけどね。

猿たちの「演技力」を楽しむ作品

ということで、この『猿の惑星』リブート三部作の中でも、よく言えばまあ、非常に重厚な作品です。悪く言えば、さっきも言ったように、ひたすら重苦しい空気が続いて、なおかつまあ、鈍重に感じる人がいてもおかしくない……それはなぜかと言うと、さっきから言っているように、猿たちの「人間的苦悩表現」というのを、今回の中心に置いているからですよね。それはある意味、人間的苦悩表現をパフォーマンス・キャプチャーで見せるから、ものすごい「ああ、すごいいい演技だ」って見えるけど、あれをたぶん、人間の顔でまんまやったら、ちょっとベタすぎませんか? ちょっとオーバーアクトすぎませんか?っていう演技に見えると思うんだけど。ゆえにやっぱり、通常で言うと先ほど言ったベタな演出みたいなのと、ある意味僕は……要するに顔演技・大技顔相撲が連発する映画だから、演出もちょっと大時代的な感じが合う、と。そう(作り手側は)思っての、先ほどのメールにあった、ちょっとベタな感じの音楽の演出だったりとか、っていうあたりだと思うんですけどね。

だから、今回は人間的苦悩表現なので、たとえば一作目とか二作目にあった、猿っぽさと人間っぽさの境界線上にあるようなエイプ表現のスリリングさ、みたいなものではもうなくて……もう完全に(シーザーたちは)人間です。シェイクスピアとか(を難なく読めるとか)、そういう感じです。でもまあとにかくね、「鈍重だ」とおっしゃっている方も、ここはもう認めざるをえないでしょう。やはりパフォーマンス・キャプチャーの演技……アンディ・サーキス、テリー・ノタリー、カリン・コノバルさんといったエイプ役者たちによる演技の、本当に最高峰でしょうね。パフォーマンス・キャプチャーというものの演技力の最高峰が、本当に驚異的に楽しめる作品でもあると。

個人的にはですね、エイプたちの中では、シーザーを裏切る側……ウィンターっていう白っぽいゴリラであるとか、レッドっていう赤毛のゴリラであるとかの、まさに「人間的弱さ」っていうものの表現に、僕はいちばん心を打たれましたね。ウィンターっていうのがね、自分のしでかしたことの、文字通り取り返しのつかなさにおののくところと、あとやっぱりレッド。クライマックス、僕ははああいうね、クズ野郎が最後に残ったひとかけらの何かを奮い立たせて……っていうところ、やっぱり男泣きしてしまいました(笑)。あそこはね。という感じだと思いますね。

三部作並べて見返したとき、ドスンとした感動が来る

あとはやっぱりこの『猿の惑星』リブートシリーズの何がすごいって、普通に猿側に感情移入して、「人間死ね! 死ね死ね死ね、人間!」ってね、普通に思ってしまっている(笑)あたりが本当に実はすごいと思いますし。もちろん視覚効果。今回なんかもうすごすぎて、たぶん「CGがすごい」っていう風に、特に意識もしないような観客が結構いるんじゃないかな?っていうぐらい、すごい!っていうことですね。特に今回は自然の風景、自然現象の中での、本当に文字通り自然な存在感。「そこにいるんだ」っていう感じが、本当にすさまじい。たとえば、雪の粒が毛の11個にくっついている表現であるとか、あるいは雨に濡れた表現であるとか。あるいは、煙の中でこうワッてやるのとか。本当に驚異的ですね。

あるいは、海辺を馬で走るところなんかね。海辺の反射した姿も含めて、すごく自然に表現しなきゃいけないんだけど、本当に驚異的。あと、人間との絡みなんかも非常に複雑化していてですね。それらの素晴らしいショット、「これ、どうやってやったんだ?」って、冷静に考えると11個のショットに驚き、見惚れるだけでも、結構僕は、このゆったりとした尺は、むしろほしいなって思いましたね。ゆっくりとこの画を見せてくれ!っていう風に思うショットがいっぱいあったので。あとはまあ、先ほどから言っている通り、前半が西部劇、後半が収容所物になったりとか、様々な異なるトーンの物語水準というのを、ひとつのこの「シーザーの物語」という世界観の中で、きっちりとパッケージングして語り切る力量が、本当に、やっぱりマット・リーブスはさすがの腕ですよね。職人監督として、さすがなものがあると思います。

まあ一作目から順に見直していくとですね、もうここから……今回のラストを見た後で、一作目をもう1回、見直してくださいよ。あの無垢でかわいかったシーザーがさ(泣)……思えば遠くに来たもんだ、ってラストじゃないですか。だからね、たぶん三作、ちゃんと並べて見た時に、より今回の……今回のだけを見ると、たとえば重苦しかったり、鈍重って思う人もいるかもしれないけど、ちゃんと三部作として並べてみると、ものすごくドスンとした感動が来る。僕は、「だってこれ以外の終わらせ方は、ないでしょ?」っていう風に思う。見事な三部作だと思いました。

少なくともシーザー、(今回の)これによって完全に、映画史に残るヒーロー、キャラクター、という事になったんじゃないでしょうか? もう僕も、本当にシーザーペロペロの(笑)大好きなアレなんで。シーザーファンとして大満足の三部作、結末でございました。ということでぜひぜひ劇場で、IMAXも非常に美しかったので、劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アトミック・ブロンド』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート 起こし>

あの、さっきから評の中で『猿の惑星:聖戦記』、「重苦しい、重苦しい」とかついつい連呼してしまいましたけど、ちゃんとそのバランスを取るために、「バッド・エイプ」っていうコメディーリリーフ的なキャラが……またね、かわいいんだ、あれが。あれの、「はーっ!」って驚いた顔とか。あと、あの双眼鏡のギャグとか(笑)。そういう、すごい微笑ましいのもちゃんとあったりするんで。非常に楽しい作品なので、ぜひぜひ劇場で見ていただきたいと思います。

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