お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • 放送ログ

天才バレエダンサー、バッキング宮殿でやっちまいました(^^;)~熊川哲也さん

コシノジュンコ MASACA

2017年12月10(日)放送

ゲスト:熊川哲也さん(part 2)
1972年 北海道生まれ。10歳からバレエを習い始め、14歳のときに世界的名バレエ教師のハンス・マイスターに才能を認められ、1987年に9月英国ロイヤルバレエ学校アッパークラスへ入学。在学中はソ連レニングラード・ワガノワバレエ学校創立250年祭に英国代表として出演、日本人で初めてマリンスキー劇場の舞台に立ちました。翌年には第17回ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初のゴールドメダル受賞。1989年に英国ロイヤル・バレエ団に入団、ほどなく最年少(17歳)でソリストに昇進。1993年にはプリンシパルに昇格し、約10年間在籍した後1998年に退団。帰国後、自ら主宰するバレエ団「Kバレエカンパニー」を立ち上げ、2003年には付属のバレエスクールを設立。現在は日本全国年間約10万人の観客を動員し公演を行っています。2013年、紫綬褒章受章。
 

出水:今日は熊川さんのバレエ人生を紐解いていきたいと思うんですが、バレエを始めたのが10歳!なにかきっかえがあったんですか?

熊川:小学校4年生のときかな? 僕のいとこが兄妹でバレエを習っていまして。彼らが札幌にくるときにバレエの先生も一緒に連れて来たんです。うちのじいちゃんがいとこのためにスタジオを作って、先生を札幌に招聘してきたという。そういう身近な環境にバレエがあったので、僕も冷やかしに行ってたんですね。2年間冷やかしてたんですけど、さすがにもう冷やかしきれなくなって、自分もやるハメになりました。

JK:でも、男の子がバレエに興味をもつって珍しいですね。

熊川:いや本当に、「ビリー・エリオット」っていうミュージカルと同じですよ。バレエに全く関係のない男の子がバレエにはまっていくっていう、まったくそのまんま。僕は野球もやってたし剣道もやってた。ふつうの少年がやることしかやってなかったので、すごい特別なものを見た感じがしましたね。

JK:だけど、世の中に残っているバレエダンサーって、ヌレエフにしてもニジンスキーにしても、みんな男性よね。

熊川:まぁヨーロッパと日本はちょっと違いますけどね。日本でバレエをやるっていうのは絶対数が少なかったんで、どっちかっていうと変人扱いされるっていう感じでしたね。しかもタイツ。なんで男の子がタイツ履くの?って。あの時代に江頭さんがいてくれたらよかったですけど(笑)

JK:そうですよね、リアルですよね(笑)男性の衣装って、ピッタリしてて”リアル”だなっていっつも思うんです。なんていうか・・・ヌードみたいっていうか。ジャケットだけ着て、下はそのままでしょ?

熊川:まあ、男らしさの象徴。・・・ね!

出水:そういうことだったんですね(*^^*)その時から、自分に才能あるなと感じてたんですか?

熊川:いや、感じてないですね!比べられるのはいとこだけだったんで。

JK:アスリートみたいな感じで、面白いぞ!っていうような?

熊川:確かにそうですね。野球とかサッカーなどの球技は、投げて・打って・走る。ルールもすぐに分かったのでね。ただバレエは不思議な動きが多くて。わりと器用になんでもこなしてたんですけど、意外と戸惑いもあり。僕はゲームやらないですけど、ロールプレイングゲームのように、だんだん経験値を獲得してうまくなっていくという感じ。

JK:でも、小学校で出会うってなかなかないわよ。親が熱心だったとかならわかるけど、自分からっていうのは。それで15歳でロンドンへ行かれたでしょ? 15歳って英語もしゃべれないし、かわいそうっていうか・・・。

熊川:大変でしたね。いまなら、ドラえもんみたいなスマホで何だってできるじゃないですか。同時通訳だってできるし。

JK:寮とかに入ったんですか?

熊川:いえ、もっとカワイソウなところに入りましたよ。学校の教頭先生の家にホームステイしてました。お子さんがいない家で、しかもロイヤルバレエスクールの先生で、しかも他の男の子たちよりも2歳下で飛び級して入ったので、どうしてもみんな「面倒みなきゃいけない」っていう感じ。1987年。まだマーガレット・サッチャーですよ、時代は! すごい時代に行けたなーと。逆にいま思うと、いろんな経験ができたなと思います。

JK:何も考えずに行けた。あまり真剣に考えすぎると、怖いわよね。

熊川:外国に対してはすごく興味があったし。ただ、その当時抱いていた外国ってアメリカのイメージだったので、イギリスに行ったときに「なんか違うな?」と思って。英語だけじゃなく、見た目も含めて、狭いし暗いし。メシはまずいし、ハンバーガーないの??ステーキは?!みたいな(笑)

JK:お料理は絶対に面白くないですよね。

熊川:いや、ひどいですよ、草履みたいなステーキが出てきましたから! そういえば、妹のミチコさんにロンドンで会いましたよ。90年代ですけど。一緒に遊びましたよ。覚えてるかな~??

JK:聞きましたよ。家にも行ったことあるんでしょ?

熊川:行きましたよ!ノッティングヒルゲートの。でっかい家に住んでましたね~!そこにホームステイしたかったです(笑)

出水:ロイヤルバレエ学校に入って2年後の1989年、ローザンヌで日本人初のゴールドメダルを受賞しました。さらにその後、東洋人として初めて英国バレエ団に入団して、史上最年少でソリストに昇格。その時まだ10代ですよね?!

熊川:あっ本当だ。10代だ。中学卒業で留学して、ローザンヌは高校1年ぐらい。入団おも同じぐらいですね。16歳の時なので。

JK:うわー、もうカワイソウっていうか、偉いというか・・・!

熊川:親心っていうやつですね(笑)ジュンコ先生が僕のお母さんだったらなー。

JK:でも、体にちゃんとしみついてるから、財産が。経験こそが最高の財産。

熊川:でもあの当時、東洋人に門を開いて、しかもあの若さで入れてくれたイギリス人の懐の深さというか、閉ざされた社会のままではいけないという危機感もあったのかもしれませんね。ノブリスオブリージュの世界ですから。それもひとつの出会いですね。僕を受け入れてくれたその方は、いまでも恩師です。

JK:そこにつながったことが、最高ですね。

熊川:計画してやろうと思ってもできないことですからね。英国バレエ団の契約をもらったのは、ローザンヌに行く前だったんですよ。1か月ぐらい前に呼び出されて、「君と契約したいんだけど」って言われて。多分、ローザンヌという世界の檜舞台にいけば世界中からスカウトが来ているので、その前に契約を、ということだと思います。

出水:ロイヤルバレエ団を退団した後、26歳でKバレエカンパニーを立ち上げました。日本におけるバレエ教育や人材育成に大きな功績を評価されて、2015年に第24回モンブラン国際賞を受賞しています。Kバレエカンパニーでは、どんなことを心がけていらっしゃるんですか?

熊川:やはりバレエを志す少年たち・少女たちの環境を整えて、与えたい。一貫してそれしかないですね。

JK:Kバレエっていうと、子供がね、小学生が一番鍛えられると思いますよ。団体、1人じゃないものね。チームワーク。そういう意味では、子供のころから育てるってすごいこと。

熊川:そうですね。あとは、才能のある個人を育てていく。で、その後に、憧れとなるカンパニーの運営をしていかなきゃいけない。Kカンパニーが、子供たちが将来踊りたいと思う目標の場所でなくちゃいけない。

出水:ちなみにKバレエカンパニーには、いくつぐらいの子供がいるんですか?

熊川:本校がある小石川は、10歳以上。それ以外の分校では3~4歳からやっています。まあ、あんまり早いうちからやっても、子供たちはすぐ飽きちゃう。

JK:そうなんですよね、子供って。出会っちゃうとすぐ気移りしちゃうからね。基本的に親が熱心ですよね(笑)

出水:「大人のための「BALLET GATE」というのもやってらっしゃるそうですね? 大人のクラスを作ろうと思ったのはなぜ?

熊川:やっぱりバレエの美しさとか、バレエがいかに豊かな時間を過ごせるかということとか。おしりの筋肉もあがるよ、とか(笑)

JK:出水さんもいかがですか?

出水:やりたいです! もう、まったくもって柔軟性がなくなってきたので。

熊川:入ったらどうですか?僕が教えますよ。ジュンコ先生もどうぞ。

JK・出水:エーッ! 本当に??ちょっと、聞きました??

熊川:レオタードをプレゼントしますよ。ピンクの。網タイツで。あと、ウサギの耳。尻尾もついて(笑)

JK:Σ(゚д゚lll)

JK:ご自分にとって、MASACAっていう瞬間は?

熊川:MASACAだらけの人生ですね、僕は。自分の経歴を見ても、MASACAな感じですよ? 幼少のころからイギリスに行くまでも、MASACAな話じゃないですか。でも、一番のMASACAは、バッキンガム宮殿に車で事故ったことですね。

JK:エエッ?! 事故った?!

熊川:たぶん僕だけじゃないですか? バッキンガム宮殿に突っ込んだの。バッキンガム宮殿の前ってロータリーになってるんですよ。調子にのって走ってたんです。その時は衛兵の交代が12:00にあって、ちょうど11:55ごろ走ってた時に、もう面前で車のシャフトが折れて、そのままガーッと宮殿に突っ込んだという・・・。

JK・出水:えーっ?!

熊川:ガードもポリスもみんな来て、もう大変な騒ぎ。でも、みんなからカメラ向けられて気持ちよかったですけれど(笑)

JK:そこで初めてスターになったのね(笑)

熊川:僕、ネス湖にも突っ込んで落ちたことがあります。スコットランドでドライブしてて、山道で。

出水:エッ(⁻⁻|||)

JK:完全に落ちちゃったの?!

熊川:んー、まぁ、ちょっと盛っちゃいました(^^;)落ちたのは、ネス湖の反対側の崖。危なかったです。今となっちゃ最高の自慢、武器ですけどね!

JK:いまは車は何を乗ってるんですか? 何台くらい?

熊川:また、そういう話(笑) 何台かな、8台?

JK:じゃあ、毎日違う車に乗れるわね。

熊川:雨の日はコレ、週末はコレ、みたいな。

出水:1週間乗っても余るじゃないですか・・・。

熊川:でも、今は自転車に乗ってます。

JK:まっカワイイ(笑)

出水:それもカッコいい自転車なんですよね?

熊川:いや、ママチャリも。近所に行くときはそれでゴハン食べに行ったり。

JK:でも、自転車の事故も結構あるでしょ?

熊川:ありますね!あれは気を抜くと危ないです!僕の家は坂道なんですけど、家を出てから1漕ぎもしないで駅まで行けるんですよ。もちろん、フラットな部分やS字の部分もあるんですけど、そこは気合を入れて、ハングオンを決めたり(笑)

出水:言ってることがレーサーですね(笑)

JK:これから何をやりたいですか?

熊川:新作を作っていきたいですね。「シンデレラ」を‘12年にやって、「カルメン」を’14年にやって、今度は「クレオパトラ」。やっぱり女性に関するタイトルが多いですね。童話の中で永遠に未来永劫生き続けるシンデレラ、そのシンデレラに勝つ女性が、自由奔放に生きるカルメン。じゃあ、そのカルメンに勝つのは誰なの?!っていうところで・・・コシノジュンコに行こうかなと!

JK:いやー! みなさま、どうしましょ?? ありがとうございます!

熊川:これが僕のMASACAです(笑)ジュンコストーリー! ラストはどんなふうに終わらせようかな? 男の生き血を吸って生きるとか・・・バンパイア風もいいですよね!

JK:私も漫画みたいな人生ですから、それでいいです(笑)

=OA楽曲=

M1. ハバネラ (ビゼー:歌劇「カルメン」より) / フィリッパ・ジョルダーノ