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【音声配信】「文化系大新年会2018」Part7(外伝2)▽TBSラジオ「文化系トークラジオLife」2018年1月1日放送分▽鈴木謙介、西森路代、澁川祐子、矢野利裕、塚越健司、倉本さおり、宮崎智之、斎藤哲也ほか

文化系トークラジオ Life ニュース版

出演:charlie(鈴木謙介)、西森路代、澁川祐子、斎藤哲也、倉本さおり、塚越健司、矢野利裕、宮崎智之

「文化系大新年会2018」Part7(44’22″)

〇テクノロジーの可能性
・人間よりも人間らしくなるAIと遺伝子編集技術(塚越)
 →人間とは何か(塚越)
 →人間の枠を拡張する議論(塚越)
 →人間っぽくなるロボットたち(塚越)
 →スマートスピーカーに話しかける子供達(c)
 →想像力の拡張(c)
 →ロボットは社会制度に組み込まれるべきか?(c)

・ロボットに人間は勝てない(リスナー)
 →幸福への一手として機械に学ぶ(リスナー)
 →将棋ソフト不正使用(リスナー)
 →人工知能と人間の職の議論(リスナー)
 →人間の仕事を人工知能が奪うのか、代替するのか(c)
 →実際に任せてみて分かってくることもある(c)

・VRのモバイルコンテンツに期待(リスナー)
 →エンタメとして昇華される VR(c)
 →やっている人を見るのが楽しい(c)
 →移民の砂漠越えの VR を見る(塚越)
 →立場を選んで鑑賞できる(塚越)
 →自分で自由なスペースを確保することで完璧な体験へ(塚越)

・「収束」がキーワード(宮崎)
 → VR はダイバージェンスを与えられるか(宮崎)
 →皆がどこにいるか、を見て立場を決めるとまた変わってくる(c)
 →開発版 MR はまだまだ(塚越)
 →ネトゲのような複数人プレイのゾンビゲーム(c)

◯私はどこから見ているのか
・単なるレシピだけでなくその人の人生が詰まったレシピ本(澁川)
 →90歳以上の料理家達と第2の人生(澁川)
 →年齢の説得力(c)
 →高齢化で人生の先輩も高齢化(c)

・遺伝的多様性を守る科学者たちの戦いを描く
   『世界からバナナがなくなるまえに』(c)
 →『日本ノンフィクション史』(c)
 →フェイクニュースが蔓延する現代の報道(c)
 →フェイクニュースがテーマのドキュメンタリーが多い(西森)
 →テレビが何を伝えていくのか(c)
 →客観的・中立的にするにはどうしたらいいのか(c)
 →入り込んでいく主観(c)
 →危機感から戦争をちゃんととらえなおすドキュメンタリー(西森)
 →リテラシーや態度が問われる(c)

・『新しい小説のために』(倉本)
 →主観が交じった時点でそれはフィクション(倉本)
 →客観的真実など存在しない(倉本)
 →人間は一か所からしか見れない(c)
 →「皮膚で理解する」テクノロジーは何をわかっているのか?(塚越)
 →限界を超えるときになにが起きるのか(c)

・人間の分析ではもう理解できない人工知能(澁川)
 →ドキュメンタリーとしてどこから見るか(澁川)
 →概念を獲得するAIとデータから判断するAI(c)

・2018 は自分を出していく(斎藤哲也)
 →「バンドやろうぜ」でかけたオリジナル曲「虹の欠片」(斎藤)

斎藤哲也さん 撮影:ササキミチヨ

           text by 千葉彩佳

〇 Life 関連アーカイブ

2016/10/23 「 2.5 次元を生きる~ VR ・ポケモン・コンビニ人間」
https://www.tbsradio.jp/life/2016102325vr/index.html

2009/07/26 「バンドやろうぜ」
https://www.tbsradio.jp/life/20090726/index.html

atプラス32(吉川浩満編集協力)ホモ・デウスDVD BOOK ~全世界でベストセラー『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ最新作 (宝島社DVD BOOKシリーズ)いのち愛しむ、人生キッチン 92歳の現役料理家・タミ先生のみつけた幸福術きのう、きょう、あした。世界からバナナがなくなるまえに: 食糧危機に立ち向かう科学者たち日本ノンフィクション史 - ルポルタージュからアカデミック・ジャーナリズムまで (中公新書)新しい小説のために

※時間の関係で一部しか紹介できなかったリスナーからのメール、
長文の力作でしたので、以下に全文を掲載します。

嘉山正太 メキシコシティ、メキシコ

明けましておめでとうございます。初めてメールを送らせていただきます。メキシコ在住10年目になる海外在住者です。普段は、テレビや映画制作などの仕事をラテンアメリカ各地域でしております。ライフは、数年前から拝聴しており、日本語であーでもないこーでもないと話す雰囲気、外国にいるということもあり毎回懐かしく感じ、いつも楽しみに聞いております。

2017年の気になった文化系トピックは、予告編でも少し話題が出ましたが、「越境」に関してです。ここメキシコでの「越境」は「世界でもトップクラス」の状況ではないかと思います。その「越境」とは、勿論観念だけではなく、実際に境を越えること、つまり国境を越えてアメリカに渡る「移民」ということです。トランプ大統領就任以降、特に不法移民に関して取りざたされることが多いテーマではありますが、実際に仕事を通じてメキシコーアメリカ間で「越境」と「移民」ということを目の当たりにする機会が多かった2017年、気になったテーマはやはり人は何故境を越えていくのか、そして越えた先に何があるのかということです。

2017年はメキシコの各地で移民に関する撮影・取材を行いました。総勢でメキシコ、アメリカ含めて合法・不法含めた数十人にインタビューを行い、それぞれの人々の話が非常に深く、リアルで、衝撃的でした。メキシコに長年住んでいて実際にテレビなどで見ることはあった人達ですが、実際に目の前で話を聞くことになり、それはとても想像を超える経験となりました。

特に印象に残っているのは、アメリカを目指してメキシコにやってきたホンジュラス出身の少年です。出会ったのはメキシコのカリブ海沿いの州にある、移民シェルターと呼ばれるボランティアで寝食を移民に提供する施設です。そこに一時的に身を寄せていた少年。まだ15歳ぐらいの年なのですが、ホンジュラスの生まれ育った地域の治安があまりにも悪いために国を出ざるを得ませんでした。週給15ドル程度の仕事をしても、マフィアに半分以上の売り上げを上納しなければならず、また親もおらず祖母と兄弟数名で暮らしているという状況で、経済的にかなり厳しいようでした。彼の越境の目的は、家族を助けたい、祖母の足が悪くなってしまったために、長男である自分が働きに出て家族を助けたいということでした。

出会ってからしばらくすると広場で自転車にまたがっていたので、不思議に思ってその自転車はどうしたのかと聞きました。すると、その自転車でホンジュラスからメキシコの南部まで来たというのです。そこはホンジュラスの彼の家があるところからは数千キロの場所であり、とてもではないですけどまず自転車で行くということが考えられる場所ではありません。すでに自転車はかなりぼろぼろになっていました。悪路のために、直し直し使って、そこまで来たというのです。そして、話をするうちに国境付近の話になって、彼から「どの国境が渡りやすいか」という、意見を求められました。実際に、既に何度か国境近くの取材には行っていましたが、そうして意見を求めらてのは初めてでしたので少し戸惑いました。それは、勿論、下手なことを言って、彼を危険にさらすことは出来ないと思う反面、確かに彼にしてみれば、既に国境を知っている人間として見られているのだと。私は取材者であるという意識で彼に接していたのですが、彼の目には国境を既に知っている人間、情報を持っている人間として映っていたことなのでしょう。その時に、ふと私自身が傍観者の立場から、国境のシステムの中に少しずつ組み込まれていく感覚を覚えました。

彼と出会って思い返したのは、自分がバックパッカーで旅行していたときのことです。それは旅行者同士で宿に集まれば、情報交換をし、仲良くなれば一緒に食事をしに行き、そして旅を一緒にすることもある。その中で物を交換することもあるし、自転車で旅行するチャリダーと呼ばれる人達もいる。それを思い返すと、移民の人々もバックパック一つでメキシコにやってきて、色々な危険と対峙しながらも、同じ仲間に出会うこともあれば、シェルターで少しばかり骨休めをすることもあるし、メキシコの様々な街を見ながら、体感しながら、通過していくのだと。確かに出会った他の移民の人達は、メキシコ各地の遺跡などを通ったときの写真を見せてくれたり、各地のシェルターで貰ったTシャツなどを持って思い出を温めているように見えました。

その時に感じたのは、彼らもまた大きな旅をしているのだな、という実感でした。ホンジュラスの少年と話していると、不安だけでなく、これから新しく知ることになる世界に対する、あこがれや期待というものを言葉の端々に感じたのです。中米や南米で貧しい人達は沢山います。私達が想像するよりも沢山います。本当の貧しさというのは、知識だけでは得られる物でなく、その中に入っていくことで分かることで、そういう意味で貧困な私の想像よりも貧しいと言うことは辛い現実でした。そして、不法移民と聞くと、やむを得ぬ事情で村を出た人、貧しさからの脱却という一面で語ることが殆どだと思いますが、実際に彼らと話すことで、そういったイメージ以上に「人生を切り開いていく」という強い意志を彼らから感じました。少なくとも私の目に映る彼らは、可哀想なだけの人ではなく、強い意志を持って前進しようとしている人に見え、自分の手で扉を開けようとしている人に見えました。もし自分がそこで生まれたらと思うと、こんな危険な旅路は怖くてすくんでしまうかもしれません。旅路の危険、困難を思うと、かける言葉が見つかりません。彼らの前に進もうとする意思は、どんな人でも持ちうるものではありません。貧しい地域に生まれても、移民に行かない人の方が多いのですから。あまりにも危険で。だが、ある日彼らは、北に行こうと思い立って、家を出るのです。それを思うと、移民を頭で理解するのではなく、ふと体で感じ、彼らが見ているものは何かということが少しだけ感じれたような気がしたのです。上手く言葉にすることは出来ませんが、人生の中で、勇気を持って外に踏み出す一瞬、の感覚。自分の人生を振り返り、日本を去った日のことを思い出し、彼らと深いところで共鳴しました。自分の人生が何か変わるかもしれないと思いながら、足を踏み出した日のこと。
 そして、次の瞬間、やはりあまりにも違う状況に愕然としてしまいました。

彼らを見送りながら、できる限り人生を切り開いていって欲しいと願うばかりでした。

その時の取材では、私の自宅から移民シェルターに寄付をしようと思って古着を持っていきました。取材が終わった後、ちょうどそのホンジュラスの少年は少し大きめの私の使い古したシャツを気に入って着ていました。古着なので少しは思いいれのある服です。それを着て、彼はこれからメキシコの様々な街を通過し、色々な人に出会い、良いことも悪いことも起こり、そしていつか彼は国境を渡る。そう思うと、どうしても胸が熱くなってしまいました。

出会った移民の人々、話を聞いた全ての移民の人々に、それぞれ語るべき話があったように思います。どの移民の方の話も、彼らの言葉を理解し、想像することが出来るなら、そこまで遠い人達ではなく、地続きの人々であるということを感じるのです。移民と言うことで、私自身もそういうようにカテゴライズしてしまうのですが、実際に彼らと出会って感じる、将来に対する期待と不安の質は、どこか既視感のあったもの、懐かしかったもので、それが一番の発見でした。結局、毎日兄弟と喧嘩したり、親に悪態をついたり、学校の勉強もそこそこしか出来なかったり、女の子のことを友達と話したり、週末にみんなで遊びに行くことにドキドキしたり、いつかは親の助けになりたいと考えたりと、ごくごく普通の人達でした。少なくとも私が出会った人達は。知らない間に状況がどんどん悪くなって、ある日越境への旅に出ることになってしまっただけで。

12月にはイニャリトゥ監督の最新作カルネ・イ・アレナという移民が実際に砂漠を越えていくときのシーンを六分で再現したVR作品を見ました。そこには、私が見ることがない、移民の人達が越境していく場面が映っていました。取材や撮影ではメキシコ入国からメキシコを通過するところ、そして最後の国境、またアメリカ到着後まで様々な場面を目撃しましたが、一緒に越境することはありませんので、そのVR作品で体験した衝撃はすさまじく、映像体験的にも色々な意味で完全に越境してしまったことを感じずにはいられませんでした。それは、ホンジュラスの少年を通じて感じた、様々な感情とはまた別の、残酷なリアルさがありました。メキシコひいてはアメリカ大陸においては、500年前の入植から越境と移民から逃れられることはないように思います。そしてそれが新大陸の大きな魅力であり、悲しみでもあり、可能性でもある、と。
 
2017年は非常に「越境」と「移民」に関して考える年になりました。移民も越境も、テーマとして非常に広いので、書きながらとりとめのない文章になっていること非常に感じますがご容赦いただければ幸いです。来年の年始めも国境の取材から始まる予定なので、また新しい彼らと出会ってくることと思います。改めてメールできれば幸いです。番組、楽しみにしております。皆様、お体ご自愛ください。