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苦しくったって、オリンピックがあれば平気なの ~大林素子さん

コシノジュンコ MASACA

2018年1月21日(日)放送

ゲスト:大林素子さん(part 2)
1967年、東京都小平市生まれ。
八王子実践高等学校在籍中に日本代表チームに初選出され、国際大会デビュー。182cmの長身を活かし、コートを横断して打つ「モトコスペシャル」など、攻撃の要として活躍します。オリンピックにはソウル・バルセロナ・アトランタと3大会に出場し、1997年に引退。現在はスポーツキャスター・女優・タレントとして活躍しています。日本バレーボール協会広報委員、神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科客員教授。
 


出水:子供のころから運動神経が飛びぬけていたんですか?

大林:今だから言いますけど・・・私、子供のころはあんまり運動が好きじゃなかったんです!バレーボーラーには聞かせられないんですけど。苦手だったんです。学校の体育の時間も、「ふつう」か、それ以下。

JK:えっ。なんでそんなに大きくなっちゃったの?

大林:もともと幼稚園のころから身体が異常に大きくて、「ジャイアントモトコ」とか「デカバヤシ」とか、言葉の暴力もわりとありました。気が付いたら小六で170㎝、でもスポーツが得意ではなくて、アイドルとか舞台をやりたかったのに、男の子から「背が大きいから歌手は無理だ」と言われて落ち込み・・・。それで家に引きこもってた時期に「アタックナンバーワン」を見て、バレーボールは背が高いほうが有利なんだということに気が付いて、いじめてた子を見返してやろう!みたいな(笑)

出水:中学校から始めたんですよね? 始めた時は当然うまくいかないと思うんですけれど、どの時から「私この道でやっていこうかな」と感じたんですか?

大林:へたくそなのに、練習が嫌いでサボってるのに、オリンピックに出たい!というのだけはずっとあったんですよ(笑)

JK:オリンピックっていうステイタスがあるからね。

大林:もう、「アタックナンバーワン」が憧れだったので! 最終的にオリンピックを目指す、という話なので、とにかくオリンピック!と思って始めたんです。サボってできてないのに、その思いはずっと消えることなく。でも、試合をやっても勝てないんですよ、サボってるから。私は運動能力も体力もそんなになかったので、足も遅いし。芽が出たのは中学の後半から。やっと身長と体力のバランスがとれたかな、という感じでした。高三で全日本のチームに選ばれたときに体育の成績も変わりました! いつも3だったのが、突然5、みたいな(笑)

JK:一芸じゃないけど、ひとつ秀でるというのは大きいですね。

出水:高校卒業後は日立製作所に入団して、バレーボール選手として活動するんですが、ここでの生活がかなりストイックだったと聞いています。

大林:おそらく今の平成世代は練習のやり方も科学的・合理的なので、この時間は練習、水分をたっぷり摂って、練習が終わったら何を摂って、というのがあるんですが、昭和の私たちの時代は「気合」と「根性」。あの当時は恋愛だったり遊びだったり、甘いもの食べたりとか映画みたりとか、全部なし! バレーのみ!

JK:チームで動いてるから、個人的なことは何もなし、ってことですか?

大林:個人的に何かをやってもいいんですけれど、やる時間がない。1日8~10時間練習。お休みも、ソウルオリンピックに出ていたころは3ヶ月に1日あるかな~?ぐらい。オフっていう言葉は基本的に知らないです(笑)

出水:うわぁぁ。毎日練習が当たり前?

JK:会津にも行けない(笑)

大林:行けなかったんですよ、選手時代は! オフは体を休める日。当日になって監督が「今日は休み」と言うので、予定を立てられない。

出水:食べ物も管理されていたんですか?

大林:甘いものは禁止。私はお菓子も炭酸ジュースも大好きだったので、それがダメ。寮生活で、栄養士の方がいいというのを食べて、果物、ヨーグルトが唯一食べていい甘いもの。足りないものはサプリメントとかで補う。

出水:当時、バレーボールがなかったらやりたかったこと、って何ですか?

大林:炭酸ジュースと生クリームのケーキ! 若い世代だったので、自分の中で、あの試合に勝ったらご褒美に、コンビニで苺ケーキを食べよう、といって、罪悪感を感じながら食べてました(笑)

JK:でも、その時の訓練がついてるから、今でもスリムね。ずっと体型維持してるじゃないですか。

大林:我慢はわりと慣れてるかもしれないですね。でも舞台をやると、食べ物とかコントロールするようになって。アスリート感が抜けないですね(笑)

出水:スポーツ選手としての舞台といえば、オリンピック!大林さんは‘88年のソウル、’92年のアトランタ、’96年のバルセロナと、3度経験していらっしゃいます。初出場のときは21歳。オリンピック、決まった時の心境は?

大林:でも私たちの時代は、オリンピックは出るのは当たり前だったんです。出場権を取るのはそんなに大変じゃなくて、金メダルを取らなくちゃいない、っていう感じで動いていました。‘84年のロサンゼルスが銅だったので、「お前らは銅じゃだめだ、金なんだ!」って言われて生きてきたのでね。開会式で入場行進してる時は、背の順で大きいほうから入場するので私が一番先頭で、初めて大きくてよかったなと思いました!

JK:私もオリンピックの開会式、行ってます。男子バレーボールのほうでしたが。

大林:男子も、河合俊一さんとか。あの時はさすがにうれしいんですけど、やっぱり目指すのはメダルだから、負けたら帰れないという気持ちで当時の私たちは生きてました。行きと帰りの落差。行きは空港にメディアがうわーッといて、帰りはメダリストから先に降りて、私たち4位の入賞者が下りる。その時にはお客様もマスコミもいないゲートを、静かに通り過ぎるという・・・。犯人のように。もう犯人扱いでした。

JK:犯人のように(笑)金メダルは光って帰ってきますよね。

大林:でも、その悔しさがあるのでまた4年後頑張ろう、と。メダルがなかったから私は頑張れたのかな、と思います。

JK:でも、プロになるというのはすごいことですよね。

出水:日本人初のプロバレーボール選手として、5か月間にわたってイタリアでプレイしたんですよね。

大林:そうです。それまで日本にはバレーボールのプロがなくて、ソウル、バルセロナはそれぞれ4位、5位で勝てなかったんです。でも、日立はとても強かったので、日本国内ではトップ。どうしたらオリンピックでメダルを取れるのかなと思って、周りを見渡したらオリンピック選手はみなイタリアのセリエAで試合をしている。プロの時代なんだと思って、向こうでプロになって自分が大きくなってから最後のアトランタに挑戦したい、という思いで行きました。

JK:それはどういう風にして入れるんですか?

大林:もともと日立にいたので、日立のチームとしてプロになりたいと思ったんですがうまくいかなくて。本当にたまたまイタリアのセリエAのコーディネーターと出会って。ちょうどサッカーの三浦知良選手のことをマネージメントしていた人につながって。本当にありがたかったです。

JK:人生で最高のMASACAって何?

大林:最高のMASACAは、イタリアに行くきっかけ。日立のチームに所属していたんですが、私はそこから解雇されたんです。プロ化騒動で、日立にプロになりたいとお願いしてもののダメだったから、もう1年頑張るので来年になったら辞めさせてください、とお願いして、会社もじゃあまた来年考えよう、と口約束をしていたんですれど、辞表を撤回した翌日、会社に行ったら「解雇です」って言われた。今日中に荷物をまとめて出て行ってくださいって。えっ、なんで?私、マスコミにも昨日「がんばる」って宣言しましたけど?みたいな。ドーッと突き落とされましたけども、それがあったから、イタリアのコーディネーターの方ともガッツリつながったし。

JK:そういう意味では、ストーリーはうまく行っちゃってるけれどもね。

大林:もう、あの時のマサカ感は!私、新聞の一面に一人で出たんですけれど、それも犯人みたいだったんですよ(笑)大林、日立解雇、みたいな感じで出て。その新聞も全部買いましたけどね。一面に載るなんて、なかなかないから(笑)

出水:いまも取ってあったりするんですか?

大林:実家のどこかには(笑)でも、私たちがそうやったことで、プロリーグにそのあと続いて、移籍もスムーズにやれるようになったので、バレー界にとってはきっかけづくりになったのかなと思います。企業にもすごく感謝してますし。あの時いろいろありましたけど、だからこそ新たな道が開けた。ネタみたいに言ってますけど(笑)本当にお世話になってありがたいなと思っています。

出水:ご自身がいろいろなことを経験しているので、試合の解説でも選手たちにすごく愛のこもったコメントを返しているのが素敵だなと思います。選手たちへのエールを送ることも、意識していますか?

大林:技術解説・戦術解説は、専門家としてやるのは当たり前ですけど、やっぱりスポーツは人がやっているので・・・あの子たち、ものすごく頑張ってるんですよ!全日本のみんな。メディアでは誤解されたりイメージがついちゃったりするので、ちょっとでも、私なりに選手の良さを出してあげたいなと思って、自分なりにやっているつもりです。

出水:スポーツ界では、やはり2020年の東京オリンピック・パラリンピックがありますが、どのような気持ちですか?

大林:なんといっても、中垣内監督と中田監督なので!

JK:監督にはなりたくなかったんですか?

大林:1ミリもないです! 私、まったく向いてないので! 中田さん頑張ってますよ~、もうカラッカラになりながら(笑)中垣内君も同期だし、同世代の監督がオリンピックでメダルを取る瞬間を伝えたいな、というのが私の夢。そのときにも解説したいなと思います。

JK:なんてったって、東京でやるんですから。本当に頑張ってもらわないと。

大林:ジュンコ先生のユニフォームが復活しないかしら?

JK:本当!今度こそ女子をやりたいわ。64年で女子が優勝してるでしょ、「東洋の魔女」で世界を驚かせたでしょ。もう一度やってもらいたいですよね。

大林:そう、その瞬間を期待したい!

=OA楽曲=

M1. アタックNo. 1 / 大杉久美子

M2 仮面舞踏会 / 少年隊