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【映画評書き起こし】宇多丸、『デトロイト』を語る!(2018.2.3放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『デトロイト』

(曲が流れる)

1967年、ミシガン州デトロイトで起こった暴動と、その最中に発生した白人警官による黒人たちへの不当な尋問や殺人の模様を緊張感あふれるタッチで描いた社会派ドラマ。監督は『ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』のキャスリン・ビグロー。出演は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』などのジョン・ボイエガ、『リトル・ランボーズ』のウィル・ポールター、『ストレイト・アウタ・コンプトン』でイージー・E役を演じたジェイソン・ミッチェルなど、ということでございます。

 

■「いきなり今年ベスト候補が来た!」

ということで、この『デトロイト』をもう見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、多め。非常に評価も高いし、注目作ということなんでしょうかね。多めでございます。賛否の比率は「賛」(褒めている人)が9割以上。非常に高評価です。「辛い、怖い、後味悪い。でも、決して目をそらしてはいけない傑作」「黒人差別が描かれているが、しかし決していまの日本でも無縁ではない普遍的なテーマを描いた作品」と評価する声。「今年ナンバーワン候補」との声が多い。ごくわずかながら、「あまりにも淡々と始まるので盛り上がらず」「黒人青年たちは警察に尋問されながら、なぜ真相を言わなかったのか? そこが疑問で話に入り込めなかった」という声もありました。

代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「いーちゃん」さん。「『デトロイト』、見てきました。噂に違わず凄まじい映画でした。終始動きまくるカメラと当時の映像が挟まれることで、当時の本物の暴動を見ているような気分を味わいました。そしてそれによってえぐり出されるのは黒人への差別問題もそうですが、圧倒的マジョリティーが力のないマイノリティーを暴力で押さえつけるという、いまでも繰り返されているものでした。ジョン・ボイエガは映画秘宝のインタビューで、『いまの時代は当時と何も変わっていない』と語っていました。たしかにその通りですね。年間ベスト級です」という。本当に実際にね、丸腰の黒人の青年を警察が撃ち殺しちゃって、それで無罪になっちゃうって、全然いまでも、いまだに散々繰り返されていることですからね。

イマイチだったという方。「ユニバーサル・ソルジャー」さん。「『デトロイト』をウォッチしてきました。なんだか悲しいのですが、微妙でした。というのは、なにかが起こりそう、怖いという、いわゆる“予感の描写”が物足りなかったように感じたからです。ゼロだったとは言いませんが、その描写が十分になされることはなく事態が悪化していくので、映画的になにか事件が起こる必然みたいなものを感じることができませんでした。一応当時の社会情勢は説明はされるのですが……」というようなことですかね。はい。

ということで『デトロイト』、私も実は週刊文春の別冊ムック、『週刊文春エンタ!』というので星取表をやっていまして。それで結構いち早く拝見しておりました。そしてさらにTOHOシネマズ日比谷シャンテで、このタイミングで見て。計3回ぐらいは見ていますね。いきなりもう結論から言えば……先週『ガーディアンズ』評の締めで、「今年のワースト候補、来ちゃいました」なんてちょっとおちゃらけて言っちゃいましたけど、その翌週に、今度はいきなり今年ベスト候補が来た!っていう感じだと思いますね。キャスリン・ビグロー監督、これまでも……僕の表現で言うならば、「極限状況下の、異常な緊張状態の中、いつの間にか一線を越えてしまう者たち」。自分でも気づかぬうちに一線を越えてしまう者たちっていうのを、キャスリン・ビグロー、これを一貫して描いてきたと思うんですけど。

 

■“豪腕監督”キャスリン・ビグローの文句なしの最高傑作!

豪腕監督キャスリン・ビグロー。特に、今回も脚本・製作を手掛けているマーク・ボールさんと組んでの、『ハート・ロッカー』(2008年)――この番組でも散々因縁はございますが(笑)――『ハート・ロッカー』(2008年)。そして、この番組では結局ガチャは当たらなかったんですけど、『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012年)。これ、素晴らしかったですね。『ハート・ロッカー』よりもさらに素晴らしくなっていた『ゼロ・ダーク・サーティ』と、とにかく観客の神経を逆なでするような、ヒリヒリしたテンションの社会派路線。マーク・ボールさんと組んでの路線で、なにかひとつキャスリン・ビグロー、完全に掴んだ感じっていうか、このところ、本当にグイグイと作品クオリティーを上げてきた、という感じなんですけども。

まあ、その延長線上ですね。『ハート・ロッカー』『ゼロ・ダーク・サーティ』と、どんどんよくなっているその延長線上で、ついに圧倒的な、文句なしの最高傑作をキャスリン・ビグローが叩き出してきた、という感じだと思います。キャスリン・ビグローの、間違いなく最高傑作だと思います。さっそく、順を追って本題の方に行きたいんで。みなさんにこの作品の凄まじさ、そして奥深さを僕なりにお伝えできればなと思いますが。

まずこの映画、ちょっと構成が変わっているんですよね。本題、メインの、いちばん重量が置かれている話は、1967年、アメリカ史上最大級と言われるデトロイト暴動、その最中に起こって、結局歴史の闇に埋もれてしまっていた「アルジェ・モーテル事件」という……これ、どんだけ埋もれていたか?っていうと、キャスリン・ビグロー自身もこの映画の脚本を持ち込まれるまでは知らなかった、というぐらい。そのアルジェ・モーテル事件がメインで。

■断片的な描写の積み重ねでデトロイト暴動を俯瞰的に語る

で、これ、今回の映画の宣伝コピーにも「衝撃の40分を目撃せよ」なんてある通り、そのアルジェ・モーテルの中、つまり非常に閉鎖的な空間の中でネチネチと繰り広げられる、「尋問」という名の拷問や嫌がらせ、そして殺人……ちなみにこの尋問描写っていうのはやっぱり、『ゼロ・ダーク・サーティ』の前半部で、本当に磨き上げられた尋問描写っていうのがあるんですけどね。まあ尋問という名の拷問や嫌がらせ、そして殺人。その地獄のような一夜を、延々と描く40分間。これが144分あるこの本作のメインとなる、本題の部分なわけですね。ただ、この『デトロイト』という映画は、その核心部分にいきなり入っていかない。要は、時代の状況説明だけサッとすまして、いきなりアルジェ・モーテルのところから始めて、後日、裁判でこういうことになりました、ってあっさりと済ますこともできるんだけど、そうではなくて。

結構まず、出だしにたっぷりと尺を取って。まずはその、巨大な暴動が起きるに至った経緯、さらにそれが収拾がつかない事態へとどんどん泥沼化していってしまう様っていうのを……まず最初にアニメーションで、一通りの、言ってみれば海外の観客向けっていうのもあるかもしれないですけどね、何もわかっていない人にも、アメリカの黒人が都市部でどのような扱いを受けてきたのか、っていう歴史をまず、大前提のところをアニメで見せて。そこから、実際のニュース映像や記録映像などとほとんどシームレスに……要は、ニュース映像や記録映像とあんまり質感的に差がないような感じで、シームレスに(新たに撮った映像と現実の画が)お互い挟み込まれるというか、交互に見せられるような、要はものすごくドキュメンタリー的な、徹底したリアリズムで(暴動が泥沼化してゆく過程が)描かれる。

しかも、視点を固定しない。つまり、「この人が主役で、この人の視点で進みますよ」っていうようなところが、序盤は固定されない。言い換えると「非物語的」な、物語的ではない、ぶつ切りの、断片的な情景の積み重ねで、このデトロイト暴動という状況全体を、俯瞰的に描き出していく、という感じですね。で、このあたり、ケン・ローチとかポール・グリーングラス監督作、あとは『ハート・ロッカー』もそうですけども、などで知られる撮影監督バリー・アクロイドさん。この撮影監督十八番のドキュメンタリックなタッチと、これ編集のウィリアム・ゴールデンバーグさん。これがいい仕事しましたね。この2人の見事な仕事ぶりが、まず最初に光るあたりなんですけども。

 

■俯瞰的な前半から限定空間の後半へ

で、とにかくそうやって、序盤は特定の主人公の視点……つまり物語的な流れっていうのが、少なくとも観客にははっきり見えないまま、しかしデトロイト暴動っていうのがリアルタイムで進行しているまさにその時代、その場所にいるかのような、圧倒的に生々しい空気感、それをまずはたっぷりと観客は体感させられるわけですね。で、その物語的な流れがあると、やっぱり僕らは「ああ、お話だな。フィクションだな」って思って見ちゃいますけど、現実ね、いろいろとあちこちでなんか不穏な事態がどんどん起こって、デカくなっている時っていうのは、そういう「流れ」とかないじゃないですか。断片的にニュースが入ってきて、「こうなりました、こうなりました」って。で、いつの間にかちょっとなんか取り返しがつかないんだけど……っていう感じになっていくという、その現実の感じを体感させられる。

で、その断片的なエピソードの積み重ねの中から、次第に、何人か主要な登場人物らしきものが固定されてゆき、それがあるポイントから一気に、メインの舞台となるアルジェ・モーテルというその一点に……だから、全体を俯瞰的に、固定しない視点でずーっと広く撮っている、事態全体を俯瞰する視点から、だんだん次第に一点の、ものすごい限定的な空間に集約されていくという、そういう構成になっているわけです。で、観客はそこに至るまでに、すでにたっぷりと1967年デトロイトの「空気」。この「空気」っていうのは、もちろん空気感っていうのもそうだし、「磁場」「力学」って言ってもいいかもしれない。つまり、1967年のデトロイトでは警察っていうのはこういうものなんだとか、そういうものを我々は散々、その「空気」を吸わされた後なので、その事件の当事者たち各人の立場とか心情が、まるでその場にいるかのように生々しく理解できる、ということだと思います。

だから、こういう事態の中でこういう考え方をする警官なら、こういう行動はたしかに取りかねない、とか、そういう状況の中で生きている黒人のこういう立場の青年だったら、こういうリアクションを取りかねない、っていうのが、やっぱり生々しく理解できる、ということになっているわけです。で、とにかく序盤。どの方向に話が向かっているのか、観客にはよくわからないままの時間が結構続くという。オープニング近く、序盤の、結構これは大胆な、リスキーな構成とも言えると思うんですけども。(実際にこの作品を)見れば、これが大変な効果を上げているということ、みなさんもよくわかるんじゃないかと思います。

■無造作に見える序盤にも、実は……

さらに、非常に上手いなと思うのは、先ほどから「序盤は断片的、非物語的な情景・エピソードの積み重ね」って言ってますけど、実はその中にも、後にアルジェ・モーテル事件で行われる、異常な、非道な行為っていうのに重なるというか、連なっていくような……本質としてはやっぱり同じことがあちこちで起こっているんじゃないか? というような、後の事件を予告するような描写が、巧みに織り込まれているあたり。ここが本当に上手い。ただのドキュメンタリックな、散文的なものじゃないんですよね。

たとえば冒頭。暴動のきっかけとなってしまう、非合法酒場にガサ入れが入るわけですけど、そのガサ入れのシーンでも、もうすでに後のアルジェ・モーテルで行われることを彷彿とさせる、ちょっと卑劣な脅しのテクニック……「こうやってビビらせてやるんだ」っていう脅しのテクニックが出てきますし。そもそも警察側にも、「とはいえこれは、あんまり大っぴらにやっちゃマズいことだよな」っていう意識があった上での強権行使っていう……事の本質に関わる描写ですよね。要するに、「いや、表でやるとちょっと見られちゃうんで……」って。見られちゃマズいことを警察がやっている、っていうことなんですよね。これ、事の本質に関わるところが、しっかり冒頭でまず出てきます。

あるいは、「治安維持」という名の下に起こる……実は統治する側も恐怖に駆られているからこその、見境のない暴力行使。そしてその結果として、罪なき被害者が出てしまうというこの構図。これがそれこそ、本当に瓦礫でいっぱいの街の中で、こうやって戦車が一緒にガーッて走っていって、で、ちょっと子供が窓から覗いたら、「狙撃だ!(バババババーンッ!)」……これ、それこそイラク戦争から何から、あちこちの「戦場」……これはアメリカ国内の「戦場」が舞台ですけど、世界中の戦場だったり紛争地帯、なんでもいいですけど、あちこちで繰り返され続けてきた、そして繰り返されているそういう情景として(我々観客の目に映る)。しかもこれが、ショッキングなまでの素っ気なさで挟み込まれているわけです。あそこで「ダダダーンッ!」ってやって、見ている側は「うわっ、ひどい!」ってなる。でも、その件がどうなったとかは、何もなしで過ぎていっちゃう。

ということで、とにかく一見無造作に見える序盤のドキュメンタリックなパートにも、実は作品全体につながるテーマとか問題提起が巧みに織り込まれている、というあたり。非常に上手いですよね。ということで、たっぷりかけてセッティングを……ヒリヒリした空気と、ちょっと不安な気持ちで見ていて、「いったいこの話はどこに向かっているんだろう?」って思っているうちに、気がつくと、主要登場人物たちが実はそのアルジェ・モーテルで一堂に会していて。でも、それこそ淡々と進んでいますから。そこで惨劇が起こるとはよもや思っていないような状態の中で、(しかし実は主要登場人物たちが)一堂に会したところで、あるポイントから、その「衝撃の40分」的なものが始まってくるわけですけども。

 

■キャスリン・ビグロー監督の鬼演出が生み出した「げっそり感」

ここからはですね……まさにその(恐ろしい事態が)始まる直前。先ほどの紹介でも言いました、『ストレイト・アウタ・コンプトン』のイージー・E役でも本当に素晴らしかったジェイソン・ミッチェル演じる、カールというまあチンピラが、とっても彼がわかりやすく演じてみせ、説明してくれていた通りに……彼が要するに、白人の女の子が「なんで黒人はそんな暴力に訴えるのよ?」って言ったのに対して、「なんでかって?」ということで説明してみせるあたり。要は、「アメリカで黒人として生きるということの恐怖」。ひいては、こういうことですね。「権力から常に銃を突きつけられ、疑われ監視され、管理される側の恐怖」というものを……彼はそれをちょっとふざけて演じてみせるわけですけども。彼が、「こうやって警官は脅すんだ。こうやってやられたら、どういう気持ちがすると思うんだ?」って。それがまさに繰り返されるわけです。その後でね。観客の我々も、まさにその場にいる当事者のように味わされることになるわけです。本当にいたたまれない40分が起こる。

これ、本当にホラー的と言ってもいいような描写も優れていて。たとえば、途中ね、音楽グループ、ドラマティックスに関わっている2人の若者が、ちょっと混乱に乗じて逃げようとする。で、逃げようとするんだけど、こっちに行っても人が入ってきちゃう、こっちに行って、こうやってドアに行こうとしたら、そっちにも人が来る……ここ、ワンカットでずーっと見せるわけですけど、このワンカットのホラー描写としての秀逸さとか、超一級の演出が堪能できるわけですけどね。で、まあ廊下に並ばされた容疑者というか、まあ全然本人たちは悪くない人たちが並べられて。で、さっきも言ったように、尋問という名の拷問、嫌がらせを受けるわけですけど。

このあたり、『ハート・ロッカー』以降のキャスリン・ビグロー演出は全部こうらしいんですけど、複数のカメラを同時に回して……今回の『デトロイト』という作品だと、このアルジェ・モーテルのセット内全部に照明を隙なく当てて、要はやたらとカットを割らずに、俳優たちに持続的に、ずーっと自由に演技を続けさせて、リアルで、そして濃密な空気感というのを演出していく、というスタイルらしいんですけど。これ、当然演者にはものすごい大きな心理的、そして肉体的負担がかかる演出ですよね。ただまあ、本作のような、要するに見る側もげっそりさせるような心理的負担を醸し出すべき作品としては、これは非常に、明らかにプラスな演出。鬼演出ですけどね、プラスになっているんじゃないかと思います。

 

■キャストも全員最高!

特に、最大の憎まれ役であることは間違いない、「クラウス」という白人警官を演じるウィル・ポールターさん。これ、イギリス人の方で、『リトル・ランボーズ』のね、あの少年ですね。『リトル・ランボーズ』とか、『メイズ・ランナー』シリーズとか。あと『レヴェナント』でもちょっと小憎らしい男を演じていましたけど、わりと悪役で人気が出つつあるウィル・ポールターさん。この人なんか、だから役を演じ続けるのが辛くなりすぎて、途中で泣き崩れてしまったっていうことがあるぐらい。ただ、そのウィル・ポールターさん、苦労の甲斐あって、これは完全に彼、助演男優賞を結構とるんじゃないかな?っていうぐらいの、本当に最低最悪の卑劣なレイシスト(人種差別主義者)っていうのを、見事に好演していると思います。

あの顔立ちの幼さ、そしてそこに宿るある種の……要するに本人はなんか使命感みたいなのに駆られてるっぽいっていうか、ある種の純粋さと、それと裏腹な狡猾さ、そして人の話を聞かない狭量さというのかな、みたいなものを完全に体現しきっている。そういう人にしか見えない、というね、ちょっとウィル・ポールターさん、恨みを買わないか心配になるぐらいの見事な悪役ぶりでしたけども。警官チーム、どれも本当に素晴らしかったですね。フリンという、前髪がピョロンと垂れてたあのベン・オトゥールの、白人のあの女の子たちにちょっと言い寄る場面のキモさとか。あとデメンズという、これを演じているジャック・レイナー。これは『シング・ストリート』のお兄ちゃん役ですね。ジャック・レイナーの気弱そうな感じとか。

あと、警察サイドと言っていいかわかりませんけど、オースティン・エベールさんという方が演じている州兵の、あの日和見主義者感。この映画では、日和見主義であることは完全に同罪だぞ、という風に喝破しているわけですけども。あの感じとかも本当に素晴らしかったです。この悪役と言うか、そっちチーム……というか、キャスト全員が本当に最高で。特に、アルジー・スミスさんという方。僕、(ドラマティックスにこういう過去があったことを)全然知らなかったですけど、ドラマティックスの元メンバー、ラリーさんという方(を演じている)。このアルジー・スミスさんはいま、『The New Edition Story』という、ニュー・エディションの伝記テレビドラマで、ラルフ・トレスヴァント役で人気が爆発しつつあって。たぶんこの人、この後にスターになっていくんじゃないかと思いますけども。アルジー・スミスさん演じるラリー。

そして今回はあえて歌わない役でしたけど、ジェイコブ・ラティモアさんっていうR&Bシンガー演じるこのフレッド(と前述ラリー)を中心とした、ドラマティックス、後にスタックス(レコーズ)を中心にいろいろな大ヒットとか、素晴らしい名曲の数々を残すドラマティックスの秘話。これは知らなかったし、非常に苦い青春映画、音楽映画としても、すごく素敵なものがありますよね。ドラマティックスが、デトロイト出身なのに、なんで(最終的な契約レーベルが)モータウンじゃなかったんだろう?っていうあたりでなんとなく、その(事件の余波の)一片を見た気がしますけどもね。あと、白人少女の2人。ハンナ・マリーさんとケイトリン・デバーさん。特にあのハンナ・マリーさん演じるジュリーの、最初は単に遊び倒している少女かな?って思いきや、わりと結構ひどいことになっても自分の尊厳を失うまいと、ちゃんと落ち着こうとして正論を言うあたりとかも、非常にグッと来ましたしね。

 

■こんなにいい役者だったか、ジョン・ボイエガ!

そしてなんと言っても、ジョン・ボイエガですね。ディスミュークスという非常に重要な役を演じるジョン・ボイエガ。こんなにいい役者ですか、ジョン・ボイエガ! 常に理性的に、白人とか体制側を不必要に刺激しないよう、ことを荒立てないように、非常に理性的に振る舞ってきた人ですよね、彼は。まあ、好青年ではありますよ。ただ、彼がいくらことを荒立てないために、たとえばコーヒーを持っていってあげるとか、なにか白人側の気持ちを落ち着かせるためにちょっとへりくだったことをすると、やっぱりそこで要所要所の白人側の態度がめちゃめちゃ失礼というか、完全にレイシストのそれなんですよね。無意識のレイシスト。

コーヒーを持っていってるのに、「なに? 砂糖ないの?」とかさ。メイドじゃねえぞ!っていうね。とか、「なに? ニグロたちはいつ落ち着くわけ?」って……なに? サル山のサル扱い?(怒) みたいな。そういうところが端々に出てくる。でも、それを彼は、ムッとした顔をしながらも、グッと飲み込んでいる。なんだけど、そのずっと飲み込んで、平穏を保とうとしてきた彼が、最終的に受ける仕打ち、そして屈辱……やっぱり彼は、アメリカを生きる黒人として、ある屈辱と仕打ちを受ける。彼が最後の方で図らずも尋問を受けるシーンの……まず部屋に1人で残されて、隣に手錠をかけるあのパイプがあって。これを見ているところ。そしてやってきたあの尋問官の……ぜひ見てください。もう、すげー嫌だ! さすがキャスリン・ビグロー、尋問シーン、一級品です。

で、その絶望感が本当に凄まじい。終盤、ジョン・ボイエガが思わず吐くところがあるんですけど、吐く時に、誰に何を言われて吐くのか?っていうところ。これ、非常に重たい問いを含む描写です。つまり、彼は黒人と白人の間に立って、理性的に振る舞おうとしてきた人。それに対して、彼が、誰に何を言われるのか? 何を言われて吐いてしまうのか。非常に重要なあたり。ぜひ注目してください。とか、あと他のバランスで言うと、もちろん白人側にもいい人もいる。助けてくれる人もいる。でも、「いい人もいる」っていうことは、本質的な問題の解決には何ひとつなっていない、とか。もちろんその事態を悪化させてしまう黒人側の、たとえばカールという人の軽はずみな行為……でも、殺されるほどのことだったのか? とかね。

 

■暴力による統治システムが本質的に抱えている危うさ

いろんな、絶妙なバランスの取り方が、本当に素晴らしいと思いますね。で、最終的に下される結論は、「出口なし……悪夢!」っていうことですよね。しかもその悪夢は、いまも続いている悪夢なわけですから。先ほどね、「音楽映画としても」って言いましたけども。「1967年のデトロイトの空気」を表現する上で、モータウン、欠かせないあたりで。特にあのマーサ&ザ・ヴァンデラスっていうね、劇中で「Nowhere to Run」という曲を舞台上で歌っているところが出ますけども。あれは本当は、劇中でもちょろっと流れる「Jimmy Mac」という曲を歌っている時に、暴動だ!って中止をさせられたらしいんだけど。これがあえて「Nowhere to Run」に変えられている意味。「逃げ場所はない」というものに変えられている意味。これも粋な選曲ですし。

あと、オリジナル曲。さっきのアルジー・スミスさんが歌っているオリジナル曲で、「Grow」という曲のこの歌詞とか、あるいはエンディングで流れるザ・ルーツの「It Ain’t Fair」という曲の、もう叩きつけるような……でも、あの叩きつけるようなルーツのラップのパワーで、ちょっと溜飲が下がりますけどね。「ふざけんな!」っていう感じがしてくるあたり。音楽劇としても本当に素晴らしいです。

何度も言いますけども、言うまでもなくいまも続いている事態。アメリカでもそうです、続いているし。人種差別だけではなく、暴力による統治システムというものが、普遍的・本質的に抱えている危うさというものを問題提起した作品です。本当に他人事じゃないです。要は、「治安維持のため」「秩序のため」というこの言い草が、どれだけ非人間的な行為を許容していくか、ということ。

これ、いずれ……たとえば、大震災の時に何が起こったか? とか、いろいろと考えれば全く他人事ではない。社会派ディストピアものであり、ホラーであり、非常に重層的な問題提起を含んだ、本当に優れた作品だと思います。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。ベスト候補!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『羊の木』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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