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【映画評書き起こし】宇多丸、『スリー・ビルボード』を語る!(2018.2.17放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:
ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『スリー・ビルボード』

(曲が流れる)

このちょっと西部劇風の感じの曲がまたいいですよね。この3月に発表される第90回アカデミー賞で6部門にノミネート。アメリカ・ミズーリ州の片田舎の(架空の)街で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を捕まえられない警察に業を煮やし、町外れの看板に抗議のメッセージを掲げる。そこから警察や住民、そしてミルドレッドの間に諍いが始まり、やがて事態は思わぬ方向へと転がっていく……。娘のために孤独に奮闘する母親ミルドレッドをフランシス・マクマーンド(※宇多丸お詫び:放送中、一回もまともに言えてないと多くの方からお叱りをいただきました。正確にはこちらです。申し訳あるっせんした!)が熱演。共演はウディ・ハレルソン、サム・ロックウェルら。監督は『セブン・サイコパス』『ヒットマンズ・レクイエム』などなど……映画ではね。の、マーティン・マクドナーさんということでございます。

■「圧倒的な大傑作です。ここ数年で最高かもしれません」(byリスナー)

ということで、この『スリー・ビルボード』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やはりさすが話題作。「多い」ということでございます。そして、賛否の比率は8割以上が絶賛ということです。「傑作!」「今年ナンバーワン」「最後まで展開が読めない。引きずり込まれた」「ヒリヒリしているが、ラストにはあたたかいものを感じた」などの賛辞の声が多く並んだ。一方、ごくわずかながら「キャラが立っていない」「誰にも感情移入できない」「脚本をわざと複雑にしすぎでは?」との声もあったということでございます。後ほど言いますけどね、マクドナーさんのいままでのに比べると、かなり整理している方なんですけどね。

ラジオネーム「白いドア」さん。この方は褒めている方。「結論から申します。『スリー・ビルボード』は圧倒的な大傑作です。ここ数年で最高かもしれません。まず、脚本が素晴らしい。細部の細部まで緻密に練り上げて作られたストーリーは、登場人物たちを一定の型にはめることなく変化させ、心地よい混乱に導いてくれます。映画表現としても見事なセンスを感じました。たとえばミルドレッドが大事な会話をする時、彼女はブランコに乗って話をします。ウィロビー署長ともディクソンとも。ブランコは宙吊りです。人物自体をサスペンテッド(宙吊り)にして見せながら、物語を前進させていました。

そしてラストでは誰もいないブランコのカットが映るのです。私には『お客さん、今度はあなたがこのブランコに乗る番ですよ』と語りかけられた気がしました。そして、物語は宙吊りにされて終わるのです。お見事!」という。ああ、なるほど。いいですね、このブランコの見立て。いいですねぇ。「……他にも語りたい場面が満載でした。ディクソンのペットの亀は彼そのものの象徴(のろまだけどいつも前進してる)でしたし、殺された娘の部屋のポスター、(ニルヴァーナ)『In Utero』のアルバムには『Rape Me』という曲が入っていたり。場面場面に仕掛けがいっぱいで何度でも見たくなる映画です」。そういうの、いっぱいあるんだろうな! 「……そして見終われば、きっと誰かと話したくなる映画でした。全くしびれました。最高です!」という大絶賛メールでございます。白いドアさん。

一方、ちょっとダメだったという方。「なるへそ」さん。「感想を一言でいうと、『乗れなかった』というのが正直なところです。この映画は3枚の看板が主な主人公のキャラクターを象徴し、映画が進むにつれて看板の裏側・キャラクターの別の面が見えてくるという話だと思いました。しかしながら、映画を通してミルドレッドには全く変化がなく、ようやくラストで変化の兆しが見えるくらいです。結局看板の表しか描いてないのではないでしょうか? 加えて、ストーリーも展開も読めないとのことですが、意外性を出すためだけの展開で、それ以上のものを監督が描いているとは思えません。これが優れたストーリーと言えるのでしょうか?」というようなご意見でございました。

■できれば初見は事前情報なしで観て欲しい!

ということで『スリー・ビルボード』、私もガチャが当たる前にTOHOシネマズ六本木。そしてTOHOシネマズシャンテで今週2回、見てまいりました。ただし、3回目は僕、ちょっとお腹が痛くなっちゃって、結構長い間トイレに籠っていたので、まあ2回半ということですね。ただ、評判の高さと実際の作品の質から見ても、もうちょっと客が入っていてもいいんじゃないかな?っていう風に思う感じだったけど。まあアカデミー賞が発表されればまた流れも変わってくるかもしれませんけどね。というぐらい、結論から言ってしまいますけども、これはもう普通に、超おすすめです! 『スリー・ビルボード』。原題は『ミズーリ州エディング町はずれの3枚の看板(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)』っていう感じでしょうかね。

まあ「誰が見ても」とは言わないけど……だって、『桐島、部活やめるってよ』だってさ、「で、結局桐島は誰だったの?」とか言う人だっているわけだから(笑)。別にこれもね、「えっ? じゃあ、犯人は誰だったの?」って言う人も出てきかねないけど……「誰が見ても」とは言わないけど、少なくとも「映画好き」と言っているような人なら、かなり高い確率で――全員とは言わないけどね――かなり高い確率で、「これは面白い」と感じるはずだと思います。つまり、フレッシュで気が利いていて、タイムリーかつ普遍的なテーマ性と感動がある、という風に感じるのではないか? という風に思いました。

で、しかもこれ、初見ではできれば、あんまり事前に、特にお話に関する情報を仕入れずに見に行ってもらった方がいいと思うんですよね、僕ね。実際に僕も1回目に見た時は、誰がつくったどんな話かっていうのをほとんど知らない状態で見に行って。毎回、できるだけそうするようにはしているんですけども、見に行って。途中で何度も「ええーっ! そう来る?」「えっ? さっきのあれが、こう活かされる?」みたいな感じで、あっと驚く展開に本当に翻弄されまくった挙句、最終的に「なんと、こんなところに着地する話だったとは……」という、心底感心&感動しながらエンドクレジットを見ていた、という感じなので。というわけで、今夜もできる限り、それほど決定的なネタバレはしないようにするつもりではありますが。

■まず唸らされる脚本の凄まじさ

とにかくみなさん、予定表みたいなのがあるなら、それを開いて、明日の日曜を含め、今週映画館に行ける時間帯をチェックしてください。空けておいてください。そしてこの『スリー・ビルボード』、ぜひすぐに行ってください。可能なら、暴力的、差別的な警官が出てくる話、タイムリーかつ普遍的な話という意味で、先々週に取り上げた『デトロイト』とセットで、流れで見ていただくのもよろしいんじゃないでしょうか、という感じでございます。ということで『スリー・ビルボード』。ほとんど予備知識なしでまずは私、見て。なによりもまず、役者陣の圧倒的な演技もさることながら、まずは「なんだ、この脚本のすさまじさは!?」っていうところ。まず脚本の新鮮さ、そして完成度にうならされました。

それもそのはずと言うべきか、監督・脚本・製作のマーティン・マクドナーさん……これ、でも本当にすいません、僕は不勉強で、実はこれまで全く存じ上げないままここに来てしまったんですが。まずは、実は劇作家として、主にアイルランドを舞台にした数々の戯曲で……まあ、ロンドンで育たれた方なんだけど、ご両親がアイルランドの方ということで。アイルランドを舞台にした数々の戯曲で、もうすでにね、圧倒的な評価を確立されている巨匠なんですよ。劇作家界では、マーティン・マクドナーさんは。

で、その舞台がどういうものなのか? そしてどのように偉大なのか? ということについては、たとえば劇場パンフレットに載っている――これ、劇場パンフレットは毎回、FOXサーチライト作品はいつも非常に充実した内容でいいなと思っているんですけども――パンフレットに載っている、長塚圭史さん……長塚圭史さんはマーティン・マクドナーの戯曲を過去に3本演出されているということで、長塚さんが書かれているコラムなんかを参照していただいて。僕もここはまったくノーチェックで、比較とかがちゃんとできなくて本当に申し訳ございません。

■マーティン・マクドナー監督、三作目にして決定打となる本作

でも、とにかくすでに演劇界では確固たる名声を得ていたマーティン・マクドナーさんが、2004年に映画の短編『Six Shooter』というのを撮ってから、本格的に映画製作に乗り出していくという。『Six Shooter』はこれ、簡単にネットでも見られます。で、これでいきなりアカデミー短編映画賞をとってしまう。ただ、その長塚さんの文章とかを読む限り、この『Six Shooter』とかはまだかなり戯曲の方のテイストを残しているんだな、という感じはしましたけどね。で、そこから初長編、『ヒットマンズ・レクイエム』という日本タイトルがついていますけども、日本では劇場未公開の2008年の作品、原題は『In Bruges』という、ベルギーのブルージュという街があるけど、「ブルージュにて」という作品で。これでまたいきなりアカデミー脚本賞のノミネート。さらに2012年に『セブン・サイコパス』という作品があったりしてからの、長編三作目が今回の『スリー・ビルボード』なんですけども。

はっきり言って、この三作目で、少なくとも映画作家としては、マーティン・マクドナーさん、完全に一段上にあがった。一見して、いままでの過去作と比べるともう格が違うところに行った、というのは明らかだと思います。もちろん、テーマとか共通項は……もちろんすでに劇作家として名をなしている人ですし、共通項は過去作も非常に多いんです。まずやっぱり、メインテーマが「罪と贖い」「贖罪」という……アイリッシュというご自分の出自も大きく関係しているのでしょう、非常にキリスト教圏的なメインテーマというのが毎回ある。罪と贖い。

なんだけど、それは平たく言い換えればこういうことですよね。「人は変われるのか?」と。過去に、たとえば非常に重大な過ちを犯してしまった人間が、その埋め合わせを……たとえば自己犠牲的な「善き」行動によって、その過ちの埋め合わせを人生の中でしようとしたりとか、そういうような「救い」のようなものは、この世にあり得るのか? ないのか?っていう、そういうような問い。大変に普遍的な、当然私たちの人生にも普通にあるようなそういう問いっていうのがメインテーマだ、という風に思ってください。今回の『スリー・ビルボード』もまさにそうだと思いますけども。

 

■人の多面性を描くゆえ、作品のジャンルも曖昧になる

で、マーティン・マクドナーさんの作品では、そのお話の語り口やキャラクターの描き方が、このテーマ性と非常に密接に関わり合っているわけです。つまり、「人は変われるのか?」っていうね。「こういうことをしでかした人が……じゃあ悪人はずっと悪人のままなのか? そうじゃないんじゃないのか?」というようなことを問いかける作品なので。一言でいえば、非常に多面的・多層的なお話の語り口、そしてキャラクターの描き方をする。こうだと思っていた人が、実はそうではない一面を持っていて……というような展開が重なっていくわけです。ゆえに、いわゆるひとつの「先が読めない展開」っていうのが多くなってくるわけですけど。

だったりとか、ひとつのシーン内にも、たとえばこの上なくシリアスな場面の中に、それでもつい笑っちゃう世界の間抜けさとか、つい笑っちゃう人間らしさ、みたいなのが込められていたりとか。逆に、すごく笑えるシーンとかセリフのように見えるけど、実はその背後には、もうゾッとするような悲劇性や、惨劇の記憶とか予感っていうのが濃厚に流れていたりとか、っていう感じで。ひいては、映画全体も、ジャンル分けするとなるとコメディーなのか、ヒューマン・ドラマなのか、スリラーなのか、喜劇なのか悲劇なのか、明確な線引きがしづらい、非常に不思議なバランスの作品になっていく、という傾向が、過去作にもあるわけです。

■テーマの志と語り口の風格が完全に一致している

こういうようなファクターが、最初の『Six Shooter』から今回の『スリー・ビルボード』まで、一貫としてマーティン・マクドナーさんの作品には脈々とある。おそらくそして、すいません、本当に不勉強で申し訳ないんだけど、たぶん舞台を見てもきっとそれはあると思うんですよ……(マーティン・マクドナーの)作家性と言えるでしょうし。あと、もっと表面的なレベルでも、何人かの常連役者とか常連スタッフがいるような、ファミリー体制で作っていますよ、というのもあるし。あと毎作、「ウサギ」がお約束として出てくるっていう。まあ共通項としてそういう目配せがあったりとか。

あるいは、『ヒットマンズ・レクイエム』という作品の中で、ニコラス・ローグの『赤い影』、この作品の話題が出てくるわけです。とある映画撮影の現場でそれが出てくるんですけど、今回の『スリー・ビルボード』でも、途中、サム・ロックウェル演じるディクソンという男と母親が家で見ている映画……画面は直接映されませんけど、明らかに『赤い影』の話をしているし、『赤い影』の音が聞こえるわけですね。なんだけど、実際に今回は、たとえば「娘の死というのを、罪の意識とともに引きずっている親の話」という点であったりとか、他のいろんな面も含めて、より本質的に『赤い影』と重なる部分が非常に多かったりとか。まあとにかくマーティン・マクドナー監督作は、メインテーマだとか語り口だとか、そういう本質の部分と、あと表面的ないろんな部分とかも含めて、非常に一貫した作家性があるのは間違いないわけです。

ただ、これは私の見方ですけども、これまでの、特に映画作品では、わりと「奇想に奇想を重ねる」というか、突拍子もない設定に突拍子もない展開をかけ合わせて、さらに語り口も……たとえば、『セブン・サイコパス』。これ、映画としては僕は好きなんです。特に劇中劇があるんですけど、クリストファー・ウォーケンの役柄が劇中劇に対して考えてあげるあるオチがあって、これとかすごい感動的で好きなんですけど。その『セブン・サイコパス』でのたとえば、タランティーノ「風味」なね、やっぱりちょっと突拍子もない語り口みたいなところが……要するに突拍子もないものがガンガンガンガンかけ合わさっているんで、そういうのが目立っていて、正直、バランスがいいとは言いがたい。そしてもちろん、万人向けとは言いがたいバランスだったと思います。映画に関しては、過去作は。

しかし、今回の『スリー・ビルボード』では、さっきから言っているような人間の多面性、そして世界の多様性……この世界の多様性っていうのは、「可能性」と言い換えてもいいかもしれませんけども。それゆえの、「先の読めない意外な展開」の連続。からの、人は変われるのか? この世に僅かな、そういうところに救いはないのか? というマクドナー的なテーマへの着地というのがですね、過去作のように、たとえばアイデアの方が先走ってしまって、なんか奇をてらった感じの、「ためにする」ツイストのように見えて終わってしまっていたところから、1個、進化して。基本的な語り口はどっしりと、抑さえるところは抑さえた、非常に抑制のきいたクラシカルな語り口。

なんなら、部分的には西部劇的に見えるようなどっしりとした語り口で……しかしたとえば、中盤で出てくる、異様な緊迫感をたたえたワンショット。これ、カメラマンのベン・デイビスさん、非常にがんばったんじゃないでしょうか。ここぞというところでは、ケレン味の効いた今風のワザも、さり気なく投入していたり……途中、ワンカット(長回し)のところがあるわけです。しかもこのワンカットは、単に長回しだから偉いという場面ではなくて、ちゃんとこの、向かい合った2つの建物、この空間感覚込みで、我々をその空間の中に叩き込むような撮り方をしているから、非常に優れた場面になっている。という見事な場面、そういうのも……落ち着いたクラシカルな語り口なんだけど、今風ならではの長回しみたいなのもボン!って入れてきたりとか、非常に演出が的確になっていて。とにかく、テーマの志と語り口の風格が、ここに来て完全に一致した、という感じだと思います。

■西部劇に寄せた舞台立て、演出、音楽

まず、最初。モヤがかかった野っ原に、朽ち果てた3つのビルボード(看板)が立っているのを、いろんな角度からとらえた一連のオープニングのショットの流れからして、「これはただ者じゃないですぞ」と、もうわかりますよね。後ほどわかる、「最後に貼られた看板は、1986年のオムツの看板だ」という話。だから、子供の絵が朽ち果ててあるところですでに、「子供と死」の香りみたいなものがただよい始めているところなんか、本当にただ者じゃない感じ。で、映画が始まって、タイトルがついて。同じ場所、今度は普通に昼間で、そこを通りかかるフランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドさん。

で、そのミルドレッドさんが、この最初に、その看板を立てることを思いつく前まで、車を運転しているこの時点では、髪をおろして、割と普通の女性っぽい格好をしているんですけど。看板をやろうということを思いついて、広告社に乗り込んでいくところから、ここはあえてスローモーションで、そして音楽もちょっと西部劇調になって、ブルーのつなぎにバンダナ……つまり「戦闘服」(に変身している)。彼女は最後までこの戦闘服をとりませんけども。実際にフランシス・マクドーマンドさん、この役柄を「ジョン・ウェイン風の佇まいで演じた」という風におっしゃっているようですけどね。音楽もちょっとセルジオ・レオーネ風というかね、ちょっと西部劇風だったりする。

実際、アメリカの田舎の小さな街で、ゴロツキや、あるいは権力の抑圧と1人で対峙する、誇り高き、自立して戦う主人公……公権力に頼るのじゃなく、「自分で」戦う主人公。しかもそれは、「法と無法の境界線」上のバトル、というようなあたり……そして、その街の通りの見せ方。こっち側に人が集まる……バッと(ドアを)開くと、サロン的に、なんか男たちがダラーンといるような、ガラ悪く座っている(場所がある)……実際は警察署なんだけど。(一方では)向かいの建物があって……というこの通りの見せ方とかを含めて、はっきりと西部劇的に寄せている、という見せ方をしているわけですけど。

■ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル……見事な役者陣

あるいは、アメリカの架空の田舎町を舞台に、凄惨な凶悪犯罪の顛末が、オフビートな笑いとともに、しかもフランシス・マクドーマンド主演で、なんとも言えない苦く優しい余韻とともに語られていく……というあたり。これはもう、コーエン兄弟がネクストレベルに行った一作と言えるであろう1996年の大傑作、『ファーゴ』を連想される方も多かろうという風に思います。僕も非常に似たテイストを覚える部分、いっぱいありました。

で、まあね、そのミルドレッドさん。彼女が出した警察に対する抗議の看板が、この小さな街に波紋を広げていく、というような話なんですけども。ここでね、序盤、やっぱり説明セリフと気づかせない説明で、ここまでどういうことがあったのか? というあらまし、そして、キャラクター側にはどういう背景があるのか? というのを、観客に順繰りに、非常に手際よく飲み込ませていく語り口。これはまず本当にお見事ですし。あと、やっぱり今回は、役者陣が本当に文句なしに素晴らしい。たとえば今回、劇中でいちばんの善人……今回はね、善人ですけども。要はやっぱりこういうことだと思う。「粗野な集団のカリスマ的ボス」をやらせると本当に十八番のウディ・ハレルソン演じる、ウィロビー署長。

そしてなにしろ本作で最も重要な人物でしょうね。要は、人種差別に性差別、それでいて自分の内側にもある、非常に抑圧された内面というか、秘密を抱えてもいるという……で、むちゃくちゃ愚かでもありながら、そこも含めて最高に人間的で、だからこそ、物語上最も大切な役割を担っているとも言える、いちばん「伸び代」がある人物であり、それこそ彼の存在を通してこそ、この小さな街の物語、小さな街の問題が、「いま」の「世界」の問題へとつながっていく、重なっていく、という重要な役柄。ディクソンという役柄を演じる、サム・ロックウェル。サム・ロックウェル、彼ははじめてのアカデミー賞ノミネートになりましたけども。

あと、広告会社のレッドという青年役を演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズ。たとえばこのレッドという役柄が後半、病室にいるんですけど、この病室でとる、ある行動……特に、「ストローの向きを変えてあげる」という、この動きだけで泣かせる!というこの演出・演技の細やかさ。これも素晴らしいですし。あとね、ピーター・ディンクレイジとか、マクドナーさん作品の常連であるジェリコ・イバネクさんっていう、サム・ロックウェルと一緒に掛け合い的なのをやる警察の同僚役。ジェリコ・イバネクさんとか。

あとは、ちょっとおバカな女の子役みたいな役柄なんだけど、これをすごく嫌味なく演じているサマラ・ウィービングさん。19才の、動物園で働いている女の子の、「この子には悪気がない」っていう感じを、(グラスを)テーブルに置いてストローでチューチュー吸って、というこの感じ一発だけで表現するあたりとか。とにかく役者さんたち、演技ひとつひとつが、さっき言ったテーマの厚み……人間の多様性みたいなものを、本当に、厚みをもって体現してみせる見事な感じですし。

■笑わせて、震え上がらせ、現実を突きつける

それでいてたとえば、そういう過程の中で、「太った歯医者」っていう何気ないワードの、後での活かし方。非常に映画的ですよね。「ああーっ、(これがさっき劇中で言っていた)『太った歯医者』だ!」って。そしてその「太った歯医者」のシーンの、この嫌な緊迫感からの、笑えるけど怖くて、そして痛い!っていうシーン……そして、さらにその後もう1個、麻酔ネタの爆笑ギャグが、もう1個仕込まれていたりとか。あるいは、嫌がらせしてきた少年たちに主人公が逆襲するくだりで、「男の股間を蹴り上げる」っていうのはよく映画でありますけども、「えっ? “そっち”も躊躇なく行く?」みたいなところとか……とにかく、1個1個のディテールとかに、映画をより面白く、スリリングにするための新鮮なアイデア、それがすごく豊かにブチ込まれている、ということですよね。新鮮なアイデアがブチ込まれている。

で、こんな感じでいろいろとストーリーが転がっていく中で、誰もが要は怒りと悲しみの渦に巻き込まれ、故に冷静さを失って、強い思い込みなどから、さらに大きな悲劇を招いてしまう、ということになっていく。なんだけど、その最中にも、たとえば非常にシリアスな場面の最中にも……たとえばこの言葉。映画を見た人ならわかると思いますけども、「なあ。もう気絶するなよ」とかね(笑)。やっぱり思わず「プッ!」って(笑)。「気絶したのかい!」ってプッと笑っちゃったりとか、っていう感じだったと思いますね。

あとね、最後のほうの、「ある場所だ。ヒントを出してやろう。砂っぽい場所だ……」って言って、絶妙な間があって、「全然絞り込めない……」みたいなね(笑)。「バカか!?」みたいに思って笑っちゃうんだけど、同時にその「ある場所」……我々は、具体的なある戦場を思い浮かべて、そして実際に米軍がやったある凄惨な事件のことも思い出して、「うわっ、最悪!」っていう。やっぱり、悲惨な世界の現実っていうのを、そこで思い浮かべさせる。笑わせながら、でも震え上がらせて、世界の現実にも目を向けさせる。見事な脚本だと思いますね。で、その怒りが怒りを呼んで、ボタンの掛け違いがさらに大きな悲劇を生み、という……ただ、そこでもちゃんと、たとえば主人公がある暴挙に出てしまう時、ちゃんと主人公は慎重に、やっぱり人を傷つけないように気は遣っている。なんだけど、ボタンをかけ違っちゃって……っていうあたり、ちゃんと丁寧にやっているんで。主人公の暴挙も、そんなにむちゃくちゃだという風に見えないように、バランスが取られていたりするのも素晴らしいですし。

■何気ない一言にメッセージを集約させる見事な脚本・演技・演出

で、そのボタンの掛け違いの悲劇が極に達したところで、そこから「罪と贖い」、そしてさっきから言っている「人は変われるのか?」、あるいは「救いはあるのか?」っていう大きな展開に……いちばんの悲劇のところが、いちばんの救いへと転換するきっかけとなっていく、というこの構成の妙、素晴らしいですし。そして、最後にまた3つの看板が、また最初と同じように映るんだけど、オープニングのニュアンスとはまったく違う……要するに、すでに観客からも「世界が違って見える」。(その象徴として)3つの看板の醸すニュアンスが変わっている、という。

そして、オチの大人なバランスですよね。最後、フワッとしているようで、メッセージはものすごくはっきりとしています。「道々考えればいいわよ」っていう……すごくシンプルな言葉ですよ。「道々考えればいいわよ」。でも、そこにこそ人の希望はあるんじゃないか?っていう。この、ものすごく重たく、普遍的で、そして「いま」に響くメッセージを、こんな何気ない一言に落とし込んで……あたたかくも苦い余韻を残すという、見事な脚本。そして、それを見事に体現する演技と、的確な演出。これは……傑作でしょうね、悔しいかな。ということで、ぜひぜひ、明日にでもすぐに『スリー・ビルボード』を見に行ってください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『犬猿』 に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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