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【映画評書き起こし】宇多丸、『15時17分、パリ行き』を語る!(2018.3.3放送)

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

実際の放送音声はこちらから↓

宇多丸:

ここから11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーです。今夜扱う映画は先週、「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して決まったこの映画……『15時17分、パリ行き』

(曲が流れる)

はい。サントラがないので、音楽はこれ、映画とは関係ないですけども。クリント・イーストウッド監督が2015年8月、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かうタリスという鉄道で起きた、実際の無差別テロ事件を映画化。列車に乗り合わせていた3人のアメリカ人青年がテロリストに立ち向かう姿を描く。主演3人を演じるのは実際の事件の当事者である3人。また当時、列車に居合わせていた乗客も集められ、撮影も実際に事件が起きたタリスの車両を使って行われたということでございます。

■「これはいったい何なんでしょうか?」(byリスナー)

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やや少なめ。ああ、そうですか。でも、公開から日がそんなにないということが大きいのかな? たしかにね、木曜日公開ですからね。まだ3日しかたっていない。賛否の比率は、9割方が褒め。「シンプルな演出とストーリー。だが、たしかな名人芸」「実際の事件を実際の人物たちに演じされるというアイデアと、それを実現させたことがなによりすごい」などの意見が多かった。一方、「いい映画だったのかどうか、よくわからない」「本人出演の再現VTR以上のものは感じなかった」という声もありました。

ということで、代表的なところをご紹介しましょう。ラジオネーム「マーボーガイ」さん。「これはいったい何なんでしょうか? 映画としてはかなり奇妙です。露骨に物語的、構図的に描かれた成長(少年期)パート。異常なリラックスを見せる旅行パート。生々しい恐怖と痛みを再現した事件パート。そして、ラストの記録映像パート。事実ベースの映画で最後に本人の映像を用いる手法はイーストウッドの前作『ハドソン川の奇跡』や、(イーストウッド監督作ではないが)『最強のふたり』などでしばしば見られましたが、映画という虚が実に入れ替わっていく過程を映し出した映画は他に見たことはありません。これは必然か、偶然か。歴史か、事実か。物語という安定に帰結してしまう『映画』という表現を突破して、世界という不安定との付き合い方を示し続けるイーストウッド。とても人間業とは思えません。傑作です!」という褒めメールでございました。

一方、「トムトム」さん。「『15時17分、パリ行き』、正直言って期待はずれでした。撮影もほぼワンテイクで終わらせ、照明も使わず早撮りで有名なイーストウッド監督は近年、実話物ばかりを撮っており、映画には虚構のストーリーすらいらないという境地に至っているのか、今作ではさらに俳優すら削り当事者を使うという。その挑戦的な姿勢は非常に好感が持てました。フィクションであると『ご都合主義』と言われてしまうような終盤の奇跡的な展開に向けて、主人公3人の人生を丹念に描いていっているのですが、これがいまいち面白くありませんでした。映画から無駄なものを削ぎに削いだ結果、残ったイーストウッドの演出力だけで持っているようで、いわば超絶演出力で撮られた観光ビデオや『奇跡体験アンビリーバボー』を見ているようでした」ということでございます。

■イーストウッド監督作の中でも現状ぶっちぎりの変な映画

ということで『15時17分、パリ行き』、私も木曜日の公開時から合わせて3回予約して、3回連続でTOHOシネマズ六本木で見てまいりました。どの回も結構、お客は入っていたんですけども、正直、今回の『15時17分、パリ行き』、終わった後の映画館の場内の雰囲気が、はっきり……「キョトーン」っていう感じの雰囲気が流れるのが、ちょっと面白かったんですけどね(笑)、でも、まあそれも無理もないなという風に納得しちゃう程度には、今回の『15時17分、パリ行き』、先ほどのメールにもあった通り、非常に変わった映画。イーストウッドはもともとかなり変わった映画が多いですよね。実はね。なんだけど、イーストウッド監督作の中でも、現状ぶっちぎりの変な映画、異色作だと思います。ほとんど「実験的」と言っていいような試みをしている作品ということですね。

と、同時にでも、作品自体が伝えてくるものは、特にイーストウッドの近作の中では異例なほど、シンプルでまっすぐ、というところもあると思いますね。前作の『ハドソン川の奇跡』、この番組では2016年10月15日に評しました『ハドソン川の奇跡』の、96分というイーストウッド映画史上最短のランニングタイムをさらに更新しての、94分というこのタイトな尺も、最終的に帰結するメッセージのストレートさ、シンプルさにふさわしい、ということかもしれませんけどね。で、まず何がそこまで実験的か?っていうと、先ほどの説明でも言った通り、実際に2015年8月21日に起きたタリス銃乱射事件――「タリス」っていうのは列車の名前ですけども――というのを元にして。その詳しい経緯は、ハヤカワ・ノンフィクション文庫というところから出ている、一応この映画の原作という風になっている同タイトルのノンフィクション本があって、そちらの方に詳しいですけども。

■前作『ハドソン川の奇跡』で手応えがあった? 本人起用の試み

監督としてのイーストウッド、2006年の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』の二部作以降は……ちなみに『硫黄島からの手紙』のポスターが、事実上の主人公であるスペンサーくんの少年時代の部屋でね、要はボンクラ感あふれるミリヲタとして過ごしている(笑)少年時代に、ポスターが貼ってありましたけどね。まあ、とにかく2006年の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』二部作以降、俳優としてのキャリアに大きな一区切りをつけた不滅の名作『グラン・トリノ』(2008年)以外というか、『グラン・トリノ』を例外として、基本、実話ベース物ばかり作っている。特に、前作『ハドソン川の奇跡』で、本当にハドソン川でロケをしただけでなく、実際に事故があった時に救助に関わった人たちを本人役で多数起用するということを実は、すでにもうやっているわけです。脇役ですけども。

で、イーストウッド的にはおそらく、その手応えが結構大きかったのかもしれません。要は、「本人たちに演じてもらうの、全然ありだな!」っていう風に手応えを感じたのかもしれない。ということで、この『15時17分、パリ行き』。今回はもう主人公の3人の若者たち。あとは、そのテロリストに撃たれてしまった人とその奥さんとか、テロリストを拘束するのを手伝ったような人とかも含めて、とにかく本人たちをキャスティング。で、本当にタリスの車両を走らせながら撮影するという、要は限りなく本当にあったことを再現するというスタイルでやっている。要は、「本物っぽい」とか「リアル」っていう……たとえば実際にあったことを映画化する映画で褒め言葉としてある、「本物みたい」とか、「リアル」っていうのを超えて、「本物そのもの」をまんま提示する、というような試みですね。

しかも、さっき言ったように『ハドソン川の奇跡』でも本物性の追求というのはしていたんだけど、とは言え、あの『ハドソン川の奇跡』という映画は同時に、やっぱりトム・ハンクス主演という紛れもないスター映画であり、そしてALEXA IMAX 65mmというカメラを使った本当にスペクタクル映画でもあり。あとは詳しくは評の中でも言いました……これ、みやーんさんの公式書き起こしがホームページにありますので、そちらを参照していただきたいんですが、事故そのものは5分で終わる話を長編劇映画として成り立たせるための、作劇上、ドラマ的な工夫が非常にきっちりと、周到にされた一作で。ゆえに僕も、「『ハドソン川の奇跡』は、イーストウッドの近作の中ではもっとも万人向けかもしれない」という風に評したわけですけどもね。

たとえば『アメリカン・スナイパー』の主人公の、非常に多面性があるような、複雑な描き方みたいなのからすると、非常に万人向け、みたいな言い方をしていたんですけども……今回の『15時17分、パリ行き』は、主人公が事件と遭遇するまでの、本当にただの普通の若者たちとしての半生、っていうのがあるわけですね。まあ、少年期のパートというのがあって、そこは子役を使って演出しているので、先ほどのメールにもあった通り、そこは限りなく正統派の、イーストウッド版『スタンド・バイ・ミー』みたいな、非常に優れたジュヴナイルの匂いのするような作劇なんだけど。

■起伏なく、ただ彼らのヨーロッパ旅行の道中が描写されていく

要するに、本人たちが演じる青年期の場面になってからは、本当にただの普通の若者たちとしての半生に、今回は、これみよがしなドラマ的起伏をくっつけたりはしていない。要は、お話をエンタメ的に盛り上げるための創作エピソードとか、そういうのは全くなくて。本当に、さっき言った原作のノンフィクションに書かれたまんまの彼等の半生。そして、結果的には大事にはなるけども、そこに至るまでは本当になんてことない、普通のヨーロッパ旅行の道中……途中でする、たとえば実際の列車に乗る手前でさ、「俺のさりげない写真を撮ってくれ」っつってさ、「頼んだらさりげなくねえだろ!」っていう(笑)、横を向いて撮る本当にボンクラなくだりとか、あるじゃないですか。あれとか本当にしている会話なんだけど。

とにかく全てが……本当にただただ普通のことが、普通に描かれていく。しかもそれぞれは一見、断片的なエピソードとして、断片的に描かれる。なので、たとえば若者のうちの1人、アレクさんという方がアフガンに駐留しているわけですよ。そしたら、『アメリカン・スナイパー』とかの流れで見ている僕らは当然、「このアフガンで、なにか恐ろしい出来事が起こったりとか、PTSDを負ってしまうなにかが起こったりするのか? 後の事件につながるような何かがあるのか?」って見ていると……なにも起きない(笑)、っていうね。リュックをちょっとなくしちゃったぐらい。しかも、自分の名前を書いた帽子だけがなくなっていたという話もあれ、本当の話なんだけど。本当になにもなかった、みたいなことなんですよね。というようなことが続く。

なので、たとえばヨーロッパ旅行のくだり。ボンクラ男子たちが、バカ話をしながらヘラヘラヘラヘラ観光しているだけのところを、延々と見せられるわけです。結構な尺を使って。これ、本当に思わずですね、「マンブルコアか?」って突っ込みたくなった。「マンブルコア」っていうのは、モゴモゴモゴモゴ、仲間内の日常会話をずーっと撮っているだけみたいな、アメリカのインディー映画のひとつの潮流があって。「マンブルコア」っていうね。「えっ、これなに? イーストウッド流のマンブルコア?」みたいな。「『マンブルコア、やってみました』みたいなこと?」ってちょっと突っ込みたくなるぐらい。見ながらさ、アムステルダムのクラブで、「ホエーッ!」とかってポールダンスをついついやっちゃっているところとか、そういうのを見せられるに至って、「いったい、僕たちは何を見せられているんでしょう?」っていう気持ちになる人がたくさんいるのも(笑)、これは当然だと思います。特にヨーロッパ旅行のくだりはね。

■断片的なひとつひとつのエピソードがある偉業の実現へと結実する

ただ、この徹底した「普通さ」「なんてことなさ」こそ、実はこれ、本作のテーマ、メッセージと深く関わっている部分でもある。この作りにはちゃんと作品としての必然がある、ということですよね。というのは、たとえばいま言ったヨーロッパ旅行の行程。「この国に行って、この国に行って……(知らないおっさんが)『アムス行け』って言っているからアムスに行って……フランスは、どうしようかな?」みたいな、行程のひとつひとつとか。あるいは、事実上の主人公と言っていいスペンサーがですね、念願かなって……幼いころからの純粋な思い+ボンクラミリヲタ体質が相まって、念願かなって軍に入ったのはいいけど、本当に『アメリカン・スナイパー』のクリス・カイルさん、亡くなってしまいましたけども、クリス・カイルさんのエリート軍人ぶりとは本当に全く対照的に、このスペンサーさん、まずパラシュート部隊は身体能力的にダメ。で、サバイバル専門になろうとするんだけど、それも寝坊したりしてダメ(笑)。

あの寝坊のくだりでさ、こうガバッと起きて、走っている……予告で見ると、走っているショットが、なにか緊迫した事態が起こっている場面なのかな?って予想をしていたのに、寝坊して遅刻して教室に走っているところ、っていうね(笑)。寝坊してダメとかね。で、仕方なくそれで救護兵になっていくという、要は、軍隊の中ではあんまり優秀とは言えない人なわけです。でも、そういう1個1個のボンクラなというか、ぼんやりした断片的エピソード。そういうひとつひとつ、どうってことのない、なんならひたすら冴えない感じの、ある若者の人生の場面場面が、実は全て……後に彼らが大量無差別殺人を阻止し、死にかけていた負傷者の命をも救うことになるという、そのために、その1個1個の断片的に見えた、普通の、「なんだ、これ? なにを見せられているのかな?」っていうその1個1個が、全部必要なことだった!ということが、クライマックスに至って一気にわかる、という、そういう作りになっているわけですよ。

■たったひとつ、なにかが違っていたらテロ阻止はなされなかった

本当に1個、なにかが違っていただけで、数十人、数百人の死者が出ていてもおかしくなかったような状況なわけです。たとえば、もしスペンサーら若者たちが、電車に乗ったのはいいんだけど、「この車両、Wi-Fi入んねえな」って一等車に移動していなければ……ここ、「Wi-Fiが入らねえ」って一等車に移動するところで、観客は事前にテロがスタートする位置というのを、前の方のカットバックで見せられているので、「Wi-Fi入ります」っていう文字がドアに書いてあるのが見えた時点で、「あっ、ここだ!」っていうので、一気に戦慄が走る、というかね。そして、「ここに彼らが(いま来たということは)……じゃあ、最初は違う車両にいたのかよ!(ゾーッ!)」っていう感じがある。だから実は非常に、構成は何気に周到に作られている。人物の車両ごとの位置関係の示し方とか、実は……最初は無造作に見えていたものが、実はものすごく周到にできている、というのがわかる。

だし、もしスペンサーさんが、軍人としてはあまり優秀とは言えなくて、希望のところからどんどんどんどん外されて、不本意ながら救護兵の訓練をしているんだけど、その救護兵の知識と技術がなければ。あるいは、ポルトガル駐留時に、趣味として身につけていた柔術。その心得がなければ……みたいなこととかですね。そもそも、彼らがヨーロッパ旅行の途中で、みんなから「パリはやめておけ。パリはやめておけ」って言われている。なのに、「やっぱりパリも行こうか」って、そのパリ行きの特急タリスに乗っていなかったら……とか。いや、もっとそもそもの話をすれば、そのスペンサーくんが、決してできる子として人生を送ってきたわけではないこのボンクラ青年が、しかしそれでも「人の役に立ちたい」という使命感を、少年のころから抱き続けて。しかもそれが、「いざというその瞬間」に発揮できる、本当に、真に勇気ある人物だった、ということがなかったら……という。

そしてその、まさに同じ瞬間、まず故障なんかないアサルトライフルAK-47。その最初の一発。しかも、その最初の一発に、たまたま込められた弾に生じた、あるアクシデント……これはノンフィクションの本の方により明確に描かれていますけども。要は、弾に雷管を打った跡はあるんです。カーンと打ってはいたんだけど、弾のなにかその雷管に不具合があって、打ったんだけど、火薬の方にボン!っていかなかった。弾が発射されるところまでいかなかった。たまたまその一発が……という、その1個の、文字通り奇跡的な偶然が最後に1個加わることも含めて、とにかくなんてことのない普通の若者の人生のように、そしてそれが断片的にただ連なっているだけのように、我々観客にも見えていたその全てが、実はこのテロ阻止ということに関しては、無駄ではなかった。全部必要なプロセスだった、ということが、クライマックスに至って一気に理解できる、という作りなわけです。

■今回、イーストウッドのシンプルな問いかけは「いざという時に、あなたは動けますか?」

つまり、パズルが一気にガン!ってはまるというような。いままで無意味に思えたパズルが、全部はまったら、「あっ!」っていう風になる。なので、そこに至るまで延々と普通の人生、普通の旅というのが描かれる描写は……しかも、振り返ってみれば、でもそれらはほぼ全部が、クライマックスへの伏線だらけだった、とも言えるわけで。テーマ的に、要するに必要なものだった、ということだと思うんですね。「いざという時に、なすべきことをなせるか?」っていうのは、実はやっぱりとてもイーストウッド的な問いの立て方だ、という風にも思います。ずーっと関係ない話同士が並行して進んでいて、「これ、なんの話なんだろう?」っていう(風に観客には見えていた)のが、出会うべき人たちがついに最後出会って、役割を……その、自分の人生の役割っていうのが見つけられなかった主人公が、ついに自分の役割というのを見つけて、果たすという。そういう意味では、話としては、2011年3月5日に(この番組では映画評を)やった、イーストウッド作品の『ヒア アフター』にいちばん近いものがあるな、という風に思います。『ヒア アフター』も十分に変わった映画でしたけども。という感じ。

ただ、今回の『15時17分、パリ行き』ほど、「いざという時に、なすべきことを君はなせるのか?」……「いざという時に、なすべきことをなせなかった悔いを持っている」、もしくはやっちゃったことが正しかったのかどうかを悩む、みたいなのもイーストウッド的な主人公だったりするんだけど、今作ほどストレートに、「なすべきことを、なせたんだ!」っていう風に、ポジティブにこのテーマが語られることも、あまりなかったんじゃないかなという風に思いますね。ちなみに、さっき言った原作となったノンフィクション本では、アメリカ人若者たち3人の半生。今回の映画で描かれている半生、旅路というのと並行して、テロを実行しようとした、アイユーブという、テロ実行犯の青年側の半生と足取りも、同時にちょっとずつ掘り下げていくという作りなんですね。

その中でたとえば、そのイスラム系移民が、ヨーロッパ社会でやはり冷遇、敵視されて、それがまた犯罪やテロに彼らを走らせていく元凶になっているという、そういう構造がちゃんと指摘されたりもしているんです。なんだけど、今回の映画版では、そっちサイドの話は本当に完全に、バッサリとオミットされてますよね。正直僕は、その対照的な、明暗を分けた青春のあり方というのを並行して語る、そっち方向の作りの作品も、正直見てみたかったという気はたしかにあります。ただ、おそらくイーストウッドは、少なくとも本作では……つまり、「少なくとも本作では」っていうのは、他の作品ではむしろそういう両面的なアプローチをしてる。たとえば、『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』っていう、視点を完全に裏返して描く、というこの作品なんかはまさにそうですし。

『アメリカン・スナイパー』もやっぱり、そんな単純な軍人礼賛映画ではなくて、自分の鏡像関係のようなスナイパーと対峙して。最終的には自分のマッチョ性がどんどんどんどん揺らいでいって、最後はメソメソ泣いて。父の教えを忘れて、ライフルを捨てて逃げ帰るというさ。普段、他の作品ではそういう多面的なアプローチ、視点というのは全然やっているイーストウッドなんだけど、少なくともこの『15時17分、パリ行き』のこの物語では、そういう世界の問題の複雑さというのよりも、「いざという時に、あなたは動けますか?」というシンプルな問い。しかもそれを、このどこにでもいるような、本当に普通の若者たち……これがだから俳優が演じてさえもいないから、本当に普通の若者たちが、それを実際に成し遂げたんですよ! ということとか。

■青春映画として、ロードムービーとしてもチャーミング

あるいは、必然としか思えないほど奇跡的偶然の連なり、というのが本当にあったんですよ!という、そのシンプルな感動というか。シンプルに「すげえな、この話」っていう部分。とにかくそのシンプルさの方に、今回は賭けたかった、ということなんじゃないでしょうかね。いろんな企画が連続してポシャッちゃって、サクッとやりたい企画だった、というのもきっとあると思います。イーストウッドは基本的にサクッとやりたい人なので(笑)。なので、スペンサーが本当にバッと……「いざという時に、あなたは動けますか?」というその一点にかけているから、やっぱりバッと駆け出した瞬間に、僕は、「あっ、ああっ!」っていう。「ああ、あの子が! やっぱり、お前は動ける子だったよ、スペンサー!」って。そして最後、ホームで、少年時代にしていた祈りの言葉を、もう1回繰り返す。この祈りの言葉だけは、ノンフィクションのその本には入っていない。こここそ実は1ヶ所だけある、映画的アレンジなんですね。というあたりも非常にグッときますし。

先ほど言いましたけど、イーストウッド版『スタンド・バイ・ミー』的と言っていい少年期の描写。ここは割と正統派なジュヴナイル物として、非常にいいあたりですし。お母さん役のジュディ・グリアさん。『ファミリー・ツリー』とかに出てきた女優さんですけども、(長年イーストウッドのパートナーだった)ソンドラ・ロックにすごい似ていて。「これはイーストウッド好みの顔してるな」なんて思いながら見ていましたけどね(笑)。あと、やっぱり、人生ままならなかったボンクラ青年が、旅の果てに何事かを成し遂げる、という青春映画。もしくはロードムービーとしても、僕は非常にチャーミングな一作だなと思います。

■イーストウッドはどんな題材でも映画に出来ちゃうんじゃないか? という領域へ

とにかく、主役の3人本人たちが、とってもいい味を出していて。「あいつらと一緒に人生を歩んできた」感じがちゃんとするというか。だからこそ、「お前、本当にやったじゃん!」「これをお前がやったのか、本当に!?」っていう感じと、最後に勲章をもらうところ……フランソワ・オランド元フランス大統領に、勲章をもらうところ。あそこ、本当に不思議な場面なんですよ。ビデオで撮った、実際の、本物のフランソワ・オランド元フランス大統領の(ショットと交互に)、後ろから、たぶん背格好が似た人を使って撮っている劇映画(的なショットが入ってくる)……要するに、虚と実がカットごとに入れ替わる、という、めちゃめちゃ変な画なんだけど。やっぱりそこが、もうずっと人生を一緒に歩んできた気がしているから、「お母さんたち、自慢の息子さんですね! いやー、いろいろと学校の頃は心配とかしたけど、よかったじゃないですか。あなたたち、間違ってなかったですよ!」って肩もんであげたくなるような(笑)、そんな気持ちになる、という感じだと思います。

まあね、いわゆる普通の、「ストレートに面白い」映画を見たいんだったら、『スリー・ビルボード』とかね、それより優先順位的には後でいいけど。変な映画だし、途中は「なんなんだ?」っていう風に感じる人が多くなるのもわかりますが。むしろその『スリー・ビルボード』とかも含めて、「普通に面白い映画」っていうのの、お約束性とか慣習性とか、そういうところに飽きてきたりとか、ちょっと懐疑的な気持ちを抱いたことのある人にこそ、イーストウッドがまだまだ「映画」というものを問い直している、というこの一作。見応えが実際、あるんじゃないでしょうかね。もうイーストウッドは、どんな題材、どんな形でも映画にできちゃうんじゃないか?っていう、恐ろしい領域に入ってきたなと思います。僕は絶対に嫌いになれない! ぜひぜひ劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ブラックパンサー』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下ガチャ回しパート>

『15時17分、パリ行き』、ヴェネツィアでたまたま途中で一緒になる、あのリサという女の子。あの子、めちゃめちゃかわいいなと思ってね。「この子は本物かな?」って思ったんですけど、調べたら女優さんでした。はい。

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