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Jリーグ 25年の軌跡を振り返る~ 初代チェアマン:川淵三郎さん

コシノジュンコ MASACA

2018年5月20日(日)放送

川淵三郎さん(part 1)
1936年大阪府生まれ。早稲田大学卒業後、古河電気工業に入社。64年、東京オリンピックにサッカー日本代表として出場します。91年、Jリーグ初代チェアマンに就任し、2002年に日本サッカー協会に就任以降、名誉職を歴任し、現在は相談役を務めていらっしゃいます。日本トップリーグ連携機構会長、日本バスケットボールリーグ協会エグゼグティブアドバイザー。

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JK:今年でJリーグ25周年。早いですね!

川淵:あっという間に四半世紀。25年先にはどうなってるだろう、なんて予想もしてなかった! Jリーグができたころは、「10年先はたぶん16ぐらいのクラブ数に増えて、右肩上がりでいっていると思う」ということを言っていたんですね。10年後ぐらいに6チームまで増えていれば御の字、と思っていたのがいまや28チーム。成長が予想外に早かった。

JK:そうね。スター選手・・・カズさんとか、ラモスがいたから、勢いがあった。ブラジルのね。

川淵:試合を見てても結構面白くて。チアホーンっていう「ブーブー」って音を出す楽器、あれを吹くことでストレス発散をする人が多くて、国立競技場なんかうるさくて近所から苦情がきてね。「チアホーンは自粛してください」って大型ビジョンに出したたら、今度は全部なくなっちゃった(笑)

JK:もったいない!

川淵:あれは売れて、非常に儲かってたのに(^^)応援の風景もガラリと変わったし。野球なんかも大きな影響を受けて変わりましたからね。

JK:女性のファンが増えましたよね。

川淵:うん、それが世界的に見てもものすごく珍しかった。サッカー場っていうのはフーリガンがたくさんいて、暴れるところ、ケンカする場所、ようするに労働者階級のストレス発散の場としてヨーロッパでは発展してきましたから。そういう意味で日本のサッカーファンは半分近くが女性や子供という点で、世界からうらやましがられた。スタジアムも良くなって、いま世界でも女性のサッカーファンが増えましたからね。

JK:私もパリで見たんですけど・・・怖かった(-_-;) 女性が来るところではないと思った。

出水:女性や子供がたくさん来るようになったというのは、川淵さんの狙いでもあったんですか?

川淵:そうなってくれればありがたい、ということだったんだけど。当時の野球は服装が地味で、選手も地味だったんだけど、サッカーの場合は色彩豊かで、カズとか武田とか、派手な選手も多かった。女性ファンがいっぱい来たんですよ。

JK:私もヴェルディのユニフォームを作りました!

川淵:あのころはジュンコさんにすっごくお世話になったね。ヴェルディがユニフォームその他を作ってもらって、日本代表もものすごい応援してもらって。当時の長沼会長その他で、ジュンコさんの家で何回もやってもらった記憶があります。

JK:2002年のワールドカップの時ね。もう10何年になるんですよ。信じられない!

川淵:ジュンコさんにはいろんな面でサッカー協会を応援していただいて・・・。サッカー協会の外国の人が来た時の記念品までデザインしていただいて。

JK:いままで兜とかをお渡ししてたんですよね。でも、それだとサッカーのイメージもないし、サッカー協会のマークを使って、日本の伝統工芸を使って、デザインしたんです。

川淵:だから、僕はジュンコさんにすごいお世話になった記憶しかなくて(笑)

JK:おかげさまでVIP席に座らせていただきました(笑)

出水:企業スポーツだったサッカーをプロ化するにあたって、こだわったところ、最も力を注いだのはどんなところだったんですか?

川淵:やっぱり一番初めに、プロになるんだから企業名を外さなくてはならない。企業の名前が入ると、その企業と周辺の人しか応援しない、企業名を外さない限りはJリーグは成功しないと思ったのでね。読売新聞の渡辺社長といろいろやり合いがあったのはその点なんです。

JK:でもバレーボールは企業そのものですよね。

川淵:そうですね。まだプロになっていないスポーツは企業名がついていて。ただ、企業がバックアップしているから成り立っているというところもあるんでね・・・それは感謝しながら、次はどう発展していけばいいかを考えればいいんですよ。

出水:Jリーグが発足して、今まで聞いたことのない横文字、たとえば「キャプテン」「チェアマン」なども生まれました。

JK:あれってすごい重要なのよね。世界観っていうか、インターナショナルって感じがするじゃない!

川淵:定款とか作るときに、本当にこういう言い方をイギリスではするの? ということを確認しながらやったんです。「ホームタウン」とか「フランチャイズ」とか。「チェアマン」っていうのもね・・・定款作成には文部省もタッチしてましたから。名前をどうするという時に、僕は最初「代表」はどうかと言ったら、「それは前例がないから辞めてくれ」って言われて(笑)前例なんかあるわけないじゃない、初めてなんだから! それでもめてね・・・最後はこっちで勝手にやるぞ!ってことで。

JK:前例は作るんですよ! 始まりなんだから。

出水:ふりかえって、忘れられない思い出として何が思い浮かびますか?

川淵:やっぱり、マリノスとフリューゲルスの合併問題。始めのうちは収入が多かったので、選手の年俸もどんどん増やしていったら、今度は観客動員が落ちて行った。チーム数を増やしたことも関係あるんだけれど。始めはいわゆるバブル期で、若い女性が山ほど来ていたわけですよ。そのころはサッカーもあんまりうまくなかったけど、積極的にゴール前に攻めていったから面白かったんです。ところが3年ぐらい経つと、勝つためには守備をしっかりしなくてはならない。これは当然の話なんですけれどもね。でも守備をやりだすと、攻撃の面白さがそがれてしまう。いままでゴール前の面白いシーンが50回あったのが、10回に減ってしまった。だから見ている側が面白くなくなって、全体の数が減っていった。その辺のところが一番悩ましかったですね。チーム数を増やすことと、観客動員が減ってきたことと・・・それがちょうど、フランスのワールドカップに出られることになって、そこから持ち直して、また右肩上がりになっていきました。

出水:25年前に開幕宣言をしたときに、こんな言葉がありました。「大きな夢の実現にむかって、その第1歩」。その大きな夢、というのは、やっぱりワールドカップ?

川淵:いや、そんなんじゃないです。僕はやっぱり地域に根差したチーム、地域の人々に愛されるチーム、そしてそこにサッカーだけではなく、バレーやバスケや卓球やラグビーができる環境、上手い人も上手くない人も、初心者ならそこへ行けばスポーツを楽しめる場所を日本中に作っていきましょうよ、という夢の第1歩という意味。日本のサッカーが強くなるということとはまるで違う。

JK:レッズなんかすごいですもんね! 赤いユニフォームを着ないと恥ずかしい。

川淵:だから、今みたいな感じで、地域の人が全部クラブを応援するという形。野球もそういう形になっていきましたよね。そういう意味で、いま一番僕がこうしてほしいと思うのは、クラブがいろんなスポーツの施設をもっとたくさん持って、サッカー以外の子どもたち、老若男女だれでもがそこへいってスポーツが楽しめる環境を作ってほしいなと思っています。そういうことをやってくれているクラブはなんぼかあるんですよ。でもまだまだ。

JK:町おこしですよね。一種の。誰でも自慢にする。

川淵:子供が生まれたら、そこのクラブの会員になる。ヨーロッパはみんなそうですから。日本もそういうクラブの在り方になってほしいなと。

JK:川淵さんは学生時代にドイツに行ったでしょう?その経験がものすごく大きい?

川淵:そう!それが全て。だからJリーグのクラブハウスがあって、芝のグラウンドがあって、一般の人たちがみんな代表と混じって練習しているという風景が頭から離れない。こういう風に日本がなったらいいのになぁ、でも僕が生きているうちは絶対そういうことにならないなぁと思ってた。あまりにも月とスッポンだったから。そこへサッカーのブローカーという話が出た時に、「ドイツで見たような、地域n根差したクラブに近づく努力をしていこう」と思った。将来あるべき姿をドイツでみているから。ドイツはだから強かったんです。

JK:使命感ですよね。

川淵:ものの本に書いてあったり、想像だけで、自分が現実としてみていなかったら、Jリーグのあるべき姿というのは思い浮かばなかったと思いますよ。

JK:古河時代は、日本は芝のグラウンドじゃなかったんでしょう?うちの主人なんか、芝生のグラウンドがあるからそこに就職した、って(笑)そのぐらい芝生に憧れてた。

川淵:そうそう(笑)みんな土だもん! 日本代表の練習ですら、当時の東大の御殿下っていう土のグラウンドで、ロッカーなんかもちろんないし、三四郎池で着替えて・・・バッグを置いといて「誰か見とけ」って。日本代表がよ?! 東大のサッカー部のグラウンドだったから、ネットもボロボロで、シュートしてもどこへ行ったかわかんなくなっちゃう(笑)それが僕が大学2~3年生のころだからね。いまなんか、本当にちっちゃな子供でも芝でできるし、人工芝もあるし。50年・60年でここまで変わるかなって。

JK:今年はどうですか? ロシアのワールドカップ、日本代表。

川淵:多くの人から「なんで代表監督を日本人にしないんですか」って言われてたんですが・・・本田だとか中田ヒデのような選手がいて、監督が日本人だと、監督の指示や技術的なレベルが「ヨーロッパのクラブの監督と比べると落ちるな」という感じになりやすい。それにカリスマがないと絶対上手くいかない。カリスマのある監督がいままでいたかというと、岡田ぐらいですよね。

JK:岡ちゃんね!

川淵:日本のリーグで優勝していない監督は、代表には絶対させないという不文律が僕らにはあるわけ。そうすると、今の日本の代表になれるのは、西野、長谷川健太、森保、この3人だけ。日本代表監督としての合格の条件を満たすのは。選手がカリスマを感じないと! 監督が上からなんぼガンガンいっても「何言っとんじゃ」と選手が思うようではいかん。

JK:監督になるには、資格を持ってないといけないんでしょ?

川淵:そう。S級ライセンスを持ってないダメ。

JK:そういうのは日本で取れるの? ラモスも取ったでしょ?

川淵:日本で取れます。その代わり、プロの指導者はA~C級まで資格をとって、そこからS級として何年か経験をして、1年ぐらい研修を受けるんですよ。だからS級ライセンスを取るのって大変なんです。だからみんなものすごく努力してる。そういう意味では、ちゃんとした指導のノウハウを知ってチームを教えているわけです。

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