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宇多丸『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』を語る!【映画評書き起こし 2018.5.26放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは先週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』

(Kool & The Gang『Celebration』が流れる)

はい。これはオープニングで流れるクール・アンド・ザ・ギャングの『Celebration』という曲ですけどね。このちょっと明るい、オールハッピーな感じと裏腹に……という部分もあるという。ちょっと皮肉のこもった選曲、というあたりですかね。全編iPhoneで撮影した映画『タンジェリン』で注目を浴びた、ショーン・ベイカー監督による人間ドラマ。フロリダの安モーテルでその日暮らしの毎日を送る女性ヘイリーと6才の娘ムーニーの身に起こる出来事を、パステルカラーの映像で映し出す。親子を見守るモーテルの管理人をウィレム・デフォーが演じる、ということでございます。

ということで、もうこの『フロリダ・プロジェクト』を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。そうですか。あんまり公開規模が大きくないのもあるのかな。ところが賛否の比率は、先週の『アイ、トーニャ』も非常に賛が多かったですけども、今回も褒めのメールが99%。否定的なメールは3通のみ、というかなり極端な結果が出ました。

主な褒める意見は「今年ベストを更新」「軽快なオープニング、色鮮やかな映像、無邪気に遊ぶ子供たちの姿など明るい画面とは裏腹にじりじりと追い詰められていく厳しい現実。2つのギャップにやられた」「貧困層の人々の暮らしを過剰に同情を誘う描き方をしていない点に好感が持てた」「素人とは思えない子供たちの演技が素晴らしい」「モーテルの管理人を演じるベテラン俳優ウィレム・デフォーの繊細な演技が見事」「希望と絶望が同居するラストシーンに胸が締め付けられた」という絶賛の声が並んでおります。

一方、否定的な意見としては「全体的に物足りない印象」「母親のヘイリーのキャラクターを受け入れられなかった」。まあもちろんね、決して褒められたもんじゃない人ですからね。「モヤモヤするラストシーンに乗れなかった」といったところでございます。

■「苦しみが感じられて胸が痛くなりました」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「わくわくカルビ帝国」さん。「なんというポスター詐欺! もちろん、いい意味で。色鮮やかな景色とシングルマザーの母と娘を容赦なく追い込む現実の対比がすさまじい。」

「正直、この母親は最低です。低みの域を超えた迷惑行為のオンパレードに『これを物語としてどうやって収拾をつけるんだ?』と思いながら見ていました。しかし、最後に向かうにつれて『なぜこの母親はこうなってしまったのだろう?』と考えさせられました。娘ムーニーの入浴シーンが何度か挟まれるんですが、最初は母も一緒に入っていたのに途中から娘だけになり、何かを隠すように大きな音量で音楽が流れていて……それが何を意味しているのか気づいた時のなんとも言えない気持ち。」

「他にもムーニーの『大人が泣く時の気配がわかる』という発言。倒れても育っている木など直接的ではない細かい部分で母親のこれまでの苦しみが感じ取れて胸が痛くなりました。モーテルの管理人はとてもよい人ですが、その存在が逆に優しい人が近くにいるというだけではどうにもならない現実のリアルさが際立っていたような気がします」というね。で、「ラストも行き着く先で安易に救いを与えられることがないということを叩きつけられてエンドロールの間はただただ放心しました。私の中では間違いなく今年ベストの作品になりました」という、大変な高評価。わくわくカルビ帝国さん。

一方ダメだったという方。「『フロリダ・プロジェクト』、見ました。平日なのに結構混んでいて、見る前にパンフを買おうとしましたが売り切れで。期待して見ましたが個人的にはイマイチでした。前評判どおり子役たちはよかったです。『嫌なガキだな』という最初の印象から話が進むにつれ、尻上がりに子供たちへ感情移入してしまう見せ方はよかったと思いました。ただ、それとは対照的に母親はところどころは優しいシーンはあるものの、一切の成長を感じさせず、『まあそうなるよな』というような結末で物足りなさが多く積もる作品でした」ということでございます。

ショーン・ベイカーさんという作り手の名前、覚えてね!

みなさん、ありがとうございます。ということで、私もこの『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』、バルト9で2回見てまいりました。たしかにめちゃめちゃ入っていて、パンフも……僕、2日目に行ったのに、もうパンフが売り切れていましたからね。ひょっとしたらいっぱい作っていなかったのかもしれないですけど。ということで、今回はとにかく、この本作『フロリダ・プロジェクト』の監督、脚本、編集、製作を務めて、世界中で本当に映画賞をとりまくっておりますショーン・ベイカーさん……1971年生まれ、アメリカの方ですけども、このショーン・ベイカーさんという作り手の名前だけでも、覚えて帰ってね〜、という感じですね。ショーン・ベイカーさん。

僕もね、偉そうに言っていますけども、とはいえ遅まきながら、このタイミングで彼の作品をはじめてちゃんと見ました。日本でソフトが出ている過去作2本を含め、3本しか見ていないんですけども。2012年の『チワワは見ていた ポルノ女優と未亡人の秘密』という、まあ原題はシンプルに『Starlet』というタイトルですけども。あと、2015年の前作『タンジェリン』。先ほどの説明にもありました、iPhoneだけで撮った作品『タンジェリン』。さかのぼってようやく拝見しましたが、やっぱりアメリカのインディペンデント映画界って本当に人材がすごい、まだまだすごい人がいるもんだなと、改めて思い知らされた次第です。

このショーン・ベイカーさん、作風はかなり一貫しておりまして。要は、なかなかスポットを当てられることのない、社会の片隅で生きる、社会的弱者と言っていいような立場の人々を、大上段のテーマを振りかざして同情的に、もしくは批判的に描くのではなく、あくまでもその人々の目線から、ものすごく生き生きと……つまり、半端じゃなくリアルなんですけど、「リアル」っていうのは、厳しい現実というのはたしかにそこにあるんだけど、殊更にそこで深刻な顔をすることなく。要するに「テーマのための題材」っていう感じがあんまりしないっていうのかな。「こういうメッセージが言いたいから、この題材を扱っている」っていう感じがあまりしなくて。

たとえば貧乏だったりとかいろいろあっても、そういう人生の中にも当然あふれている、喜びとか輝きとか。そういうのも含めて、なんて言うか僕、こういう感じを受けました。「人、もしくは人の生き方を、ジャッジしない視線」っていうか。だから今回の母親とかも、決して褒められたもんじゃないんだけど、その母親の生き方も含めてら決してジャッジをしない。人をジャッジしない視線というか。そういう、まあ本当の意味で優しいスタンスというか。で、あくまでも軽やかに、社会の片隅で生きる人々を描き出していく。

で、そのものすごく生き生きとした、本当にその人がそこでそうやって生きているとしか思えないような描写の数々。そのベースには、演技未経験者を大胆にキャスティングして、そこに実は何人か常連役者を含む……今回の『フロリダ・プロジェクト』も実は何人か常連役者が混ざっていますけども、プロ俳優を巧みに要所に配しつつ、要は素人俳優と手練とで上手くアンサンブルを作り上げていく、という、非常に高度な演技・演出。演出力というのがあるんですね。

アメリカ・インディペンデント映画界の才人が放ったホームラン

あとは、これは共同脚本と製作をここ三作手がけているクリス・バーゴッチさんという方。この人の力も大きいのかもしれませんけども。非常に綿密なリサーチを重ねて、時間をかけて練り上げられた脚本。これ、脚本も実は大変骨格がしっかりしているなという風に思います。さっき言ったようにとってもリアルな、自然主義的な演出、演技なんですね。なので、それぞれのシーンとかエピソードは、見ているだけだと一見、散文的というか。本当に現実そのままに、とりとめもなく起こる出来事たちを無造作に捉えて並べているように一見、見えるんだけど。実はですね、どの段階でどの情報をどれだけ観客に知らせておくか、っていう計算が、すごく周到になされていて。映画をずーっと見進めていくとだんだん、実は明確なストーリーとかドラマ性と、それに向けた伏線が、非常に巧みに組み上げられていたんだという(ことがわかってくる)。

「あっ、さっきのあれ、何気ない会話だと思ったら、全然伏線じゃん!」みたいなのがあったりとか、ということです。要は非常にインディペンデント映画ならではの、肩の力の抜けた自然さみたいなところと、たしかなストーリーテリング力、というのを兼ね備えている。加えて、たとえばさっき言った『タンジェリン』。全編iPhone5sにアナモレンズを付けて撮影したという。で、その手法ならではの躍動感あふれるビジュアルというのを、作品としての魅力に昇華している、みたいな感じで。要は、絵的な構築力というか、絵的なセンスもすごい長けている方なんですよね。だから、演技演出も上手い。ストーリーテリングもしっかりしている。絵的なセンスも長けている、という。アメリカン・インディペンデント映画界、こんな才人がまだまだいるのか、というショーン・ベイカーさんなんですけども。

で、その意味でですね、今回の『フロリダ・プロジェクト』……この「プロジェクト」というのは、たとえばニューヨークのクイーンズブリッジ・プロジェクトみたいな、貧しい人用の公営団地みたいなものを、一般的には「プロジェクト」って言いますけども。ちょっと皮肉に満ちた……今回の「フロリダ・プロジェクト」と言われているのは安モーテルで、貧しい人が勝手に住み込んじゃっているわけですから。要するに公のプロジェクト的なものですらないっていう状況も含めた、ちょっと皮肉なタイトル。『フロリダ・プロジェクト』は、そんないままで言ってきたようなショーン・ベイカーさんの資質が、いまのところ最大限に生かされた、まさに決定打的な、ついにホームランを打った的な一作と言っていいんじゃないかと思いますね。

■厳しい現実も見方によっては美しさを湛えている。それを示す画的な美しさ

まず今回は、さっき言った前作の『タンジェリン』という作品とは対照的に、オールドスクールな、35ミリフィルムでの撮影というのが99%以上を占めているという。当然、世界的に高まってきた評価に応じて、ちょっとこれまでの作品とはケタ違いの予算があったからこそ35ミリで撮れた、っていうのはあると思いますけども。とにかく99%以上……「99%」っていう言い方をしているっていうことは、残りの1%弱は何か、っていうことで。これはまた後で言いますけども。とにかくその35ミリフィルム撮影で、要はカメラワークがグッと落ち着いたんですね。前はiPhoneで撮っているというのもあって、非常に躍動感があってワーッと走り回ったりするようなカメラだったんですけど、そのカメラワークもグッと落ち着いたことで、フィックスの画もだいぶ増えたことで、このショーン・ベイカーさんの本来持っていた、言ってみれば写真家的なビジュアルセンスが全開になったな、と思います。

映画監督の中には、写真家的な絵作りのセンスに長けている人っていうのが一定量いて。ショーン・ベイカーさんは、どっちかって言うとそのタイプなんだっていうのが改めてわかる感じでしたね。フロリダの燦々とした陽光の下、カラフルに輝く建物とか洋服……この洋服も、ちゃんと色彩計算がきっちりされた、洋服の数々などもすごくデザインとして決まった、グラフィカルな構図で美しく切り取ってみせる、というセンス。で、もちろんその背景には、抜け出し難い貧困のサイクルとか広がる格差とか、現実の現代アメリカ社会の問題っていうのが重たく横たわってはいるんだけど。ちょうどあの『ムーンライト』……。

去年のアカデミー作品賞をとりました『ムーンライト』が……僕の前の番組で2017年4月22日に評した公式書き起こしが読めますので、ぜひ読んでいただきたいんですが。あの『ムーンライト』がやはり、社会とか人間関係の悲しい現実みたいなものを描きながら、画そのものは非常に鮮やかな色彩設計で。要は、厳しい現実はあっても、それでも、主人公の内面がそうであるのと同様、世界の本質というのには美しさがあるはずだというね。それを絵的に表現していたのとも、ちょっと通じる感じで。

この『フロリダ・プロジェクト』というのは、特に子供たちから見た世界っていうのが……何度も念を押しますけども、厳しい現実というのがたしかにあるんですよ。子供たちはその厳しい現実の、ある意味いちばんの被害者であるかもしれない。見方によっては彼/彼女たちはかわいそうな子たち。なんだけど、その子供の目から見た世界は、驚くほど豊かで楽しい、美しいっていうのを、まずは圧倒的な画の力として提示してくるわけですね、この『フロリダ・プロジェクト』は。たとえばあと、その景色も非常にカラフルなのが、ディズニーリゾート近辺なわけですね。ディズニーリゾート近辺のモーテルに……アメリカがこの10年で、リーマンショック以降、非常に経済格差、貧困層が広がっちゃって、もうほとんど隠れホームレスと言われるような人たちが住んでいる、というその状況。

そしてその周りをまたさらに、彼らから見ればお金を持っている人たちなんだけど、とはいえそこまで金持ちでもないアメリカ人の観光客、世界中の観光客が(来るような)、インチキくさーい、パチもんディズニーお土産屋みたいなのがあって、そういうのが広がっていて。そういう景色の、インチキ安っぽ面白い感じとかもね、ちょっと楽しめるんですけどね。で、まあそんな景色の中で繰り広げられる人間模様。これのまあ、なんとおかしく切なく愛おしいことかというね。まあ本当に、社会派貧乏長屋人情物というか。基本的にはそんな感じで楽しめます。

一見無造作に撮っているように見えるが、実は非常にうまい作り

たとえばね、貧困、悲惨な状況を生き抜く子供たち、っていう作品の系譜で言うと、いろいろとあるわけです。たとえばそれこそロッセリーニの『ドイツ零年』とかね。ブニュエルの『忘れられた人々』とか、ちょっとドキュメンタリックなタッチも含めて、そういう系譜もあるし。もちろん、ショーン・ベイカーさんも今回当然参考にしたという、是枝裕和監督の『誰も知らない』とかまで、まあ貧困を生き抜く子供たち、という作品の系譜もあるし。あるいは、たとえば親もしくは親的な存在と、貧しくても楽しく暮らしていたのが、やむなく引き離される子供、みたいな。それこそチャップリンの『キッド』とか……『砂の器』の泣かせどころだって要はそういうことですから。貧しいけど楽しく暮らしていた幼年期。で、親から引き離されて……という、そういう一連の流れというのもありますけども。

ショーン・ベイカーさんはもちろん、それらのものも参考にしているんでしょうけど、全体としては、ハル・ローチという1920年から30年にかけて短編がいっぱい作られた『Our Gang(ちびっこギャング)』シリーズみたいな感じで、子供たちがキャッキャキャッキャいたずらをして楽しいっていう、そこをまず描きたかったという。その心底楽しそうな夏休みの感じっていうのが、まずは前半、あえて楽天的なトーンで、この『フロリダ・プロジェクト』は描かれるわけですね。まずそこはすごい楽しいわけですよ、やっぱり。あんまりダークサイドは、序盤はまだ描かれていないし。「なんかこの子たちはこの子たちで、いまどき珍しい大らかな感じで育っていていいな」みたいなぐらいに思うわけです。

で、子供たちの演技も、もう「自然」とかそういう言葉のレベルを超えて、もうそのまんまそこにいる子たちの言動を映しているだけにも見えるぐらいなんですけど。これ、是枝さんのアプローチとは違って、実はちゃんと演技の基礎訓練を受けさせて、セリフもちゃんと覚えさせた上でアドリブも許した、っていう撮り方をしているというね。割と正攻法の手順を踏んだらしいんですけど。とにかく極めて自然主義的、ドキュメンタリックに切り取られた子供たちのじゃれ合い、というのがある。

なんだけど、これが上手いのは、たとえばソフトクリーム屋で、観光客親子……この親子の、あっちはあっちで同じような年頃の子供がいるのがまたちょっと切ないんだけど。とにかく、観光客相手に小銭をねだるくだりっていうのがありますよね。で、ここではじめて仲間に加わったジャンシーちゃんっていう女の子がいて、そこで、小銭をねだっているところで、彼女の表情をメインに抜くわけですよ。で、その彼女が正直、「マジか!?」って顔をしているわけですよ。小銭をこうやってせびっているところで。それによって、つまり客観視点、ツッコミのカットを入れることで、一見無造作に撮っているけど、ちゃんと笑いを増幅させる作りにしているわけですね。こことか、ちゃんとジャンシーの顔を抜くところが上手い、っていう感じがしますし。

もちろん、その何気ない会話とか遊びの端々が、実は、後々の何事かにつながっていったりとか、何気にストーリーもしっかりテリングしている、というこの自然な子供たちの演技。一方で、ストーリーを主に進めていく目線は、観客にいちばん近い目線を持った人物。つまり、子供たちとかその親たちを、「なんか危なっかしいなー」っていう感じで思いつつ、内心あたたかく見守っている……同時に言えば、見守るしかできない。この「見守るしかできない」っていうのは、映画の観客そのものですから。映画の観客と完全に一致する視点を持つ、モーテル管理人、ウィレム・デフォーね。これも高評価も納得の、本当に抑えに抑えた名演技。彼の目線でメインのお話を進めていくっていうのも、非常に上手い作りですね。

■お母さんのストーリーに悲劇的な結末の予感が陰る

彼が子供たちのいたずらに手を焼くくだりとか、もう全て楽しい。なんか幸福感にあふれていて、素敵だなと思うし。あと、さりげないところだと、夕暮れ時。彼が1人でタバコにプッと火をつけると、その火をつけた瞬間に、ちょうどモーテルの周りにポッと明かりがついて。そして画面の外側で、花火の音がポンポンッてするという。つまり、「ああ、すぐ近くにディズニーリゾートがあるんだな。なのに……」っていうその距離感と、しかもその時には画面には映っていないディズニーリゾートの花火が、後半のあるものに、ちゃんと伏線になっているというこの見せ方。上手いですね。

あるいはね、彼がそのモーテルの住人たち、そして子供たちの、さりげない守護者であることを示す……と同時に、やっぱり世界というものに実はあふれているおぞましさを、ちょっと垣間見させるような、とある場面。ここも非常にドキドキとしますね。ここもやっぱり、このウィレム・デフォーの目線でいったん(ショットが)引くから、最初は「あれっ? これはなんか微笑ましい、子供とおじいさんの交流かな?」って思うと、ウィレム・デフォーの目線で引くと、「ヤバい!」っていう感じがちゃんとする目線になっていて。カットでちゃんとそのヤバさを表現しているあたり。これも見事ですしね。

で、そこからさらにストーリーの重心が、お母さん。これを演じているブリア・ビネイトさんという方、この方はもともと普通にファッションデザイナーかなにかをやられていた、まあ演技素人なはずなんですよ。ちょっと若い時のコートニー・ラブっぽい雰囲気を持っている感じの人ですよね。とにかくこの、要は社会からちょっとはみ出してしまっている、で、生活力もなさそうな、良識的に見れば母親失格のレッテルを貼られてもちょっとしょうがないかもっていうような、若いお母さん。

もうひっきりなしにトラップを聞いているというね(笑)、お母さんがですね、どうやって食いつないで、そのモーテルの家賃も払っているのか?っていうあたりにだんだんと話の重心が移っていくに従って、お話は次第に、ある悲劇的な結末への予感を帯びていく。この不吉な影の落とし方。その順番とか塩梅も、非常に上手いというね。そこでやっぱり、そのお母さんの生き方というのを決して批判したりジャッジしたりしないショーン・ベイカーの視線、演出のフラットさというのが、非常に効いていますよね。その不吉な影の落とし方……たとえばメールにあった通り、1人でお風呂に入っている画がなんか増えたなと思ったら……というあたり。特に、子供側も薄々事態の異常性、深刻さを感じてしまっているのだろう、とわかってくるくだりですよね。

映画というものに求める大きな要素がいくつもちゃんと入っている

序盤でムーニーちゃんという女の子が、「大人が泣く時がわかる」って言う。つまり、「子供は(大人を)見ているんだよ」っていうことをちゃんと言っているからこそ、だんだん「彼女はやっぱり(実際の状況を)わかっているじゃん!」っていうのがわかってくるくだりが、ちょっと辛くなってくる。で、それが極に達した時に、その(ムーニー役を演じている)ブルックリン・キンバリーさんが……本当に驚くべき、1個1個の仕草、発言のキュートさ、クレバーさ、本当に魅力的なあの子役がついに……要は、とにかくずっと楽しそうだったムーニーちゃん。というよりは、彼女はひょっとしたら、楽しい面だけを見ようとしていて、彼女なりに突っ張ってきたんじゃないか?って思わせるぐらい、堰を切ったように感情の渦が、ドーンと洪水になって現れ出てきてしまうその瞬間。

それはつまり、彼女にとってあまりにも早すぎる子供時代の終わりっていうのを、彼女がいま確信して……「ああ、私の子供時代、ちょっと早いけどもう終わるみたい」っていうことがわかってしまう。で、もうもちろんここまでですでに、我々大人の観客はダラッダラに号泣させられてしまっているわけですけど。そこでさらに、ラストのラストのラスト、もう1個、映画的な飛躍というのが用意されているわけですね。最初の方で言ったショーン・ベイカーさんのフィルモグラフィーから見ても、非常に納得の手法。今回は、そこで「それ」が出てくるか!っていうね。で、これが面白いのは、物語的には、現実を飛び越えるジャンプが最後に起こる、ちょっと現実から浮遊するラストが用意されている。

にもかかわらずこれ、映像的には、この部分が本作でいちばん生々しい、「現実的」な映像手法が取られている。つまり、現実の向こう側に物語的には飛び移っていくんだけど、映像的には現実側に飛び込んでくる、という……このちょっと不思議な逆転構造を持つような飛躍が用意されているというね。しかもその、「向こう側」にいる現実の幸せそうな家族たちっていうのがいっぱいいるんだけど、むしろそっちの方がなんか嘘っぽい作り物に見えてくる、というこのバランスとかですね、見事なもんだと思いますね。

ということでですね、現実にいたらダメな人たちの、人生とか言い分とか視点に、なぜか肩入れをしてしまったりとか、あと作品としてちゃんと一飛躍が用意されていたりとか……やっぱり、映画というものに僕が求める大きな要素が、いくつもちゃんと入っている。実はめちゃめちゃ周到によくできた、そしてちゃんと最後に1個驚かせてもくれたりとか……見事な一作です。アメリカ・インディペンデント映画界の、本当に底力を知るような一作。ぜひ劇場で。めちゃめちゃおすすめです、ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画はウェス・アンダーソン監督最新作、『犬ヶ島』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。