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宇多丸『犬が島』を語る!【映画評書き起こし 2018.6.1放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:
さあ、ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。それでは今夜評論する映画は、こちら! 『犬ヶ島』

(曲が流れる)

この(和太鼓を打つ)オープニングとエンディングがすごい好きなんだよな(笑)。はい、『グランド・ブダペスト・ホテル』などで知られるウェス・アンダーソン監督の最新作。日本を舞台に、「犬インフルエンザ」の蔓延によって離島に隔離された愛犬を探す少年と犬たちが繰り広げる冒険を描いたストップモーション・アニメ。声優陣にはビル・マーレイ、エドワード・ノートン、スカーレット・ヨハンソン、オノ・ヨーコなどなど、挙げきれないぐらいの豪華メンバーが集結。また、日本のクリエイターの野村訓市さんが原案や声優として参加している、ということでございます。ブライアン・クランストンも参加しておりますね。

ということで、このウェス・アンダーソン最新作をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、やや多め。まあ、ウェス・アンダーソンの新作をやるとなれば、何にせよみなさん見に行くというのはあると思います。賛否の比率は褒めのメールが9割、否定的なメールが1割。最近、こういうのが多いですね。

主な褒める意見は、「ウェス・アンダーソン監督の脳内日本の世界観やキャラクターを見ているだけで楽しい」「日本をモチーフにしていながらも、日本では作られないであろう独特の日本描写の想像力に脱帽」「名作邦画へのリスペクト満載の小ネタひとつひとつに愛が感じられた」「犬を描いたストップモーション・アニメの最高傑作」などなどございました。一方、否定的な意見としては「画面とセリフ、両方の情報量が多すぎて追いつかなかった」「映像がすごいのは認めるが、ストーリーは追いついていない」「細かく差し込まれる日本語ネタがノイズになって映画に集中ができなかった」。ある意味日本を舞台にしたことで生じる我々ならではのノイズ、というのもあったのかもしれませんね。

■「犬ヶ島』は2018年の日本を描いた正しい人形アニメーション」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「枯れるぜ万太郎」さん。「立川シネマ・ワンにて『犬ヶ島』を見てまいりました。結論から申しますと、面白かった。この『犬ヶ島』は外国から見た日本のはらわたを取り出してグツグツと煮込み、戯画化し、デフォルメして作り上げた作品だと思いました。私、個人的に、映画を作るのに『なぜこの脚本はアニメなのか? 実写でいいんじゃないのか?』というのは常に問うべきだと思っています。そうなると、なぜ『犬ヶ島』は人形(パペット)アニメーションで作られなければならなかったのか? 普通のドローイングアニメーションやピクサーやディズニーのような3DCGアニメーションではダメなのか? と考える必要がある。

昨今の3DCGアニメーションは技術も上がり、表現の幅も広がり、予算も安く抑えることができる。いいことずくめのはずなのだけども……しかし『犬ヶ島』は両親と腎臓を失った12才の日本人少年が頭にボルトが刺さったまま、血を流しながら連れ去られた友(犬)を助けに汚染されたゴミの島に行くという、これを実写映画で生々しく見せられても、3DCGで豊かな感情表現で謳い上げられても、困ると思います。外国人がステレオタイプの日本人を表すのに、『顔の表情がなく感情が分かりづらい』というものがあります。日常生活においてオーバーアクションをする日本人は僕らにとっても微妙な感じになります。

その日本人を描くのにパペット(人形)アニメーションが最も適していると選択したのは外国人制作、外国人監督がある意味本質を理解しているからだと思います。キャラクターが画面に向かって真正面から映るカットの、人形だからこそ表情の乏しい感じ。犬たちの目が表情豊かな3DCGキャラよりも何倍も感情を激しく観客に訴えかけるのだと思います」という。表情もあえてそんなにポンポンポンポン動かさずにやって。しばらく静止させてからの……みたいなのも多かったですね。少年を前に兄弟犬のインカムの受け渡しがあるんですけどね。バトンタッチというか。「『犬ヶ島』は2018年の日本を描いた正しい人形アニメーションでした」というご意見。

一方、ラジオネーム「イソッチ」さん。いろいろと感想を書いていただいて。この方、イソッチさんも非常に質が高い作品である、演出がすごく面白いとかそういうのも認めつつ、「面白い映像が見られるという点においては、個人的に本作は今年見た映画の中ではダントツでトップなのではありますが、残念ながら物語自体はちっとも面白くなかったです。誰一人として全く感情移入できませんでした。あえてテンポ的なズレを狙ったにもしても、ちょっと話の流れが見えづらく感情移入しづらく感じる場所が多かった。この画面構成やビジュアルといった手段自体がこの映画の目的になっているような感じは拭えません。もうちょっと作家性が面白さにつながればいいなと今回も感じました。とにかくビジュアルは今回も大変楽しませてもらいました。100点満点で70点です」ということなので、かなり高く評価した上での苦言でございました。

でもたしかに、ビジュアル先行型作家の作品に対しての、ひとつの問題提起ではありますよね。「スタイル先行すぎないか?」みたいなのはね。

■勇気の要る表現=「ウェス・アンダーソン監督の作品は『死ぬほどオシャレでカワイイ!』」

ということで『犬ヶ島』、私もTOHOシネマズ六本木、そしてバルト9で2回、見てまいりました。ウェス・アンダーソン作品、このコーナーでは土曜日の『ウィークエンド・シャッフル』時代、2014年6月28日に、前作にあたる――これも大傑作でしたね――『グランド・ブダペスト・ホテル』を評させていただきましたが。とにかくほんの一場面でも見れば、「ああ、これはウェス・アンダーソンの作品でしょう?」ってわかる。あるいは、全く映画に詳しくない人でも、ウェス・アンダーソンの映画をいくつか見せれば、そこに明らかに共通するいくつかの要素を、容易に指摘することができる、というぐらい、現行の、世界的に名を知られた映画監督の中でも、ウェス・アンダーソンは突出して強烈な作家性を持つ作り手である、ということは間違いないと思いますね。


まあ、まずはなんと言っても、あらゆる細部まで徹底してこだわり抜いた画面作り。特にやっぱり、誰が見ても明白ですけども、左右対称、シンメトリックな構図。長編劇映画としてはちょっと度を超した多さですよね。そんなシンメトリックな絵作り、その徹底ぶり、ということですね。そして、作品ごとのスクリーンサイズによって、縦なのか横なのか、もしくは前後なのか、方向性は変わるんだけど……たとえば『グランド・ブダペスト・ホテル』は、限りなく真四角に近い画面だったので、前後の奥行き。奥に奥に進んだり、手前に手前に来たり、という動きが多用されている。今回は割と横、横、横という、横スクロール画面が多かったですけどね。

とにかく、シンメトリカルな構図を映画的に生かした、幾何学的なカメラワークやアクション、というのが特徴でもある。さらには、もちろん色合いから質感に至るまで、彼の好みで統一された、凝りに凝った美術、衣装などが、本当に画面いっぱいに配置されて……ということで。つまり、画面全体が凝っている。一言でいえば……ウェス・アンダーソンの映画の魅力をもっとも端的に表す言葉でありながら、なかなかこれを使うのには勇気がいる表現を、前作の評に引き続きあえて勇気をもって使わせていただくならば……ウェス・アンダーソンの映画の魅力は、とにかく常に全てが、「死ぬほどオシャレでカワイイ!」っていうね(笑)。「ウェス・アンダーソン映画の魅力とは?」「オシャレでカワイイ!」。これ、『ユリイカ』のウェス・アンダーソン特集では決して使われない表現です(笑)。ただ、どう考えてもそこは外せない本質だろ?っていう。「オシャレでカワイイ」っていうのを外したら……それはないだろう。ウェス・アンダーソン。「だってオシャレでカワイイじゃねえか! それだからみんな好きなんじゃねえか!」っていうね。はい。まあ、だからここで終わっていいぐらいなんですけども。

ご本人はテキサス州ヒューストンという、あまりおしゃれ感のない土地の出身で、テキサスの私立校に行った、ということですから。おそらくは、常に「ここではないどこか」への憧れを抱きながら、自分の中での美意識、理想を完成させていったというような人。だからこそ、たとえば本作『犬ヶ島』の日本っていうことであったりとか、『グランド・ブダペスト・ホテル』の東ヨーロッパであったりとか、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』の東海岸上流家庭であるとか、『ダージリン急行』のインドであるとか、とにかく全て「俺の考えた超イケてる○○」「俺の考えたいい感じの○○」……コンバットREC流に言うなら「俺の自慢されたい○○」として、映画やアートなどの大量の引用、オマージュを含めて、彼の中で完全に消化され、そして再構築……で、自己完結したような、オリジナルとしか言いようがない世界ができあがる、ということなんですね。

■徹底的にアナログにこだわるウェス・アンダーソン監督のストップモーションアニメ観

一方、ストーリーにもね、ゆるい一貫性のようなものが明らかにあって。今回の『犬ヶ島』もまさにそうですけど、たとえば我の強い、自由すぎる、勝手すぎる人生を歩んできたようなおっさんがですね、なんらかの責任を受け入れていく。たとえば父親的な立場、責任を受け入れていくとか。一方で、利発さがちょっとエキセントリックの域に達しているような、真っ直ぐな少年、若者が、父もしくはその父的な存在を含む大人たちに影響を与えていく、みたいなのがあって。で、彼らがやがて、疑似的なものも含めて、大きな意味での「家族」を構成していく。あるいは、壊れていた家族がまた違う形でつながりを取り戻していく、みたいな。まあ概ねこういうような話を、毎回毎回繰り返しているわけです。ひょっとしたらそれはそれこそ、一昨日の三宅隆太監督提唱の「脚本療法」というような意味合いが、ウェス・アンダーソンにとっては、物語を作るっていう意味が……だからこそ、これだけ繰り返し繰り返し(同じような物語を)語るのかもしれませんけどね。

まあ、ということで、絵的にも話的にも強い一貫性を持つ作家であるウェス・アンダーソン。なので、好きな人は全作好き。ピンと来ない人はピンと来なくてもしょうがないな、というタイプの人です。加えて本作『犬ヶ島』は、2009年のこれまた大名作『ファンタスティックMr.FOX』に続く、ストップモーションアニメ作品ということですね。そういう文脈も当然あって。劇場用長編ストップモーションアニメの世界で言うと、最近はね、ライカというスタジオが本当にもっとも調子が良くて。僕も2017年12月2日に評させていただきました『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』っていうのが、本当にちょうど同じく、日本を舞台にしたストップモーションアニメ、ということですよね。で、これまた大傑作だったというのがありますけど。


ただ、はっきり言って非常に対照的です。このライカという会社が、3Dプリンターとか、時にはCGによる特殊効果なども使って、いわば最新技術によるストップモーションアニメの表現の追求、新しい表現の追求みたいなことをしているのとは対照的に、ウェス・アンダーソンは、徹底して全て手作り、アナログということにこだわっている。なんなら昔ながらのストップモーションアニメならではの、ちょっとカクカクした動きみたいなのさえにもあえてこだわったような、独自の……なんて言うのかな、ミニチュア感のかわいさ、みたいな。たとえばそういう……ほら、フィギュアでさ、すごーく精巧にできているんだけど、ボタンの塩梅がちょっとだけ実物より大きいバランス、とかあるじゃん? あのかわいさ、あるじゃん? ああいうような方向性というのを突き進んでいると。

■映画を覆う日本語情報が全部頭に流れてくる! という贅沢な悩み

ただ、今回の『犬ヶ島』でも、僕が今回の作品中もっともクレイジーな場面だと思っている寿司作りのところとか(笑)、あそこは実はスタジオライカのブラッド・シフさんという方が……要するに技術的に作るのがすごく難しくて。で、ウェス・アンダーソンに呼ばれてきて、そのブラッド・シフさん、ライカの人がアドバイスをしてあのシーンができた、みたいなのもあるらしいですけどね。で、まあ特に今回のその『犬ヶ島』というのは、『ファンタスティックMr.FOX』はロアルド・ダールの原作があったわけですけども、それとは違って、完全にオリジナル企画ですから。その分、まあよくこんなこと考えるなっていう、ウェス・アンダーソンの「奇想」ですね。奇想がとにかく、全編全カット、隅々に至るまで大炸裂!していると思いますね。

加えてその、アニメーションとしてのレベル。たとえば犬の表現。毛がフサフサしていて、風になびいていて、っていう、これをストップモーションアニメでやるっていうことを考えると、結構嫌ですよね、毛って。なんだけど、ちゃんと毛の表現があって。汚れているんだけどキュートな感じとか。あと、犬っぽさはあるけど、絶妙な擬人感も入っていたりとか。これ、明らかにストップモーションアニメだからその、動きそのものになにかアイキャンディな快楽が生まれる、みたいなことだと思うんですけど。そういう基本的なレベルの高さが、半端じゃないですし。

これ、メールにもあった通り、よくも悪くも今回、画面ごとの情報量があまりにも多すぎるため……特に我々日本の観客は、英語圏のみなさんであれば雰囲気的・デザイン的に流せるであろう日本語情報――視覚的にも聴覚的にも――もしくは、浮世絵をベースにした絵であるとか、あるいは60年代日本映画に出てくるような様々なディテールなど、とにかく日本文化由来のディテールが全て、英語の本筋の情報と同等に、頭に流れ込んできてしまうわけですね。我々日本人の観客には。要するに英語圏の人は雰囲気で流しているところを、俺たちは全部情報として入ってきちゃうから。しかもそれらが、ウェス・アンダーソンさんの友人であり、『グランド・ブダペスト・ホテル』にもカメオ出演されていました野村訓市さんという方の監修を経ていることもあってか、割とそれぞれ、日本的なディテールもちゃんとしているんですよ。

つまり「これはハリウッドの適当な日本描写だから、ここはどうでもいいや」っていうんじゃなくて、「ああ、ちゃんとしている! 細かいところもちゃんとしている!」みたいな感じで、ちゃんとしているので、いちいちこっちの琴線を刺激してくるわけですよ。なので、全画面・全音が、情報の奔流となって来てしまう。これはやっぱり、日本の観客特有の事情ですね。希釈がされていない(笑)。ということで、間違いなく一度二度見たぐらいじゃあ、とても脳が咀嚼しきれない、ということですね。僕もだから、二度しか見ていないので全然咀嚼しきれていないです。まあクラックラするような感覚を世界のどの国の観客よりも味わえるという、本作ならではの特権があると思いますね。

で、しかも今回は……『グランド・ブダペスト・ホテル』はウェス・アンダーソンの作品の中でも、比較的直線的なストーリーを持つ活劇だったですよね。ウェス・アンダーソンが「僕の映画には基本的にあんまり筋がないんだけど、今回は筋がある!」っていうね、当時のインタビューで自信を持って言っていましたけども(笑)。で、そういう直線的ストーリーの活劇だった『グランド・ブダペスト・ホテル』とはうって変わって、今回は、アクション性はかなり後退して。で、これぞウェス・アンダーソンの考える日本観っていうことを含むのかもしれませんけど、彼のフィルモグラフィーの中でも、かなり抽象度……もっと言えば様式度・様式化が高い作りで。ストーリーも、直線的に進むんじゃなくて、それぞれの枝葉にどんどんどんどん脱線していく方向ですね、今回は。

なので、これはウェス・アンダーソンの映画あるあるだと思うんですけど、面白いんだけど、話そのものは途中でちょっと面白いのかどうかよくわかんなくなってくることは多々ある、というね(笑)。その感じはたしかにあると思います。オープニングのタイトルバックね、先ほど最初のところでも流れていましたけど、和太鼓でグイグイグイグイ上がっていくところからして、まあ非常に僕はアガっておりました。叩いている3人が、なぜかぽっちゃり気味の少年で、メガネをかけていたりして、顔とかがすでにユーモラス。実は、後半に出てくる学生たちによる舞台に出てくる太鼓の子たちだ、っていうのは後からわかるんですけど。とにかくもう出だしから、なんかわからんがとにかくアガるし面白い!っていうね。今回は「おしゃれ」以上に、「アガるし面白い」が結構あるんですけども。

で、全体にその犬チーム側のエピソードの雰囲気は、荒っぽい男チーム同士の言い合い、そこに非常にクールで強いヒロインが絡んでくるっていう感じ、その面白さを含めて、全体に西部劇っぽいですね。蓮實重彦さんなんかも「ハワード・ホークス風だ」って言っていますけども。今回は、やり取りのポンポンポンっていうスピード感も含めて西部劇っぽい、特にハワード・ホークスっぽい感じ、あると思います。一方で人間たちのエピソード、要するに日本人側のエピソードですけども、当然黒澤明オマージュ……パッと見てわかるところで、たとえば『酔いどれ天使』の音楽、歌のインストが流れているなとか、あとは『七人の侍』のテーマ曲とかがモロに流れ出したりしますので。

あとこれ、インタビューでは出てきていないタイトルですけど、僕は個人的には、黒澤明だとやっぱり、『どですかでん』を思いましたね。色彩の使い方とか……あれ、スラム街が舞台でそういうような感じだったりしてね。で、その人間たちのエピソードは、60年代日本映画……特にやっぱり、60年代特撮映画の匂いがするかな。そういうムードの、SF風刺劇っていう感じですね。「メガ崎市」っていうネーミングがすごく僕、秀逸だと思うんですけどね。

■図らずも政治的メッセージを含んでしまうのは前作同様、ギャグの切れ味は過去最高

で、「SF風刺劇」って言いましたけど、それが……おそらく、もともと社会的メッセージを伝えるためにこれを作る、っていうタイプの人ではウェス・アンダーソンはないんだけど、結果的にだとは思うけど、やっぱり現実の、たとえばいまのアメリカとか、いまの世界。もちろん日本のいまの現状を含む世界っていうのの、ある意味カリカチュアにもどうしても結果的に見えてきてしまう、というあたりは……要するに一種、図らずも政治的メッセージをかなり強く含んでいるように見えるというのは、『グランド・ブダペスト・ホテル』に引き続き、という感じだと思います。

特に今回、たとえば政治的不正に対して、大人たちはその空気に乗っちゃっている中で立ち上がるのが、利発な学生たちっていうあたりとか。僕はやっぱり、日本の昨今の現実を連想せざるを得ないなという風に思って見ていましたけどもね。まあ、偶然かもしれませんが。とはいえ、シリアスな話ではなくて、架空のディストピアが舞台ゆえに、オフビートな笑いの切れ味っていうのは僕、過去最高潮だと思います。ギャグの切れ味は最高潮だと思います。これ、全ていちいち挙げていくわけにはいかないんですけども……つまり、微細な表情とか間で笑かすのがすごく多いんで。あと、たとえばパペットで全体を動かしているんだけど、3D的なというか、立体物で動かしているんだけど、それがテレビに映る時には、二次元アニメーションで映されているという、この位相の差・違いが生む、なんとも知れんおかしみとか。そういうところだったりするんですけど。

■「なんのために!?」と笑った精密な寿司シーン

で、白眉。僕が今回の『犬ヶ島』でいちばん頭がおかしいなと思って笑っちゃったのは、寿司を作る過程を、明らかに度を越した精密さで、ストップモーションアニメで再現する。「……なんのために!?」っていう(笑)。もうそれ自体がモダンアート的でもあり、それ自体が黒い笑いを醸し出すような感じ。これがすごく面白かったですし。あと、格闘シーンの、文字通り漫画的表現の……いや、「漫画的表現」って言うけど、モロに「漫画的」すぎるだろ!っていうこの振り切り方とか(笑)、本当におかしいですし。あと、個人的にいちばん笑ったのは、伝令役の黒フクロウがいるんですけど、黒フクロウちゃんが、クーって飛んできて止まって、ある重大なことを伝えようとしているんですけど……黒フクロウ、むっちゃ疲れてる!っていう(笑)。で、ヨボヨボと水を飲んでいるところとか、本当におかしくて。声を出して笑っちゃったところですけどね。

あと本作は、日本語と、その日本語を英語に訳す通訳っていう、この位相の差というのがまた、微妙なユーモアというか、おかしみを醸し出しているんですけど……野村訓市さんという方が、メイン以外の日本人の声はそれぞれiPhoneで録ってきて、それをそのまま使っていたりしているらしいですけど。で、そこの中の日本語的なユーモアで言うと僕、終わりの方で出てくる腎臓の手術シーンがあるんですけども、まず、俯瞰ショットで手術シーンをやるんだけど、あそこまでリアルに……これは寿司作りシーンと同じで、あそこまでリアルに臓器を作り込んで手術を見せるっていうこと自体が、なにか黒いユーモアを醸し出しているし。

そこで医師と助手が会話をしているんですけど……これ、たぶん英語圏の人はわからない感じだと思うんですけども、日本語として、日本の医療ドラマでもあまり聞かないレベルのリアルさなんですよ、ここは。「はい、切りまーす」「はい、ああ、よかったですね。腎臓、そんなに大きくなくて」「はい、閉じまーす」みたいな会話が、異常にリアルで。なんでそこだけ?(笑)みたいなのとかが、微妙にやっぱりおかしみがあったりする。

■とてもじゃないが一度や二度じゃ追い切れない情報量。ソフトも抑えたい!

個人的には、あえて言えば、活劇方向に……『グランド・ブダペスト・ホテル』がそっちの極に達したんで、今回は違うことをやりたかったのかもしれないけど。クライマックスはやっぱり、ちょっと拍子抜けするぐらいあっさりしていて。そこでやっぱり僕は、個人的には、そっから一気に、さらにもう1回、アクション的な広がりがあったりすれば、より満点だったかな。個人的にはね。まあ、『グランド・ブダペスト・ホテル』で、「あ、こんなストレートに血湧き肉躍る活劇、できるんじゃん!」っていうのを知ってしまっただけに、今回もちょっとだけ活劇要素を期待してしまったところがあります。ただまあ、今回はやはり、お話そのものというよりは、この架空日本の世界観、設定の奇妙な面白さと、それを具現化する画そのものの情報量と快楽とユーモア……そこに関しては本当に、過去最高値だと思うんで。まあ、そこがメインディッシュの一作かな、という風には思いますが。

ただ僕も二度だけ見ているだけなので、たとえばまだまだお話の寓意とか読み切れていないところもあると思いますし。これはとてもじゃないが一度や二度じゃ……もうかならずソフトも押さえたくなることは間違いなし。舐めるように味わい尽くしたい。間違いないウェス・アンダーソン・クオリティ。ぜひぜひ劇場で、そりゃあウォッチするでしょう。ウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『デッドプール2』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。