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Masacaのバブル崩壊をきっかけに、竹と出会う~建築家:隈研吾さん

コシノジュンコ MASACA

2018年6月24日(日)放送

隈研吾さん(part 2)
1954年横浜市生まれ。東京大学建築学科大学院を修了し、コロンビア大学客員研究員を経て、1990年に隈研吾建築設計事務所を設立。サントリー美術館や新歌舞伎座など国内外の建築を手がけ、さまざまな賞を受賞されていらっしゃいます。2020年東京オリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場の設計を手掛けたことでも話題になりました。

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JK:建築っておおごとですけど、まずコンセプトが先ですよね。

隈:そう!まずはコンセプトが最初にしっかり立ってないと。大きくすればするほど建築は薄まっちゃうから、しっかりしたコンセプトがないまま大きくしちゃうと退屈になっちゃう。

JK:クライアントと一緒に話し合ってテーマを決めるんですか? それとも「これだ!」ってこっちからやっちゃうわけですか?

隈:クライアントと雑談しながら、この人とだったらこうした感じにやれば上手くいくかな、とある程度会話をしながら感じていて、しばらくしてから「こんなのどうですか?」って案を持っていく感じです。

JK:隈さんの場合はミュージアムとか、わりに一般的、公なものが得意ですよね。

隈:でも、年に1~2回住宅もやってるんだけどね(笑)

JK:でも住宅って個人的だから、まず住む側の気持ちってあるじゃない?

隈:それも、飲んだり食べたりしながら、どういう人かな~と。やっぱり人間的なものが分からないとね。でも、建築ではすごく大事なこと。外国の人ほど、お互いに飲んで話して理解しようとする。日本の人は、要求レスとかいってメモを渡してきたりする(笑)そういうのはやっぱりダメ。一緒に飲み食いして、お互いのことが分からないとね。

JK:いままで一番好きなもの、嫌いなものは? すごくハッキリしてると思うんだけど。

隈:なかなか言いにくいですが・・・好きなものというか、自分にとって転機になったのは中国で作った竹の家。北京オリンピックの開会式でもあそこの映像が使われたから。

JK:チャン・イーモウですもんね! あれぐらいのスゴイ演出家にちょっとでも気に入られただけで大成功ですよね。

隈:あれで中国の人がすごく感激してくれて。いまうちの会社でも中国の仕事がかなりの割合を占めてるんだけど、みんな「竹の家みたいなのをやってください」って(笑)

JK:あれは自分で「竹」というテーマを決めたんですか?

隈:やっぱり中国の材料といったら、竹。しかも調べてみたらめちゃめちゃ安い(笑)クライアントも、竹をうまく使ってくれたらこんなに面白いことはないと言ってくれて。それで、室内から室外までぜーんぶ竹にした。

出水:隈さんといえば、歴史ある文化施設のリニューアルも数多く手掛けていらっしゃいます。新歌舞伎座も2013年に完成しましたね。

隈:正確にいえば、あれはリニューアルじゃなくて、ゼロから新しく全部建てた。でもあまりにも前の感じと同じだから、ちょっと手直ししたんだと思っている人もいるみたいです。

JK:どういう風に変わったのか楽しみで中に入ったら、エスカレーターがあってビックリした!

隈:エスカレーターの床のところも全部真っ赤に塗って。ふつうはそこまでやらせてくれないんだけど、歌舞伎座レッドっていう赤で全部塗ったら「歌舞伎座っぽいエスカレーターができた」ってみんな喜んでくれた。最初のころは、役者さんから歌舞伎ファンのコアな方から大勢に質問攻めにあって、すごいプレッシャーだったけど、でも役者さんたちと仲良くなって、みんなで作っていったという感じです。

出水:作っている最中は夢にまで出てきた、というお話も聞いたことがあります。

隈:いやぁね、最後に役者さんたちが全員あそこに集まって、舞台がちゃんと音が響くかというチェックをしたときは、もう本当に! みなさんがどういう顔をするかドッキドキでね。全員の役者があそこに座ったわけ、大阪からも全部来て・・・

JK:ええっ、そうなんですか?!

隈:若い役者さんたちが出し物をいくつかやって、みんなウンウン聞いてるんです。この音の響きはどうだとか、光がどう当たってるかとか。そこでOKが出た時は、本当にホッとした~!

JK:まさに真剣勝負ですよね!

隈:ダメ出しを食らったのは、練習場の床。練習場の床が硬すぎた。僕らは頑張っていい板を使って、下地もびたっと入れたら「こんなんじゃ硬すぎて、練習の時に疲れちゃう」って。全部張り替えた。その辺の身体的なところは、やっぱり役者さんじゃないと分からない。

出水:見えないこだわりがいっぱい詰まってるんですね!

隈:楽屋から舞台へ行くところのカーペットを一番分厚くしている。楽屋から舞台へ行くときは20kgとか30kgの衣装を着て往復するからね。ふつうは舞台裏だからペラペラのカーペットなんだけど、それじゃ疲れてダメだって。だからそこには一番立派なカーペットを入れています。

JK:いろいろあるでしょうけど、一番のマサカは何でしょう?

隈:一番はバブルが弾けたこと。事務所を始めたのが1986年、ちょうどバブルの真っ盛りで、始めて数年は「こんなに仕事ってあるんだな~」みたいな感じだったのが、1990年代に入って突然シーンとし始めた。しかもそのころ手を大けがして、ガラスのテーブルを割って右手の筋とか神経とか全部切れちゃった。今でも伸びなくてね。2本の指に感覚がない。

JK:でも右手って絵を描いたりするでしょ?さささっと。

隈:だからかえって良かった。指先じゃなく、つかんで大きく描くようになったから、小細工しないでダイナミックに描けるようになった(笑)

出水:そんな怪我もあり、お仕事がない時期もあり・・・そこからどのように抜け出したんでしょうか?

隈:90年代からは、仕事がそれまでとは打って変わってシーンとして全然来なくなったし、東京にいてもしょうがないから地方の友達のところへ遊びに行ったりした。でも地方に行ったら行ったで、ちっちゃな公衆便所やらない? みたいな仕事があるんですよ(笑) そういうのを地元の職人さんたちと、竹を使ったりしてやってたら、逆に「この世界めちゃめちゃ面白いな」と思って。材料に目覚めたのも、1990年代の仕事がない時期だったんですよ。

JK:それぞれに特徴があるからね。石とか竹とか出会ったんですか?

隈:全部その時。石は栃木県の大谷石とかね。あそこはなぜか日本にしては珍しく石の文化があるところで、そこの石屋さんと一緒に小さな蔵をやったり・・・いやあ、石って神秘的です。

出水:隈さんは年間どのぐらい海外にいらっしゃるんですか?

隈:だいたい半分ぐらい。

出水:半分! でも、その移動も荷物が非常に少ないと聞きましたが?

隈:それは自慢できるぐらい少ない。肩からかけられるもの1個にしようと思って。

JK:それ1個だけ? ガラガラは?

隈:ガラガラは持たないことにしている。若い時はずっとガラガラだったんだけど、乗り継ぎの時間がない時ってガラガラだと早く走れないことに気づいた(笑)普通に動いてる分にはいいけど、早く走れない。時間との勝負で早く走らなきゃいけないから、肩バッグに変えました。

JK:私もね、トランクが到着するかなどうかな・・・これがなかったら何しに来たのかわかんない! て思うだけで嫌になっちゃう。

隈:あれ、すごいストレスですよ、待ってる時が。

出水:実際に、iPadとお財布と携帯ぐらいしか持たない、というのも本当ですか?

隈:シャンプー類なんかも入れるんだけど、いかに究極に荷物を縮められるかとずーっとマニアックに研究してるから(笑)ゴールデンウィークも2週間ぐらい海外だったんだけど、そのときも肩バッグだけ。

出水:ええー!

JK:でも、ホテルに行けば何でもあるからね。

隈:そう。いざ足りなくなったら、現地で買ったほうが、買い物の楽しみもあっていいじゃない?

JK:そうよ! ただね、ちゃんとしたフォーマルな会に出なきゃいけない、とかもあるでしょ? 竣工式だとか。

隈:そういうときも建築家だから、一応ジャケットを着てれば中はTシャツでも許される・・・って僕は勝手に思ってるんだけど(^^;)

JK:たしかに(笑)ジャケットがあれば何とかなるわね。

出水:そんなにお忙しい中、健康でいるために気を付けていることはありますか?

隈:ストレスをいかに溜めないかっていうことが重要。

出水:今は何件ぐらい案件を抱えていらっしゃるんですか?

隈:件数は数えてないけど、国で言うと20か国ぐらい。

JK・出水:うおー!

JK:1つの国で何個か、というのもあるんでしょ? 思い出すのも難しいんじゃない?忘れてた、とか。

隈:僕の記憶の構造で、人の名前は忘れても、建築物のことは覚えている。ここの建築物はここがこうなって、トイレがここにあって・・・っていうのは全部頭の中に入ってる。

JK:へぇー。それは特技ですね。楽しくやってらっしゃるもの。

隈:こっちが楽しんで作ってないと、後で使う人も楽しくないですよね。

=OA楽曲=

M1. Here Comes The Sun / The Beatles