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宇多丸、シャーリーズ・セロン主演『タリーと私の秘密の時間』を語る!【映画評書き起こし 2018.9.14放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった課題映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。今夜はこの作品。『タリーと私の秘密の時間』

(曲が流れる)

映画『ヤング≒アダルト』の監督ジェイソン・ライトマン、脚本のディアブロ・コーディ、そして主演のシャーリーズ・セロンが再集結したドラマ。仕事、家事、育児に疲れ果てた主人公マーロのもとに、夜だけのベビーシッターとしてタリーという若い女性が現れる。仕事を完璧にこなすタリーのおかげでマーロは人生の輝きを取り戻していくのだが……っていう感じかな。物語の鍵を握るベビーシッター「タリー」を演じるのは『オデッセイ』『ブレードランナー2049』のマッケンジー・デイビスということでございます。あと、いまこの後ろで流れているロブ・シモンセンさんのこの音楽もすごい素敵すよね。

ということで、この『タリーと私の秘密の時間』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。ただまあ、公開規模とか諸々を考えたら結構多めという方じゃないですかね。賛否の比率は8割以上の人が「褒め」。主な褒める意見は、「シャーリーズ・セロンがすごい!」。まあ体型とかね、そういうのもありますかね。「男なので楽しめないかと思ってたけど、そんなことはなくグサリと刺さった」「痛い映画だがどこかあたたかい。見てよかった」などがございました。

否定的な意見としては「結局、(母親、育児の)ステレオタイプを押し付けられているような気分がしてムカムカした。この映画で主人公マーロは何をすべきで何をすべきでなかったのか、考えると軽く絶望する」など、子育て中もしくは妊娠中の女性からの声もいくつかございました。代表的なところをご紹介しましょう。「タウル」さん。

■「痛いコメディーを楽しんでいると、終盤、映画は不意に違う高みに」(byリスナー)

「宇多丸さん、ありがとうございました」。これは僕がガチャで当てたからっていうことですかね? 「産後クライシスの話のようで、独り者のおっさんには食指が動かなかったんですが、お題映画になったので終映近い劇場に。『ヤング≒アダルト』のトリオなのに見逃していた私がバカでした。おかげでまた素晴らしい映画に出会えました。今回は母親の話であたたかい雰囲気もありますが、やはり例の痛いコメディーを楽しんでいると終盤、映画は不意に違う高みに。その映画のマジックにやられました。この映画、育児や母親の大変さを知るためにも、男性こそ見るべき作品のように思います。また子育てに関係なくとも、生活や仕事に疲れた大人を癒やしてくれて、心の友になるような、そんな素晴らしい映画だったように思います」という方ですね。

あと、子育て組で、良かったという方。「坂Q」さん。「映画を見ながら自分自身の30年前の子育て時代を思い出しました。『子供は明日成長しちゃう。毎日の平凡な積み重ねが子供たちには大切』。この言葉、すごく染みました」。で、まあいろいろとご自分の子育てを振り返って……「私が超ハードに生活をしてた頃の自分へのケアは家事、付き合い、家族のことを全て放っておいて、1人で映画を見に行くことでした。『今日は映画を見に行くぞ!』と決めてると嬉しくって朝から家事が5倍速で捗り、映画から帰ってからも5時間ぐらいはニコニコしていられました。これが私にとってのタリーとの大切な時間だったのかもしれません」。なかなかこれ、染みるメールですね。

一方、ちょっとダメだったという方。「ポテトヘッド」さん。「主人公マーロとほぼ同じ現在41歳。第3子を冬に出産予定の女です。『ヤング≒アダルト』が大好きな映画だったのもあり、見てきました。妊娠・出産あるあるネタを随所に散りばめ授乳、おむつ交換、他の子供の世話の繰り返しの場面など、最初はなんとなく感情移入しながら見ていたのですが、結局はそこかい! というオチで脱力してしまい、ムカムカと怒りがわきました」。で、まあ要はお母さんがこういうことをしたいと望んでいるんだっていうのがステレオタイプで……結局異性や子育て経験のない人からすると、『本当は遊びたいんでしょ? だからイライラしてるんでしょ? だから産後うつになるんでしょ?』というステレオタイプの考え方を押し付けて、周りの人間は安心したいだけの映画にしか見られなかった」というようなことをおっしゃっていたりしますね。

あとね、ちょっとこれ全部読見きれない。結構長いメールで、ちょっと読み上げきれないんですけども、「たれ」さんのメールもいろいろね。「たとえば父にとって育児はいつまで『参加』し『手伝うもの』なのだろう? 父を母のヘルプに矮小化しては父だってかわいそうだ」って。まあ、この映画全体に否定的というよりは、この映画を見ながらいろいろと考え、思考をずっとしているというようなプロセス、その中ですごく「なんなんだ、これ?」と腹が立ってきたりとかしている、というようなメールで。すごく読んでいて僕も思考をうながされるようなメールで。こちらも面白かったです。みなさんのメール、拝読しております。ありがとうございます。

■「誰もロールモデルを提示しえない時代」にふさわしい作品・作品たち

ということで、『タリーと私の秘密の時間』。日比谷シャンテで2回見てまいりました。結構僕が見た回は入ってましたね。まあ『JUNO/ジュノ』から始まるディアブロ・コーディ脚本、ジェイソン・ライトマン監督コンビ、今回が三作目。加えてシャーリーズ・セロン主演となると、僕が『ウィークエンド・シャッフル』時代、2012年3月10日に評しまして、いまだに僕、超愛してやまない一作ですね、『ヤング≒アダルト』。これ2011年の作品ですけれども。それ以来の黄金トリオ復活となる今回の『タリー』、ということですけども。その『ヤング≒アダルト』評の中でも言いましたが、ジェイソン・ライトマンという方の監督作は常に、世間的・常識的には決して褒められたもんじゃないところがある主人公たち。

大人になりきれない大人たちの、みっともなくも愛おしい足掻き、というものを通して、要はなにが「正しい」生き方なのか?っていうのを、本当には誰もロールモデルとして提示しえないこの時代というか……たとえば、今回の母親っていう件もそうですけど、なにが「正しい」状態なのか?っていうのを誰も示せなくなった、つまり完全に新しい時代に、家族のあり方っていうものも、あるいは生き方全体も入っちゃって、という。「誰もロールモデルを提示しえない時代」にふさわしい問題提起をしてきた、と言える作家だと思います。

で、『ヤング≒アダルト』後も、自らの脚本で2本撮っていて。ひとつは『とらわれて夏』っていう2013年の作品。珍しくノスタルジックなメロドラマで、これは多分ジェイソン・ライトマン監督のフィルモグラフィー上でもやや異色、っていう感じでしたけども。続く『ステイ・コネクテッド~つながりたい僕らの世界』っていう邦題、『Men, Women & Children』っていう原題で、これは日本劇場未公開ですけど、これは言ってみれば「SNS時代の『アメリカン・ビューティー』」的なダークコメディーで。特にあの、一見円満に見える中年夫婦の間に、実は横たわっている深く暗い溝、そしてそれに対する足掻きと……みたいなあたり。今回の『タリー』とちょっと連続性を感じさせるような作品でございました。

一方で脚本のディアブロ・コーディさん。この方はストリッパー出身という、なかなか変わった経歴を持ってるんですけど、ストリッパー出身のディアブロ・コーディさん。特に、ジョナサン・デミの長編劇映画としては遺作となった『幸せをつかむ歌』っていう、メリル・ストリープが主演の2015年の映画があります。これも、まあジョナサン・デミの流れで言うと「母親版『レイチェルの結婚』」的な話で。非常に鋭くも優しい……まあ、これジョナサン・デミの遺作で、「ああ、これが最後の作品って、ちょっといいな」っていうか。ラストでポーン!って終わるところで、「ああ、これがジョナサン・デミの終わり(の作品)。でもちょっといい終わり方だな」っていう、非常に素敵な1本だったんですけども。

これ、とにかく脚本を手がけてらっしゃるディアブロ・コーディさん、劇中でこんなことをやっている。「母親は、常に母として完璧を求められる」、そういう抑圧があるんだっていう、完全に今回の『タリー』と連なるような問題提起を、その『幸せをつかむ歌』の中でも、きっちりとしていたりするわけですね(※宇多丸補足:同じくディアブロ・コーディ脚本で、同日の『アトロク フューチャー&パスト』三宅隆太監督が薦めてらっしゃったテレビドラマ『ワン・ミシシッピ』も後追いで観てますが、やはり超面白いです!)。もちろんディアブロ・コーディ脚本、ジェイソン・ライトマン監督で、なおかつシャーリーズ・セロン主演の前作『ヤング≒アダルト』も、世間的な正しく幸せな生き方……もっと言えば「正しく幸せな女の生き方」みたいなものから結果はみ出てしまった、で、性格的にも振る舞い的にも決して褒められたものじゃない、大人になりきれないところもある主人公の、笑えるほど悲惨で、でも同時に泣けてくるほど切実な足掻き……っていうのを、諸々から逃げずに描き切った、本当に僕は傑作だと思っているんですけども。その意味で今回の『タリー』はですね、ある種その『ヤング≒アダルト』と対をなすような作品とも言えるな、と思っています。

■背負わされがちな母親の姿を赤裸々に、容赦なく描いてく

『ヤング≒アダルト』の主人公メイビス。これもシャーリーズ・セロンが演じていますけども、そのメイビスは、元カレから一斉送信的に無造作に送られてきた赤ちゃん誕生パーティーっていうのの招待状を受け取って……要は、それってまさに、いかにも世間的に「正しい幸せ」像っていう感じじゃないですか。それによって、実は劇中後半で明かされるある事情によって、それを受け取ったことで、深く傷つき、トチ狂った行動し始めてしまうという、そんな話でしたけども。

今回はじゃあ逆に、優しい男と結婚して子供も産んで、っていう、それこそ「正しく幸せな女の生き方」そのものにも見えるルートを進んだ側は、じゃあ本当にただただ「正しく幸せ」なんですか?っていうと……そんなわけもないでしょう!っていうね。逆サイドから語られるストーリー、っていうことだと思います。これ、脚本のディアブロ・コーディさん自身が第3子をご出産された経験を活かしてこれを書いた、ということなんですけども。たとえば、親になったからといって、いきなり「正しい親」というものになれるわけじゃないですよね。当然ね。しかも、3子産んでいても、子供3人それぞれ違うから、全く経験がフィードバックしきれないっていうか……フィードバックされるところもあるでしょうけど、なりきれないというところもあるでしょうし。

で、やっぱり急に「正しい親」「正しい大人」になりきれるわけもなくて、やっぱり大人になりきれない部分とか、正しくなりきれない、正しい親になりきれない部分を抱えながら足掻いていくしかない、という面がある。なのに、先ほど同じくディアブロ・コーディ脚本の『幸せをつかむ歌』の中でもこの言及がなされていたと言いましたけど、問題提起。「母親だけは常に母としての完璧さ、つまり“正しさ”みたいなものを求められる」という理不尽さを、女性は社会から背負わされがち。お母さんだけは、なんかちょっとやると眉をひそめられちゃったりする、っていう。で、そういう現実への理解すらも、なかなか得られない。

つまり「そうやって私たちは背負わされがちなんですよ!」っていうところの理解すらも、なかなかしてもらえない、というキツい状況というのが、現実には残念ながらあって。ゆえに、いわゆる育児ノイローゼ的なところに追い込まれていく女性っていうのも、まあこれも残念ながら普通にたくさんいる。っていうか、もう本当に普遍的な話だという。で、実際にこの『タリーと私の秘密の時間』の一幕目いっぱい、序盤の20数分ほどは、第3子妊娠中のその主人公マーロが、いかに孤立感を抱えながら子育てをしてるか。そして第3子が生まれてからは、いかに赤子の世話と日々の生活に追われて、次第に憔悴しきっていくか、っていうのが、これでもか!っていう赤裸々さ、容赦なさで描かれていく、ということなんですね。

■神経をキリキリと締め付ける「育児ストレス・モンタージュ」

たとえばね、あの駐車場で、情緒障害気味っていう風に──周囲から「調子はずれだ」って言われて、「うちの子は楽器なの!?」なんて、あれ(セリフのやりとりが)よかったですけどもね──情緒障害気味、という風に周囲から言われる息子さんが、車の中でグズり出すくだりの、まさに叫びだしたくなるような閉塞感。もう誰も助けてくれない駐車場で、あの閉塞感とか。その一方で、「母」という社会的立場の息苦しさにぐったりしているまさにその瞬間……たとえばコーヒーを「デカフェで」って頼んだら、「あら? デカフェって言ってもカフェインは入ってるわよ」「それでも頼みますか?」「はい……頼みます」「あら……頼むの?」みたいなね、あの視線。あれの諸々にいろいろとぐったりして、窓辺でぐったりしているその瞬間、まさにその瞬間に、まだ青春時代の延長線上で自由を謳歌しているっぽい旧友と、バッタリ会ってしまう。

しかもその彼女とは、実は因縁があったということが後半で明らかになってからは、よりこのシーンが、さかのぼって「あっ、そうか! ということはさっき会ったあの人とは……そんな過去があったのなら、あの場面、どれだけ会うことがキツかったろうよ!」っていう感じがわいてくるっていうね。その旧友の、なんかもう変わり果てたものを眺めるような、哀れみと驚きを含んだ視線の、あの痛さとかですね。で、極めつけは第3子を産んでから。誕生後、もう本当にこちらの神経をキリキリキリキリと締め付けるような、たたみかける編集が本当にすさまじい。

これ、編集をしているステファン・グルーブさんという方は、元俳優で、劇場版の長編の編集を手がけたのがこれでまだ三作目っていう、すごい、結構ホヤホヤの人なんですけども。とにかくその編集がすさまじい。いわば「育児ストレス・モンタージュ」。日々のなんてことのないルーティーンそのものが、彼女をどんどんどんどん圧迫し、そしてその「自分を捨てさせていく」というか、もう自分を置き去りにして行かざるを得ないようなスピードで、ポンポンポンポン行くっていう……すさまじい育児ノイローゼ、育児ストレスモンタージュっていうのが展開する。ここ、本当に圧巻でしたけども。

■子育てのダークサイドを体現するシャーリーズ・セロン、圧巻の役作り

そして、その状況のキツさっていうのを何よりも雄弁に体現してみせるのが、シャーリーズ・セロンなんですね。(前作は)『アトミック・ブロンド』ですよ、『アトミック・ブロンド』のあのアクションで、もう訓練しまくって、訓練中に奥歯を2本折ったというあの『アトミック・ブロンド』の次に、なんと18キロ増で……本当に狂気ですね、狂気の役作りで臨んでみせた、この贅肉がたっぷりついたボディ。このボディは、もっと太っている人とか、もっと贅肉がついちゃった人っていうのは世の中にいくらでもいるんだけど、このポイントは、シャーリーズ・セロンだから……元のシャーリーズ・セロンがどんなだかを我々は知っているから、その贅肉がついた感が余計に、「うわっ!」っていう感じがするようになっている。

これはつまりシャーリーズ・セロンだから活きているところだと思うんですよね。動くのも重そうだし、億劫そう。で、本当に自分へのケアっていうのが後回しになってしまった状態っていうのを、まさに肉体で体現してみせるシャーリーズ・セロン。この圧巻の演技があるわけですけど。で、とにかくそういう感じで、ここまで出産、子育でのダークサイドっていうのを正面から……だいたいやっぱりそれはさ、お子さんを産むことも子育ても、基本的には「善きこと」という風に描くけども、そのダークサイドの面を正面から描いて。っていうか、そこをメインにこれだけ据えてみせた、というなかなか珍しい一作なんじゃないかなと思いますけども。

で、その第一幕目の描写のひとつひとつが、タイトルにもなっているタリー。自由奔放だけど、ある意味その主人公マーロの理想そのものの具現化のようにも見えるタリー、夜間ベビーシッターの登場の伏線にもなっているし、もっと言えばそのタリーの──これはネタバレしないように言いますけども──彼女の「正体」の伏線にもなっている、というあたりですね。これ、ちょっと僕は意外だなと思ったのは、「アメリカだとベビーシッター制度が定着してるから」っていうことをよく言われるんだけど、やっぱり、「人には任せられないわよ」とか、任せることに後ろめたさを感じるようなイズムも、アメリカでさえあるんだ、っていうのは僕、すごい見ていて、「ああっ!」って思ったあたりですね。

■脚本、演出の的確さ、選曲など、どれもが上手い

で、このタリーを演じているマッケンジー・デイビスの、非常に伸びやかなセクシーさっていうのかな、伸びやかさ、爽やかなセクシーさもすごいよかったですし。あと、旦那のドリュー役を演じている、ロン・リビングストンさんという方も、すごい絶妙で。優しいし、思いやりがないわけでもない。子育てにも協力していないわけじゃないんですよ。だから、彼的には、「俺は協力している方でしょ?」「俺、イクメンでしょ?」っていう風に思っているかもしれないぐらいなんだけど。やっぱり実は、妻の本当の苦悩……もっと言えば、妻の顔とか、日々の声とかには、実は向き合えていない。なんなら、向き合おうとしていない。

その象徴として使われる、あのテレビゲーム『Gears of War』と、ヘッドホン……これを見て、非常にいたたまれなく感じる男性は多いんじゃないでしょうか? 僕は子供とかいないですけど、いなくてもやっぱり、「ああっ、これは……これは、俺だ!」っていう風に思ってしまう面がありましたね。ましてね、子育てをされたお父さんなんかはね、身につまされるものがあるんじゃないかと思いますけども。そして上手いのは、このヘッドホン。要するにコミュニケーションを遮断するシンボルとしてのヘッドホンが、エンディング、ラストカットの、ある小道具使いと対になっている。このあたりも上手いですよね。非常に上手い。

全体に、説明ゼリフをほとんど使わずに、観客に事態とか情報を飲み込ませてゆく手際が、本当に見事。やっぱり脚本がめちゃめちゃ上手いですね。あとやっぱり、脚本と演出のリンクが非常に上手くできていて。非常に高度な演出が堪能できる作品だと思います。あと、相変わらずジェイソン・ライトマン、音楽使いの上手さもありますね。今回でいえば、オープニングで流れるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Ride Into The Sun」っていう曲とか、あと中盤で『007は二度死ぬ』の主題歌「You Only Live Twice」のカバーバージョンが流れますが、これは歌詞がしっかり出るので、ストーリーとのリンク部分、あと伏線にもなってますよっていう部分が、ちゃんと日本の観客もわかるようになってますし。

あと、途中のシンディ・ローパー連続が……しかもジャンプカットでシンディ・ローパーばっかり聞いている、っていう。あれは要は、自由と過去の象徴としてシンディ・ローパーっていうのを使っていて。これも非常に上手いですし。あと、さっき言った旧友と再会してしまうシーンで流れる「Blue」っていう曲があるんですけども。これが後半でもう1回流れることで……というね。これ、脚本にも指定済み。歌詞についてはパンフレットにどういうことを歌っているのか?っていう解説があるんで、これをぜひ読んでいただきたいですけど。そういう、非常に構成としても周到な音楽演出。これも非常に見事ですし。

■問題の所在を明らかにしたところで止める、「好ましい」オープン・エンディング

で、最終的には、それまでの淡々とした日常描写からすると……といっても、その日常描写も、勘のいい人なら「ん? ちょっと変じゃないの?」っていうのは予感されると思うんですけどね。映画を見慣れている人だったりしたら。まあとにかく、淡々とした日常描写が続いてくる中からすると、思わず「うわーっ!」と声をあげてしまう大事件が起きて、ある真相が明らかにされるに至って……まあその、主人公マーロにとって理想のベビーシッターであり友人だったタリー。その一種現実から浮遊したような、ファンタジックな存在感が、実は……要するに、「えっ、これってなんか、“スーパーベビーシッターが来てオール解決!”っていう話?」って思ったら、そうじゃなかった。実は、これ以上ないほど切実な、「現実」の要請から来たものだった、っていうことが明らかになるわけですね。

なので、これはやっぱり子育てに苦労された経験のある女性だったら、「ああ、そうだよね!」って……(マーロは)こうやって自分を助けるしかなかった、ということに非常に共感を呼ぶあたりだと僕は想像いたしますし。あとは男性ならやっぱり、劇中の旦那ならずとも、要は「ああ、オレなんにもわかってあげられてなかった」っていうことを彼女に詫びて、さかのぼって抱きしめてあげたくなること必至だと思いますね。この、後半である真実が明らかになると、さかのぼって「決して褒められたもんじゃない」っていう風に見えた主人公が愛おしくなる、というこの構造は、『ヤング≒アダルト』であるとか、さっき言った『幸せをつかむ歌』などにも共通する、これはディアブロ・コーディさん脚本のキモの部分かな、という風に思ったりしますね。

で、いずれにせよ、僕がこの作品を好ましいなと思うのは、結局その、育児疲れをしていろいろと大変だったお母さんというのがいて、それの着地を、「ああ、でもやっぱり子供の愛らしさに救われました。子供に救われました」的な、元も子もない着地に行かなかったところが、やっぱりさすがだなと思います。要は、全てが解決したわけではないんだが、いろいろ引きずったままではあるんだが……でも、その問題っていうのの所在を明らかにしただけ前進だ、という。これはジェイソン・ライトマン作品共通の、要するに非常にオープンエンディングっていうか、開かれたエンディング、っていう感じですね。

答えは出ていないエンディング。だからそこをもって、ちょっとイライラする方もひょっとしたらいるかもしれないですけど。これはでもやっぱり、家族のあり方っていうのを、一から模索していかなければならないことになったこの時代。前であれば、母の役割、父の役割、男の役割、女の役割……それらが「自明」とされてきたわけですけど、その自明とされたものがもはや自明でなくなり、「なんとかしなきゃいけない」っていう風に、みんなが模索しなきゃいけないこの時代にふさわしいような、今回の作品。で、これに連なるような作品群が、世界で同時多発的に作られてるっていうことも興味深いなと思います。それこそ、細田守さんの『未来のミライ』もそうですし、『インクレディブル・ファミリー』だってそうだし……特に『未来のミライ』は、「(セルフ)セラピー映画」としての側面が非常に共通してるところが多いな、という風に思うあたりでございました。

ということで、まさにこの時代に作られ、見られるべき作品、っていうことになっております。あとはもうひとつ、過去との決別という意味で、過去との決別をあるキャラクターとの決別に重ねる、という意味で、たとえば『ブリグズビー・ベア』とかね、そういうところとも重なる要素があって。その切なさもあったりする作品だと思います。で、とにかく僕の立場から言えることは……これ、この映画で描かれるたとえば子育て像だとか、一応監督とか作り手がサゼッションしているこの出口っていうのが、もちろん、たったひとつの正解ではないわけで。

これを見て「こんなんじゃない」とか違和感を感じたりする方はいっぱいいると思うんだけど、まあ問題提起として、じゃあ、どう違うのか?って話すきっかけにもなる作品なのは間違いないと思いますし。あと、僕の立場で言えるのはやっぱりこれね、男が見た方がいいと思う。「オレたちは何もわかってない」ということをわかれ!っていう。その第一歩として、男性こそ必見! ということで、全大人必見の一作に、ちゃんとなっているんじゃないでしょうか。さすが黄金トリオ復活の一作でございました。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ザ・プレデター』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

<以下、ガチャ回しパート>

橋Pがね、『タリーと私の秘密の時間』を映画館で見ている時、旦那があのゲームをやっているくだりになって、隣にいた奥さん、林みなほさんに、バーン!って叩かれたっていう、この話が最高!っていう(笑)。ちょっと裏拳が入ったっていうね。ということで、来週のウォッチ候補作品8作品を発表いたします……。

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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