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宇多丸、『ヒメアノ〜ル』監督の最新作『愛しのアイリーン』を語る!【映画評書き起こし 2018.9.28放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

ここからは週刊映画時評ムービーウォッチメン。このコーナーでは前の週にランダムに決まった課題映画を私、宇多丸が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を約20分間に渡って語り下ろすという映画評論コーナーです。今夜はこの作品。『愛しのアイリーン』

(曲が流れる)

はい。これは奇妙礼太郎さんがこの作品のために書き下ろしたオリジナル楽曲の主題歌です。『ザ・ワールド・イズ・マイン』『宮本から君へ』などの新井英樹の同名漫画を実写映画化。田舎暮らしで42歳まで恋愛を知らない独身男の岩男が突然、フィリピン人の妻アイリーンを実家に連れてきたことから彼らの日常が狂いだしていく。出演は、主人公の岩男役に安田顕。アイリーン役にフィリピン人女優のナッツ・シトイさん、アイリーンを追い詰める岩男の母親役に木野花さん、アイリーンに近づく怪しい男・塩崎役に伊勢谷友介さん、ということです。

ということで、この『愛しのアイリーン』をもう見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)を、メールなどでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「やや少なめ」。まあ公開館数がそんなに多くないですからね。やや少なめということなんですが、賛否の比率は褒める意見が99%。否定的な意見は非常に少なかった、ということです。

主な褒める意見は、「序盤は田舎町を舞台にしたブラックコメディーかと思いきや、中盤以降の緊張感あふれる容赦のない展開とのギャップにやられた」「人種差別や、世間とは切り離された田舎の閉塞感、売春などの様々な社会問題。劇中に飛び交う際どいセリフの数々と、強烈な映画でありながら、どこまでも純粋な愛の物語に着地する見事な構成。キャストの中でも母親・ツル役の木野花さんの熱演に度肝を抜かれた」等々がございました。一方、否定的な意見としては「犯罪者の感傷に付き合わされるような映画で不快だった」「差別や暴力シーンで笑いを取ろうとするなど、ただ露悪的で俳優ががんばっているだけの映画」などがございました。

■「日本社会が目を背けようとしがちな現実に誠実に向かい合っている」(リスナー)

では、代表的なところをご紹介いたしましょう。まずは褒めている方。「クルパー」さん。「宇多丸さん、こんにちは。初参戦させていただきます。個人的に気になる作品で、鑑賞作品に決定する前から見ていました。私は福祉分野の人間で、個人的な関わりでも大阪のミナミで暮らすフィリピンルーツの子供たち、その親のフィリピン人の方と関わっています。また、その親のほとんどが女性です。劇中後半のフィリピンパブが摘発されるシーンと似た場面にも立ち会ったことがあります。最初は『ヒメアノ~ル』を撮られた監督ということと、安田顕さんのファンということで見に行ったんですが、日本社会の歪みを映した映画として、本来期待したものと違う意味でとても満足しました。

グロテスクな描写や時折笑ってしまうような性描写があるため、どこかフィクション然とした作品に思う方もいらっしゃるでしょうが、映画で描かれるフィリピン人女性像は私が日頃から目の当たりにしている、日本に暮らす外国人の現実そのものでした。鑑賞後、吉田監督はとても誠実に向き合ってこの作品を作れたのだとつくづく感じました。安い労働といったような『安い』のひとつとしてアイリーンは、人との関わりを苦手としている岩男に大金とはいえ、自分が本来願っていた将来を捨てて買われます。これは現実にも存在してる現代の人身売買であると私は考えています。

アイリーンを認めない母親の根幹にある日本的な結婚観や女性観とその背景。伊勢谷友介さん演じるフィリピンルーツのヤクザ・塩崎が語る自分たちを見る日本人のまなざし。そして発展途上国の女性が日本でセックスワーカーとして生きる姿。この映画のストーリーをかき回す誰にも理由があり、誰もが何かしらの被害者だということが、この映画のメッセージだと私は感じました。この排他的な時代、日本社会が目を背けようとしがちな現実に誠実に向かい合ってくださった吉田監督や製作・出演者の方々に心から感謝の気持ちでいっぱいです」ということでございます。

一方、ダメだったという方。「トモチンコスープ」さん。女性の方ですね。この方、結構激烈なんですけどね。「差別や性暴力がこの世に存在する限り、それらは語られ描かれる必要があります。しかし、批判的な視点をなしに描くことは決してできません。この映画はどうでしょうか? 差別と性暴力はただあるだけです。批判的視点どころか人権意識のかけらも感じません」という。要するに、不器用ということが免罪符になって、ほとんど主人公がやっていることは性犯罪じゃないかと。そこになんか感傷的な同情をしたりして描くのは本当におかしいんじゃないか?っていうことを書いています。

「あと女性に女性の悪口を言わせる場面でも、相当遅れてる感覚だと思いました。実際私は34年間女性として生きていますが、あんな風に“ヤりまん”の悪口を言った覚えも女性の友人たちから聞いた覚えもありません」ということでございます。あと、まあいろいろ本当にね、こういうところが問題だってバシッと書いていただいて……「(監督の過去作の)『ヒメアノ~ル』はとても面白かったのですが、ラストであきらかに常軌を逸している登場人物に対して共感してしまうキャラクターに貶めたことが問題だと思っていました。今回も性犯罪的なことをやってるキャラクターに共感を寄せるようなラストで最低でした」というね。

この方のおっしゃっている怒りとか懸念も、まあそうだよね……って思うところもあって。ちょっと僕ね、そこは整理がついていない部分も、個人的にはちょっとあったりします。あと、女性の描き方の図式性に関して、僕自身も思うところもなくはなかった。なので、ちょっとそこらへんは触れられる限り触れていこうと思いますが。ということで『愛しのアイリーン』、実は公開前にちょっととあるツテがありまして、吉田恵輔監督作ということでいち早く拝見はしていて。その後、公開後にシネクイントで私、見てまいりました。シャンテでもいまやっているということで、シャンテにあの……ちょっと濁音付きで言いますけども。「オ○×ゴーッ!」ってあれが鳴り響いている、ということですけどもね。

■鑑賞後の印象は、「原作のものすごく忠実な映画化」

新井英樹さんによる原作漫画.。1995年から連載していて。『スピリッツ』を僕も当時まだ読んでいたんで、当時の『スピリッツ』誌上でも、マジで完全に異質の強烈な圧っていうのが、ページいっぱいに――まあ新井英樹さんの漫画なんで――ページいっぱいに広がっている、という感じで、非常に印象に残っていましたけども。で、その原作漫画を……これね、『映画秘宝』のインタビューでこんなことを語られているんですけども。「自分の映画作りの、根幹となった作品だといえる」と言い切るまで愛し抜いて、「いつか映画化したい」と以前から公言されていた、吉田恵輔さん。

吉田恵輔さんは、前作の『犬猿』が今年2月公開ですから、結構なかなかのハイペースで作品を発表されてますけど。吉田恵輔さん脚本・監督でついにそれが実現した、ということですね。新井英樹さんの漫画は、『宮本から君へ』というのがね、今年になって、しかも真利子哲也さん脚本・監督でドラマ化されたりとかですね。あと、以前から『ザ・ワールド・イズ・マイン』が深作欣二で実写化されるのされないのっていう話があったりもしましたけども。「映画」ということに関しては、今回の『愛しのアイリーン』が初の映画化、という。

で、これがまたですね……もちろん今回の映画の尺、137分という、吉田恵輔さんの映画としては比較的長尺なんだけど、その尺に収めるために、いろいろと元の原作の漫画を刈り込んだり整理したりはしてるんだけど、少なくとも見終わった後の感じは、かなり原作漫画に忠実だな、っていう風に私は思いました。吉田恵輔監督、漫画原作物としては、先ほど名前も出しましたけども『ヒメアノ~ル』(2016年)、あれも大傑作だと思いますけども……ちなみに『ヒメアノ~ル』『犬猿』も、私はすでにこの前番組で評していまして。書き起こしが残っていますので、そちらもぜひ読んでいただきたいですけども。

『ヒメアノ~ル』は、当時の僕の評の中でも、「これは『原作』というよりも『原案』というクレジットの方がいいぐらいじゃないのか?」っていう風に言っていたぐらい、かなり大きなアレンジ、独自解釈が施されていた一作だったんですけど。それとはほとんど対照的に、今回の『愛しのアイリーン』は、原作漫画と具体的に照らし合わせると結構変えているところとかがあるんだけども……たとえば主人公・岩男の体型だとか、その母親・ツルの顔相っていうかね、その感じとか諸々、いろいろと違うところはあるんだけど、鑑賞後の印象は、原作をものすごく忠実に映画化したという風に感じる、という。

■「日常の裂け目から顔を出す、この世の残酷さ」で通じ合う原作と監督

で、これはまず新井英樹さんの漫画が、たとえば「『愛しのアイリーン』はフェデリコ・フェリーニの『道』を意識して描いた」っていう風におっしゃられているぐらいで、そもそも新井英樹さんの漫画がそのまま映画的なところが強い、というのもあるのかなと。わりとそのまんま映画化しやすいというか……たとえば登場人物のエネルギッシュな動き、つまりアクションそのものがエモーションを物語っていく、という作りっていうのもそうだろうし。だからこそ、特に映画人、映画ファンに支持を集めてきた漫画家である、というのもあるのかもしれませんね。

ただ、なのに映像化がここまで実現するのが遅れたのはなぜか?っていうのは、またちょっと別に時間を割いて考えるべきことかもしれませんけども。で、あとはもちろん、さっきも言ったようにそもそも『愛しのアイリーン』という元の漫画自体が、監督自らおっしゃる通り、吉田恵輔映画の根幹を作り上げたエッセンスそのものだから、っていうのもあるかもしれませんね。まあ吉田さんの映画っていうのは、いつもこんな感じ。表面上おだやかに見えていたありふれた日常が、ふとした拍子、ふとしたほつれとかこじれから、メリメリメリメリッ……! ていう感じでね、裂け目ができて。ものすごく残酷だったり無情だったりっていう、その本質的な顔を露わにしてしまう、という。

で、だから基本的には意地悪く笑えるコメディーとして始まりつつも、その世界がメリメリメリッと本当の顔を見せる、というそのポイントから先は、作品そのもののトーンもガラッと変わって、まあホラー的だったりサスペンス的だったり、もしくはノワール的だったりっていうところに――今回はすごいノワールっぽいと思いますけども――そういうところに転がっていったりもする、という感じですね。で、そんな風に僕はいつも、吉田さんの映画の一貫した作風を説明してきたんですけども。

あと付け加えておけば、そういう人間たちの、私たち全員が部分的に確実に抱えているであろう、そういうしょうもなさとかおっかなさ、醜さ、ちっぽけさみたいなもの、まあ「人間の業」みたいなことに言い換えてもいいですけど、それら全てをひっくるめて、それでも愛おしい……っていうか、それだからこそ愛おしい、っていう風に受け入れてみせるような、そういう本質としての視点のデカさっていうか、そういうものもたたえている、それがまた心に刺さる、というような構図を持っている。みたいなものが、吉田さんの映画だと思うんですけども。

■『愛しのアイリーン』イコール吉田恵輔映画、その逆もまた真なり

そして、いま僕が言ったようなことがすべて、『愛しのアイリーン』という漫画にそのまま当てはまりますよね。人というものが持っている、たとえば差別意識……人種差別意識もそうですし、性差別意識もそうですし。あとはセコい打算とか嫉妬とかコンプレックスとか。あるいはまあ、性というものをめぐる滑稽な足掻きであるとか。あとは「家族」という一種の呪いですよね。前作『犬猿』は血縁の話でしたけど、今回は(前の番組でやっていたコーナー『ババァ、ノックしろよ!』で頻出していた、“母+ファシズム”から来た造語)「母シズム」。母、家族という一種の呪い。で、そういうのは普段は、きれいごとっていうか、世の中の「善きこと」というコーティングで見えないようにされてるんですけど、そういう欺瞞性を容赦なく暴き立てて、問い直していく。

「家族といて幸せ」って、それは本当に幸せなんですか? 「愛」っていうけど、これは本当に愛なんですか?って、そういうのを問い直しつつ……最終的にそれでも残る何か、というのはやっぱりあるんじゃないか?っていうようなことですよね。非常に卑近なセコい小さな話から、その世界のあり方とか社会のあり方全体を見据える……もしくは逆に、社会のあり方、世界のあり方全体から、すごく人そのものの、人間の「生きる」ということそのもののあり方を問うような、そのミクロからマクロへ、マクロからミクロへ、それを浮かび上がらせるような語り口とかも含めてですね、極論、『愛しのアイリーン』イコール吉田恵輔映画であり、吉田恵輔映画イコールそもそも『愛しのアイリーン』である!という。

ゆえに両者はイコールに見えて当然!っていうね、こういう図式が、極論成り立つ、ということなんですね。だから、わりとそのまんま映画化したように見えるというか、そのままでも映画になる、っていうことだと思うんですね。しかし、そこはやはり実写映画ですから、新井英樹漫画特有の、あの強烈にアクが、圧が強い登場人物たちを実際に誰がどう体現するのか? そしてそれをどう映像に収めるのか?っていう現実のハードルは、当然立ちはだかるわけですけど。

■主人公・岩男を演じた安田顕。見た目は原作と違えども……

その意味で今回の映画版『愛しのアイリーン』は、まあ結果として、これ以上、新井英樹の漫画の映像化としてはちょっと考えられないぐらい、ほとんど完璧と思える答えを出してみせているな、という風に思います。まずはなにしろ主人公の岩男ですよね。原作では「熊のような大男」なわけですけど、その意味ではかなり違ってるわけです、体型そのものは、安田顕さん……なんですけど、岩男という人物の本質である、要はもう全てを内側に溜め込んでしまう、そしてそれを極めて不器用な形で爆発させる以外、表に出す術を知らないっていう男の、もちろんキモいし、危ういし、まあおっかないし。非常に「正しくない」わけです。

なんだけど、その中身にある、それでもこの男の中にある、何かこう、光のようなもの、とでも言うんですかね。というようなもの、そのすべてを、説明的なセリフなどではもちろんなく……なにしろ極度に口下手な男なわけですから。肝心のアイリーンとはさらに言語ギャップもありますから。ということで、劇中この岩男というこの主人公が最も多くする言葉は、先ほどもチラッと言ってしまいましたけど、濁点もついているからいいでしょうっていうことで……「オ○×ゴーッ! オ○×ゴーッ!」ってこればっかり言っているという(笑)、そういう男なわけですね。まあ、はっきり言って大問題な男なわけですけど。

なんだけど、その奥に何か、本当は残る光、っぽいものもある……そういう、さっき言ったような重層的な、複雑さが非常にあるキャラクターなわけです。そういう主人公・岩男を、今回の安田顕はまさしく「鬼気迫る」って言っていいような、本当に身を削るような気合いで、まさしく体現してみせている。あと、個人的には身体がそれほど大きくないっていうことにしたことで、後半、要するにアイリーンとの関係が非常に痛々しく変化していくわけですね。どんどんどんどん彼が、もうアウトな男化していくわけですね。まあ、先ほどの怒りのメールにもあった通りです。本当にもうアウトになっていくわけですけども。

そこで、絵面的に過度に暴力的にならなかったっていうか。身体が大きい男がどつき回す、みたいな感じになりすぎなかった……もちろん暴力的なんですけど、観客を決定的に引かせすぎなかったというバランスになってるのも、まあ映画としては正解だったかな、という風に思います。結果的にね。

■アイリーンを演じたナッツ・シトイなくして本作は成立しなかった

で、それ以上に難役というか難キャスティングだったに違いないのは、やっぱりアイリーン役ですよね。ぶっちゃけ、変な人をキャスティングして変な演出をしたら、いくらでも嘘くさくなりかねないキャラクターなわけです。なんだけど、それをまたオーディションで選ばれたというナッツ・シトイさん。この方、フィリピンでは普通に活躍してる実力派の女優さんなんだそうですけども。

少女のように天真爛漫……ただ、「少女のように」っていうんだけど、原作では18歳っていう設定、でも原作ほど少女っぽく見えちゃうと、これまた絵面的にドン引きしすぎちゃうので、そこまではいかない。少女のように天真爛漫でありながら、でも実はタガログ語とか英語で話し出すと全然、当然のことながらしっかりしているし、知性もちゃんとあるじゃんっていうのがわかるようなバランス。作り物ではないリアルな生命力とかかわいさを内側から発散し続けているような、そういうアイリーンというキャラクターを、まさしくこれは本当に原作漫画から飛び出してきたような「本人」感で体現してみせる、というね。本当に(劇中のアイリーンの言い回し風に)「ナッツさん、スンバラシイ! ナッツさん、スンバラシイ!」っていう感じで、すごくよかったですし。

彼女がいなかったら、正直この映画は成立していなかったろうな、って思うぐらいの、要のポイントだと思いますね。もう本当に彼女の一挙手一投足から目が離せない、っていう感じで、非常に魅力的なんですけども……たとえば、前半のハイライトで言えば、ロケ地である新潟県長岡市……これ、『この空の花 長岡花火物語』でもやっていた花火が非常に素敵に使われてもいますけども、その長岡市の、夜の飲み屋街。ようやくちょっと打ち解けだした……「国際結婚」といえば聞こえはいいけど、まあ金である意味買われてきたような感じで、言葉もろくに通じない、というような2人が、ようやく打ち解けだしたという、その岩男とアイリーンが、夜の飲み屋街をそぞろ歩きしながらの、あの世にも美しく愛おしいキスシーンですね。

まあもちろん金が取り持った関係かもしれないし、社会的な正しくなさとか欺瞞がこの2人の間にないとはもちろん言わないんですけど、それでもいまこの瞬間、文字通り「この世界の片隅に」、一瞬生まれたこの温かい感情っていうのは、間違いなく、それはそれで嘘じゃないだろう、っていう場面。あそこ、その安田顕さん演じる岩男が「おめえ、きれいだな」って言うのに対して、アイリーンさんがですね、「Beautiful?」ってポーズを決めるんですね。あのポーズ、ナッツさんのアドリブなんですね。本当、天才だなって思いますけども。

■『そこのみにて光輝く』以来、泣かされた愛のシーン

とにかくその2人の演技と、あと、なにが素晴らしいって音楽。ウォン・ウィンツァンさんという方の劇伴。これの本当に素晴らしさと、あとは志田貴之さんの撮影。そしてもちろんその全てをそこまで持っていった吉田恵輔さんの演出……全てを含めて、ここだけでもこの映画、素晴らしい!と言い切れる、名シーンだと思います。このシーンのあふれるような多幸感とは対照的に、後半、まあネタバレにならないように具体的にストーリーには触れませんけども、地獄のような極限状況下、真っ最中で交わされる、愛の告白。本当に壮絶な愛の告白と、メイク・ラブシーン。こことセットで、ここもやっぱりそのウォン・ウィンツァンさんの音楽が非常に生きているんだけども、僕、このキスシーンとセックスシーンで思わず泣いてしまったっていうのは、『そこのみにて光輝く』以来、もっとも泣かされたキスシーン、セックスシーンだと思いますね。

ちょっと『そこのみにて光輝く』と通じるところがある話ではありましたね、『愛しのアイリーン』はね。まあ、僕は特にそういうのに琴線が触れてしまうのかもしれないですけどもね。で、まあ、その国際結婚夫婦の間に入ってくる岩男の母・ツルっていうのがいるわけですね。まあ要は非常に保守的。生まれ育った環境から言っても非常に保守的だし、ぶっちゃけ極めて人種差別的な考えを持っている。ただ彼女の立場からすると、それ以外の生き方がない、っていうような人ではあるんでしょうけどね。演じる木野花さん、原作漫画と見た目はだいぶ違うんですけど。原作漫画はもっと、造形がすでにモロにモンスターっていう感じになっているんですけど、やはりこの、木野花さんのキャリアを更新するような、まさに母シズムの権化ぶり。『ババァ、ノックしろよ!』という私どもが出した本にも書いてあります、「母シズム」ですね。それを圧倒的に力演しているという。

※宇多丸補足:序盤でお父さんが岩男に言い放つ、「親を捨てられない、家を捨てられない男に、女は惚れねぇっ!」という一言。要は「性的経験こそ、親のコントロールを完全に離れてクリアしてゆくべき通過儀礼で、自立への第一歩なのだ」というような話で、 だからこそ岩男は「親のコントロールが及びようもない場所」での嫁探しを決断するわけですが、いっぽうで岩男に対してツルが行う母シズム的お節介は、まさにそれに反する「性的経験への親の介入」そのものであって、当然のように袋小路に入ってゆくしかないという……そして、終盤ツルが自らに望む極端な処遇は、前述のお父さんの言葉を、倒錯したかたちで事後的に実現させようとしているようにも見えます。さらに言えば、ツルが最後に思い浮かべる岩男出産シーンは、自分とアイリーンが結局はよく似た立場でもあったということの再確認でもあり、これが実は「社会のシステムに抑圧され苦難を押しつけられた女性たちの歴史」をめぐる物語でもあった、ということが不意に浮かび上がってくる作りでもある、ということは付記しておきたいと思います。アイリーンの「そう、思わねが?」という、言わば「理解不能に思えた関係性に、共感の可能性を問う」セリフに、劇伴メロディ一番の泣かせどころを置く編集も、作り手がそうした構造に意識的であったがゆえでしょう)

 

■人間とこの国が抱える業を見つめながら、とてつもない領域に突入していく

終盤、やむなくジェスチャーでアイリーンにある行為を強要させるくだりの、恐ろしくも悲しくもおかしい、この絶妙なニュアンスとかも、本当に素晴らしかったですしね。また、その主要登場人物たちに対して、「愛とはなんだ? 幸せとはなんだ? 金とはなんだ?」っていう、そういう欺瞞に容赦なく問いを投げかけてくる、まさに悪魔的、メフィスト的な役回り、ヤクザの塩崎。これ、原作での役柄を1人にまとめたことで、要は国際結婚という美名に隠れた、経済格差のある搾取の構造、その負の側面を一身に背負った悲しみ、ゆえにアイリーンにシンパシー、執着を感じてしまう、ということが非常に強調されるキャラクターになっていて。これを伊勢谷友介さん、あの流暢な英語もあいまって、非常にこれもハマっていたしということですね。

原作通りの大阪弁を本当に使いこなしている、マリーンさんを演じているディオンヌ・モンサントさんとかも非常に素敵ですし、あと古賀シュウさん演じる斉藤さんとかも含めて、あの同僚の人たちのしょうもない人間臭さ、非常に吉田恵輔映画っぽい感じがいたしました。ただ、この同僚の人たちの描き方で僕、その否定的メールで、そこは僕もちょっと感じたかも……っていうのは、女性陣の描き方が、ちょっといまとなっては古い構図にはまっちゃって、ちょっといまとなっては古臭い偏見の構図にはまっちゃってないかな?って感じる部分、僕も正直なくはなかったです。

ということで、あるポイントから、『ヒメアノ~ル』よろしく、急激にバイオレントかつ悲劇的な色合いを濃くしていく物語なんですけども。で、どんどんどんどん主人公の岩男は、「どうしちゃったの?」っていうぐらい、人が変わったように、もうクソ野郎化していくんですね。まあ、先ほどの否定的メールにもあった通り、本当に完全に性暴力を振るうような、もう最悪の人物になっていくんですけど。その原作にもある通り、岩男の真意……だけど、この真意があるから岩男は許されているっていう風には、岩男は免罪はされてはいないと思うんです。物語上、されていないですよね。あれは罰を受けた、ということだと思うんですけども。

彼の心の中には……「お前はどんだけ不器用なんだ!」っていうのが、画でわかるショット。これ、やっぱり非常に、画として見せるショッキングさ。新井さんの原作でもうすでにありますけども、ガツンと来る画になっていますし。最終的には、一面雪景色のその風景のド迫力も相まって、ほとんど本当に今村昌平的な、日本の業、人間の業を見つめる、とてつもない領域に突入していく。で、そこの流れがあまりにパワフルなので……「えっ、なんで?」っていうのがもう気にならないぐらいの勢いで、怒涛のように突入していく、っていう感じだと思いますね。

■不快さも込みで、深く心に刺さって忘れ得ぬ一本に

そんな感じで、時間もなくなっちゃってきたんでまとめますけど、もちろん登場人物のほぼ全員が、全然正しくないです。いまの政治的とか社会的な正しさからはもちろん外れていますし……でも、こう生きるしかなかった、っていうのもある。時代とか環境とかから絶対に人間は逃げられないわけで、あの登場人物ひとりひとりが、「正しく」考えることなどはできない立場にいる人たちが、不器用で醜くて非常にちっぽけな人たちが、それで足掻いた挙げ句にひどいことになっていく。その負の面を一身に受けるのが、たしかにそのアイリーンという女性なんだけど、それでもその全ての欺瞞や虚飾を引き剥がした後に残る何か、その輪郭、その匂いみたいなものが残る。

それが……もちろん不快さっていうのも込みなんだけど、それを僕は決して忘れることはできない、というか。そういう1本なんですよね。だから「感動した」とか「泣きました」っていう言葉で片付けるのがちょっとはばかられるところもあるんだけど、やっぱり深く心に刺さって離れない1本なんですよね。ぜひぜひ劇場でウォッチして、みなさんのご意見もさらにうかがってみたいところです。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『クワイエット・プレイス』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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