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スプートニクショック

森本毅郎 スタンバイ!

忙しい朝でもニュースがわかる「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)8時からは、話題のアンテナ「日本全国8時です」

全国ネットで、日替わりゲストとともに放送。
毎週木曜日は、東京大学名誉教授、月尾嘉男さんの「雑学コラム」!

月尾嘉男

解説は東大名誉教授の月尾嘉男

10月4日(木)は「スプートニクショック」

 

★スプートニク1号

今日は何の日かということですが、現在の情報社会が始まった日です。

特定の1日に情報社会が始まったということはあり得ないと思われるかも知れません。しかし、今から61年前の1957年の今日10月4日にソビエトが、「スプートニク1号」という世界最初の人工衛星の打上げに成功し、これが現在の情報社会を実現するきっかけとなったという意味です。

アメリカは第二次世界大戦直後から原子爆弾を搭載したソビエトの戦略爆撃機の襲撃に対処する方法を検討してきました。そのために建設されたのが「SAGE(セミ・オートマチック・グラウンド・エンバイロメント)」、翻訳すれば「半自動式防空管制システム」という巨大なシステムでした。

アメリカへ向けて飛来してくるソビエトの戦略爆撃機を発見するために、アメリカの国境だけではなく、カナダの北極圏にも多数のレーダーを設置し、そこで敵機を発見すると、その情報をもとに、アメリカの基地から迎撃機を発進させて撃墜するという方法で対処しようとしたのです。

しかし、当初は敵機の飛行経路を追跡し、どの基地にある迎撃機を発進させるかは人間のオペレーターが判断しており、多数の戦略爆撃機が飛来してくれば対応できないという問題がありました。

★巨大なコンピューターシステム

そこでマサチューセッツ工科大学の研究者が中心になり、巨大なコンピュータで処理するシステムの開発が1949年から始まりました。

電気の流れをコントロールするトランジスターは、2年前の1947年に発明されていましたが、まだ工業製品にはなっていない時期でしたので、5万5000本の真空管を使い、重さ275トン、バレーボールコート6面分に相当する2000平方メートルの床面積を必要とし、一般家庭1000世帯分の電力を消費する「AN/FSQ−7」というコンピュータが2台製造され、1台が故障した時には、もう1台がすぐ交代できるホットスタンバイと言われる状態で利用しました。

ご存知のように真空管は短時間でフィラメントが切れますので、毎日数百本を交換するという大変なコンピュータでした。

各地のレーダーサイトの情報は電話回線でコンピュータに送信され、発見した爆撃機の位置がディスプレイに表示され、オペレーターが迎撃する目標を指示すると、もっとも付近にある基地から迎撃機が飛び立つという仕組みでした。

このシステムの開発と建設の費用は1兆数千億円という巨額でしたが、61年前の今日、ソビエトが重量83・6キログラム、直径58センチメートルの人工衛星の打上げに成功し、96分で地球を1周することになったのでSAGEでは対応できなくなってしまったのです。

もちろん84キログラム程度の打ち上げ能力では原子爆弾を運搬することはできませんが、打ち上げ能力が向上すれば、原子爆弾が短時間でアメリカに到達し、上空で炸裂すれば、迎撃機では対応できないということになったのです。

このスプートニクショックはアメリカの威信を傷つけただけではなく、重大な技術的問題が懸念されました。

上空で核弾頭が爆発すると、大量のガンマ線が発生し、それが大気中の窒素や酸素の分子に衝突して大量の電子を発生させ、巨大な電磁パルスが発生するという心配でした。これによって無線通信はできなくなり、銅線の中を伝わる電気信号も電磁誘導で乱れて伝わらなくなってしまいます。

コンピュータなどの電子機器の回路も破壊されてしまうということになり、SAGEのコンピュータは地下に設置するとしても電話回線を利用する通信が不能になり、一般の電子機器が役立たないことになるという危機に直面しました。

★光ファイバー

そこでまず開発が急がれたのが「光ファイバー」の実用化でした。

光ファイバーの原理は19世紀からわかっており、戦前には日本でも研究されていましたが、スプートニクショックの翌年にはインドの学者が現在の光ファイバーの原型を発明していましたので、これを生産する技術の開発が急がれました。

実際に光ファイバーでデータ通信が行われたのは1965年ですが、これで問題の一つは解決しました。

もう一つの問題は電話ネットワークの弱点です。電話ネットワークは交換局にある交換機で相互に接続されますが、その交換機が爆撃で壊れてしまえば、端末装置が生き残っていても使用できなくなってしまうという欠点があります。

そこで一点集中ではないネットワークを考えろということになり、1961年にアメリカ空軍のシンクタンクであるRAND研究所のポール・バランに、核攻撃を受けても生き残るネットワークの開発を依頼します。

翌年、バランが発明したのが「分散型コミュニケーション・ネットワーク」で、電話交換局のような中心になる施設を設けず、網の目のようなネットワークを構築し、送る情報も一度にまとめて送るのではなく、細切れにして別々の経路で目的地点に送り、そこで一体にするという技術で、これがインターネットの原型になりました。

★インターネット

このインターネットが如何に優れた技術であるかは、その普及速度が証明しています。

有線の固定電話は1875年にアレキサンダー・グラハム・ベルが発明しましたが、それが世界の20%に人に普及したのは2005年頃でおよそ130年かかりました。

無線の自動車用移動電話は1946年にアメリカに登場し、それが小型になってポケットに入るようになり、世界の20%の人に普及したのは2003年頃で56年が必要でした。

インターネットを一般の人々が利用できるようになったのは1988年頃からですが、それが世界の20%の人に普及するのには18年で十分で、現在では世界の人口の半分に普及しています。

歴史に「もし」はないという言葉がありますが、このように眺めてくると、現在の情報社会はアメリカに先駆けてソビエトが人工衛星を打ち上げたことが発端で、もし、アメリカが先に人工衛星を打ち上げていれば、現在とは違った情報社会が登場していたかも知れません。

 

月尾嘉男の日本全国8時ですhttp://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20181004080130

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