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宇多丸、『来る』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.14放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

ということで、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン、今夜はこちらの作品『来る』

(曲が流れる)

第22回日本ホラー小説大賞に輝いた澤村伊智の小説『ぼぎわんが、来る』を、『嫌われ松子の一生』や『告白』などの中島哲也監督が映画化。一見、幸せな生活を送る家族に、得体の知れない何かが襲いかかる。その恐怖は周囲の人間を巻き込み広がってゆく……。主な出演は岡田准一、妻夫木聡、松たか子、黒木華、小松菜奈など。ということになっております。

ということで、もうこの『来る』を見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。メールの量は、「多め」。やはり中島哲也監督最新作となると、注目が高いんでしょうか。賛否の比率は、「半々」。まあ中島さんの作品はこれ僕、すごく立派なことだと思うんだけど、毎回本当に見事に賛否が分かれるし、なんかこう、いいも悪いも「ひとこと言いたくなる」映画を作り続けてるっていうのは、すごいそれ自体、大したもんだなと思うんですよね。

主な褒める意見としては「悪霊的なものと戦うホラーでありながら、人間が持つ二面性、いやらしさ、そして優しさを描いた人間ドラマとしても優秀」「クライマックスのお祓いシーンにテンションMAX」「キャスト陣の熱演に感動。特に柴田理恵さんはナーメテーターだった」。否定的な意見としては、「映像や音楽ばかり目立ってストーリーが全く頭に入ってこなかった」「モヤモヤ感、不快感だけが残る映画だった」「怖くもなければ面白くもなかった」みたいなバッサリとした感想もございました。代表的なところをご紹介しましょう。

 

■「シリーズ化して欲しい!」(byリスナー)

「OL二等兵」さん。「『来る』、見ました。キャーッ! と叫びたくなるほど最高でした。前作の『渇き。』が『面白いところもあるけど飲み込みにくさがあった』のに対し、この映画はストレートにホラーエンターテイメントでした。演者の方は全員が全員、素晴らしかったのですが、柴田理恵! 2018年、こんなクールでイカした柴田理恵が大画面で見られるなんて! あえてこう呼びますが、『こんな格好良いババア』を邦画でもっと見たい! ホラーの部分で言えば、怖い顔がドーンと出てくるびっくり系でも、Jホラー独特のジトジトしたものでもない、景気が良くておぞましい演出の数々。特に妻夫木くんのもとに『あれ』がいよいよ来るシーンに映る足の気持ち悪さ」。足がこう映って、ぴょんぴょんぴょんぴょんって飛び跳ねてくるところがすごい気持ち悪かったですね。

「……エンタメの部分は終盤のお祓いライブに爆上がりでした。ダークエルサにも見える松たか子のディーヴァ&ボーカルによるシャウトで気持ちは最高潮でした」。なるほどね。だんだん書いてあることがおかしくなっているぞ。「……霊能者たちが新幹線の中、ちょっとしたセリフで自身の死の覚悟を語るシーンは今年の映画の中でいちばんかっこよかったかもしれません。シリーズ化してほしい!」。ああ、たしかに。新幹線の中で「1人ぐらいはたどり着けるんじゃないの?」みたいなことを言うっていう。なるほどね。たしかに、あのへんはたしかにちょっと燃えるくだりなんですよね。後ほど言いますけども。

一方、ダメだったという方。「スターク」さん。「読まれたら初採用です。映画『来る』ですが、結論から言うとあまり怖いと感じることはできませんでした。癖の強い演出が終始ずっと続いて逆に平坦になってしまうという中島監督作品の問題がまた起きてしまってるという印象です。静かな日常の描写で恐怖を増幅させていく『ヘレディタリー/継承』の演出とは対照的だなと感じました。また、幼少期のエピソードがあまりにもぼんやりしていて、キャラクターの葛藤にあまり乗れませんでした」と。ただ、「妻夫木さんの演技は素晴らしい」っていうようなこと書いていただいたりとか。「ホラー部分は正直ダメダメで、エンタメ部分も満足度はそれほど高くないため、全体的に微妙な作品という印象です」という。この方、褒めている部分も他にもある感じなんですけどね。ということでございました。

 

■『ヘレディタリー/継承』と共通する『来る』

ということで『来る』、私もバルト9深夜回でございましたが、2回連続で見てまいりました。入りはまあまあかな。でね、「『ヘレディタリー』と対照的」っておっしゃってますけど、僕は……もちろんね、『ヘレディタリー』と並べてみると、ちょっと分が悪い。この並びはちょっとかわいそう、っていう気がするところもあるんだけど。ただ、並べてみると、意外と共通点は多い、似たテーマを扱っている作品同士だな、っていう風にも思いましたけどね。

まあ、「家族という地獄」「血族という呪い」「家庭という逃げ場のない閉じた牢獄」というのを、文字通りの具体的な「地獄」「呪い」「閉じた牢獄」として描く、見せる。つまり「ホラー的文法で語られる暗黒ホームドラマ」だっていうのをね、『ヘレディタリー』評で言いましたけども。で、もっと言えば、そういう家庭生活を含めた一見平穏な日々の暮らしの中にも、実は内包されている歪み、きしみ。その隙間にこそ、「魔」っていうのは入り込んでくるんだっていう……「魔が差した」って言いますけどね。その魔っていうのが入り込んでくるんだっていう、そういう世界観、お話っていう意味で、先週の『ヘレディタリー』と今週の『来る』は、実は非常に共通するようなことを語ってる作品でもある、と言えると思います。

まず、澤村伊智さんによる原作小説があるわけですね。2015年。ちなみにこの映画版では序盤で軽く口にされる程度にあえてとどめられているこの、「ぼぎわん」っていうね。要は、英語圏で言う「ブギーマン」がなまったもの、っていうことが小説版では……まあ、オリジナルの魔物なわけですけども。とにかくその原作小説を、ご存知東宝プロデューサーの川村元気さんが、中島哲也さんに「映画化、どう?」ということで送ったところ、珍しく即レスで意欲を見せた、というようなことがパンフレットのインタビューなどでも書いてありますが。

で、たしかに今回、実際に出来上がった映画と原作小説を比べてみたりしてみると、なるほどこれは、中島哲也さんの作家的資質にものすごくあった題材、原作だな、っていう風に思える感じなんですよね。ここで言うその中島さんの作家的資質、作家性とは何か?っていうと……これは僕なりの表現で、2014年7月28日に前作の『渇き。』を時評した時にも使いましたが、「悪意あるポップ」。悪意を込めたポップ表現っていう、そういう部分なんじゃないかと思ってるんですけど。

 

■「ポップのオブラートの向こう側にグロテスクな現実を見せる」

まあ、中島哲也さん、もともとはCMディレクターとして、本当に圧倒的実績を残されてきた方なんですね。つまり、もともと「ポップ」ど真ん中の方なわけです。非常にきれいきれいな映像を作る感じね。で、ちなみに映画監督としてその中島さんをフックアップしたのは、私が全作品上映をやっております森田芳光さんが、『バカヤロー!』っていうシリーズでフックアップしたのが映画監督としての最初なわけですけども。

で、とにかくCMで培ってきたその手腕、手法を生かして、これも僕が過去の作品評で使った表現をそのままセルフ引用しますけど、「そのまま普通に撮れば貧乏くさかったり陳腐だったり悲惨だったりする日本の“現実”の光景を、情報・小ネタを大量に盛り込んだ、超作りこんだ人工的な画づくりで“ポップ”に表現した」という。そういう感じの一連の映画で、ひとまず作風を確立した方ですよね。

まあ、『下妻物語』から『嫌われ松子の一生』という。で、『パコと魔法の絵本』っていう作品の時評もやりましたけど、ちょっとその構造との食い合わせが悪かったんじゃないかな、みたいなことを私、評しましたけども。ただですね、2010年。これ、猛烈な賛否両論を巻き起こしましたけども、まあ映画作家・映画監督としてネクストレベルに行った代表作と言えるのは間違いない、『告白』という2010年の作品以降はですね、さっき言った作風の構造が、一種「反転」したのかな?っていう風に個人的には僕、考えてます。

中島さんはやっぱり『告白』でちょっと変わった。つまり、それこそCMやミュージックビデオのように、きれいきれいに、ファッショナブルに、すなわち「ポップに」作り込まれた映像とサウンドっていうね、まあ影がない、ツルンとした表層。でも、そのツルンとした表層の、薄皮一枚を剥いだ向こう側にこそ、本当は醜い現実っていうのが広がっているんだ、という風に……要は、前は「現実っていうのをポップなオブラートに包んで出す」っていう作品をやっていたのが、『告白』以降は、「ポップのオブラートの向こうに現実を見せる」っていうような感じで、構造が実は微妙に反転するようになった、っていうのが僕の見方なわけです。

そしてその、本当は醜い現実っていうものを内包しながら、表面上ツルンとしたポップを装っている、というこの図はですね、その現代日本社会のあり方というかムード、空気みたいなものに対する、中島哲也さんなりの批評的視線、もっとはっきり言えば、違和感や嫌悪ですよね。なんかこう、「チャラチャラしやがって!」とか「嫌だな」って思っているような部分っていうのが表れているように、そしてそれこそが中島さんの作る映画の面白さのキモである、という風に僕は思うんですけども。

 

■「善きこと」イメージで語られる結婚・出産・子育てのハードさを浮き彫りにする

ということで、そんな風にちょっとこう、構造の転換があった『告白』以降の中島哲也監督に、その原作小説の『ぼぎわんが、来る』っていうのは、本当にぴったりだったと言えると思います。なぜかと言えば……っていうことですけども。原作小説、そして今回の映画版もそれを忠実に踏襲している部分なんですけども、三部構成なわけです。まず、メインの視点が、今回の映画版だと妻夫木聡さん演じている田原秀樹というね、旦那さん。そこから黒木華さん演じる奥さんの田原香奈さんという、この2人。夫婦なわけですけども。これが二部まで。

それで(三部目からは)岡田准一さん演じるライターの野崎和浩っていうところに視点が移る。これはまあ、ハードボイルド小説における探偵的な役割だと思ってください。まあ、三部構成で、メインの視点がゆるやかにではあるけど移っていく、っていう構成になっているんだけど。その中で、最初の二部、田原夫妻のパートは、もう完全に、さっきも言った「暗黒ホームドラマ」なわけです、今回の『来る』は。で、要は結婚・出産・子育てっていうね、無条件で「善きこと」と既存の社会通念ではされがちなものの、表面上のイメージ。

それこそCMとかで描かれる、結婚案内誌とかの「結婚はいいものです!」「子供はいいものです!」「子育てはいいものです!」っていう表面上の「善きこと」イメージと、でも現実に日本社会で子育てするっていうことになった時のハードさとか……たとえば夫が非協力的であるとか、そういうこと。そういう現実のハードさ、醜さとのギャップが激しい。まあ現代日本社会のみならず、映画を通して見る限り――『タリーと私の秘密の時間』とかもありましたからね――世界的にも問題になることが非常に多いトピックをメインテーマにしている、というわけなんですね。

 

■画面構成や色彩設計などがこれまでと比べてブラッシュアップ

具体的に言うと、第一部が夫の視点。つまり、きれいごとの視点。で、第二部が妻の視点。そのきれいごとの欺瞞を暴くという、そういう順番の作りになっているわけですけど。で、実際にですね、脚本とか演出もまさに、さっき言った「結婚、出産、子育てにまつわる、イメージ的きれいごとと現実とのギャップ」という要素を、原作以上に拡大する方向で作られている、という風に言えると思いますね。まずアバンタイトル。その「あれ」の襲来に備えて、妻夫木くん演じる秀樹がですね、いろいろとやっているわけです。

で、あとでまたこの場面に戻ってきて、あることが明らかになる、っていう構成も原作通りなんですけど。まずここのね、最初に妻夫木くんが出てきて、そのマンションの中で「あれ」の襲来に備えてるというここの、凝りに凝った画面構成。特に色彩設計ですね。今回、中島監督作品初っていうか、映画作品の撮影監督デビューという岡村良憲さん。この撮影とか、あとはもちろん照明チーム。あと、あれでしょうね。後の色調整、カラコレみたいなのがすっごい凝ってやっているんでしょうね。まず色彩設計がすごいですし。

あとその、舞台となるそのマンションの一室を作ったその美術。これは桑島十和子さんという方がやっている。これ、実は脚本がすごく映画用に見事なアレンジをしていて……クライマックスは、小説だと違う場所がクライマックスになるんですけど、今回の映画はオープニングからクライマックスまで一貫してこのマンションの部屋、同じ場所が、違うニュアンス、違う空気をたたえるっていうような演出になっていて。これは前作の『渇き。』の僕の評の中で、ある同じ感じの部屋を見せる時、それがあんまり、ここの部屋だけが特別なんだって際立って見えない、みたいな苦言をちょっと呈したんだけど、なんかその部分とかがブラッシュアップされたような構造だな、っていうことを思ったりしましたけども。

ちなみに、真相が明らかになるにつれて己の罪と向き合うことになるっていう流れとか、あとは『エンゼル・ハート』っぽいところとかがまたあったりとか、まあ『渇き。』とも連続するところが結構多いな、という風に思ったりしましたけども。

 

■オープニングから感じられる「悪意あるポップ」

まあ、とにかくこのアバンタイトルから、タイトルバックっていうかね、始まるわけです。こんな曲が流れる。

(King Krule『Dum Surfer』が流れる)

King Kruleっていうまだすごい若いアーティストの、『Dum Surfer』っていう曲。2017年とかの曲かな? 結構新しい感じですけども。中島さんはオルタナティブ・ロックとかすごい詳しいみたいで、そういうのが結構後ろでずっと流れていたりする、っていう感じなんですけど。まあ、これが流れ出して。

で、妻夫木くんがマンションでいろいろやってる時に、電話口の向こうに松たか子さんの声がして。自然の中で祈祷師たちとなんか祈祷の儀式みたいなのをやっているところと、あとはあれはなんだろうね? 植物か何かの顕微鏡で見た拡大映像を、早回しして、色をつけてたりするのかな? なんか気持ち悪い、グニャ~、グニャ~、ブチョ~ッていう映像と、あとはクレヨンの殴り書きみたいな、そういうすごい抽象的な映像が、ポンポンポンッとコラージュされる。まあ、はっきり言えば90年代カイル・クーパーっぽいって言っちゃえば身も蓋もない、カイル・クーパーっぽい感じなんだけど、まあタイトルバックがあって。

僕はもうこの時点で「ああ、中島哲也さんっぽい映画が始まった!」っていう感じで、ビンビンで。僕はかなりこのオープニングからしてビンビンに……好きだな、っていう風に思いましたけどもね。で、そこからまさに結婚、出産、子育てをめぐるですね、表面上のきれいごとイメージ、もしくはその社会的通念と、特にそれを一方的に背負わされがちな女性側のハードな現実、っていう対比。さっき言った中島哲也監督の真骨頂である「悪意あるポップ」、ポップの向こう側にある醜さ、みたいなギャップとして描かれていくという。

 

■この映画で一番怖かったシーンは……

特に、誰もが印象に残るであろう、妻夫木聡さん演じる、異常に外面だけがいい……だけではなくて、自分でもその外面のよさを信じこんじゃっている。自分は理想的なイクメンだと思い込んでるから余計にタチが悪い……というあたりにこそヒヤリとする男性も多かろう、夫・秀樹というキャラクター。まあ妻夫木くん、本当にね、妻夫木くんはこういう「ハンサムで人当たりはいいけど、クソ」みたいな役はもう多分、お手の物でしょうけど。で、彼のそういう薄っぺらさ、この彼のキャラクター自体が、すごく印象に残るし。

彼のそういう薄っぺらさが、実は他の、友人とかも含めて全員に見透かされているんだ、っていうことをそれとなく示す、結婚式のシーン……ここは(『SR サイタマノラッパー』の)マイティこと奥野瑛太くんが非常にいい仕事をしていますけども。結婚式というイベントそのものに……大人なら誰もが一度は感じたことがあるであろう、結婚式というイベントそのものに、もともと含まれる白々しさ、っていう。こういうところを、こういう意地悪さで切り取った作品って意外とないな、って思って。僕とかは「ハッハッハ! あるある!」って、楽しく見ていましたけどね。

で、怖さという意味では本作中最高潮と言ってよかろう、まあ妻夫木くん演じる秀樹の会社の後輩、太賀さん演じる高梨っていうキャラクターが……非常に彼もやっぱり無駄に明るく振る舞ってるキャラクターなんですけど、彼がその「あれ」に取り憑かれていくっていうくだりがあって。ここ、僕はこの映画でいちばん怖いところでしたけど。特にここ、映画版が原作の小説からいちばん大きく膨らませていて、本当に素晴らしいところなんですけど。病室で、その秀樹と高梨が、一対一で対峙する場面。ここは、鏡越しだったり、あとはカーテン越しだったり、暗がりとかを上手く使って、太賀さんの顔、変わり果てた姿っていうのを、最後の最後までちゃんと見せないでおいてからの……ドーン!っていう。

しかも、そこだけ声がなんか、変な気持ち悪いエフェクトがかかっていて、超怖い感じになっていたりする。しかもここは、さっきから言っている、「ポップ」に取り繕われた、きれいきれいに、表面上は穏やかできれいに取り繕われた表面の、向こう側の醜さ……「オマエだーっ!」っていうのを、ドーン!と正面から突きつけられるという、テーマ的にもいちばんストレートに「怖い」ところなので。僕はここはすごい「うわっ、怖っ!」って思いながら見ていたあたりです。ここ、すごく良かったですね。

 

■一番かっこいいのは、松たか子演じる祈祷師「比嘉琴子」!

それ以外にも、第二部……黒木華さんはもうちょっとさすがの貫禄、って感じさえ漂わせて演じている、妻側の視点。まあ彼女がいろいろと、社会の中で、非常に疎外感を感じながら子供を育てるわけですけど。その日本社会、「正しさ」を振りかざす割に全く助けにはなってくれない社会の象徴として、たとえば伊集院光さん演じるあのスーパーの店長……彼自身がもう社会の諸々に疲れ切って、淀みきっちゃってて、人に何か思いやりを示す余裕がない。彼自身がもう心を閉じちゃってる感じ。なんか伊集院さんのちょっと怖い面っていうか、そういうのが上手く出ていて、やっぱり見事だったし。

あとあのね、僕が上手いなって思ったのは、あの保育園のクレームジジイ。70代ぐらいのクレームジジイがいちばんタチが悪いぞ!っていう感じの。よくあの人を選んできたなっていう、あのあたりも本当に見事なキャスティングでしたし。その他もキャストのみなさん、本当に他の作品とは違った光らせ方をしていて、とてもいいと思いました。ハードボイルドな岡田准一さんもいいですし、小松菜奈さんの、なんて言うか、一生懸命さみたいなのが全身から出てる感じもいいし。

子役もね。あの娘さんの役もいいですけど、あの思い出の、記憶の中に出てくる少女の、あの妖しげな感じ。彼女とか、見事なもんですね。あと、やっぱりみなさんおっしゃるでしょう、柴田理恵さん。こういうかっこよさの醸し出し方……しかも柴田さんを使って!っていうのがありなのか、っていう風に、感心しますけども。

ただですね、本作はやはり、かっこよさという意味では、第三部から本格登場する比嘉琴子というキャラクターを演じる、松たか子さんですね。やっぱりすごい! これで勝ちでしたね。この映画はね。

 

■最強祈祷師「比嘉琴子」登場後、映画は超能力ウォーズへ

もともとの原作自体が、後にその「比嘉姉妹シリーズ」っていう感じで、シリーズ化されていくようになるくらいで。この第三部、比嘉琴子が登場してから先はですね、その純粋なホラーというより、超能力ウォーズ物っていうか、超能力対決物、超能力対戦物……『幻魔大戦』とか、そういう感じになっていくっていう。近年だと『貞子 vs 伽椰子』とかに近いテイストっていうか。ちょっと荒唐無稽なテイストっていうか、楽しくなってくる、っていうね。

だから、この琴子が現れるたびに、こんな曲が流れる。jan and naomiの『Temple of Blue』っていう、まあ彼女のテーマ曲ですよ(笑)。これが流れ出して……。

(jan and naomi『Temple of Blue』が流れる)

で、ものすごいクールに振る舞って登場して。とにかく彼女のキャラが最高!っていうことですね。彼女はクライマックスで、ドン!ってパンチ力の強さを見せるんですけど、そこのもう、「松さんのこのパンチ、本当に重いだろうな」って見える(笑)この感じとかも最高でしたし。とにかくテーマ曲が流れて……要は第三部は、ヒーロー物っぽいんですよね。で、全国各地から各界のお祓いマスターたちが集結する、というくだり。装束に身を固め……しかも、ああいう神主さんみたいな装束を固めているところがカプセルホテルだっていう、そういうセッティングの面白さとかも含めて、なんかその、「霊能力アベンジャーズ」的なアガり感があるわけです。

さっきの(メールにあった)その電車の中の「誰かは生き残っていけるだろう」ってやりとりなどは、なんか『ワイルドバンチ』感すらある、みたいな。なんか「燃える」映画になってくるわけですよ。で、さらにそこからクライマックス。まあ、大がかりなお祓いシーンがある。これはまあ正直、ナ・ホンジンの、去年のね、もう本当に怪作──奇っ怪な作品──でございました、『哭声/コクソン』。これはまあ、どうしても連想しちゃいますよね。それをさらに拡大したかのような「祈祷フェス」シーンっていうか、そんな感じがある。

まあ、ちなみに『哭声/コクソン』っぽいところは他にもあるんですよね。「どっちが敵か味方か分かんない」って迷う、というところとか、なのに決断しなきゃいけない、っていうところとか、あるんだけど。ただあの『哭声/コクソン』、2017年の作品で。その迷うくだりとかは原作にもあるくだりなんで、まあこれは偶然の一致。シンクロニシティってやつかもしれませんけども。とにかく、祈祷・お祓いフェスみたいな感じで、グイグイグイグイ祝祭感が盛り上がってくる。

だから、最後は祝祭感の方に行くっていうところも、『ヘレディタリー』にちょっと共通しているところもあるかな?って思います。で、非常にでも舞台は普通のマンション……団地的なというか、マンションみたいなところなわけです。僕、「普通のマンション、団地で行われる、大掛かりな超能力戦」っていうところで、僕はクライマックス、ズバリ大友克洋『童夢』だと思いました。「これ、『童夢』がやりたいんだ!」って思いながら見てましたね。

 

■ダークに楽しい、アゲ系のエンターテイメントとしてオススメ

で、他にもそういう「ぽい」ところで言うと、たとえばそのマンションの入り口に車が止まったところで、モワーンと煙みたいなものが見える。これはまあ、『エクソシスト』でしょうね、とか。クライマックス、常軌を逸した量の血がドバーッと出る。これはまあ『シャイニング』でしょうね、とか。あと、ラストのラスト、雪の中で、血縁のない子と何かこう疑似家族的な絆が……これはまあ『グエムル-漢江の怪物-』のラストっぽいですね、とかね。あとは何かこう、河原に赤ちゃんがいる幻想みたいな、その川……三途の川なのかわかりませんけど、川のイメージは、中川信夫監督、天知茂主演の『地獄』のイメージなのかな? とか。とにかく、わりと無邪気なホラー映画、モンスター映画クラシックのオマージュ感もあって。これもなんかちょっと楽しいあたりというか、微笑ましいあたりかな、と思います。

まあね、あえて苦言みたいなことを言うなら、その前半の2/3の、さっき言った暗黒ホームドラマ。やっぱりややカリカチュアがキツすぎ、類型化しすぎ……ゆえに、その展開が読めすぎる。要するに、妻夫木くんがクソ野郎だっていうのは序盤から明らかすぎる感じ。つまり、さっきからメールにもありましたけど、全体にやりすぎているせいでなんかギャップが生じない、っていうのはなくもない気もするし。あとクライマックス。小説はわりと具体的にvsモンスター戦になるんだけど、それを抽象化している。その抽象化はいいんだけど、その結果、なんかちょっと超能力バトルゆえに、なんでもあり(になりすぎ)感っていうか。

たとえば、よくわからないところで言うと、チサちゃん。あの女の子はいつ、どこから帰ってきたのか?とか、よくわからないですよね。「急にいる」感じになっちゃっていたりとか。まあ、いろいろとあるんだけど。ただね、僕はこれ、ホラー、ホラーって言うけど、怖いっていうよりは、どっちかっていうとダークに楽しい、なんかアゲ系のエンターテイメントみたいなところに最終的に着地してくるところに、すごい楽しみを得ました。あとはもちろん、前半の暗黒ホームドラマ。すごい意地悪な視点。読めるっちゃあ読めるんだけど、その類型感も含め、怖いというよりもダークに楽しい。ダークコメディー的なニュアンスで楽しむ部分が多かったです。

で、先ほどのメールにもあった通り、僕はその比嘉姉妹シリーズ、続きで見たいなって思うぐらい、特にやっぱり松さんの琴子のキャラクターにもう完全にやられてしまいましたし。僕はあの、いままでの中島哲也作品の中では、いちばん素直にめちゃめちゃ楽しんだ作品です。非常に見応えある作品でございました。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『斬、』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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