お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

放送中

放送中


  • お知らせ
  • 放送ログ
  • 音声あり

宇多丸、『暁に祈れ』を語る!【映画評書き起こし 2018.12.28放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこの作品『暁に祈れ』

(曲が流れる)

タイで麻薬中毒になったイギリス人ボクサーのビリー・ムーアが逮捕され、地獄のような刑務所で過ごす中、ムエタイに再び打ち込み、のし上がっていく姿を描く。原作はビリー・ムーアの自伝小説。主人公ビリーを演じるのは『グリーンルーム』などなどのジョー・コール。監督は『ジョニー・マッド・ドッグ』などのジャン=ステファーヌ・ソベールさんでございます。

ということで、もうこの作品を見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、残念ながら「少なめ」。まあでも公開規模といい、ちょっと時間たっちゃってるのもあるのかな。あと、非常にハードな内容であるというのもあるかもしれませんが。なんですが、賛否の比率は、なんと褒めの意見が9割以上。まあ、少なめな分、わざわざ見に行って感想を送るような人はやっぱり好きな人だった、ということもあるかもしれません。

主な褒める意見としては、「他の囚人や、顔にタトゥーが入った雑居房の長が怖すぎる」「こんな刑務所、絶対に入りたくねえ!」「ある種のモンド映画としても秀逸」「最後まで緊張感が途切れず引き込まれた」などがありました。一方、否定的な意見はほぼ見られず、わずかに「想像していた熱いスポ根映画じゃ全然なかった」という声があったくらいでございます。

 

■「天寿を全うするまで1分1秒も関わりたくないレベルの超絶ビジュアルな囚人たち」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「五目そば」さん、32歳男性。「『暁に祈れ』、シネマート新宿にて鑑賞してまいりました。とても満足しました。テラスハウス地獄編と言っても過言ではない愉快なルームメイト a.k.a 囚人たち。どいつもこいつも頭からつま先までタトゥーだらけ。ガチの元囚人怖すぎ! 特に房長さん……」。あの、顔までもう全部タトゥーが入ってる人。「……YOUは何して刑務所へ? なんて思わざるを得ない、天寿を全うするまで、たったの1分1秒も関わりたくないレベルの超絶ビジュアル。とにかくルームメイトたちが圧巻で、見てるだけで愉快で飽きませんでしたが、『スクリーン越しの世界でよかった。でもこの世界は確実に存在するんだよな』と恐怖と安心の入り混じった不思議な心境で。そんな気持ちのゆらぎ具合も画面のアップ、揺れ具合と、あえてのタイ語字幕カット。あと、リング上ですら喫煙するコーチにいい感じにアゲていただきました」。あのコーチが、喫煙しながらキックをね、パーン、パーン!って。タバコ吸ってんのかい!っていうね(笑)。あれ、すごかったですよね。という感じですかね。

 

■2018年最後にして超重量級の一本

では、行ってみましょう、『暁に祈れ』。みなさんメールありがとうございます。私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。先週、これ『暁に祈れ』がガチャに当たった時、「今年最後にしてはちょっと地味かもしれませんが……」なんてことをですね、見てもいないうちから口走ってしまったんですが、これは大変申し訳ございませんでした。それどころか、「今年最後にして、またまたドスンと腹にくる、超重量級の1本が来てしまいました!」と言うべき作品、話でございました。

まあ大筋で言うとね、「欧米人が、“後進国”の野蛮で劣悪な刑務所に放り込まれて地獄を見る」という、まあ、刑務所ものプラス、先ほども言いましたけども、モンド映画的な風味。世界のいろんな奇習とか奇妙な習慣とか、そういうものを、ちょっと客観的に見るというか、見世物小屋的に見る、モンド映画的な作品。そういう「刑務所もの+モンド映画」的な作品というと、映画ファンならたとえば、オリバー・ストーン脚本、アラン・パーカー監督の、1978年『ミッドナイト・エクスプレス』。これも常にね、批判の多い作品ですけども。『ミッドナイト・エクスプレス』とか、ある種『ミッドナイト・エクスプレス』の女性版的な、『ブロークダウン・パレス』という1999年の、クレア・デーンズとかが出ている作品。こういう先行作をすぐに連想することと思うんですけども。

今回の『暁に祈れ』というこの作品、『A Prayer Before Dawn』という原題ですけども、それらとは完全に一線を画す1本、と言えると思います。まずこのビリー・ムーアさん、実体験をもとにした原作というのがあるんですね。リバプールの貧しい育ちで、父親からずっと虐待を受けていて。まあ、そういうのもあって若くしてドラッグに染まったりとか、刑務所に出たり入ったりを繰り返していたりとかして。で、いったんはリハビリを受けて麻薬を絶って。で、ボクサー・スタントマンとしてやっていこうと2005年にタイに渡った、っていう風にパンフに書いてありますけども。なんとあの、2007年『ランボー/最後の戦場』に、スタントマンとして参加してたりするわけですね。あれ、タイでロケをして。

なんですけど、結局麻薬や犯罪に再び手を染める様になり、チェンマイの刑務所に入れられて。まあ、その体験をもとにして……所内のムエタイチームに入って、っていうところまで、彼の実人生がそもそも、なかなかすさまじい感じなんですけど。とにかく、その体験をもとに書かれた原作が、ベストセラーになって、という。

 

■残虐行為を行った本人たちに実演させる圧倒的リアル、そしてフェアネス

で、それをですね、さっき言った『ミッドナイト・エクスプレス』とか『ブロークダウン・パレス』みたいに、わかりやすく、ある種の欧米的視点で、エンターテイメント的な作劇に落とし込んでいく――その分、ちょっと差別的な視点っていうのは残るわけですけど――ことも当然できたわけですね。そういう選択肢も当然あったわけですけど。なにしろこれ、監督のジャン=ステファーヌ・ソベールさん。2007年『ジョニー・マッド・ドッグ』という作品を撮りました。

これでもですね、実際にかつてリベリア内戦で、兵士として駆り出され、戦闘行為、もっと言えば残虐行為をやってきた――まあ「やらされてきた」と言ってもいいんだけど――元少年兵たち自身を、1年間一緒に生活して信頼関係を築いて、なおかつ彼らのそのメンタルケアみたいなものもちゃんとしっかりしながら、その元少年兵たち本人をキャスティングして、彼らがかつてリベリア内戦で本当にやった残虐行為みたいなものを、演技として再現させる。

メイキングなんかを見ると、しかもそれがすごく、彼らにとってのセラピー的効果を持っている。自分のやった行為を、ただ傷として抱え込むんじゃなくて、いったん客体化するという経験で、少年たちがそれによって完全に人間的に癒やされていくんですけど。そういう効果を持った作品。だからつまり、圧倒的リアリズムですよね。当然、本人たちを役者に使って。しかも、そのリアリズムっていうのがまた……少年兵たちが、とんでもない格好をしているんですよ。略奪した格好をしているから、普通にかわいらしい羽根をつけてやっていたりとか。なんか花嫁衣装を着てやっていたりとか。めちゃめちゃポップな、かわいい、ふざけた仮装みたいな格好をしながら、残虐行為を働くっていう。まあ、実際にあったことなんですけど。

まあ、圧倒的リアルさと、そしてそのフェアな視点ですね。やっぱり本人たちをキャストして、実際にあったことというのを本人たちに再現させる、というところでのフェアな視点を貫いてみせた、このジャン=ステファーヌ・ソベールさんですから。この『暁に祈れ』も、原作の素材を前にして、やっぱり通り一遍の作りにするわけがない、という感じなんですね。

 

■主要キャスト数人以外は本物の元受刑者たち

今回の『暁に祈れ』でもですね、主人王ビリー・ムーアを演じているのは、ジョー・コールさんという俳優さんです。『グリーンルーム』とか、あとは『ピーキー・ブラインダーズ』っていうテレビシリーズとかに出ていますけどね。あとは、刑務所の所長役を演じているビタヤ・パンスリンガムさん。これはたとえば、ニコラス・ウィンディング・レフンの『オンリー・ゴッド』という作品で、最強の男を……まさにゴッドな、神な、最強の男を演じていた方。この方ももちろん俳優だし。

あと、劇中のムエタイでコーチをする、ソムラック・カムシンさんというこの方は、1996年のアトランタオリンピックで、ボクシングフェザー級の金メダルを取ったという方で。あとは、『七人のマッハ!!!!!!!』とかに俳優としても出ていたりするという、そういう方。ただ、この3人ぐらいですね。プロの役者というか、そういうある程度、本来スクリーンに映っていておかしくない、というような人は。

で、それ以外、刑務所内でですね、主人公を文字通り取り囲んでいる、全身……まあ人によっては顔面までタトゥーだらけの囚人たち。彼らの大半が、本物の元受刑者たち。このへん、完全にやっぱり『ジョニー・マッド・ドッグ』と同じ手法ですね。本物の元受刑者たち。で、劇中で語られる犯歴とかも、だいたいが本当のことだったりするという。「3人殺してきました」みたいな話も本当のことだったりするという。しかも、そんな本物たちの中に、1人異物として、ポツンと放り込まれた主人公のビリー・ムーア。

実際にその囚人たち。肌は浅黒い上に、タトゥーがびっしり入っているタイ人の囚人たちの中で、そのジョー・コールさん演じるビリー・ムーアは、ボクサーらしく筋肉ムキムキではあるけども、決して大柄ではないし、やっぱり肌がツルンと白いわけですね。で、その身体がいかにも弱々しく、一際目立つ、ということになるわけですけども。

ちなみにこのムショですね、まだご覧になってない方に言いますけども、やっぱり暑いからっていうことなんでしょうね基本、囚人のみなさんですね、パンイチ状態ですね。基本、全員半裸です。でもって、明らかに収容人数が多すぎるんでしょう。ゆえに寝る時も、ほとんど折り重なるようにして寝なきゃならない。要は、パンイチのほとんど半裸のおじさんたちが、こうやって折り重なるようにして生きていかなきゃいけない。これだけでも十分、つらみ、地獄み濃厚なわけですけど。とにかくそんな中に、タイ語もよく話せないままに放り込まれた主人公ビリー。つまり彼は、この時点ではタイという国や人々を、やはり欧米的なと言うべきか、ちょっと外部的なスタンスから捉えているわけですね。

 

■何を言われているか分からない、何が起こっているか分からない状況に観客も放り込まれる

なんですけど、本作はそのビリーの視点、いわば彼の一人称視点を、ひたすら徹底してみせるわけですね。つまり、彼自身が分かってないこと、理解できてないこと、見えていないことに関する客観的な「説明」というのはですね、セリフ的にであれ、映像的にであれ、一切なされない、というのがあるわけです。たとえば、ダビド・ウンガロさんという方による撮影ですけども、カメラは基本、そのジョー・コールさん演じるビリー・ムーアさんの身体に、極度に寄っているわけですね。それは彼が、実はいろんなことに耳を塞ぎ、目をつぶり、ドラッグに逃避などしては殻に閉じこもっているという人物だから、という。要するに、「自分のところだけ」っていうのを表現している感じ。周りの世界があまり見えてない、っていうのも示しているし。

あるいは、マルク・ブクロさんという方による編集。たとえば序盤、ビリー・ムーアが逮捕されるわけです。しかもその逮捕の理由みたいなものが、言語的にもちゃんとビリーはわかっていないですから。説明されないまま、どんどん逮捕されて。まさしく本当に文字通り、あれよあれよという間に……ポンポンポンポンッと場面が切り替わっていくうちに、もう気づいたらムショ行きになっている、みたいな感じなんですよね。これも、彼自身が事態をあまりちゃんと理解・把握できていない、タイ語がわかんない、何を言っているのかわからないって言いながらも、どんどん決められちゃって。気がついたらもうムショに行くバスの中、みたいな。そういう編集テンポになっている。

そして、そんな彼の一人称的な視点。本作で最も鮮烈に現れているのは、これはこの映画を見た人がたぶんいちばん印象に残るところだと思うんですけども、劇中で話されるそのタイ語……特に前半、彼がそのタイ語を全く理解できていない段階では、字幕翻訳が一切入らない、という演出なわけですね。特に最初、刑務所に入れられてすぐ、雑居房に入れられて。本当に全身にタトゥーが入った、もう明らかに極悪なことをやってきたであろう男たちが、ニヤニヤ笑いながら、もしくはゲラゲラ笑ったりとか、時にはすごみながら、「オイッ!」って、なんかいろんなことを、「○※△×!」って、なんか「やれ!」って言っているとか。なんか「座れ!」って言われて、なんかいきなり腕立て伏せさせられたりとか。

とにかく、何を言われているのかわからない。ということはつまり、何を求められてるのかがわからないし。……そして、この場では何をすべきで、もしくは何をすべきでないのか、もわからない状態。もう非常に不安と恐怖心がMAXになる、という場面なわけですよ。言葉がわかんないから。そして、その上でその夜、主人公ビリーが目の当たりにさせられる、まさにこの世の地獄的な事態。それのつるべ打ちになるという。本当にもう、ビリーならずとも、「勘弁してくれ!」っていうことになる。そんな事態になっていく。

 

■地獄には地獄なりのルールがあると徐々に理解出来ていく

で、だんだん後半になって、なんとかそのビリーも、周囲とうっすらだけどもコミュニケーションが取れるようになってきてからも……それでもまだ片言レベルというか、やっぱりジェスチャーなどの非言語的なやり取りが非常に多いのには変わりはないわけです。後半になると、ちょっとしたやり取りには、字幕で意味が――つまりビリーが理解できていることに関しては――字幕がついたりするんだけど。でもやっぱり、基本的にはジェスチャーとかが多い。

こんな感じで、セリフなどによる言語的な説明を極力排することで、ジャン=ステファーヌ・ソベール監督、もちろんさっき言ったように、不安や恐怖を煽るという効果も存分に出しつつ……まあ本当にモンド映画的なことですね。ものすごい蛮族の中に放り込まれた、っていうような感覚、これを煽っている。これも間違いないんだけど。同時に、描かれるもの、映し出されるものに対して……要は、セリフ的な説明を入れる。客観的な説明を入れるっていうのは、一段上から、俯瞰的な視点からジャッジを下す、っていうことになるわけだけど。それはしない、っていうことですね。ジャッジをしない。一方的に価値判断を下さない。そういうフェアさを保つための演出、でもあるわけです。

だからあの(囚人たちが)「ワーッ!」ってなっているけど、この人(主人公ビリー)だけが(周囲の人々が)どういう行動原理で動いてるかがわからないからそう見えるだけで、それがいいとも悪いとも言ってない、っていうことなんですよね。あとはまあ、そのニコラス・ベッカーさんという方の音楽もですね、劇的なメロディー感は当然、極力排して。「音響」と呼ぶ方がむしろふさわしいようなミニマルさ、っていうのを保っていくわけです。そんなわけで、それこそ今週木曜日の第九特集のね、小室(敬幸)さんの説明に倣うならば、エンターテイメント的な、受動的な見方に慣れきった観客には、ちょっと不親切な、感情移入しづらいタッチ、とは言えると思うんですけども。まさにそここそがこの作り手側の狙いであり、本作の特色でもある、っていうことですね。

それこそですね、フラットな目で見進めていくと、最初は本当にもう、あれほど野蛮極まりない、理解不能な地獄、っていうことにしか見えなかったこの刑務所世界っていうのが……もちろん、超劣悪な環境であることには変わりないんです。まあ、地獄は地獄なんですよ。地獄は地獄に変わりないんだけど、ただ「地獄には地獄なりのルールがあるんだな」とか、「地獄には地獄なりの抜け道があるんだな」とか。あるいは、「地獄の住人には住人なりの知恵とかユーモア、なんなら人間らしさもやっぱり当然あるんだな」っていうことが、基本その殻に閉じこもりがちなこの主人公ビリーの目にも……つまり我々観客の目にも、次第にそれが見えてくる、っていうことですね。

 

■主人公の真の問題は、同じ過ちを繰り返す「自分自身」

まあ、このあたり、だんだんと、最初はすごい怖い地獄、で、周り全員が敵に見えたその刑務所が、だんだんルールがわかってくるにつれて、生き延びていけるようになる、という。いわゆる刑務所ものっていうジャンルの面白み、みたいなものも入っていたりする、というところですけど。ただ、そうやってですね、その世界の中での生き残り方っていうのが、半端に分かってきたら分かってきたらで、今度はその、シャバにいた時と同様、自分が抱える真の問題……まあ、それはどうやら親族、特に父親との関係らしい、っていうのが、先ほどね、自伝とかでは父親に虐待されていたっていうのがちゃんと語られているけど、今回の映画の劇中では、あくまでもおぼろげながら、どうも父親との関係っていうのがいちばんの問題らしいっていうのがほのめかされる、程度に留められてるんだけど。

でも、自分が本当に抱えてる真の問題。ドラッグに走ってしまったり、なんか暴力的になってしまったりっていう……まあ、逆に言うとすごく寂しがり屋っていうか、欠落をものすごい抱えてる人なわけですけど。その、真の問題には目を背け、まあドラッグ……劇中では「ヤーバー」っていうね。覚醒剤のことをタイ語でヤーバーっていうの、覚えてしまいましたけどね(笑)。ヤーバーにまたも逃避してしまう、っていうのがこの主人公ビリーさんという人でもあるわけですね。

だから、世界のルールが分かってくると、結局シャバと同じことを繰り返してしまいがちな人でもあるわけです。なんだけど、結局やっぱりビリーさん、これはもう外側の問題じゃなくて、自分自身を叩き直す以外に解決策はないな、っていうことが、やっぱり無意識的にであれ、わかっているわけですね、ビリーさんは。なので、ストレス発散とか待遇向上とかありますけど、なによりもやっぱり、生きる目的を再び見出すために……所内にその、ムエタイジムがあるわけですね。ムエタイボクシングのジムの門を叩く、ということになるわけですけど。

 

■タッチはアート的ながら、きちんとスポ根的エンターテイメントな盛り上げも

ここでやっぱり、その門戸を開いてもらうために……このコーチ役の人とかは、基本的にはいい人っていう設定なんだけど、門戸を開いてもらうにもやっぱり、賄賂が必要っていう。やっぱりタバコを1パックぐらいは持っていかないといけない、っていうあたりが、やっぱりタイ的暗部の部分なのかもしれませんね。その、非常に賄賂的なものが横行しているっていうのは、それこそ『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』でも描かれている話ではありました。全然階層が違っても、そういうことはやっぱりある、ということですね。

とにかくそこからは、いったん道を踏み外しそうになるっていう、そういう危ういくだりも含めて、割とスポ根的な展開になっていくわけですね。もちろんタッチはアート映画的なミニマルさなんだけど、お話的には結構スポ根的な展開になっていく。それこそ、わかりやすく劇的に盛り上げはしないけど、ちゃんとクライマックス、決勝の試合のところ。その勝負を決める一撃は、ちゃんとしっかり伏線も張られた一撃になっているわけです。「あっ、ああっ! 出た、あれ、出た!」みたいなことにちゃんとなっていたりするし。

あとビリーが、決勝の試合だけは、パンチを食らうたびにこっちも、「あっ、ああっ! はーっ!」って、余計にハラハラするような前振りもちゃんとしてあったりして。実はちゃんとスポ根的なエンターテインメントのカタルシスも、しっかり実は入ってたりする。そこまで露骨じゃないけど、ちゃんと入っていたりはする、っていうことですね。ただ、なによりもやっぱりこの『暁に祈れ』という作品の、特に後半の彼が、ムエタイを通じてだんだんいいことになっていく、というくだりでいちばん感動的なのは、やっぱり、序盤ではあれほど得体の知れない存在たちにしか見えなかった、タイの囚人たち。

たとえば、入れ墨がびっしり入っていたりとか、もちろん言葉もわからないし、みたいな。本当に得体の知れない他者だった。で、主人公もそこに恐怖も感じるし、壁も作っていた。そして観客も当然「怖い」としか思わなかったそのタイの囚人たちの中に、いつしか主人公ビリーが、仲間として受け入れられていく。で、主人公ビリーも心を開いていく。すなわち、我々観客の視点も変わっていく、我々の心も開いていく、っていう。ここがやっぱり感動的なところだなと思いますね。

まあ、ただそれでもなお……これがやっぱりね、普通のエンターテインメントだったら、「その囚人たちにも、もはやビリーは仲間として受け入れられています。オールOK!」ってしてくれるのに、この映画の場合はそれでもなお、近年僕が映画の中で見てきた中でも、いちばん嫌な感じのする脅し、っていうのを受けるわけです。これはどういう脅しかっていうのはぜひ、見ていただきたいのですが。「こんな脅しは嫌だ!」っていう脅しを受けるわけなんですけど。

まあ、またそこがね、それでも……ある程度(その世界のルールが)わかった上で、やっぱり地獄は地獄だ、っていうのがあるところがやっぱり怖いんだけど。ただ、その僕が言っている終盤、後半の方で出てくる、非常に怖い、嫌な感じのする脅しも、あれとて言語的コミュニケーションが取れていてこその脅し、って考えると、やっぱり序盤のですね。その蛮族を見る怖さみたいな、そういう恐怖とはやっぱり質が異なるものにちゃんと進歩してるっていうか、恐怖のあり方もちゃんと進歩している、という風には言えると思います。

 

■究極の逃避チャンスを前に、主人公が取る行動とは

まあ、ともあれそのムエタイの成功体験を通じて、だんだんだんだんですね、自分を取り戻してくっていうか、しっかりしていくビリーさん。まあこれまでは、もうとにかく人生の全てから、逃避し続けてきた人なんです。で、逃避し続けて逃避し続けて、ついには異国の刑務所まで来てしまった。しかも異国の刑務所の中でもさらに、そのドラッグに逃避してしまったがゆえ、さらに自分を貶めてしまう。彼がいちばん落ち込むくだりっていうのは、ドラッグがほしいがゆえに、振るいたくもない暴力を振るいたくもない人に振るう、っていう、いちばんおぞましいことをしてしまう。そこでもう彼は、「ううう~……」ってなってしまうわけですよね。

で、絶望した挙句、ついには、生きることからも逃避しようとしかけるわけです。つまり、もう全てから逃避して……異国に行って、刑務所に行って、そこでも自分を貶めて、生きることからも逃避をしかけてしまった彼が、そのムエタイの成功体験を通じて成長して。最後に彼が、究極の逃避のチャンスを前にするわけです。最後に、いちばんの逃避のチャンス……ずーっと逃げ続けてきた人ですから。彼の行動原理から言えば、当然逃避する。そのチャンスを前に、彼が取る選択とはどういうことか?っていうことですね。そして、その選択の先に、ラストのラスト。彼が、ある人物と向き合うことになるわけです。それをまた、向き合ってる人物を、本物のビリー・ムーア本人が演じてるんですね。自身が演じている。

つまりこれ、このビリー・ムーア自身が演じている人が、ビリー・ムーアの人生に実際には何をした人か?っていうことを考えると、まさにそのビリー・ムーアという人にとって、この映画というもの、そしてそのラストシーンが、二重、三重に「自分の人生に向き合う」っていう構造になっているわけです。そう思って見ると、あのラストシーンはものすごいグッと来るっていうか。「うわっ、なんかこれすごい映画だな!」っていうのがラストのラストにあって。さらに一段また映画のランクが、1個グッと上がるというか。そんな作品じゃないかと思います。

 

■タイ〜東南アジアの映画シーンを面白みを感じるためにも、ぜひ!

ということで、刑務所物+モンド映画+スポ根みたいな、そういうちょっとジャンル映画的な要素っていうのを多く含みつつも、それを、圧倒的本物志向と、フェアな視点、そしてアート映画的なミニマルなタッチで、本当に独自に語りきってみせた、大変にドスンと見応えある一作でございまして。非常にハードなシーンもあります。ちょっと見通すのが苦痛になる人もいると思うんですが、これはちょっとぜひ、この年末年始に劇場で……一生のうちに見るべきか見ないべきかで言えば、絶対に見るべき1本だと思います。そしてやはりですね、『バッド・ジーニアス』とか……まあ、今回は監督とかはフランス人ですけど、やっぱりその、タイとか東南アジアシーンの、またこれはちょっと違った方向からですけども、面白みがある1年だったな、という風に総括する意味でも、ぜひぜひこの年末、劇場で『暁に祈れ』をウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アリー/スター誕生』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

++++++++++++++++++++++++++++++