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80歳でナンパされた2人の母に感謝~美川憲一さん

コシノジュンコ MASACA

2019年1月20日(日)放送

美川憲一さん(part 2)
1946年、長野県生まれ。芸能界を目指し、高校を1年で中退して東宝芸能学校に入学。古賀政男の指導を受け、1965年に「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。1966年の「柳ヶ瀬ブルース」は120万枚を売り上げるヒット曲となり、同局の映画かではスクリーンデビューを果たしました。

出水:ジュンコさんは美川さんのお母様にお会いしたことがあるんですって?

JK:おうちに行った時にね。優しそうな方でね~。

美川:でもね、2人いたんです。育ての母と生みの親。姉妹同士だったんだけど、実母のほうが妹で、育ての母がお姉さん。性格も全然違うの。育ての母は「女」なのよ、しっとりとして、色っぽくて。それで実母のほうはサバサバして、竹を割ったような人で、「私アンタ嫌いよ」って言えるような。

JK:そっくりじゃない!

美川:ええ~? だから、私の中に半分ずついるのよ。

JK:でもね、美川さんってお育ちがいいのよ。二人の親から大切に育てられて。

美川:そんなことないのよ、お金なかったんだから(笑)義理の父が他人の保証人になって返すのが大変で、ショックで脳溢血で倒れて。箱入り奥様って言われてたのよ、育ての母は。それだけど借金を返すのに保険の外交をやって、仲居さんをやって、働きづくめ。

JK:いま親孝行したらいいじゃない?

美川:亡くなったわよ、もう。実母が十三回忌で、養母が二十三回忌。

JK:えっ、2人とも?!そうだったの。

美川:でも本当に親孝行したわね~!思い残すことはないぐらい、最期は2人とも「ありがとね、私あんたのおかげで幸せだったわ」って。なかなかそう言わないでしょ。

出水:どんな親孝行をされたんですか?

美川:ほしいものを買ったり、旅行も一緒に行ったり・・・パチンコが好きだったから「やるだけやっていいわよ」って(笑)毎日行ってたのよ!二人とも好きだったんだけど、妹のほうはシャキシャキしてるから毎日自由が丘まで行って並ぶのよ。朝から!そういう母親なのよ(笑)それでナンパされたのよ、80の時!

JK:えっ?80の時?いくつの人に??

美川:えーと67かな。「奥さんお茶飲みませんか」って。それで母は「のどか沸いたからコーヒーもってきてちょうだい」って言ったらしいのよ。そしたら隣にべったり座っちゃって(笑)毎回パチンコに行くと、コーヒー持ってくるんだって! それが鬱陶しかったみたいで。だから私も「いいじゃないの、その歳でナンパされるなんてありがたいじゃないの、茶飲み友達としてたまに会えば?」って言ったの。「それで(顔は)どうなの?」って聞いたら、「まぁそこそこ悪くない」ですって(笑)

JK:あら、その気だったのね!

美川:それでその後、「ねぇ、あなたちゃんとおうちあるの?」って聞いたらしいの。そしたら「アパートです」って。家はあったんだけど、娘に渡して今はアパートに住んでるって。そしたら母は「ああ、そう。ダメだわ」って思ったらしい(笑)それでもしつこく来るから、私になんとか言ってくれっていうのよ~! 一度顔を見てくれって。

JK:あら、あなたが出て行ったら余計に・・・

美川:あんまり言うもんだから、「あとからそっと座るからさ、その男が来た時に合図して」って。そしたら「奥さん、今度は外で食事かなんかしましょうよ」とか言われてるのよ! その時ちょうど母の台から玉が出てきて、もうそれどころじゃないわよ! ほっといてちょうだいって感じ(笑)それで私に話しかけてきて、「ねぇ、ここ全然出てこないわね」「あなたのところは出るのに、私のところは全然。自分のところは出てるじゃないの」とか言ってたら、私の声を聴いてわかっちゃったみたいで。ヒャーッと、嵐が去るように逃げていったわよ!

JK:逃げてった?! へぇ~!ますます近づくのかと思ったら・・・

美川:そりゃそうでしょ!怖いもの。おだまり!ヤカマシイ!って言われるんじゃないかと(笑)

出水:長野で生まれて、芸能の道に進むと言った時、2人のお母様はどう送りだしてくださったんですか?

美川:うちの母たちも映画が好きだったのでね。実母は女優にスカウトされたのよ、昔。「役者だったらいいわ、私も昔なりたかったし」って言われたんだけど、歌の道に来ちゃったから。その時は反対されましたね。「歌は大変よ、ヒットが出ないと」って。

JK:でも出たじゃない!

美川:「大丈夫、あんたは本当に運が強いから。ヘコたれない子なのよ。どん底に落ちても這い上がるぐらいの力があるのよ」って言い続けて、私を洗脳するのよ!それでその気になっちゃって。そうなんだ、運が強いんだって思うと、気が回るじゃない?エネルギーと言うかさ。

JK:でも、会った時からちょっと普通の子じゃなかったよ。不思議な・・・

美川:そうかしら? 不気味だったんでしょ(笑)

JK:不気味と言うか・・・昔から声が変わらないじゃない?特殊な声でさ。

美川:そうねぇ、別に歌手になりたかったわけじゃないのにね。

JK:歌も声に向いてるものだったから。歌手でよかったわね。俳優じゃないわよ。

美川:本当にそう!俳優だったら、役がないわよ!

JK:きっと美川の役だけね(笑)

JK:美川にとってのMASACAの思い出、思い出せる?

美川:マサカねぇ・・・やっぱり2人の母っていうのは私にとって、あの2人がいなかったら今の私はいないなっていうぐらい、大きい存在なのよ。

JK:歌のテーマになりそうね、「2人の母」って。次どう?

美川:(^^;)まぁ苦労してきたじゃないですか、2人とも。「人生で一番うれしかったことってなあに?」って聞いたら、「あんたが歌手になって頑張ってる姿を見た時に、私の子ども、産んでよかったわって思った」って。本当は世に出てこなかったはずの子どもなのよ。父親が妻子のいる人で、母はそれを知らないで騙された形だったから。父親にしてみれば産んでほしくなかったのよ。それがさ、「私は幸せだわ、人生で思い残すことはないのよ」って。育ての母も、「あんたのおかげで、ちゃんと生活も全部見てもらって、何不自由なく贅沢させてもらって幸せだった。なんの悔いもない」って。2人が同じように言ったその言葉が頭から離れられない。私はこれだけ親孝行して、犠牲になったこともあったけど、よかったなって。2人が守ってくれてるんだわって思って、その言葉を励みにしてるのよ。

出水:美川さんは90年代の後半からシャンソンにも力を入れていらっしゃるんですよね。シャンソンとの出会い、歌うようになったのはなぜなんですか?

美川:淡谷のり子さん。淡谷のり子さんが「柳ケ瀬ブルース」の時に、「あんた声がいいわね」って。自分で自分の声ってわからないじゃないですか。「低い声ってシャンソン歌ったらすごくいいのよ、沁みるのよ。うらやましいわ~」って。

JK:淡谷のり子さんは声が高いからね。

美川:「だからシャンソンやっていきなさい、若いうちから」って言われてて、それを頭に入れてたんだけど、越路吹雪さんのステージを見た時にすごいハマって、「こんな素敵なドレスを着て、こんなに歌う人はいるかしら」って。

JK:越路吹雪さん、人気だったもんね。日生劇場。

美川:もうチケット買えないぐらいだったんだもの。越路さんに紹介してくれたのも淡谷さんなの。「シャンソンやったらいいじゃない、私の歌もあげるわよ」ってぐらいかわいがってくれて。あの2人の師匠がいたからね。ずーっとそういうのを引きずってきてて・・・

JK:いい人に出会ってるね。

美川:そう。演歌は演歌で私の世界として、お客さんも望んでることだしやらなきゃいけないと思ってる。だからシャンソンはシャンソンでライブをスタートして、今年ちょうど20周年なの。それで歌手生活55周年。

JK:素晴らしいじゃない!けじめの年ね。毎年パリ祭も出てない?

美川:出てるわよ~。毎年恒例になって出てますけど。石井好子さんもね! 石井先生から「美川君、これからはどんどん世代交代して先輩が上に行っちゃうから、お願いだから歌い続けてね」って言われてね。

JK:じゃあ、先頭を切って今年のパリ祭でも歌い続けてください!

美川:そうですね、10月のコンサートは一部ドラマ仕立てにして、二部はシャンソンの名曲を揃えて・・・そろそろ打ち合わせをしなきゃいけないなと思ってるんです。まだメニューとかは決まってないんだけど。

JK:一人でシャンソン? 最後まで?何曲歌えるの?

美川:18曲ぐらい。

JK:うわ~すごい!それも歌詞見ないで丸暗記でしょ?大変だわ~、頭いいのねぇ。

美川:何言ってんのよ、それが商売じゃない! たまに忘れることはあるんだけどさ(笑)

JK:でもごまかすの上手じゃない(^^)

美川:失礼ね!

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美川憲一ドラマチックシャンソン 20回目記念

日時:2019年10月4日(金)5日(土)6日(日)
会場:よみうり大手町ホール

詳細は公式webサイトにて後日発表

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「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。