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宇多丸、『クリード 炎の宿敵』を語る!【映画評書き起こし 2019.1.18放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜は、こちらの作品『クリード 炎の宿敵』

(曲が流れる)

映画史に残るボクシング映画の金字塔『ロッキー』シリーズの主人公を変えて……というか継いで、見事に復活させた『クリード チャンプを継ぐ男』の続編。主役は前作から引き続き、ロッキーのライバルにして親友というアポロ・クリードの息子、アドニス・クリード。今回クリードは、『ロッキー4 炎の友情』で父・アポロの命を奪ったイワン・ドラゴの息子、ヴィクターと激突する。アドニスを演じるのはマイケル・B・ジョーダン。ロッキーはシルベスター・スタローン、ドラゴをドルフ・ラングレンと、過去シリーズを踏襲した顔ぶれが並ぶ。

監督は、前作のライアン・クーグラーから新鋭スティーブン・ケイプル・Jr.さんにバトンタッチ、ということでございます。ということで、もうこの作品を見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、めちゃめちゃ多い! ああ、よかったですよ。これはね、やっぱり私もこの番組で「クリードクリード」ってうるさかったですからね。賛否の比率は……「大好評」! 褒めの意見が9割以上。「人生ベスト級」「早くも今年のナンバーワン」と熱い声も多かったということです。

主な褒める意見としては「クリード親子、ドラゴ親子、ロッキー親子と3組の父と子のドラマを描ききっている。『ロッキー4』の続編としても完璧」「真の主人公はドラゴ親子。ドルフ・ラングレンの演技もよかった」などなど、「とにかく泣いた」という声が多く目立ったということでございます。一方、否定的な意見は「クリードのストーリーが薄すぎる」あるいは「ドラゴ父子の描き込みが足りない」とか、また「前作『クリード』と比べると印象的なシーンが少ない」などの声がございました。

 

■「生涯を通じてかけがえのない映画」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「丁寧」さん。「『クリード2』、見てきました。『クリード1』はみんなにも見てほしい、良さをわかってほしいと思っていましたが、本作はとても個人的に大切な作品になってしまい、まともな評価ができないほどです。私もアドニスと同世代で、同じように幼い頃に父を亡くし、その影を追って生きてきました。それが、自分が父親になるとなったら、理想に描いていた父親像とのギャップを感じ、不安で自分を見失いそうになりました。父親として示しがつかないほど情けない姿を晒して、それでもこの子を育てていかなければならない。

中盤で娘を抱いて夜中、途方に暮れるアドニスの姿が自分を見てるようで、その苦しみが本当に文字通り痛いほどわかりました。同じように『イクメン』と周りから持て囃されて孤独を感じている父親は多いのではないでしょうか? 本作はそんな私でも、やはり自分もファイターなのだと気づかせてくれました。父として感じる負い目から弱気になる自分の弱さを許容し、それでも鼓舞してくれる映画でした。私にとって『クリード』の二作は生涯を通じてかけがえのない映画になったと思います」というね、丁寧さん、ありがとうございます。

一方ですね、「全国ツアー超楽しみ」さん。この方はイマイチだったという方。「『ロッキー』シリーズと『クリード』一作目は人並みに大好きな僕ですが、『クリード 炎の宿敵』にはあまり乗れませんでした。ロッキーと仲違いをしたり、会見で暴走したりなど、アドニスが前作で乗り越えたはずの葛藤がぶり返すには『ドラゴ親子に挑発されたから』というだけでは動機が弱く、納得できませんでした」とかね、いろいろと書いていただいて。「……予定調和なストーリーといえばこのシリーズの特徴かもしれませんが、今回はストーリーを動かす動機がいちいち不自然で、無理やりドラマを作ってるように感じました。作り手の方こそ過去を振り切って新しい物語を作る勇気がないのではないでしょうか?」というご意見でございました。

 

■いいも悪いも、とにかくまず見て!

ということで『クリード 炎の宿敵』、私もTOHOシネマズ六本木、初日の昼の回と、バルト9で深夜の回に行ってまいりました。なんだけど、これね、初日の時点でちょっと正直ね、劇場は寂しい入りだったな。ちょっとそういう声もあちこちから聞くんで、ちょっとそれに関してはね、力不足を感じるんですよね。というのも前作、2015年『クリード チャンプを継ぐ男』。僕は前の『ウィークエンド・シャッフル』時代、2016年1月9日に評したわけですね。もう3年前っていうことか。

とにかくこれがですね、まあ言わずと知れたシルベスター・スタローンの出世作にして代表作『ロッキー』シリーズの、当時……公開前は正直、「えっ、いまさら?」な感じも拭えなかったタイミングでのスピンオフだったんだけど……まあそんな感じの、事前のタカをくくった予想レベルを大幅に超える、これはもう正真正銘の大傑作! だったわけですね。実際、それだけの作品だからこそ、各映画賞でも軒並み高評価を得たりとか、スタローンが本当に久々にアカデミー賞にノミネートされたりとか。で、なおかつこうして、さらにその続編も作られてる、っていうのがあったりするわけですけども。

とにかく僕も、完全この『クリード』一作目にノックアウトされてしまって。魅了されてしまって。まあ個人的には、これは当時せのちんさんがいちばん最初に言ってた通り、個人的には『ロッキー』一作目さえ超えて、シリーズぶっちぎりの最高傑作だと思っているし。いまでは生涯ベスト級作品のひとつと、事あるごとにあちこちでプッシュしまくっているという、そういう1本なわけですね。前作の『クリード チャンプを継ぐ男』。

詳しくどう評したかは、このムービーウォッチメンの、いま公式書き起こしをしてくださってるみやーんさんによるですね、当時はまだ非公式の書き起こしがですね(笑)……評の何週間か後のオープニングトークで、さらにサントラの曲をかけながら再プッシュしたのも含めて、彼のホームページでまだ残っていて読めると思うので、そっちなんかもね、参照していただきたい。

あと、雑誌『POPEYE』の映画特集みたいなのに、語り下ろしですけど、コラムを寄せていたりしますんで、そちらなんかもね、読んでいただきたいんですけど。とにかく、それだけあちこちで「『クリード』がいかに素晴らしいか」っていうのを言って回っていたのに、その日本での興行成績が、またしてもイマイチなんて言うと、ちょっと本当に力不足を感じるっていうかね。とにかく「普通、行くだろう?」っていうことなんですよね。あれだけの大傑作の続編なら!っていうことで。

とにかく『クリード』とか『ロッキー』に関して何かよく知らないし……みたいなのでナメている人は、いまからでも、まあどんな配信サービスでも『クリード』は見れますからね。見ていただいて。いますぐ行っていただきたい、というね。いいか悪いか、話はそこからだ!っていうことですからね。お願いします。

 

■ラップ/ヒップホップ世代から出てきた新鋭スティーブン・ケイプル・Jr.監督

ただ、一方でですね、私は、一作目にそれだけ思い入れきってしまっている、究極的にハードルが上がりきってしまっている、ということもあって、不安もあったわけです。実際ですね、これはもう、本当にまさに『ロッキー』の一作目で起きたマジック、あれが特別だったのと同じように、『クリード』一作目もですね、もういまとなってはおそらく作り手たち自身も、たとえばライアン・クーグラー監督自身もですね、決して再現することはできない……あのタイミング、あの座組み、あのやり方ならではの輝き、魔法に満ちた一作であったというのは、ほぼ間違いなくあってですね。

しかも、その『クリード』を作り上げた、いま言いました原案・脚本・監督のライアン・クーグラーが、ご存知『ブラックパンサー』の制作に専念するために……まあもちろん、あちらはあちらでまさに歴史的一作とまたなったわけで、それはそれでまた素晴らしいんですけども、今回の『クリード2』にはライアン・クーグラーは関われなくなった、というのがあって。

で、スタローン自身が脚本を書いて、自ら監督もするという方向で一時は話が進んでたんだけど……もちろんスタローンは監督としてもしっかりた腕は持ってる方なんだけども、「やっぱり『クリード』シリーズは若いヤツに任せないとだろう」っていう風に、賢明にも思い直していただき。これはライアン・クーグラーの推薦で、同じUSC、南カリフォルニア大学・映画芸術学部出身の、スティーブン・ケイプル・Jr.さんという方に白羽の矢が立った、ということなんですね。

この人、ちょうどね、『クリード』一作目を撮った時のライアン・クーグラーと同じ立場なんですね。要するに長編映画はこれが2本目で、一作目はちょっと規模が小さいインディペンデント映画を撮っている。1本目のインディペンデント作品『The Land』っていうのはね、これはちょっと本当に申し訳ない、僕、現状はネットで予告編見てあらすじ読んで、っていうところまでしかできてなくて。見られていなくて本当に申し訳ないんですけど。『The Land』。まあ、スティーブン・ケイプル・Jr.さんの故郷であるオハイオ州クリーブランドが舞台の、新世代フッドムービー。若者たちが犯罪に巻き込まれて……みたいな。

でも、映像を見たりするとすっごいかっこいい、スタイリッシュな作品で。非常に見たい。日本に誰か入れてくれないかな?って思うんですけど。サンダンス映画祭で上映されて高く評価されたというこの『The Land』という作品。これ、実はですね、ラッパーのナズが作った映画制作会社マス・アピールっていう会社が作ってて。で、なおかつそのサントラとかもナズやらエリカ・バドゥが……エリカ・バドゥは出演もしていますけども。錚々たるアーティストたちが参加してたりとかして。あと、まあそのスティーブン・ケイプル・Jr.さん、いまNetflixで配信されて見られるラッパーたちのドキュメンタリーシリーズ、『RAPTURE ヒップホップの世界』っていうのがあるんですけど。これを監督されてたりとかもするし。

あと、今回の『クリード2』ですね、ストーリーライターとしてクレジットされている、チェオ・ホダリ・コーカーさんという方がいるんですね。これ、いまこのチェオ・ホダリ・コーカーさんという方は、やはりNetflix配信の『ルーク・ケイジ』っていう。マーベルの黒人ヒーロー、『ルーク・ケイジ』のクリエイターとしてとか、あとは『サウスランド』っていうドラマシリーズの脚本・プロデューサーであるとか。あと、映画で言うとザ・ノトーリアス・B.I.G.の伝記映画の脚本とか。あとは『ストレイト・アウタ・コンプトン』の脚本にもノンクレジットで関わってるとか。そういうので活躍をしていますけども。

このね、チェオ・ホダリ・コーカーさんという方は、僕らの世代のハードコアなヒップホップヘッズなら(ピンとくる方もいらっしゃると思いますが)、あの『The Source』っていう当時のヒップホップ専門誌。『The Source』とか、『Rap Pages』とか、『Vibe』とかに寄稿していた、「あの」チェオ・コーカー(Cheo Coker)。当時は「セオ・コーカー」っていう読み方をしていましたけども、チェオ・コーカー。ウータン・クランがちょっと原稿に文句言って殴り込みにきたみたいな、あのチェオ・コーカーなんですよ!

……とか、そういうのがあったりして。そんな感じでまあざっくりと言えば、そういうラップ・ヒップホップ畑、ヒップホップ世代の作り手たち、そんな中から出てきたさらに若き才能の1人、というのがこのスティーブン・ケイプル・Jr.さんっていう方なんですね。非常にヒップホップ色が強いところから来ているという。

 

■一抹の不安を払拭する会心の出来。やっぱり『クリード』はちゃんとしてた!

で、それはいいんだけど。僕がいちばん心配だったのは、今回の『クリード2』がですね、もちろん主人公のアドニス・クリードという人の出自を考えれば、当然そういう話にいずれはなってくる、っていうのは分かるんだけど……要は彼の父親である、先ほどもあらすじで言いました、アポロ・クリードを、試合で殴り殺してしまった張本人であるイワン・ドラゴというね、旧ソ連のボクシング選手の、息子と今度は対決するという。まあ要は、1985年の『ロッキー4』を巡る因縁話だ、っていうことを事前に聞いて、ちょっと僕はこう、「えっ? それ大丈夫かな?」って思ってしまった。

つまり、せっかく一作目の『クリード』がですね、新世代の物語を見事にスタートさせた一作だったわけなんですけど、その『ロッキー4』を踏まえた因縁話っていうことはこれ、どうしても結局はまた、よくある人気作のスピンオフ、前日譚、後日譚、リブート、何でもいいですけど、その過去の人気作の影を引っ張ったような作品にありがちな、単なる旧作ファンへの目配せ……いわゆる「オヤジ接待」がメインのつくり。あの『クリード』でさえ、過去を参照するばかりの安易なつくりになってしまうんじゃないか?っていうのを非常に危惧していたわけなんですね。

ただ、結論から言えば、やはり『クリード』シリーズはですね、そのへんのフランチャイズとは、別格でしたね。非常に『クリード』は、ちゃんとしてました! まず、そのドルフ・ラングレン演じるイワン・ドラゴというキャラクター。1985年『ロッキー4』に出ていたね、悪役なんですけど。『ロッキー4』の時点では、まあキャラクターとして……みなさんご存知の通り完全に冷戦下、要するにアメリカとソ連が核ミサイルを向け合って対峙している、という時代ですよ。で、その「冷戦下のアメリカから見たソ連」の悪意と偏見に満ちたイメージを擬人化してみせたような、そういうキャラクターなわけですよ。

『ロッキー』シリーズの中でも、屈指の荒唐無稽キャラなわけですね。だからこそ、キャッチーで人気があるっていうのもあるんだけど。人間的な感情もほとんど見せない。まさにサイボーグ的な、怪物的存在だと。で、それが『ロッキー4』の話で言うと、ロッキーとの死闘を通じて、最後にちょっとだけ人間臭くなる。つまり彼の場合、国家の威信を賭けて戦ってるっていうのを、「ふざけんな! 国家の威信とか、知るか! オレはオレのために戦っているんだ!」って言って歯向かう、っていうあたりで、ちょっと人間味を見せるというようなくだりがあったわけですけど。

 

■『ロッキー』という物語に全く異なる角度から光を当てた

で、今回の『クリード2』。まあタイトルが出る前の、アバンタイトル・シークエンスで、いきなりですね、その1985年、ロッキーに敗れ……「国家の威信なんか知るか! これはオレの戦いだ!」と言って、ロッキーに自分のホームで負けて、というそのドラゴと、まあどうやらその息子のですね、まさにうらぶれ切った33年後、というのをまず冒頭で、ドスンと見せるわけですね。で、この時点でもう、『ロッキー4』を旧ファンに目配せしながらなぞる、というような作品じゃないのは明白なわけですね。要するにあれ(『ロッキー4』でのドラゴ)は、ソ連が最新テクノロジーを使って作り上げたサイボーグみたいなやつ、っていうことだったけど、(今回のドラゴ親子は)もうある意味、ロッキーとかクリード以上にハングリーな環境にいるやつら、っていうことで置くという。

どちらかと言えばこれはですね、この番組で昨年特集しました、1984年『ベスト・キッド』……これ、『ベスト・キッド』は、『ロッキー』と同じくジョン・G・アヴィルドセンが監督の大ヒット作ですけども、その『ベスト・キッド』で、悪役、やられ役だったそのジョニーの34年後、という視点から新たに物語を紡いで見せた、YouTube Redテレビシリーズ『コブラ会(Cobra Kai)』。これも本当に素晴らしい作品でしたけど、その『コブラ会』にすごい近いアプローチですよね、これね。「やられた側はその後、どういう人生を歩んだか、想像をしたことがあるかい?」っていうアプローチですね。

とにかくその、我々が知る「主人公が勝利する物語」の裏側にある、「敗れた側」のその後。敗れた側の物語、敗れた側の人生。今回『クリード2』を見た多くの観客のハートに深く刻まれるのはやっぱり、何よりもドラゴ親子のですね、人生の切なさ……主人公のストーリーの「裏」を生きていた人たちの、人生の切なさなんじゃないかなと思いますね。だから、ドラゴがその後どうなったか? なんて考えてみたこともなかったんだけど、「そうだよね、あのあとソ連に……いまのロシアにずっと暮らしていれば、こういう感じ、立場になっちゃうよな……」っていうことが、いきなり33年分、こっちにもドスンと来るようなつくりになっている。

特にですね、そのドラゴ親子の描写でグッと来るのは、たとえば彼らがアメリカに乗り込んできてですね、フィラデルフィア美術館前の階段……フィラデルフィア美術館といえば、(番組でもちょっと前に特集した)マルセル・デュシャンの作品がいっぱい置いてあるという、あのフィラデルフィア美術館前の階段。いわゆる「ロッキーステップ」の上から、こうドラゴ親子が……前作『クリード』のラスト、ロッキーとクリードがその階段の上に登って、ロッキーが街を見渡して「ここから見ると、人生が見えるんだ」「どんな人生だい?」「悪くない」って言って終わりますよね。まさにその同じ視点で、ドラゴとドラゴの息子のヴィクターが……つまり、ロッキーとクリードは「悪くない人生だ」って言っているけど、彼らがその同じ場所に立って人生を振り返った時に、どう思うのか?っていうのが、視点がひっくり返るとこんなに「ううう……」って来るのか!っていうあたりとか。

あとはロッキーとクリードがはじめて邂逅する場所でもあった、ロッキーが経営している「エイドリアンズ」というレストラン。写真がね、ウォール・オブ・フェイムというか、写真がいっぱい貼られた壁の前のところで話すわけですけど。つまり、ここはロッキーにとって、思い出、過去。墓地と並んでそれを象徴する場所なわけなんですけど。そこにやってきたドラゴが、写真を見渡して、「いい写真だな」って言いながら……つまり「お前はいい人生を歩んできたようだな」と。そして、「でもオレの写真はないな」って言う。

つまり、やっぱりさっきも僕が言ったように、33年間ドラゴがどんな気持ちでいたかなんて(ロッキーも観客も)考えてみたこともなかった。全く意味も重みも違う、このまた別の33年間の人生っていうのが、ここで不意に立ち上がってくる。それを目の当たりにして、ロッキーと同じく我々も愕然とする。こんなに過去に囚われてしまった人間が……そして、その過去に囚われたっていうまさにその要因を作った、自分もまさにその張本人でもある、というあたり。

で、自分が元々抱えていたある後悔みたいなものもその瞬間にガッと出てくる、というあたり。いままでの『ロッキー』シリーズが語ってきた、「『ロッキー』シリーズとはこういう物語だった」と、ロッキー自身も、そして観客も思っていた物語とは、全く違った角度から光が当たることで、「ああ、こうじゃない物語の側面もあった!」っていうのを、ドラゴ親子が照射するような役割、非常に鮮やかに浮かび上がらせるような役割を果たしてわけですね。

 

ロッキーの“解放”と、クリードの“一人立ち”

もちろん、まさかのブリジット・ニールセン再登場!っていうのもね、これはスティーブン・ケイプル・Jr.さんからのアイデアだったようで、さすがなんですけど、いろんな意味でこれは胸が締め付けられますね。まあドルフ・ラングレンとブリジット・ニールセンのね、この33年間に何があったかという話は、町山智浩さんのパンフなどに載っている解説があるのでぜひ読んでください。で、当然、一方のロッキーとクリード側のメインストーリーも、もちろん単に『ロッキー4』の語り直し、「落とし前をつける」という名の語り直し的な、イージーな話には全くなりようもなくてですね。

どちらかと言うと、『ロッキー2』から『ロッキー・ザ・ファイナル』まで含めて、一作目以降のロッキーが次々と直面する葛藤と成長のプロセス……たとえば、一旦頂点を極めた側の恐怖。そして、その恐怖が現実になってしまう、極限の屈辱。あるいは、やはり「そして父になる」戸惑いですね。ロッキーもクリードも、父の愛をきちんと知らずに育った人。もっと言えば、ドラゴもですよね。元の設定から言うと、そういうことみたいですし……ヴィクターもたぶんそうだよね、っていうあたり。

とにかく、「そして父になる」戸惑いなどなどをですね、クリードと、そしてロッキー自身が改めて辿ったその果てに……こういうことだと思うんですよね。「ロッキーを“物語から解放”してあげて、クリードを一人立ちさせる」。つまり、ここで完全に過去とケリをつけるという、そういう話としてこの『クリード2』、スタローンは脚本を書いている、という風に私には思えます。

 

■きめ細かな演出の手腕が光るスティーブン・ケイプル・Jr.

スティーブン・ケイプル・Jr.さん。一作目のライアン・クーグラーのような鮮やかさ、パワフルさ……非常に素晴らしかったあの鮮烈さと比べるとちょっと分が悪い、っていうところはあるかもしれないけど、実は決して引けを取らない、非常にきめの細かい演出をあちこちでしている。むしろ、そういうところが得意。たとえばですね、子育てに非常に戸惑っている、子供が生まれて戸惑っているアドニスがですね、同時にボクサーとしての鬱屈も溜め込みながら、「オレは一体何をやってるんだ?」っていう鬱屈を溜め込みながら、アドニスが夜のボクシングジムで「ウワーッ!」っってなった後に、我に返って、「ごめんな、ダメな父さんで……」と言って、まだ赤子の娘に語りかける時。

そこで、フッとカメラが引くわけです。そうすると、娘を抱いてあやしてるクリードの背後に、ずっとデルフォイジムに貼られているアポロ・クリード、お父さんの巨大なその絵、というのが後ろに見える。つまりこれは当然、巨大なアポロの絵っていうのは、お父さんの影という彼にとってのプレッシャーの象徴であるのは言うまでもないんですけど、同時にこの場面では、「ごめんな、ダメな父さんで」っていうのは、ひょっとしたら死んでしまったアポロがアドニスにかけてあげたい言葉、気持ちでもあったんじゃないか?っていう風に、非常に重層的に見える、っていうあたりですね。

さっきから言ってるようにロッキーも、そして元の設定上のドラゴも、そしてクリードも、そしてやっぱりヴィクターも、父の愛を知らずに育っている。そしてロッキーやドラゴやクリードは父の愛を知らないから、どう父として接していいかわからない、っていう人たちでもあるわけですね。こことかですね、あるいはそのアドニスのお母さん、メアリー・アンと、奥さんのビアンカの3人で食事をしているシーン。ここでの視線のやり取り、そこの微妙なニュアンスがどんどん変化していく、あの巧みな会話シーンのあたりとかですね。こういう会話シーンでのニュアンスの豊かさとか、スティーブン・ケイプル・Jr.さんはそういうところに特に力を発揮する方なのかなと、現時点ではお見受けいたしました。

あとはですね、聴覚障害を持つビアンカの視点、聞こえ方に、一瞬パッと切り替わるところとか、音の緩急、抜き差しを使った演出も非常になかなか凝っていてですね。特にクライマックスの試合中……前作では、決定的ダウンを食らったアドニスが一気に復活するきっかけは、アポロ・クリード、父の残像がフッと浮かぶ、っていうことでしたけど。今回は、もうその父の声も聞こえないっていう風に嘆いていたその現在のアドニス。今回、決定的にダウンした後に、彼を再度奮い立たせるのは誰か? 誰の声なのか? こういう演出、これも上手い。

これもまたやはり、過去から卒業して独り立ちする、そして大人の男になる、父になる、そういう今回のクリードの成長の方向というのを、言葉ではなく、さりげなく音の使い方で示しているという、非常に上手いあたりだと思いますね。

 

■どちらにも負けて欲しくない対決の果てに待ち受ける、意外で鮮やかな結末

そして、僕は今回もっともうならされ、そしてもうジョ~ジョ~ジョ~ジョ~泣かされてしまったのは、やはり試合、勝敗の落としどころですね。これまでも、『ロッキー』シリーズにおいて試合上の勝敗というのは、決して本質じゃなかった。ロッキーやクリードたちが戦ってるのは、本質的には、たとえば己のアイデンティティーを確かなものにするため、「自分が自分であることを誇る」ためであって、その自己との戦いに勝利することこそが物語上のキモ。

だから試合上は負けても、そこは関係ないっていうことだった。ただ同時に、あまりにも負けっぱなしだと話にもならないっていうか、何よりもエンターテイメントになりませんから(笑)。やっぱりある程度は勝たなきゃいけない。そうすると、だんだんと強くなってるっていう設定にならなきゃいけない。そうすると、出てくる敵もどんどん強くならなきゃいけないという、その強さと勝利のインフレっていうのが起こる。実際『ロッキー』シリーズでそのインフレが極に達したのが、まさに『ロッキー4』。で、そのインフレから外れようとしてなんか変なことになっちゃったのが『ロッキー5』、っていうことだと思うんですけど。

しかも今回、さっきから言ってるように、ドラゴ親子側にも強く感情移入させられるつくりなんですね。正直、こっちの物語の掘り下げももっとしてほしかったなっていう風に思う方がいるのもわかるぐらい。非常に感情移入にさせられるわけですね。ちなみに、途中ロッキーとドラゴが病院で殴り合うというシーンを一旦撮ったらしいんですけど、それはカットしたっていうことなんです。それはまあ、いろいろと理由はあるでしょうが、やっぱりたぶん、敵役・悪役っていう扱いにはしたくなかった、っていうことだと思うんですよね。

つまり、どっちも負けてほしくないわけです。このクライマックスの試合は。僕はもう、『クライング・フィスト』以来です、この「どっちも負けないでくれえ~~~!」って泣いちゃうのは。これに対してこの『クリード2』はですね、どっちも負けてほしくないこの勝負に関して、見事な回答を示してくれます。シリーズ中でも、いや、ボクシング映画史上でも……いやさ、スポーツ映画史上でも、「あの行為」こそが真の勇気であり、真の救いであり、そして真の意味でこっちの方が勝利かもしれない、という視点。これはなかったと思いますね。

それはドラゴ親子にとっても、もちろん真の勇気であり、真の救いであり、勝利であり……そしてロッキーにとっても、それは救いになる。長年ドラゴが、あの33年前の試合をどう思っていたか、という物言わぬ回答でもあり、そしてなんなら、ドラゴがロッキーを超えた瞬間でもあり……っていうことですよね。とにかく、それによって過去を断ち切る、究極の一手。これ以外ない、という一手を打ってくれます。お見事でございます。で、ドラゴとロッキーがその後、そんなに馴れ合ったりしないところもいい。

 

そんなことよりも、クリードの独白にですね、彼らがその後にトレーニングしてるところが映る。しかもその時、お父さんと息子の位置関係、関係性。最初のトレーニングシーンと変わっている。これを見せるだけで十分、というあたりでございます。「マイケル・B・ジョーダンの、“強がりながらのベソ”でご飯何杯でもいける!」っていうのは『ブラックパンサー』の時にも言いましたけども、ちょっと今回はね、ベソかきすぎじゃないのかとかね(笑)、ちょっとそれも含めてモタつくところがある気もしなくはないし、あと訓練シーンだけがいきなり『ロッキー4』的荒唐無稽に振れだして笑っちゃう、とかもある。ただ、あの走り姿の美しさ! マイケル・B・ジョーダン、やはり素晴らしいですし。

今回、いろいろハードルというか、クリアしなきゃいけないところがあったと思いますが……これは完全に一作目に恥じない、二作目としても申し分ない『クリード2』だったんじゃないでしょうか。ぜひぜひ……(机を叩いて)なんで! (今映画館に行くなら)『クリード』以外ありえないよ! 絶対に劇場に行ってくださいね!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『蜘蛛の巣を払う女』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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