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宇多丸、『蜘蛛の巣を払う女』を語る!【映画評書き起こし 2019.1.25放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、ランダムに決めた最新の映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品です。『蜘蛛の巣を払う女』

(曲が流れる)

今回のムービーウォッチメン用にノートを作成するために何度も「蜘蛛」という字を漢字で書いていたら、完全に「蜘蛛」という字を書けるようになりました、という大収穫がございました(笑)。ベストセラーのミステリー小説『ミレニアム』シリーズの第四作を映画化。アメリカ国家安全保障局から、とある危険なプログラムを取り戻すよう依頼された天才ハッカー・リスベットの前に、16年前に別れた双子の妹カミラが現れる。

主人公のリスベット演じるのは、『ファースト・マン』の公開も控えるクレア・フォイ。本当に大活躍ですね。『ザ・クラウン』での大評価以降ね。映画の鍵を握るリスベットの妹カミラを演じるのは『ブレードランナー2049』のシルビア・フークス。監督は『ドント・ブリーズ』で注目されたフェデ・アルバレス、ということでございます。

ということで、今回の『蜘蛛の巣を払う女』をもう見たよ、というリスナーのみなさま<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、普通。まあ、そうかな。そういう感じか。賛否の比率は、褒めの意見が5割以上なんですが、「まあまあ」と「ダメ」が残りの5割あって、わりと賛否両論分かれてる感じでございます。これはまあ、アメリカとかでもね、興行的にもちょっと伸び悩んで、評価も結構割れてるというか……っていう感じですかね。

主な褒める意見としては、「過去のシリーズ作とは全然違うが、それもまた良し」「シンプルなクライムアクション映画として十分な出来」などございました。一方、否定的な意見は「主役のリスベットを筆頭に、これまでのシリーズと比べて物足りない」「脇役・敵役どれにも魅力がなく、印象に残らない」などありました。

 

■「映画的な楽しさを堅実に追求。フィンチャー版よりも好き」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。まず「ふんどしゆで太郎」さん。男性の方。「『蜘蛛の巣を払う女』、見てきました。デビッド・フィンチャー、ルーニー・マーラ、ダニエル・クレイグの布陣での『ドラゴン・タトゥーの女』がまだ記憶に新しい……」って言ってもね、2011年ですから結構前ではあるんだけどね。「その続編がキャストも監督も全部リニューアルされているのは一体どういうことなんだろうと思いながらも、見てきました。実際見てみると、潔くジャンル映画的な、間違いなく楽しめるクライムアクション映画に仕上がっていて、とても好印象を抱きました。

賞レースに引っかかるような作品ではないと思いますが、映画的な楽しさを堅実に追求してるなと思い、フィンチャー版よりも私は好きです。まず冒頭の、女の人に暴力を振るう最低男へリスベットが下す世直しジャスティスが爽快で容赦なくて、気分が上がります。ここでググッと映画に引き込まれます。リスベット、最高! とテンションが上がります。ストックホルムでの雪景色。そこでのアクション描写がこれまたとても良かったです。

氷の上をリスベットがバイクで駆け抜けていくところなど最高でした。黒のコーディネートで統一したリスベット役のクレア・フォイの佇まいがまた何とも良かったです。アンニュイでいて、どこかイノセントな顔つき。怒った時のキレ顔のキマり具合。まさにクライムアクションに向いている見た目の俳優だと思いました」という、ふんどしゆで太郎さんのご意見でございました。

一方、ダメだったという方。「たくみん」さん。「見てきました。ダメでした。原作既読。前作のフィンチャー版『ドラゴン・タトゥーの女』も見ています。話題になっていないので期待せずに行ったら、期待はずれどころか大外れでした。テンポはわりとよいけど話運びに起伏がなく、なにより主要キャラクターの造形があまりにもなさすぎて乗ることができませんでした。

前作のルーニー・マーラが素晴らしすぎたということを抜きにしても、リスベットという特異な能力と複雑なパーソナリティーを持つ異形なキャラクターが全く表現できていなく、ただハッキング能力を駆使して悪い男をやっつける、多少強いやつくらいにしか見えませんでした。敵役のカミラの怨恨の背景も薄っぺらく、リズベットとの姉妹間における軋轢や葛藤も最後は薄っぺらいセンチメンタルな雰囲気で終わらせてしまい、なんだか火曜サスペンスを見ているような気さえもしました」。まあ、崖の上で終わるっちゃあ終わるからね(笑)。「……企画をただただ無難に仕上げようとして失敗したように思えます」という、非常にちょっと辛口な意見でございました。

 

■これまで二度に亘って映画化されている『ミレニアム』シリーズ

はい。ということで『蜘蛛の巣を払う女』、私TOHOシネマズ六本木で公開週、初週に見に行って、その後にTOHOシネマズ日比谷で、これは昼の回だったんですけど。こっちの日比谷は結構人が入ってましたね。年配のお客を中心にね。多分なんかこう、いまのシネコンでかかってるので年配の方が行けるなら……っていうのが限られているのかもしれない。そういうことなのかな、という気もしましたけど。

ということで、原作小説『ミレニアム』シリーズ、5本目の映画化っていうことですね。最初は本国スウェーデンで、『ミレニアム』3部作として、一作目『ドラゴン・タトゥーの女』。そして二作目、三作目……は、最初テレビドラマとしてのみ制作される予定だったんだけど、一作目があまりにも評判良くてということで。二作目の『火と戯れる女』、三作目の『眠れる女と狂卓の騎士』というのが、全て2009年、1年の間に公開された、っていうことですね。

まあ二作目と三作目は、とは言ってもやっぱりテレビドラマの再編集版だな、っていう感じがちょっとする感じの出来ではありますけども。で、ここからまあ、リスベット・サランデルを演じたノオミ・ラパスと、ミカエル・ブルムクヴィストを演じたミカエル・ニクヴィスト……これ、ちょっとややこしくてすいません、どちらも「ミカエル」で。それがまあ、世界的に活躍するようになったことでも知られてますね、これね。

ちなみにミカエル・ニクヴィストさんは、『ジョン・ウィック』の敵役とかさ、いろいろ活躍していたのに、2017年に亡くなってしまいましたね。というのもありましたけども。で、おそらくいちばん、みなさんご覧になった方が多いのは、2011年デビッド・フィンチャー監督で再映画化された、ハリウッド版の『ドラゴン・タトゥーの女』ではないかと思います。こちらはリスベットを、先ほどのメールにもあった通りルーニー・マーラ、ミカエルをダニエル・クレイグが演じているという。

もし、『ミレニアム』シリーズの映像化作品を1本も見たことがないという方がいるんだったら、まずはやっぱり、このデビッド・フィンチャー版か、やはり最初の1本目、いずれにしても『ドラゴン・タトゥーの女』という、小説でいう一作目がやっぱり話としても面白いし……特に最後、犯人がわかるんですけど。こいつの最低最悪ぶりが、記録と記憶に残るレベルで最低最悪なので。まあ、普通にストーリーとして印象的で面白いっていうのもありますし。

リスベットというその特異なダークヒロインの登場編、つまり、そのキャラクターの説明編でもあるし、そのミカエルという雑誌の記者、ジャーナリストとの、友情以上恋未満……というより、「恋愛を超えた友情」的な独特の関係性みたいのも、この一作目で描かれているので、是非ここからどうぞ、っていう感じなんですけども。特にフィンチャー版のエンディングとか、ちょっと乙女チックな切なさっていうか……リスベットが「あっ、乙女!」っていう感じの、ちょっと切ない感じのエンディングだったりしましたけど。

 

■急逝した「ミレニアム」作者の構想を引き継いだ原作小説

何にせよこの『ミレニアム』シリーズ、ミステリーであり、謎解きではあるんですけど、ひとつ強烈な特徴があるとすればやっぱりここで……それはつまり、「男たちによる性暴力にあふれたこの世界のおぞましさ」「それによって傷つけられた、もしくは傷つけられている、リスベットを含む女性たちの悲しみと怒り」っていうのがまあ、全編に通底するテーマっていうところが、やっぱりこの『ミレニアム』シリーズの鍵ですね。性暴力っていうのがやっぱり大きなテーマになっている。

で、その性差別に対する問題提起と意識変化が急速に進んだ……とまあ言ってよかろういまの方が、より広く受けられやすいタイミング、ということでの再映画化なのかな?っていうことは言えるかもしれませんけど。ただ、今回のその『蜘蛛の巣を払う女』の映画化ですけど、シリーズとしての位置づけが、ちょっとややこしくもありまして。まず、原作小説自体、オリジナル三部作を書いたスティーグ・ラーソンさん自身が……僕もこれ、あまり知らなかったんですけども、『ミレニアム』の一作目が刊行される前に亡くなってしまったんですね。だから、自分の小説が大成功を収めるのを見ないまま世を去ってしまって。

ただその一方で、彼はこのシリーズを10部作として構想していて、第4部の執筆の途中までしていた、という状態で亡くなったんですね。ただ結局、その残した遺稿はあったんですけど、それとは関係なく、ダヴィド・ラーゲルクランツさんという、それまではノンフィクションで活躍されていた作家さんがその後を引き継ぐことになって、とりあえず三作書く、ということになって。で、2015年にまず、そのダヴィドさんが受け継いでの一作目っていうことで出たのが、この『蜘蛛の巣を払う女』だったということですね。

 

■監督は『ドント・ブリーズ』のフェデ・アルバレス

スウェーデン語の原題は、『我々を殺さないもの(Det som inte dödar oss)』っていう、ちょっと不思議なタイトルがついていますけども。まあ、読むとわかるんですけど。ということで、この原作小説が元々、その人気シリーズの仕切り直しであり、それゆえに、非常に毀誉褒貶激しい作品だったんですね。やっぱりね。「変わっちゃってダメになった」みたいなのも非常に、元の小説自体が非常に強かった作品でもあるんですね。そこに加えて、今回の映画化はさらにですね、脚本・監督のフェデ・アルバレスさん。デビッド・フィンチャーからバトンタッチされたフェデ・アルバレスさん。ウルグアイ出身、2016年『ドント・ブリーズ』を大ヒットさせて一躍名を上げた方ですね。

僕、この『ドント・ブリーズ』。『ウィークエンド・シャッフル』時代の2016年12月24日、ちょうどその年のシネマランキング発表当日に評して、まあ大いに気に入ってですね。そのランキング当日に評したっていう勢いも相まって、堂々の6位にブチ込ましていただいたというね。すごい、当日評したばかり!っていう感じの順位ではちょっとあるとは思いますけども。

で、その評の中でも言いましたけど、フェデ・アルバレスさん。元は2009年に英語題『Panic Attack!』っていう5分の短編をYouTubeにアップして、それがかのサム・ライミの目に留まり、2013年に『死霊のはらわた』のリメイクを任されるっていう、まさにシンデレラボーイなんですね。YouTubeからいきなり長編映画、っていうことなんですけど。なんだけど、この『死霊のはらわた』リメイク、やっぱり旧作ファンからは、総スカンを食らった作品なんですね。僕はこれは、明らかにちょっと過小評価されてる作品だと思うんですけど。

で、その経験から学び、非難されたポイントを意識的にカバーして「勝ちに行った」のが、さっき言った『ドント・ブリーズ』で。その狙いが見事に当たったっていうことですね。と、同時に、その『死霊のはらわた』も『ドント・ブリーズ』も、そして今回の『蜘蛛の巣を払う女』も共通して、その家族とのわだかまりとかを抱えて非常に内面は傷ついてる女性が、それでもその残酷な運命に立ち向かおうとする、というような話ということで共通していると思うんですけども。

 

■『007 スカイフォール』や『ミッション:インポッシブル』風味のリスベットシリーズ

で、とにかくフェデ・アルバレスさん、パンフレットに載っているインタビューで、こんなことを言っていて。これが原作小説の二作目、三作目の映画化だったとしたら……要するに、元々三部作で話もかなり直接的につながってる二作目、三作目だし、当然のようにデビッド・フィンチャーの2011年版を踏襲したスタイルで作らなきゃならなかったであろう、と。ただ、それには僕は興味なかった、だったら断っていた、っていうことを言っているわけですね。

一方でその原作の四作目『蜘蛛の巣を払う女』は、経緯上一旦仕切り直しの作品なので、自分のスタイルの映画を作る余地があった、みたいなこともインタビューで言っているわけです。さらにはね、フェデ・アルバレスさん、こんなことも言っている。「四作目を僕はより大衆的な映画にすることに興味があった」「四作目はおとぎ話のような雰囲気がある」、そして「(前三作に比べて)雪景色や森や都市など背景が変化する」、そういうとこが味だ、と。そして「家や衣装とかもずっと象徴的な意味が込められている」……そういう映画を僕は作りたかった、っていうようなことを言っていて。

今回の『蜘蛛の巣を払う女』、ご覧になった方は、この監督の言葉通りの映画になってる!っていうことがよく分かるんじゃないかと思いますね。まずその、『蜘蛛の巣を払う女』なら自分のスタイルの映画が作れる、という部分ですけど。フェデ・アルバレスさんが書いた脚本、脚本から書いているわけですけども、元々その三部作から、さっきから言っているように著者も変わり、仕切り直しであった原作小説から、さらに大幅なアレンジ……というか、かなり根本的なレベルで大改変を施していて。ぶっちゃけ、原作小説とはほぼ別物です。言い切っていいと思います。

多くの展開やキャラクターが、監督がおっしゃる通り、「より大衆的な」方向に変えられているということももちろんそうですね。まあ、身も蓋もない言い方をしてしまえば、特に近年の『007』シリーズとか、近年の『ミッション:インポッシブル』シリーズっぽい感じがある。たとえばですね、「自らのルーツとトラウマに立ち返る」話であるという点。あとはその、「自らのルーツとトラウマに立ち返る話」というこの全体のストーリーを、シンボリックに暗示するオープニングクレジットへ、本編からシューッと……フェードイン的に「滑り込んでいく」感じ。

あるいは、「空間を挟んだ高所」……わかりますかね? 広い空間を挟んだ高い場所で、ある人物同士が邂逅するという、ちょっとドラマティック、ロマンティックなニュアンスをはらんだ邂逅シーン。今回の映画だと。ビルのエレベーター同士で目を交わすとか、橋の向こうとこっちで目を交わすとか、そういう展開。そして、「顔」を使ったショッキング演出。こういうところまで含めて、多くの点で僕は、『007 スカイフォール』を非常に連想させる作品だっていうのは間違いない……おそらく参照作品のひとつとしてあっただろうと。『スカイフォール』みたいな『ミレニアム』、『スカイフォール』みたいなリスベット・シリーズを作ろうっていう意図が、ちょっとあったんじゃないかな、という風に思わざるを得ないような作りでもあるし。

あと、特にやっぱりクライマックスに発揮されるチームプレー感は、はっきりやっぱり『ミッション:インポッシブル』の、特に近作……『ミッション:インポッシブル』三作目以降ですかね、以降の感じに、非常に近いカタルシスがありますよね。

 

■ジャンル映画的なテイストに振りながらも高い志を失わず

で、まあそんな感じでですね、大衆的な、そのジャンル映画的な方向に大きく振られた作りだ、っていうのはもちろんあるわけです。ただ、それ以上にですね、私がさっきも言ったように「原作小説とは完全に別物」って言い切っちゃっていいと思うのは、今回そのリスベットと対峙することになる、双子の妹カミラ……これ、「双子がいるよ」っていうことは以前の三部作の中でもちょいちょい言及はされてたんですけど。そのカミラの描かれ方と、そこから浮かび上がる根本的なテーマっていうか、それ自体が原作小説と全然違う、っていうところですね。

原作のカミラはですね、たしかにそのリスベットと一緒にお父さんから……まああんまり良くない環境に置かれている。で、リスベットはその父の元を離れ、カミラは残る。ここは同じなんですけど、原作のカミラは、もっとずっと根っから邪悪な存在。その美貌を利用して人を利用しまくる、というですね、非常に根っから邪悪な存在として描かれていて。リスベットとはもう、幼い頃から完全に敵対関係。絶対に相容れない仲。お互い憎み合ってる、っていう仲なんですけど。

それに対して今回の映画版。ご覧になった方はお分かりだと思うんですけど、もちろん双子の妹カミラは最強の敵として登場するんですけど……なんだけど、同時に彼女もまた、幼い頃からの性暴力の被害者であることには変わりなく、そしてリスベットも、彼女に対してある種の負い目を感じ続けている、という描き方になってるというところ。全然違う、っていうことですね。で、そこでキーになるのがやっぱり、オープニングの、アバンタイトルシーン。タイトルが出る前のシーンですね。

彼女たちが育ったらしい屋敷の中。影が強い感じで。その闇と──お父さんもいるんだけど、お父さんの顔は見えない、っていう感じで──ドアを開けた外の、真っ白な雪景色。そして、妹のカミラが纏う、真っ赤な服。まさにこの、黒、白、赤の鮮烈な対比という。これはフェデ・アルバレス監督が言う通り、象徴的な意味が込められた……どこかおとぎ話のような雰囲気を醸し出す色の対比、っていうのが全編に渡って展開されている。ちなみに、特に雪景色の白と赤い衣装の女性、そのビビットかつシュールなコンビネーションっていうところで言うと、あの内藤瑛亮監督の『ミスミソウ』の絵面を……これは偶然だと思うんですけども、シンクロニシティを非常に感じました。

で、とにかくその、育った屋敷からですね、文字通り決死の脱出をするリスベットと、その暗闇側、地獄側に取り残されるカミラ、という構図を、このね、ふわぁっと下に……「落ちた!」と思ったら、ファーッと滑り落ちていく。で、そのままオープニングタイトルに、まさに文字通り「滑り込んで」いく。非常にグラフィカルに、そしてシンボリックに切り取ってみせるこのオープニングのシークエンス。これに非常に顕著なようにですね……たしかにいかにもジャンル映画的な、派手な見せ場を多数盛り込んだ作品ではあるんです。なんだけど、同時にそれらを、非常にグラフィカルに、デザイン的に、非常に作り込んだ感じ、象徴的な図像として提示してみせる、という。

ゆえにですね、ミステリー要素はたしかに、大きく後退しています。要するに、理屈の部分ですね。言葉的な理屈、言語的な理屈の部分というのは大きく後退しているんだけど、その分、あくまで映像とか画で全てを語ってみせようとする。そういう作りになっているわけです。そういうあたりに僕は、その映画作家としてのフェデ・アルバレスさんの、実はやっぱり高い志と、侮れない腕、っていうのを感じるわけですね。やっぱり小説と映画は違うというところで、徹底して映画的な語り口っていうところにに……もう理屈とかはいい!っていう感じで、ボンとそこは飛ばしちゃう、というあたりにむしろ、僕はフェデ・アルバレスの侮れなさを感じます。

 

■『ミレニアム』シリーズとしては予想外の爽快感!

たとえば、「部屋の中がドーンと大爆発して、間一髪、水に飛び込んで炎を逃れる」っていう、まあ『コラテラル・ダメージ』とか他のアクション映画でもあったような、展開そのものはジャンル映画にありがちな、見たことあるような展開なんだけど、そこでやっぱりフェデ・アルバレスは、ドーンってなりましたっていうところで一旦、視点をちょっと引いて。遠くからの見た目で、バーンっていう爆発に反応して、周囲の車の警報がブー! ブー! ブー!って連続して鳴りだすっていう、この緩急の付け方の上手さ。そして、離れた画の向こうに炎が見えて、プップッてライトがつく様の美しさと。

あとは、リスベットがお風呂の中に逃げ込んで難を逃れるわけですけど、そのリスベットの顔の後ろに、炎がバーッ!って広がる画の、非常にグラフィカルな美しさと、やっぱりその象徴性。リスベットという人は……一作目をご覧の方はお分かりの通り、「リスベットと火」というのは、ものすごく象徴的な意味を持っているので。言っちゃえば、彼女の中でなにか火がついてしまう瞬間でもあるわけです。ボウッ!ていう。という感じでちゃんと、要するに「爆発を逃れる」っていうだけのありがちなシーンの中にも、いくつもの作家的な工夫が凝らされている。通り一遍のものにならないようにちゃんとしている、っていうのがあると思います。

あるいは、すぐその後のバイク逃走シーン。これ、メールにもあった通りですね。このバイク逃走シーンそのものはね、なんか『ミッション:インポッシブル』みたい、とか揶揄されがちなあたりかもしれないけど。そのシーケンスのオチというか着地ですね、やっぱりね。さっきのメールにもありましたけど、スウェーデン、北欧ならではの、「スウェーデンなら……これはありか!」っていうフレッシュさ。そして、展開のフレッシュさもさることながら、要は思わぬ方向に……「そっちは行っちゃダメだ」って思い込んでた方向に、空間と運動が広がっていく。純映画的なカタルシスがあの場面にはあると思うんですよ。

「おおう、こっちに行ける!」というね。やっぱり非常にきっちり、新鮮なひと味を加えてくれるな、という風にも思いましたし。もちろん、予告に登場した映画オリジナルのあの拷問ですね。ビジュアル的にも非常に美しいし、同時に恐ろしい、というね。シューッていう拷問がございましたし。あと、いくらなんでも荒唐無稽すぎないかっていう意見もちょいちょい聞く、クライマックスの逆襲展開があるわけですね。これはヒントとしてはあれですね。最近流れている『マイゲーム・マイライフ』の番宣ですね(笑)。

僕はむしろやっぱり、「ああ、そう来たか!」っていう。やっぱり、その手前のところの絶望との落差で、「ざまあ!」っていう、わりとストレートな爽快感……たしかに『ミレニアム』シリーズで味わうとは予想してなかったけど、この手の爽快感を。その心地よいサプライズとして、僕は楽しみましたし。

 

■一見センチメンタルに見えるエンディングだが……

ということですね。まあ、たしかにミステリー要素を大幅に簡略化したことで、若干ストーリー的なバカっぽさとかですね、あとはやっぱりその、「ハッカーって無敵なわけ?」っていう感が、気になる方が多くなるのは分かります。非常にストーリー上、バカっぽくはなってます。

あとは、結局終盤、あれだけ劇中でおどされまくってた、「怖いやつらですよ、怖いやつらですよ」って言っていた敵チームが、まあ意外と……「意外とアレだな」っていう感じの肩透かし感。たしかになくはないと思います。ただ、先ほど否定的なメールで言われていた「火曜サスペンス劇場みたい」っていう、たしかに崖の上のクライマックス。あれを「センチメント」と取るっていうのもわかりますけども、僕はあれを……もちろん原作にない展開なんですけども。あそこで結局、そのカミラ側が取る行動……リスベットが最後に、捨てゼリフ的にあることを彼女に言ってしまう。それでカミラがある行動を取るんですけど。

あれがですね、僕はすごい胸が痛いっていうか。これによってリスベットは、もう永久に解けない呪いをかけられちゃったようなもんだよなっていうか。リスベットとしては、「だってわたしにどうしようがあったのよ?」っていうことかもしれないけど、やっぱりそのカミラ側の訴えに対して、あの言葉しか返せなかったリスベットっていうのが……で、カミラはそこで絶望をしたかのように。「ああ、そう言う? そういうことを言います?」っていう感じで。

あそこはむしろですね、今回のテーマに対して、ものすごい容赦ない、逃げ場ゼロのエンディングのような気がして。センチメントっていうよりは、「ええっ? これって救いゼロじゃないですか?」っていうような感じがして。あそこはむしろ胸に刺さったあたりですけどね。あとは、さっき言った非常に鮮烈なオープニング。非常に素晴らしいオープニングなんですけども、『ドラゴン・タトゥーの女』などで語られていた、リスベットとお父さんの顛末っていうのがあるわけですね。リスベットが12歳でお父さんにある逆襲をした、という有名なエピソードがあるんだけど。

「あれ?……っていうことは、ん? あの逆襲はこの後? んんっ?」っていう、若干これまでの『ドラゴン・タトゥーの女』の流れと整合性的にどう考えていいのかわかんなくなるところが、あのオープニングにはあったりしてですね。はい。ということで、シリーズ的にちょっと置き方が、どう受け取っていいか難しくなっちゃった仕切り直し、ではあるとは思うんですけど。

 

■エンターテイメント性と軽さとおぞましさと、きっちり盛り込んで

ただ、かと言って「今回は完全に別物です」と言うには、リスベットというキャラクターはクセが強くて。特にミカエルとの関係とかは、明らかに何かの続き感も強かったりもして。という、まあ若干のチグハグさ、若干の帯に短し襷に長し感はあるんだけど。ノオミ・ラパス版、ルーニー・マーラ版よりはかなり親しみやすくなったクレア・フォイのリスベット。今回のトーンには合ってるし。あと、スベリル・グドナソン。今回のミカエルを演じている人。これ、ミカエルというキャラクター本来の強くなさ、非マッチョ感っていうのに、俺はダニエル・クレイグよりはこっちの方がミカエル役としては合っていると思いますし。

あと、『ゲット・アウト』のレイキース・スタンフィールドさん。この人はNSAのスペシャリスト役。非常にいい味で出てきたりとか。僕はこれ、エンターテイメント性、軽さと、そのフェデ・アルバレスさんの作家性、アート性。そしてやはり『ミレニアム』ならではの不吉さ、おぞましさっていうのもきっちり盛り込んでいて。僕はこの今回の仕切り直し、これはこれで全然ありなバランスの、大満足な1本でございました。

年間ベストっていうんじゃないですよ。ただみなさんに、言っておきたい。年間ベストみたいな作品ばっかり選んで見てると、バカになりますから!(笑) これ、高橋洋二さんがおっしゃってた、まさに「エンタメなめんな!」という言葉が鳴り響くような一作でございました。ぜひぜひこういうのも劇場でウォッチしてください。

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ミスター・ガラス』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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