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宇多丸、『ミスター・ガラス』を語る!【映画評書き起こし 2019.2.1放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜はこちらの作品。『ミスター・ガラス』

(曲が流れる)

M・ナイト・シャマラン監督、2000年の『アンブレイカブル』、2017年の『スプリット』から続くシリーズ三作目。強靭な肉体を持つデヴィッド、24人もの人格を持つケヴィン、骨折しやすい体に高いIQを持つイライジャ。とある施設に集まった3人の前に、彼らの力の秘密を暴こうとする精神科医が登場する……。出演はブルース・ウィリス、ジェームズ・マカヴォイ、サミュエル・L・ジャクソンと過去二作のメインキャストに加え、『オーシャンズ8』などのサラ・ポールソンが精神科医を演じるということでございます。

ということで、もうこの『ミスター・ガラス』を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」! ありがたいことでございます。やはりね、シャマランの映画なら普通は見に行くでしょうという、それはね。賛否の比率は「褒め」の意見が8「まあまあ」と「ダメ」が2という比率。まあね、この番組で私がシャマラン主義者、シャマラニストを公言しているので、支持派が多くなりがちっていうのはあるかもしませんけどね。

主な褒める意見としては「大傑作! ラストには感動の涙が止まらなかった」「シャマラニストで良かった。三部作の見事な完結に拍手」「いまどきのヒーロー映画の批評としても素晴らしい」と、手放しで絶賛や思い入れたっぷりの長文の感想が多かった。また、過去二作を見てない人でも楽しめたという方も多かったです。一方、否定的な意見は「このテーマを掲げていて、あのオチでは物足りない」「ミスター・ガラスが過去にやってきたことを考えると、この物語は肯定的に捉えることができない」などございました。それもね、ちょっとある種ごもっともなところはあるんですけどね。

■「シャマラニストにとっての最高のご褒美が来た!」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「サーフィンハムスター」さん。いろいろと書いていただいて……「見終わってまず感じたのは、『長年、シャマランを信じてひたすらついてきた我々、シャマラニストにとっての最高のご褒美が来た!』。シャマラニストでい続けてよかった。シャマランよ、ありがとう! シャマランといえばラストのどんでん返しばかりが有名ですが、余計なものを削ぎ落とした厳格な画面構成。空間や時間の省略をきかせたキレのよい編集」。今回だとあれですね。水が噴き出す部屋のところの省略描写とかも見事なものがありましたね。

「……そして細やかな日常描写と地続きに流れる非日常のリアリティラインのブレなさなど、独特な美意識をこそ、我々シャマラニストは愛してるわけです。本作はまさにその集大成でした。ネタバレになるので詳しくは言えませんが、本作のラストに示されるビジョンはアメコミヒーロー映画を総括してみせる壮大なものでした。のみならず、そこに示されたのは様々な意味でマイノリティーや自分に自信が持てなくなってしまってる人に自己肯定を与え、可能性に向かって踏み出す勇気を与えるという普遍的なメッセージだったのではないのでしょうか。もはやシャマランはシャマラニストだけのものではない。それを喜びたいと思います」というね、熱狂的なメールですね。

一方、ダメだったという方。「メダカ」さん。「小学生の頃に『アンブレイカブル』を見た時は自分の中の『ヒーロー vs 悪役』の常識が揺さぶられて衝撃を受けました。悪役がいるからこそヒーローが生まれるという矛盾はその後の『ダークナイト』でも大きなテーマとなっていますよね。また同時に『X-MEN』に代表されるような特異な能力を持つ者としての苦悩も描かれていて、まさにヒーロー映画の闇をまるっと詰め込んだような作品だったのですが……こうしたテーマを孕んだシリーズ作品のオチとして『ミスター・ガラス』のラストは物足りなく感じました。

『スプリット』で提示した『失意のものが救われる』というテーマはどこへ行ったのでしょう? これでは『アンブレイカブル』を再演しただけじゃないかと思ってしまいました。ミスター・ガラスによる自主制作ヒーロー映画のようなスモールスケールで展開されてきた物語を、最後の最後で大衆に示して『さあ、どう思う?』と投げかけているだけで、ヒーローの向かうべき方向が描かれていないように感じました。その点、宇多丸さんはどう思われましたか?」ということでございます。ありがとうございます。

あとですね、「みそのカツオ」さん。この方の指摘が面白くって。シャマラン作品はかならずシャマラン本人がキャメオ出演するっていうのが定番になっておりますけども。今回も登場するんですけども、その登場場面が今作では、序盤にあるアイテム……防犯カメラを買いに来る客の役で出てくるんだけど、これはまあ『アンブレイカブル』のつながりを示すというだけではなく、この方はこう言っている。「物語の序盤でそのアイテムが重大な、大事な意味合いを帯びてくるということを示している。そういったキーアイテムをシャマランが手にしているということ。物語のいちばん大事なところはシャマランが握っていた、ということを示してる」というような、これは面白い指摘だなと思いました。

 

『アンブレイカブル』『スプリット』に連なるシャマラン・ユニバース三部作完結編!

ということで、『ミスター・ガラス』。私もTOHOシネマズ六本木と新宿バルト9で2回、見てまいりました。なんと今回ですね、劇場販売のパンフレットが作られていないんですね。これはひょっとしたら、後ほど言いますけど、本作の若干入り組んだ製作配給事情というかですね、会社がちょっと入り組んでいるという。それが影響してるのか、もしくはただ単にシャマラン映画がいまや日本では冷遇されているということなのか、ちょっとわかりませんけども。なんかちょっと残念だなと。まあ、それぞれ入りはそこそこって感じでしたけどね。

もちろん、アメリカ本国では2015年『ヴィジット』でのシャマラン完全復活以降の勢いのまま、前作『スプリット』(2017年)に引き続きの大ヒット!っていうことですね。その『スプリット』、僕は2017年5月20日、前の『ウィークエンド・シャッフル』時代に評しました。公式書き起こしがいまでも読めるので、ぜひそちらもご参照ください。とにかくその『スプリット』評の時点ではね、エンディングに用意されているある仕掛けについて、まあネタバレを避けて、徹底して伏せながらお話ししたわけですけど。

(ただし今となっては)これはもう本当に宣伝でもガンガンにオープンにしてますし、先ほどのあらすじ紹介でももう言っちゃったんでね。まあ本作『ミスター・ガラス』を見るにあたって最低限必要な前知識なんで……あと、まあ『ミスター・ガラス』っていうタイトルの時点でね、まあわかる人はわかっちゃう話なんですけど。なので、今回は普通に話しちゃいますけども。『スプリット』が、多重人格物、サイコホラーかなと思いきや、最終的には超常的な一線を越えた一種のモンスター物だった、という風に判明した後のエンディングで、なんと、2000年『アンブレイカブル』の主人公、ブルース・ウィリス演じるデヴィッド・ダンが登場する。

で、ここに至ってつまり、『スプリット』のジェームズ・マカヴォイが演じているケヴィン・ウェンデル・クラムという、「群れ」と呼ばれる多重人格者はですね、実はそのアメコミヒーロー誕生譚でもあった『アンブレイカブル』と同じ物語世界、ユニバースに存在するという……これ、いま出ている『映画秘宝』に載っていたてらさわホークさんの本作評の表現を引用するならば、「シャマラン・シネマティック・ユニバース。MCUならぬシャマCU」っていう表現をてらさわさんがしていましたけどもね(笑)。

そのシャマラン・ユニバースに存在する、言ってみればヒーローたるデヴィッド・ダン。(今回の『ミスター・ガラス』では)「監視者」、“Overseer”という風に言われていましたが、その監視者に対するヴィランだった、っていうことが突如として明らかになるという、そういうエンディングだったわけですね。2017年『スプリット』は。ちなみにですね、デヴィッド・ダンに対抗するヴィランとして多重人格者が登場するというアイデア自体は、本来『アンブレイカブル』、2000年の時点で盛り込まれるはずだったけど、ちょっと入りきらなかった要素、ということらしいんですけど。

ともあれ、その『スプリット』が大ヒットしたことで、ついになんと19年越しに『アンブレイカブル』『スプリット』に連なる三部作構想が完全実現した、ということなんですね。

ちなみに『アンブレイカブル』っていうこの2000年の作品は、タッチストーン、つまりディズニー傘下の作品なんですね。で、『スプリット』はユニバーサルの作品ということで。その両者の続編であるこの『ミスター・ガラス』は、何とユニバーサルとディズニーの共同製作配給っていう、かなり珍しい立ち位置にある1本でもあるというね。それでさっき言ったように、「パンフを作れなかったっていうのは、そういうこと?」って(部外者としては推察してしまうけれども)。まあ、わかりませんけども。とにかく非常に変わった立ち位置の作品でございます。

 

■エンディングを思い出すだけでも泣けてくる『アンブレイカブル』、からの……

タイトル『ミスター・ガラス』、シンプルに原題は『Glass』ですけども……あ、ちなみにこれ、今日は『アンブレイカブル』のネタバレも不可避的にすることになりますので、ご了承ください。さすがに19年前の映画だし、これはいいですよね? 『ミスター・ガラス』っていうのはもちろん、『アンブレイカブル』に登場したサミュエル・L・ジャクソン演じるイライジャ・プライスというキャラクター。生まれつき骨が異常に弱いということで、非常に苦しんできたがゆえに、デヴィッド・ダンというそのキャラクターが不死身であること、つまり現実に存在するスーパーヒーローであることを証明することで、逆説的に自らの存在意義をも証明しようとする。

「オレみたいな人間がいる意味」っていうのを見つけるためにスーパーヒーローを探そうとする。そしてそのために、実は長大な、そして恐ろしい計画、まさにマスタープランを実行してきたという、非常に忘れがたい、まあ切ないキャラクターなんですよね。『アンブレイカブル』のラストですね、そのイライジャが、「They call me Mr.Glass!」って叫ぶその悲痛さ。そして、それを背に受けながら「ああー……」って出ていくブルース・ウィリスの……「あーあ……」っていう顔で出ていくところで『アンブレイカブル』は終わりますけども。あのエンディングを思い出すだけで僕は、やっぱり泣けて泣けてしょうがない、っていう感じなんですけども。

ただ、公開当時はやっぱりね、『シックス・センス』の直後で。まだシャマランがどういう映画を撮る人かっていうのをいまいち、みんな知らない状態で見たんで。正直みんな「ポカーン」っていうか、「どんな気持ちになれっていうんだ、この話!」っていう風に見ていたと思いますけど(笑)。で、まあとにかくそのミスター・ガラス、彼の名前を冠した三部作完結編ということは、彼自身は知力以外にパワーを持たないキャラクターなんだから、おそらくはそのミスター・ガラスの企み、彼の計画、そして彼の物語が、ついに完全に成就していく、そういう話なんじゃないか?っていうのは予想されるわけなんですけども。

 

■スーパーヒーロー とスーパーヴィランとの対決が描かれる序盤

順を追っていきますね。まず最初。例によって、調子ぶっこいたリア充……と、彼が思っているその象徴としての「チアガール」っていう、これがちょっと(「リア充」像としてステレオタイプすぎて)笑っちゃうんだけど(笑)、調子こいているリア充と彼が思っている、その象徴としてのチアガールたちを誘拐しては、多重人格接待で困惑させている(笑)ケヴィンというね、『スプリット』のジェームズ・マカヴォイが演じるキャラクターですね。ただ、この部分ですでに彼は、自分を含む……要するに、傷ついた弱者のためにこういう行動をしているのだという、彼の行動原理みたいなのもここで明らかにしてる、っていうことですけど。

と、『アンブレイカブル』の主人公たち。『アンブレイカブル』の頃は本当に少女のような美少年だったスペンサー・トリート・クラークさんという方がね、すっかりゴツめの青年に成長して登場する、その息子をサイドキックにして、自警団(ビジランテ)活動に精を出しているデヴィッド・ダンっていうね。まあ要はスーパーヒーローっていうものがもし現実に存在したら、まあ社会から見るとそれはビジランテっていうことに……まあ要するに犯罪者すれすれっていうか、犯罪者も同然の存在になってしまう、っていうことなんですけど。

で、まあとにかくこの両者の活動を描いて、その両者がついに対決するという、さっき言った通り本来『アンブレイカブル』に盛り込まれる予定だった、まさしくアメコミヒーロー物的な、「スーパーヒーロー vs スーパーヴィラン」の戦いというのがまず描かれる。で、まあ要は最悪『アンブレイカブル』『スプリット』の両方をちゃんと見てなくても、ある程度の事情が分かるような説明が込みで描かれるという。ただ、それは本作においてはまだ、ただのキャラクター紹介に過ぎないわけですね。本題は、そこから彼らがですね、ミスター・ガラスと同じ精神病院に収容された、その先から始まるわけです。本題は。

 

■凄まじいジェームズ・マカヴォイ七変化!

ここでですね、その精神病院の中で、ケヴィンの人格変化を強制的に制御するためのストロボ装置が部屋に用意されている。で、そのストロボ装着を焚くたびに、ポンポンポンポンとケヴィンの中で……「照明が当たってる人物」っていう風に比喩的に彼が表現してますけど、照明が当たってる人物にストロボが焚かれると(また人格が)変わっていくっていう。なんて言うんですかね、メタファーなんだか具象なんだかわかんない感じがまた面白いですけど。

ストロボが焚かれるたびにポンポンポンポンとその人格が変わっていく、という下りがある。それによってですね、まあジェームズ・マカヴォイは前作の『スプリット』でも本当にね、全部で20何人格のうち5、6人ぐらいを演じ分けてましたけど。今回はさらにちょっと手数が増えて。なおかつ、瞬間変身の妙味をさらに増して。本当にもうカットをつないだまま、ずっとポンポンポンポンと(キャラクターが)変わっていくという、本当にまさに超人的名人芸と言うか。大いにここで堪能できるわけですけど。特に僕がうなったのは、まあいろいろと極端なキャラクターを演じ分けてるところはまだ、「ああ!」って感心しているぐらいなんだけども。

『スプリット』のヒロイン、アニヤ・テイラー=ジョイさん演じるケイシー・クックにですね、本来の人格であるケヴィンが引き出されて。その瞬間ですね、要はケヴィンっていうその元の人格が出てきたなっていう瞬間に、視覚的に……もう単に表情を変えているだけなんですけど、「あっ、これがメインの人格だ」って誰でも理屈抜きで理解できる。そしてですね、同じく心に傷を負わされた者同士、ケイシーとは深く理解しあってる、っていうのが一発で伝わる。本当に目と表情。あとはまあ、ひょっとしたら微妙な姿勢とか身体全体の力の入れ方とか、まあそういうのもあるのかもしれないけど。とにかく身体ひとつで完璧にそれを表現してみせるジェームズ・マカヴォイのすさまじさっていうのがこれ、まずすごいですよね。

しかもそれでケヴィンと心が通じ合って「ああっ!」ってなったその直後。また別の人格、例のラップ好きの9歳の少年ヘドウィグにパッと戻った瞬間に、一気にコメディー的な笑いに持っていくあたり。「ええっ!?」ってこうやって……さっきまでケヴィンだった状態で、パッとヘドウィグに戻って、ヘドウィグが言うその一言で、一気に笑いに持っていく。このあたりはさすがシャマランの(十八番的演出で)、いろんな感情がひとつの場面にいっぱい入ってるっていう。笑っていいんだか、怖がっていんだか、泣いていいんだか……っていう。

シャマランはそれを完全に意図的に……エモーションを混濁させるというかね、混ぜて提示するっていうのは、シャマランの本当に味なんですけど。技なんですけど。さすがシャマラン、といったあたりじゃないですかね。

 

■精神科医の揺さぶりでダンは己の能力を疑う。だが一方イライジャは……

で、とにかくこの精神病院内でですね、サラ・ポールソンが演じる精神科医。これが、そのサラ・ポールソンが基本的には善人っぽい感じで登場するんですけど、ただ、何ともしれない……あれはメイクもあるのかな? 眉が不自然に整いすぎているせいもあるのかな?

とにかく、なんともしれない不気味な「表層上の正しさ、誠実さ」とでも言うような、薄皮を1枚まとったような感じで演じるその精神科医が、そのピンクの塗装がまたちょっと現実感覚を失調させるような独特の部屋の中で……あれ、ちなみにロケしてるのは実際に元精神病院だった建物らしいですけど。そのデヴィッドとケヴィンとイライジャというこの3人。ちなみにイライジャはここまでは一切喋らず、ほとんど廃人化してるように見えるわけですけども。

この3人を前に、その彼らがかつて発揮した超人的能力というものに関して、ひとつひとつ合理的な説明をつけて。「超常的なものなんか何もないんだよ」というようなことを彼らに納得させるための、一種のカウンセリングを行っていくわけですね。で、その結果、特にブルース・ウィリス演じるデヴィッド・ダンは、元々『アンブレイカブル』でも基本そういうスタンスの人だっただけに、「あれ? やっぱり言われてみるとオレ、ちょっと力が強いだけ、ぐらいの感じ?」みたいな。「あとは風邪ひかないとか、そんぐらい?」みたいな感じで、ちょっとだけ自分の能力に懐疑的になり始める。

その一方でですね、イライジャ、ミスター・ガラスは、ちょっと『カッコーの巣の上で』も彷彿とさせるようなヤダ味も感じさせる精神病院、っていうか収容施設……要するに、実際にロボトミー手術めいたものが途中で出てきたりしますし、あと、看護師が明らかに彼が廃人化しているのをいいことに、まあ嫌がらせみたいなことをしているっぽい、みたいなことも描かれてですね。ちょっと『カッコーの巣の上で』的な、非常に問題のある収容施設の中で、実は虎視眈々とミスター・ガラスが、『アンブレイカブル』から延々と種をまき続けてきた遠大な計画、マスタープランを、ついに完成させる機会を実は伺っていた……というあたりがストーリー的に、具体的にお話しできる現時点での限界ですね。

 

■カメラワーク、音楽。すべての要素がスリリングなスーパーヒーロー論を盛り立てる

これ以上はもう本当に何を話してもネタバレになる、という感じになると思いますけど。なのでちょっとここから気をつけて話していきますけど。まあ、技術的な部分で言いますと、前作の『スプリット』に引き続き、『イット・フォローズ』のマイケル・ジオラキスさんという方がカメラやってます。異様な不安感、不安定感を常にたたえたカメラワーク。要するに、すごく安定した……要するにグラグラさせたりするんじゃないんですね。結構フィックスの画面が多いんだけども、「普通はそこから撮らないだろ?」っていうところに(カメラを)置いたりとか。

あるいは、ちょっと斜めになってたりとか、あるいは前回もやっているように、ちょっとゆっくりなにかに(カメラが)近づいていたりとか。いろんなテクニックを駆使して、静かなんだけど、異様な不安感、不安定感をたたえた、マイケル・ジオラキスさんのカメラワーク。そしてやはりですね、『スプリット』に引き続きの音楽、ウェスト・ディラン・ソードソンさん……ウェスト・ディラン・ソードソンさんは割とミニマムな、やっぱりそれ自体非常に不安感とか変な感情をかき立てるような音楽を非常に得意としていて、今回も非常にかっこいいんですけども。

(ただし今回は)ところどころ、『アンブレイカブル』でのジェームズ・ニュートン・ハワードのスコアも顔を出すわけです。それも取り入れていて。で、『アンブレイカブル』のジェームズ・ニュートン・ハワードのスコアは、すごくセンチメントが入っているっていうか、非常に感情をかき立てるようなものになっていて、それの上手いミックス。両者を引き継いだ音楽。これなんかも非常に良かったりして。とにかく全ての要素が、スーパーヒーロー、いわば神話的存在の実在と懐疑、その境界線上を揺れ動く、いわばすごく本質的、ゆえにスリリングな、「スーパーヒーロー論」なわけですね……としての本作を、効果的に盛り上げていくわけです。

スーパーヒーローというのがもし実在するとしたら、その意義とは? とかね。人々がスーパーヒーローを存在すると感じるとしたら、その境界線は? みたいな。いろんな意味での問いかけをしてくるわけですけども。で、その先にですね、これは語り方が難しいんだよな……二段階、いわゆるシャマラン十八番のどんでん返し的なというか、まあ意外な展開っていうのが待ち受けているわけです。もちろん具体的には話さないようにしますからご安心いただきたいんですけども、二段階。

 

■シャマランが投げかけてくるメッセージとは、「人々の想像力や願いははいずれ実際に世界を変えていく」「どんな人生にも必ず意味がある」

いま、「シャマラン十八番のどんでん返し的な展開」と言いましたけど、前の『スプリット』評でも言ったように、シャマラン作品っていうのは常にこういう話を語っている……社会とか人生とか、まあとにかく世界に対してある理由で心を閉ざして生きている主人公が、いろいろと曲折を経てついに、世界というものの本当のあり方、世界の真実に気づく。そして、その中での自分の本当の役割に気づく。自分はこのためにいたんだ。もしくは自分のこの苦しみはこのためにあったんだ、っていう役割に気づく。そういう物語を毎回シャマラン作品っていうのは語っていて。で、さっきから言っているシャマラン十八番のどんでん返しってのは、その「気づき」にあたる部分なんですね。

「ああ、世界っていうのはこうだったんだ! オレっていうのはこういう存在だったんだ」っていう気づきにあたる部分。なので、凡百のですね、後出しじゃんけん的などんでん返し。ドヤ顔で変わった展開、奇をてらった展開を……「そんなこと言ったら何でもできるだろ?」みたいな後出しじゃんけん的なそれではなくて、テーマ、メッセージ、作家性と深く結びついている「意外な展開」なわけですよね。

で、今回の『ミスター・ガラス』終盤に用意されてるこの二段階の衝撃の展開はですね、スーパーヒーロー、神話的存在と我々が生きる社会・世界との関係を、裏と表、ネガティブな側面とポジティブな側面、両面で示して見せたものっていう。実際にスーパーヒーローなるものが出てきたとしたら、絶対にこういう軋轢が起こる、という部分ですね、まず示すのは。なのでさっきの(リスナーメールにあった)、その「ヒーローの行くべき姿を示してない」っていうところに関しては、というよりは、対社会ということではヒーローもヴィランもセットなものとしてかならず扱われる、っていうことですね。

と、同時に、そういう存在が世の中に一旦出てきたとしたら、もうそのあと世界は不可逆的に変わってしまう、というようなことも……だから、あることが起こるわけですけどね。で、特に二段階目の衝撃の展開の部分が、非常にやっぱり重要かつシャマラン的で。最後の最後に待ち受けているその結末というのは、これはM・ナイト・シャマランという映画作家のメッセージ的本質がですね、全て詰まってると言っても過言ではない超重要作、まあ、非常に変わった作品なんだけど超重要作、2006年の『レディ・イン・ザ・ウォーター』という作品があります。

今回の『ミスター・ガラス』は、実は『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』の三部作であると同時に、『レディ・イン・ザ・ウォーター』で発したメッセージと完全に重なる作品。『レディ・イン・ザ・ウォーター』でのシャマランのメッセージを、よりキャッチーに展開させたというような、そういう作品だという風に思います。一言でいえば、こういうことだと思いますね……人の想像力や願い。特に現実の社会、人生とかでは辛い思いを強いられている人々の想像力や願い。それはいずれ、実際に世界を変えていくんだ!っていう。これ、シャマランの信念ですね(※宇多丸補足:放送上では言い忘れてしまったのですが、それと裏表の話で、神話、フィクションから都市伝説まで、人々が物語として語り継いできたような事柄のなかには、必ず何かしらの真実が含まれているはすだ、というのも、シャマランの重要なメインテーマのひとつであり、特に『アンブレイカブル』『ミスターガラス』の主題でもありますね。)

実際にそうかどうかとは別の、シャマランの作家的信念。と同時に、「どんな人間、どんな人生にも意味がある」ということですね。最後の結末は、あの真実が世界に明らかにされたことで、いろんな人が、自分というものの意味を改めて、役割というものを考え出すっていう、そういう革命。ミスター・ガラスの革命なわけです。ここに至って、『ミスター・ガラス』っていうタイトルがついてることも意味がドスンと響くようになってるという。

で、その思いの強さ。つまり、シャマランの信念的な思いの強さが、ほとんど世俗的な善悪さえ超越していくところを含めて、これぞシャマラン映画ならではの感動であり、飲み込めない人は飲み込めないところなわけです。はっきり言ってラスト、「えっ、これって“いい話”じゃねえよな?」って頭にくる人がいてもおかしくないと思います。ただ、シャマランはきっと、「はあ!? いいんですけど!? オレの中では、オレユニバースでは! じゃあ、あなたはミスター・ガラスほど苦しんでいるんですか!?」みたいな(笑)。たぶんそんぐらいの感じで、世俗的な善悪すら超越していく物語論、ストーリー論、フィクション論、想像力論、クリエイト論。そういうところに飛躍していく、というかね。そこがまさにシャマランイズムだし、本当に純度100%のシャマランメッセージが最後に炸裂する、という感じだと思います。

そういうのとは別に、たとえば『スプリット』のあの2人、ケヴィンとケイシーのストーリーの着地としても、本当に泣きに泣かされる……ある意味、あの2人の着地としては僕、唯一ありうるハッピーエンドと言ってもいいんじゃないかなって。つまり、彼は解放されたわけですから。とかね。

 

■あえて文句を言うなら、「3時間半見せてよ!」

あえて文句を言うならば、僕は、いま現状129分。シャマランの作品としてはやや長めですけど、やっぱりこの三者のストーリーを語るには、ちょっと僕は「あ、急いでるな」って感じるところが何箇所かあって。その、最初の編集版が3時間半だったっていうので。「えっ、だったらその3時間半、見せてよ!」っていう感じもいたしますけどね。

ただ、これだけ変な、なんて言うか、振り切った歪な話。そしてその作家的メッセージを炸裂させた、本当に作家主義的な映画でありながら、普通にやっぱりちゃんと面白くもある、というところも立派なあたりだと思います。ぜひぜひ劇場でやってるうちに。もうシャマラン映画がやっていれば劇場に行くのは普通に映画ファンの責務だと思いますので。シャマラニストならずとも、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『バーニング 劇場版』に決定!)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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