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日本サッカーの父は、ドイツ人

檀れい 今日の1ページ

女優の檀れいが毎回、その日にまつわる話題や風物詩などを交えてお届けする「檀れい 今日の1ページ」

今から、54年前の1965年(昭和40年)の今日、2月19日。「日本蹴球協会」、現在の「日本サッカー協会」がサッカーリーグ」の発足を発表しました。現在のJリーグの前身となる、サッカーの全国リーグの誕生です。

前の年、1964年に行なわれた「東京オリンピック」のサッカー競技は、アマチュア選手のみの参加ではありましたが、当時「全日本」と呼ばれた代表チームは、ベスト8に進出。リーグを作るにあたり、大きな助言をくれたのが、チームのコーチを務め〝日本サッカーの父〟と呼ばれたドイツ人、デットマール・クラマー。

リーグは、実業団・社会人の強豪8チームが参加し、前期後期に分けたホーム&アウェー制でスタート。記念すべき、6月6日の開幕戦には、4500人の観客が集まりました。現在のサッカーの試合やプロスポーツと比較すると、少ない人数ですが、新たな試みは、一定の評価を得て、のちに続く、「バレーボール」や「ラグビー」の全国リーグの手本になったと言われています。

「日本サッカーリーグ」の設立が、実を結んだのは3年後。アジア予選を勝ち抜いて出場した68年の「メキシコ・オリンピック」のサッカーでは、釜本選手らの活躍により、銅メダルを獲得。この快挙に日本中にサッカーブームが巻きおこります。

〝アステカの奇跡〟とも称される、この偉業の礎を作ったのは「日本サッカーリーグ」とドイツ人「デッドマール・クラマー」。彼はいかにして日本のサッカーの父となったのでしょう。

1925年、ドイツのドルトムントに生まれたクラマーは、サッカー選手として活躍するも、怪我のため、若くして指導者を目指します。1960年、日本サッカー協会からの要請を受け、コーチに就任。初歩的な練習を重要視し、基礎から鍛える一方、戦術や技術を持ち込み、東京オリンピックで、ベスト8という結果を残します。

注目すべきは、その人柄。上から押し付けることはなく、まず自分でプレーの手本を示して教える。さらに「選手たちと同じ生活をしないで、どうして気持ちがわかるのか」と用意されたホテルには泊まらず、合宿所で寝食を共に過ごし、和食を楽しむ。「ワタシの箸か、キミたちのボールか。どちらが早く上達するか競争だ」「日本には、ヤマトダマシイ(大和魂)があるのではないか」。身長161センチと小柄ながらも優しさと厳しさを併せ持つクラマーを選手は尊敬し「クラマーのために戦う」と団結したと言われています。

一方、のちにドイツの名門チーム「バイエルン・ミュンヘン」の監督としてヨーロッパ・チャンピオンになったクラマーは、インタビュアーに「人生で最高の瞬間でしょう」と問われた際にこう答えました。「いえ、最高の瞬間は日本がメキシコで銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手を見たことがなかった」。

日本サッカー協会は2005年に始まった「日本サッカー殿堂」でデッドマール・クラマー氏を特別選考で表彰しています。ワールドカップにも、何度も出場している日本のサッカーですがそこに至るまでには、このような歴史があったんですね。先人たちの努力は尊いものです。

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TBSラジオ「檀れい 今日の1ページ」月~金曜日 朝6時20分頃~放送中です。

ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。
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