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8年前の被災経験を語る~クミコさん

コシノジュンコ MASACA

2019年3月10日(日)放送
クミコさん(part 1)
1954年茨城県生まれ。早稲田大学を卒業、1978年世界歌謡祭に日本代表の一人として参加。82年より、シャンソンの老舗「銀パリ」からプロとして活動し、現在はジャンルを問わず歌手として活躍中です。

JK:神楽坂女声合唱団ができて、今年で20年になるんですよ。クミコさんとはそれで出会ったんですけど、あの当時は小林カツ代さんもいらしてね。

クミコ:そうでしたね~。

JK:忘れられないのがあの時、2011年の3月。あの時の思い出話教えて。

クミコ:あの時は初めて石巻にコンサートに伺う日だったんですけれど、夜の公演だったんで3時からリハーサルをしようということで、市民会館の地価の楽屋にいたときに起きたものですから……もう何が起きたのかわからなくて。その日は裏山に誘導してもらって一夜を過ごすという形で。そこにあった市民会館は、川に押し寄せてきちゃった津波が全部そこに押し出していっちゃったんですけど、地下の楽屋にあったものは全部取り出せなくなっちゃったので、3か月間浸ってました。バンドメンバーはすでに上の会場にいましたから、全員カギもないわ、お財布もないわで、全員が着の身着のまま。

JK:そういう光景を見たわけですね。

クミコ:そうですね、上がって避難していく途中に、水が来た!と誰かが叫んで。水っていったって周りに海がないのにどうして?と思ったら、すごい雪が降ってたんですけど、さっきまでいた駐車場で車がぐるぐる回ってるような光景が見えたので、ええっ?!って。何が起こっているのかさっぱり……。川で津波ってピンと来なくて。避難警報が出ていてもわからない。だから、あのあたりの津波というのは全部逆流していったという……。地形的にも山が多いものですから、そうやって川に逆流して押し流してしまったというものが多かったですし、その場所も沈みましたし、亡くなった方もいらっしゃいました。本当に何が起きているのかは、東京に帰ってきて客観的にニュースを見るまではわからなかったですね。

出水:どのようにしてそこから東京へ戻ったんですか?

JK:何日もかかったのよね?

クミコ:ただ、3日目には帰ることができました。

JK:3日?!

クミコ:まぁ当日はその山で、次の日にはやっと仙台までたどり着いて。そこで野宿しようと思ったら、駅が壊れてて野宿できなくて。

JK:駅の天井が落ちたんでしょう。

クミコ:そこで開放しているホテルのロビーで暖を取って。翌日、庄内空港まで行けば何とかなるんじゃないかということで、反対側なんですけれど、そこまでいろんな知恵を使いながらたどり着きました。

JK:どうやって行くんですか?? お金もないわけでしょう?

クミコ:お金はうちの社長がカードを持って逃げた(笑)カードとチョコレートと、あとトイレットペーパーだけ持って逃げるというワケわからない行動のおかげで、なんとか決済出来たんですけど……庄内空港行くまでの間のことっていうのは簡単に言えないような、いろんなことを駆使しながら行ったんですけど、レコード会社の方が助け舟を出してくださいまして、残りの人たちは新潟に出ろと言われて、そこからバスを出してくれて、なんとか全員とりあえず帰ることができました。そこからのほうがつらかったですね。PTSDみたいになっちゃうというか。

出水:それは……どれぐらい?

クミコ:そこで遭ったことというよりも、自分は帰れちゃった、ということですよね。つまり、寒いところにまだみんないる、というのは情報として流れるじゃないですか。私はお風呂に入れてる。あったかい布団で寝られてる。ご飯も食べられてる、ということとの乖離のPTSDですね。申し訳ないという……どうして私たちはこんなことできてるんだろう、という。それでしばらく笑えなくなっちゃったんですよね。

JK:ああ・・・

クミコ:笑うってことが大変なことだというのは、仕事しながら思って。毎日鏡の前で笑う練習、口角を上げる練習をして。どうやれば笑っているように見えるか。

JK:気持ちでは笑えないのね。

クミコ:笑えないです。全然。ビックリしましたね。まったく笑うってことを忘れちゃったんですね。こういう仕事してるとそれはまずいな、と思って、それで鏡で笑っているように見える方法を考えて。それで帰ってくると、もう本当にバタンと倒れちゃう感じ。自分の中が亡くなっちゃう感じ。いろんな方がPTSDお話になるけれど、こういうことで皆さんが心を病んだりされているんだな、私ごときの経験でもこんなことになるんだから……と思いました。

JK:すごい経験ですよ。またいつなるかわからないけれど、この経験を次の人にいかに活かして、どう対処すればいいかって。ある人が私に、1週間もお化粧使わなかったら顔がどうなると思います?って聞かれて。1週間でおばあちゃんになっちゃうんですよって。それでお化粧品が届いたときに「生き返った!」って。たったそれだけだけど、女性ってすごく大きいんですよ。そんなの聞いて、わかるわかるって。毎朝思い出すの。

クミコ:私もそれを聞いて、毎朝脂分をしのばせるようになっちゃいました。その時はお化粧をしていたので、落とせなかったというのが非常に困っちゃったんです。舞台衣装みたいな形で放り出されちゃったので。どうやったらどうやったらこれが落ちるんだろうと思ったときに、脂以外落ちないじゃないですか。それから何があってもいいように、小さい携帯用のボトルに入れて忍ばせています。

JK:いちいち思い出すでしょう。

クミコ:思い出しますね。あと、眼鏡ですね。コンタクトしている人間は、いつまでもつけていられないので、眼鏡は欠かさず。視力がなかったら、家にたどり着けないこともありますから。いろいろ学ぶことは多かったですね。

出水:震災の3か月後、6月11日に石巻でミニコンサートをされていますが、どのような思いで?

クミコ:たまたま生協が主催で、結局ダメになっちゃったんですけど、ただ高台のほうに店舗として残っているところがあって、「私たち、頑張っているという催しものをしますが、クミコさんもよかれば歌いに来ていただけますか?」とお誘いいただいて、その時を逃したら怖くて一生行けないなと思って、えいやっと思って行ったんです。私だけじゃなくて、地元の方とか東北と縁のある方みなさんが歌うということで……あんなに泣いていただくものになるとは思ってもみなかったというのもあります。

JK:何を歌ったんですか?

クミコ:ちょうどその前年に「祈り」という曲を紅白歌合戦で歌っていたものですから、そういうものとか。広島の原爆を歌った歌ですけれども、すべてのことが我がことのように思ってしまうんです。ですからその時も、祈ることしかできないというような気持ちで、みんなが亡くなった方への悲しみですとか、失ったものへの痛みですとか、私自身も自分が歌えるかどうかで、歌い手として生きられるかどうかの正念場だと思っていたので、緊張しました。入口で会員の方々に、コンサート当日のチケットを見せていただいたり、「おかえりなさい」って言っていただいたり。1年分泣いたような感じになって、つけまつげが全然つかなくて! ボロボロじゃない私、舞台に出る人の顔じゃない!みたいな(笑)

JK:よくやりましたね~!

出水:その後も支援を続けられて、被災したピアノでコンサートをやられたりなさってますよね。

クミコ:津波にさらわれちゃった、塩水に浸ったピアノを再生しようという、80歳になる楽器店の社長さんがいて。泥にまみれて……老人の方ですよ! それで、6か月経って直っていたらコンサートやりますって言ったんですけど、直しちゃったんですね! ボランティアの方々とみんなで! 元の音にはもちろん鳴らないですけど、なんとかできたということで、体育館でやりました。

出水:どうでしょう、クミコさんも8年、でもまだ8年……被災された地域の方のみなさんも聞いてらっしゃると思いますが、何かメッセージがあればぜひお願いします。

クミコ:そうですね、忘れないようにしよう、というのを皆さん掲げますけれども、私自身も忘れたいって思うことは多いんです。おそらく被災者の方もできることなら忘れてしまいたいことがたくさんある。でも忘れられないことなんで、ですから「忘れないぞ!忘れないぞ!忘れちゃいけないんだ!」っていう肩ひじ張るんじゃなくて、どうしても忘れられないことはあるから、今もこうやってつながっている人もいるし、それぞれの思い出を胸に人それぞれが歩いていければいいかなと思います。

=OA楽曲=
M1. きっとツナガル (石巻合唱ヴァージョン) ~石巻の皆様 & 再生ピアノとともに~ / クミコ

きっとツナガル

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。