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パリを知らないシャンソン歌手?!~クミコさん

コシノジュンコ MASACA

2019年3月17日(日)放送
クミコさん(part 2)
1954年茨城県生まれ。早稲田大学を卒業、1978年世界歌謡祭に日本代表の一人として参加。82年より、シャンソンの老舗「銀パリ」からプロとして活動し、現在はジャンルを問わず歌手として活躍中です。

出水:今日はクミコさんのプロフィールをひも解きながらお話していきたいと思います。ご出身は埼玉県ですか?

クミコ:そうですね、水戸で生まれたんですが、育ったのは埼玉県の川口にあるキューポラのある町。そこで小学校2~3年までおりまして、父の転勤で静岡に移ったり、また浦和に戻ってきたり……そういうバタバタした生活でした。

出水:小さい時から歌はお好きだったんですか?

クミコ:まったく環形なかったですね。どっちかっていうとお芝居がやりたくて。よく教科書の中にお芝居の脚本みたいなのが出てると、それをやるのが一番楽しみで(^^)石の役でもなんでもいいんだけど(笑)舞台で頭の上に何かつけてって。あれがすっごいうれしかったです。舞台の上に立つのが。

JK:そのまま女優になってたかもね(笑)なのに、なんで歌手になっちゃったんでしょうね?

クミコ:女優になりたかったですね~! 大学が演劇が盛んなところで、そこで演劇部に入ったですけど、ちょっと間違っちゃったかんじで(^^;)

JK:間違っちゃった? どういうこと?

クミコ:入ったら全然私が思っていたようなのとは……そりゃ、石うすが出てくるようなお芝居じゃないわけじゃないですか!不条理芝居とか難しいお芝居になっちゃったし……そこでお芝居している中で、劇中歌っていうのがあって、みんなで歌うシーンがあったんです。その時に、歌を歌うことが芝居するよりもピョーン!と飛ぶようにうれしくって! みんなで大道具とか衣装とか縫わなくてもいいのねって! 歌を歌うだけで、こんなにも自分の気持ちが自由になれるんだって。

JK:みんなもうまいうまい!って言ってくれたわけ?

クミコ:言ってくれたかどうかは覚えてないんですけど(^^;)自分の中ではスコーンッと抜けたようで。なんて幸せなんだろうって思いまして、そこで「お芝居じゃなくて歌に行きたいな」と思ったのが20歳の時ですね。

出水:歌手を志したのは割と大人になってからなんですね!

JK:そしたら、演劇も経験があるから、オペラとかミュージカルとか、あの類もいけるじゃない?

クミコ:ミュージカルもちょっとはやったことがあるんです。宮本亜門さんで篠井英介さんと二人芝居をやったりしたんですが、私って段取りが全く苦手で(笑)宮本さんには「本当に体が動かないね」って言われる(^^;)すぐ段取り間違えるし。井上芳雄さんっていうミュージカルスターの方とも一緒にやったんですけど、一緒に歌うときに限って歌詞を間違えて、芳雄君があわてちゃうんですよ! おばさんフォローに回るのが大変で! みんなに迷惑がかかるというのが嫌というほどわかって(笑)これは一人で歌ってたほうがいいなって。

JK:一人だと段取りもいらないしね(^^)

クミコ:前にお芝居に出たときには、転換の場面で入れなくなっちゃったんですよ! 暗転したときに、自分がどこにいるかわかんなくなっちゃって(笑)「クミコさんがいない!」って後ろでみんなが大騒ぎすることが起きちゃって! 私本当にみんなに迷惑をかけるということがわかったので、ソロで歌を歌うことだけに専念しようと(笑)それもちょうど2014年ぐらいの話ですから、それから二度とダメだと思いました。

JK:かわいいというか、運命というか(^^;)でもまあ、それはそれでストーリーができていいじゃないですか。

出水:学生時代に歌うことが楽しいと気づいてから、どんな曲が好きだったんですか?

クミコ:その時はたまたまシャンソン、カンツォーネ教室みたいなカルチャーセンターで習うというところから始めて。シャンソンっていうのは当時「銀パリ」というところがあって……

JK:越路吹雪さんとか丸山彰浩さんとか、みんなそこから出てるから、そこを通過するとプロになるわけですよね。

クミコ:私はたまたま観客として通ってたことがあったので、たまたま銀パリのオーディションを受けた形です。シャソンがなんだかわからない、越路吹雪しか知らなかったぐらいで、オーディションでも自分でやってたバンドの曲をやったりして、まったく異端者みたいな形で受けたんですけど、たまたま入ることができて。入ったら、そこがシャンソンの殿堂だということを知って(^^;)急になんちゃってシャンソン歌手みたいになっちゃって今に至る(笑)

JK:それでシャンソンにはまっちゃったんですか? フランスに行くとか?

クミコ:いやいやジュンコさん、私フランスって2日間しか行ったことないんです! シャルル・アズナブールにインタビューをするという仕事をいただきまして……往復の時間を抜くと2日間しか滞在してないんです!

JK:え~!

クミコ:バリにはいったことあるけど、パリにはいったことないシャンソン歌手っていうので笑いを取ってたのに(笑)2日間でも行っちゃったから、取れなくなっちゃったんです!フランスに対しての思い入れもないまま入っちゃったという……。なんだかねぇ。いまも心に引け目を感じながらやってます(^^;)

出水:銀パリのステージってどういう風な感じなんですか?

JK:地下ですよね?

クミコ:地下です。100人も入ればいっぱいみたいな。学校の教室みたいに、同じ方向に椅子が並んでるだけで殺風景といえば殺風景。暗くて。で、安いんです。コーヒー1杯と新しい歌い手とのギャラが同じ、っていうことがあったみたいで。だから私は1200円のギャラで120円の源泉徴収を取られて、1080円から始まりましたから(^^;)

出水:えっ、それ一晩ですか? ワーオ!

クミコ:キビシイなぁ~、みたいな(^^;)またカルテットなんですよ。ギター、ベース、ドラムスという生バンド。私がいた1970年代のころは、平日でもカルテットで昼夜生演奏をやっていたという!

JK:贅沢よね! 本物でしたよね~! でも、あそこに行けばパリを見たような気分になりましたよね。神秘的な。

クミコ:そう、ちょっと面白い場所でしたね。

出水:お客様も銀座らしく、白髪の紳士のような方がいらっしゃるんですか?

クミコ:それがその当時は、トンガった人が多かったんです。三島由紀夫さんもそうなんですけど。なかにし礼さんがそこでボーイさんをやってたとか。

JK:えっ、そうなの??

クミコ:若いころウェイターをやっていて、歌手の方に頼まれて訳詞をするようになったのが始まりだ、なんてことを伺ったことがあります。だから私がそこで歌い始めても、パンクバンドをやっているような青年たちが来て、誘われて、そっちのバンドもやったりとか(笑)安いから、どんな人も来られるっていうことは、それだけ来てもらう人を広くしますよね。

出水:銀パリでは実際に何年ぐらい歌っていたんですか?

クミコ:10年弱だと思います。

JK:10年もあそこで歌ってたんですか?!

クミコ:クビになりそうだ、って言われてたんです。私、異端児だったんで社長にことごとく嫌われてたので……それでクビになりそうだといわれて、「あ~困ったな~」と思ったら、お店が閉店しちゃった(^^;)あれ~?! 勝った? 何が勝ったのかよくわかんないですけど(笑)とりあえず解雇は免れた、みたいな感じですね。

出水:お客様にも鍛えられた部分はありますか?

クミコ:私はシャンソンが好きで入ったというより、歌が好きで入ったので、日本の歌謡曲もごっちゃまぜにして歌っていたので、半分のお客様はすごく私のことを好意的だったけど、半分のお客様からは「こんな殿堂でなにやってんだ!」と嫌われてて。

JK:でもシャンソンってフランス語でしょう?

クミコ:ところが私、フランス語もわからないので、「銀座カンカン娘」を替え歌にして歌っちゃったり、エノケンの歌を替え歌にしたり……本当に異端児だったんです(^^;)だからブーイングみたいな歌手でしたから、はい(^^;)

出水:あの当時の銀パリで聞いてみたかったですね! ちなみにどんな格好をしていたんですか?

クミコ:そのころ流行っていたのが、ボロボロファッションみたいな。これぞ私のためのファッションだ!みたいな(^^;)なにしろお金がないですから! 工夫をして、時代の流れを汲みながら舞台に立ってたんですが……やっぱりマズかったと思います(^^;)

=OA楽曲=
M1. わが麗しき恋物語 / クミコ

「コシノジュンコ MASACA」
TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。ラジオは、AM954kHz、FM90.5MHz。パソコンやスマートフォンでは「radiko」でもお聴きいただけます。