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宇多丸、『運び屋』を語る!【映画評書き起こし 2019.3.15放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸がランダムに決めた最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評「ムービーウォッチメン」。今夜はこの作品です……『運び屋』! 名匠クリント・イーストウッドが2008年の『グラン・トリノ』以来、10年ぶりに監督と主演を務めた犯罪ドラマ。ニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載された記事をベースに、生活のため麻薬の運び屋となった90歳近い男の生き様を描く。共演はブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、マイケル・ペーニャ、アンディ・ガルシアなどなどでございます。

ということで、この映画をもう見たよというリスナーのみなさま、通称<ウォッチメン>からの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は「普通」。あらま。クリント・イーストウッドの新作にして。まあアカデミー賞受賞作がいま目白押しで……っていうこともあるかもしれないけど。まあ来年の第92回にね、どんぐらい食い込むかどうかまだ分かりませんけどね。

賛否の比率は「褒め」が9割、その他が1割、といった感じございます。主な褒める意見としては、「イーストウッド本人の人生と重ねて見てしまい、思わず涙」「予告編のシリアスなイメージと違い、コミカルな場面も多く、よい意味で裏切られた」「家族との時間を大切にする。人生やり直すことができるというストレートでシンプルなメッセージに心を打たれた」といったあたりが多かったです。

否定的な意見としては、「あまりにも主人公が周囲にも都合よく受け入れられるのが納得できない」「自分勝手に生きる主人公に共感できない」「自分の行なっていることの重大さに悪びれもしない主人公に違和感を感じた」という、大変ごもっともな(笑)ご意見をいただいております。ということで、代表的なところをご紹介しましょう。

 

■「肩肘張らずにこんなに味わい深い良い映画が撮れるなんて」(byリスナー)

ラジオネーム「ニシワキ」さん。「『運び屋』、見てきました。肩肘張らずにこんなに味わい深い良い映画が撮れるなんて。エンドロールでは目から涙がしみ出てきて仕方がありませんでした。黒人を『ニグロ』と呼んだり、カーナンバーに『朝鮮戦争の復員兵』と書いてあったり、過去に生きてるように見えるイーストウッド演じる主人公アール。でも映画を見終わる頃には、人は間違いを正すことができるし、自分の価値観をアップデートすることができる。本当に好きなものを見つけてやり続けることの強さ……」。

これ、言ってましたね。「本当に好きなものを見つけて、それをやり続けろ」ってね。まあ、お前は人に説教できる立場なのか?っていう問題も含めてですけども(笑)。「……それによって救われること。無条件でそばにいることを許してくれる誰かがいる幸せを教えてくれます。人生に大切なことをさらりと、調子っぱずれた歌に乗せて教えてくれる映画です」。調子っぱずれてましたねえ。

一方で、こんな方。ラジオネーム「うろちょろ熟女」さん。「夫と一緒に夫婦50割引を利用して見てまいりました。これはまさに、『おじいさんによるおじいさんのための映画』を、うちのおじいさんと一緒に見てしまった感があります。スクリーンにはおじいさん。隣に座ってるのもおじいさん。私も熟女なのにそんなことにケチをつけれる立場ではないのですが、そもそもクリント・イーストウッドでおじいさん映画ということは重々承知していたのですが、娘の結婚式をすっぽかして、でも本心ではとても気にしているとか、もうおじいさんのそんな勝手なプライドやらダンディズムやら、私はかなりイラッときてしまって共感できないのです。

魅力的ではあってもそんな厄介なじいさんの心には付き合いきれないという気持ちです。隣に座ってるうちのおじいさんにまで思わず『私、やっぱりおじいさんって苦手だわ』とあらぬ暴言をこぼしてしまいました」。だから横にいるおじいさんに対する、積りに積もったイライラとのシンクロ(笑)。いや、だから実際にね、あんなアールみたいなのがいたら、たまったもんじゃないですよね。そして、絶対に許されないと思います(笑)。

 

■2008年の『グラン・トリノ』以降、実録物が増えていたイーストウッド監督作品

といったあたりで、みなさんありがとうございます。『運び屋』、私もバルト9で2回、見てまいりました。ということで、言わずと知れたクリント・イーストウッド御大。監督・主演兼任作としては、2008年のあの『グラン・トリノ』以来、11年ぶり。その時点では「もう俳優としては引退するよ」なんてことをね、おっしゃってはいたんですが。その後、2012年、長年プロデューサーとして組んできたロバート・ロレンツさんの初監督作『人生の特等席』という作品に、例外的に主演して以来……それからでも7年ぶり。ちなみにでも、その『人生の特等席』。原題は『Trouble with the Curve』。お話自体は、「仕事にかまけて家族を顧みてこなかった昔気質の男が、リタイア期を迎えて、最終的に娘と和解する」っていう、まあ今回とものすごく近いお話ではありましたね。

で、まあその『グラン・トリノ』以降のイーストウッド監督作。いよいよほぼ実録物ばかりになっていくわけですけども、僕的には前のシネマハスラー時代から、さっき言った『人生の特等席』と2014年の『ジャージー・ボーイズ』以外は全部、サイコロやガチャが当たって、全て評しております。特にですね、2014年の『アメリカン・スナイパー』以降、2016年の『ハドソン川の奇跡』、2017年の『15時17分、パリ行き』は、みやーんさんによる公式書き起こし、まだ全然読めますので。興味ある方はぜひこちらも参照していただきたいんですけど。

特に前作の『15時17分、パリ行き』は、『ハドソン川』で部分的に挑戦した「当事者本人キャスティング」、もちろん演技は素人の当事者本人をキャスティングするという演出をですね、さらに過激に押し進め、テロ犯人とか以外はほぼ本人たち、というですね、豪胆にも程がある実験的シフトを……でも、こともなげにサラッとエンターテイメントに落とし込んでみせた、本当に何気に恐るべき作品でしたね。この間、WOWOWでやっているのを見返したら、やっぱり「なんだ、この映画?」って思いつつ、最後は本当にホロリとさせられてしまいましたが。

 

映画人クリント・イーストウッドの十八番「老兵リタイヤ物」としての最新作

それに対して、先ほどから繰り返してるように、イーストウッド御大自らが久々に主演も務める今回の『運び屋』。その前作の『パリ行き』とは対照的というか、正反対のスタームービー……要するに、観客の多くが知らない人が映ってる映画、の正反対。振り子的に大きくゆり戻した、とも言えるわけですけど、もちろんね。ただ、同時に実は、やはりこれも「本人映画」の一種、という側面もある。これね、メールで送っていただいた方が多かったです。

まあ全てのスーパースター映画……要するに、出ている人があまりにも有名な俳優さんである映画は全て、本質的に「本人映画」でもあるということはね、逃れえないのかもしれませんけどもね。実際、イーストウッド自らが主演・監督を兼ねる作品の場合ですね、彼の実像や実人生が、否応なくダブって見えるようなキャラクターばかりを演じてきた。もうあえて、そこを選んできてるという感じもある。特に、1986年の『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』ぐらいからですかね、「時代遅れの頑固者」……ちなみに今回の英語タイトル『The Mule』っていうのは、元はラバのことですけどもね。

それが「運び屋」っていう俗語・隠語であると同時に、「頑固者」という意味もあるわけですけども。とにかく「時代遅れの頑固者が、自らの人生を総括した上で、退場する」っていう物語を、様々な形で変奏してきた。1986年ぐらいからずっと、そういう話を繰り返しやっていた。特にやっぱり1992年の『許されざる者』と、2008年の『グラン・トリノ』は、映画人としてのクリント・イーストウッド……まあ、昔気質の映画人の最後の世代、っていう感じでしょうね。そのキャリアをまさに総括するかのような、集大成的な二作。この2つはやっぱりちょっと突出している、というところがあると思いますけども。

で、じゃあこの今回の『運び屋』はどうか?って言うと、元になったのは2014年、先ほどもいいましたけどもニューヨーク・タイムズの別冊に掲載された、「シナロア・カルテル 90歳の運び屋」という記事。これ、なんとですね、いま劇場で販売されているパンフレットに、全文が採録されてるので。今回のパンフレットは絶対に買いです! 他に資料を探しようがないので、これはもう絶対に買いです。このパンフレットには、モデルとなったレオ・シャープさんの写真も載ってます。たしかに服装とか雰囲気、劇中のイーストウッド、かなり寄せてるな、という感じが伝わってきますけどもね。はい。

で、その意味では今回のこれもまた、実録物であるということには違いはないんですけど。この記事からインスパイアされて、大きくアレンジした脚本を書いたニック・シェンクさんという方。この方、まさに『グラン・トリノ』の原案・脚本を手がけられた方ですね。ニック・シェンクさん、こんなことをインタビューで言っている。主人公のアールは、『グラン・トリノ』の主人公ウォルト・コワルスキーと裏表の関係にあるということに気づいた……なんていう風に、はっきりと公言しているわけですね。

どちらも朝鮮戦争に従軍した、昔気質の時代遅れの頑固者。家族、親族とも距離があるという、そういう感じ。そんな彼らが、自らの人生を総括し、退場していく。その姿が、映画人クリント・イーストウッドその人の実像ともどうしても重なる。そういうイーストウッド十八番の、言ってみれば「老兵リタイヤ物」と言いましょうか、その最新バージョンとして、このニック・シェンクさんは今回明らかに脚本を書いてるし、イーストウッドも、「そういうことだったら俺がやるしかないよね」ということで腰を上げたという、まあそんな一作なんですよ。『運び屋』っていう映画は。

 

異例なほどの軽やかさこそが、本作の大きな魅力になっている

ただ、じゃあ『グラン・トリノ』から11年後だし、あれよりさらにドスンと来る味わいの一作になってるのかな、と思いきや……ねえ。ついに本当の意味での老境に達してきて、と思いきや。意外にもと言うべきかですね、メールでも書いてる方がいましたけど、予告編などが与える印象ともまた微妙に違ってですね、今回の『運び屋』は、実はですね、イーストウッドがこれまで演じてきたキャラクター史上でも屈指の、特にさっきから言ってるような「老境モード」に入って以降は間違いなく、異例なほどの軽さ、軽やかさこそが、大きな大きな魅力になっている、そんな一作だと思います。

まあ、はっきり言って今回は、完全にコメディーです。さっき言ったニック・シェンクさんの言葉。今回の主人公アール・ストーンさんというのは、『グラン・トリノ』のコワルスキーさんと裏表。どちらも時代遅れで家族に疎まれて……っていうのは共通してるんだけど、そのコワルスキーさんが、内に内に閉じこもりがち、世間に対して壁を作りがち、なんなら敵対しがち、だったのに対して、今回の主人公のアール爺さんはですね、とにかく社交的。もっと言えば、すんげえチャラチャラしてるんですよね(笑)。はい。

まあ、あえて……これ、イーストウッド自身は、ブラッドリー・クーパーのインタビューとか読むと、イーストウッド自身はいまも全然ピンピンしてて、ものすごい動きも俊敏で、全然あんなじゃないらしいんですよ。だから演技的に、あえてヨボヨボを強調している。たとえば、背中がぐーっと曲がったまんまの感じとか、あと、おぼつかない足取りみたいなのをいちいちアップにしたりして。それを非常に強調しているわけですね。ヨボヨボ感を。

強調しつつも、まあこのアールさん。デイリリーというユリの園芸家として、その業界では一種のスーパースター的な存在でもある。で、本人もそのつもりで……つまり、基本チヤホヤされるの前提で振る舞っているから、チャラいリップサービスやら愛嬌やらを、誰彼かまわずに振りまいている。だがその反面、家庭人としては、人としてどうかというレベルで完全に失格らしく、家族からはほぼ愛想をつかされているという、そんな彼の人となり。まあ冒頭で非常にテンポよく、本当に最短距離で、ポンポンポンと伝えていく。もう無駄なことは一切しない。これはさすがイーストウッドの映画、という感じですけども。

これは町山智浩さんがパンフレットや映画秘宝でも書かれていますし、メールでも書かれていた方が多かったですけども、とにかくこれは、どうしようもない女たらしで、あちこちに子供がいたりするイーストウッド自身のカリカチュアであるように、どうしたってこれは見える、ということですね。しかも、そのアールに娘として裏切られたと感じて、ずっと避け続けている、その娘のアイリス役を、イーストウッドの実の娘であるアリソン・イーストウッドに演じさせているという。

いったい何を考えてるんだ?っていう(笑)。ちょっとリアリティー・ショーめいた……まあ、イーストウッド家のリアリティー・ショーもありますけども。リアリティー・ショーめいた、ちょっと悪趣味感すら感じさせるキャスティングなんだけど。イーストウッド本人は、「まあオレ自身は、アールほど家族をおろそかにしてたわけじゃないんですけどね」なんてことをインタビューでおっしゃっているんですけど(笑)。

 

■変化に対する柔軟さが歴代でも群を抜く本作の主人公

とにかくそんな感じで、老境モード以降のイーストウッドとしては異例の軽さ、チャラさをたたえた、このアール爺さんというキャラクター。これがもうとにかく今回の『運び屋』のミソですね。もちろんタイトル通り、そのいかにもイーストウッドらしい「Mule」、頑固者でもしっかりあって。たとえば、インターネットや携帯、これはもうお約束的にディスりますし。ギャングに銃を突きつけられても、「ああ、オレは戦争行ってっからお前らなんか怖かねえんだよ、若造が!」っていうね(笑)。これはもう完全にコワルスキー節ですしね。

というあたりで、肝っ玉の据わった爺さんであることには変わりないんだけども。ただ同時にこのアールさん、実はとても世の中とか物事に対して、すごく柔軟でもあって。たとえば、いろんな柔軟さを示すシーンはいっぱいあるんですけど、すごく象徴的に使われている2シーン、挙げさせていただくと。途中で、麻薬を運搬しているわけですね。まあ、コカインの運搬をしているわけです。で、非常に危険なわけですよね。いろんな意味で。捕まったら危ないですし。その真っ最中、彼はでも、車の故障で立ち往生している家族を見つけて助けてあげる。

まあ、監視をしているギャングたちはそれでやきもきする、っていうのがコミカルでもあり、サスペンスフルでもあり……っていう場面なんですけども。ちなみに、実際のレオ・シャープさんっていうモデルになった方もやっぱり、(麻薬の)運搬中に、困っている人を見つけたら、普通に車を停めて助けてあげたりしてた、という方らしくて。それを元にしたエピソードなんですけど。あそこで、そのね、今回の主人公アールが、「ニグロを手助けしてあげてる」なんて言っている。

そうすると、「ニグロ」という言葉を使って、一瞬ピリッとした空気になる。まあ、相手はアフリカン・アメリカンなわけですね。その相手の夫婦が、「いまは『ニグロ』って言葉は使わないのよ、お爺ちゃんね。せめて、『ブラックピープル』とかって言ってね」なんて、やんわりと諌める。そうすると、これはコワルスキーさんとかに言ったら、「はあ? うっせえな! ニグロはニグロだろうが! おう、やるか? やんのか?」みたいになっちゃうだろうけど(笑)、今回のアールさんは、「ああ、そうかい、いまは言わないのかい」って、ニコニコと素直に受け入れる、っていう。

あるいは、道中で見かけたバイカー集団。あれは本当にある、ダイクス・オン・バイクス(Dykes on Bikes)という文化、ムーブメントなんですね。まあ、「ダイクス」っていうのは元はレズビアンの蔑称なんだけど、それをあえて自分たちで使っている、ダイクス・オン・バイクスという、本当に文化的なムーブメントがあるんですけども。それも、「ああ、女なのか。ギャルか!」なんつって(アール爺さんが言うのに対して)、「ギャルじゃねえよ。ダイクスだよ!」なんつって。(それに対してアールも)「ああ、うん、ダイクスね」なんっつって……とにかく、「それはそれとして、ああ、そうなんだね、いまはね」みたいな感じで、柔軟に、やっぱりニコニコと素直に受け入れていく。

で、もちろんこれまでの、さっきから言っているイーストウッドの老兵リタイア物でも、「人間誰でも、いくつになっても変わることができる」っていうのは、本当に共通するテーマなんですね。イーストウッドにとって非常に大きなテーマなんだけども、今回のアールさんの変化に対する柔軟さっていうのは、やっぱり群を抜いている。さっき挙げた2つのシーンで、あえて人種に対する偏見とか、そういう性的嗜好に対する古い感覚みたいのを、アールさんは全然簡単にアップデートできる人なんですよ、っていうのをわざわざ入れているという。これは非常に明らかな意図じゃないでしょうかね。

 

「カワイイ」要素を極限まで最大化した、イーストウッドのある衝撃の所作とは?

そもそも、本題たるこの運び屋稼業自体が、彼にとっては完全に新たな経験なわけですよね。つまり、いままでの老兵リタイア物にはあるまじき、「新しいことに最初から挑戦しちゃってる人」が描かれているわけですよ。とはいえ、新しいことに挑戦してるんだけど、それを自分のライフスタイルの中に1回落としこんで……そうなると今度はもう、人から注意されてもどこ吹く風っていう(笑)、そういうあたりの、本当に煮ても焼いても食えない老獪な頑固者、っていうのもあったりする。

ということで……これね、僕が最近ですね、友人のラッパーK DUB SHINEさんにつけたキャッチフレーズなんですけど、「老害カワイイ」っていうキャッチフレーズ。僕、「老害」っていう言葉そのものは大嫌いなんだけど、「老害カワイイ」っていうフレーズをつけたんですけど。その意味で今回……イーストウッドのこれまでの老兵リタイヤ物にもすでにその「老害カワイイ」要素はあったんだけど、その中でも今回の『運び屋』は特に、「カワイイ」要素を極限まで最大化した一作、こういうことが言えると思いますね。とにかくカワイイ!

とにかくこのアールさんの、「図々しさと裏表の愛嬌」が半端ない。だからね、この「老害カワイイ」のかわいさはでも、図々しさの裏表でもあるから。さっきのそのメールをいただいた方みたいに、イライラするっちゃあイライラする!っていうね。イライラしだす人にとっては本当にイライラする、っていうことなんだけど。だから要はこういう感じですよ。全編、「このジジイは本当にもう……」っていう(笑)。本当にあのギャングたちの視線と一致して、“呆れ苦笑”を楽しむ作品ですね。ギャングたちの視線が俺たちの視線(と一致する)っていう、珍しい映画なんですね、実は。メキシコギャングの視点が俺たちの視点なんだよ。「このジジイは……!」っていう。

まずね、まあ見た人誰もがあきれ返る、度を越したお盛んさ。これはもちろんですよね。「おおい、心臓の医者、呼んでくれぇ~! 心臓の医者呼んでおいてくれぇ~!」(笑)。「このジジイ……!」って。最近『グリーンブック』を見ましたけど、同じ「モーテルに泊まって、一緒にモーテルに泊まった同行者を見る」場面でも、この違い!っていうね(笑)。そんな風に感じましたけどね。あと、個人的に超ツボだったのは、ここです。ギャング同士が途中、モメだして。一触即発。もう銃とかを出して、緊張感がブワーッと高まる。口論をしているわけですよ。普通だったら、「ヤベえ、ヤベえ!」ってなるじゃないですか。「なんかワシのせいでモメてる!」ってなるじゃないですか。

しかしこのアールさん、ここで、クリント・イーストウッド史上、あるまじきアクションを……おもむろに、リップクリームを取り出して、口の周りに、こうやって塗りだす、っていう(笑)。「イーストウッドが、リップクリーム塗ってる! っていうかいま、状況わかってるか爺さん!?」っていう(笑)。「お前のことでモメてんだからね!?」っていう。フハハハハハハッ! 僕はとにかく、アールさんがリップクリームを取り出したこの瞬間に、もうガクーン!っていう(笑)。「最高!」っていうね。ここが僕の『運び屋』のピーク場面です。

しかも、そのブレないマイペースっぷりこそが、運び屋としての優秀さっていうのにもつながっている。ちゃんとその作劇上の理由にもなっている、というあたりですね。

 

■ミニマムながら的確に盛り上げ、映画的にアゲていく手腕

ということで大半は、チャラついた爺さんが、文字通り本当に鼻歌まじりで……あんまり上手くない鼻歌で。イーストウッド自身は歌が上手いんで、あれは演技ですけども。鼻歌まじりで車を運転している、というだけの映画。なのに、きっちりやっぱりハラハラドキドキ、盛り上げてくれる。非常にミニマムな条件だけで、めちゃめちゃ盛り上げてくれる。

たとえばやっぱり、麻薬犬が来た、さあそれをどうやって回避するんだ? とかね。もう全てにおいて、図々しさと、やっぱりなんかヨボヨボ感のカモフラージュ、というので切り抜けていくわけですけども。今回カメラが、ここんところずーっと、長年組んできたトム・スターンさんという撮影監督の方から、イブ・ベランジェさんという方に……この方、『わたしはロランス』とか、『ダラス・バイヤーズクラブ』とか、あとはイーストウッドは『ブルックリン』を見て決めた、なんて言っていますけども。まあ新しい方にカメラが変わっていて。

まあ、彼の味かどうかはちょっとわからないですけども、全体にやっぱりイーストウッドならではの、素っ気ないっていうか、すごく無造作にポンポンポンって進む感じがあるんだけど、ただ今回ちょっと僕が印象的だったのは、縦の奥行きを生かした空間、そういう画面になると、ちょっと緊張感が……そこでの緊張感の醸し方が上手い。たとえば廊下でなんか話をする、というような場面もいいし、もちろん警察の尋問を受ける場面のあれもそうですけど。

すごく印象に残ったのは、朝のダイナーで、まあ麻薬取締捜査官であるブラッドリー・クーパーと、非常に味わい深い会話をして。で、店を出てアールが歩いていると、後ろからブラッドリー・クーパーが追っかけて声をかける。つまり、「あれっ、気づかれたか?」って、ヒヤッとする場面ですよね。からの……っていう場面の、そこのショットの、そこで肩越しにブラッドリー・クーパーが見えて、で、思いの外早くそこで決着がつく。そこで一旦ためたりわざわざしない、スマートさ。すごいイーストウッドっぽいテンポ感だけど、この縦の空間の、背中越しにフッと(カメラが)行ったらそこに(人物が)いる、っていう画の見せ方とかですね。

あと、クライマックス。ヘリコプターが後ろに迫っている。で、アールが運転してる車がずっと一本道を走ってる。向こう側にはパトカーがもう完全に非常線を敷いている。ここはもう通れない、という状況で。そこでやっぱり、すごい縦の奥行きがすごくある空間を、ヘリコプターの後ろから見せたこのショットとかの……そこで高まる「ああ、クライマックスだ!」っていう感じ。そこまですごいことが起こることわけじゃないのに、「ああ、クライマックスの画だ」っていう風になるあたり。すごく映画的にアガるあたりじゃないでしょうかね。

 

■イーストウッド映画史上、またまた生まれてしまった重要作!

まあ、先ほどから言ってる老兵リタイア物。『グラン・トリノ』なんかもう本当に最たるものですけど、その老兵が、結局過去のいろいろとやってきた自分の行いに対して、贖罪をする、罪を贖うというのは、やっぱり共通テーマ、これまでも共通してやっているテーマですけど。まあ先ほどから言っているようにアールさん、本当に愛嬌が半端ないので。愛されキャラ、そして「許されキャラ」っていうところがあって。

ただね、実際のところ、どうなんですか? メキシコ麻薬カルテルは許してくれるんですか? わかりませんけど。『悪の法則』的なことにはなっていかないんですか? よくわかりませんけどね。ただ、これはやっぱりイーストウッドの映画、って考えると、やっぱりキャリア末期だからこそ……いままでの、たとえば『グラン・トリノ』のコワルスキーさんの、非常に悲壮感あふれる贖罪行為とかに比べると、やっぱりキャリア末期だからこそ、最後にその贖罪が、こういう感じで、本当に受け入れられる、という役をやるのはまあ、最後ぐらいは許してあげようよ、って気もするんですよね。

っていうのは、少なくとも主演・監督はこれが最後じゃないかな、っていう予感もあるわけですからね。最後に、オープニングと円環構造を描くような、やっぱりお花畑で(アールが園芸を)こうやってる。なんだけど、やっぱりちょっともう年齢も年齢だし、なんというか、いったん話が終わった後に急にまたお花畑に行くから、ちょっとなんとなく、「えっ、あの世? 死後の世界?」ぐらいの感じがするような、ちょっと黄泉の国感がするような花畑。そこでエンドクレジットになるわけですけど。

ここで最後、エンドクレジットが始まった瞬間に、『グラン・トリノ』もそうでしたけど、同様のすごく引きのショットになるわけですね。『グラン・トリノ』は高速道路でしたけども、引きのショットで、その刑務所の中のお花畑が……そこでやっぱり、イーストウッドのアールさんと思しき人影があって。すごくちっちゃく映っているんだけど。

それが、画面の左下にこう、文字通り「退場」するんですよ。だからやっぱりその、イーストウッドのキャリア全体って考えると、この軽い退場の仕方とかも含めて、この作品に関して言えば、その軽さが結構感動的かな、みたいな風に思いますね。

あとはやっぱり、すごくアールさんも……これはこの映画から我々が受け取ることですよ。アールさんも、すごく人生、チャラチャラとと言うべきかわからないけど、まあ調子よく上手くいっていたつもりの人が、でもこっち側にはすごくおろそかにしていることがあったり、そのおろそかにしたことを急に埋め合わせようとして、思わぬ落とし穴にはまって……自分が落とし穴にはまりつつあることも気付いてないようなね。そんな落とし穴にはまってしまったわけですけど。

でも、その落とし穴にはまったところが人生の帰結でもない、と言うか。そこからも人はさらに変わっていったり、成長することができる。罪を贖うことはいつであっても遅くはないんじゃないか、というイーストウッドのメッセージは、まあ何と言いましょうか、この1週間の……まあね、たまたまそのコカインの運び屋、というテーマでもありますし。

この1週間の、我々がいろいろと見聞きしたニュースとかを、自分の人生にちゃんとフィードバックするとしたら、やっぱりそういうことかもしれないし。そういう時期にこの映画を見ると、なんかちょっとしみるものもあるかな、という風に思ったりいたしました。ということで、とにかくイーストウッド映画史上ね、またまたちょっと非常に重要な作品が生まれてしまったんじゃないでしょうか。ぜひぜひ劇場で、あのイーストウッド史上でも超びっくりするアクションを目撃しに(笑)、『運び屋』を劇場でウォッチしてください!

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。


(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『シンプル・フェイバー』に決定!)

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