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まさかの日本代表、まさかのドーハ~ラモス瑠偉さん

コシノジュンコ MASACA

2019年6月2日(日)放送
ラモス瑠偉さん(part 1)
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ出身。1977年に来日し、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に入団。チームの選手として、日本代表として、日本サッカー界の黎明期を支えてきたレジェンドです。1989年に日本に帰化。現在はビーチサッカー日本代表の監督も務めています。

JK:うわぁ~、やっと来てくれたよぉ!

ラモス:よろしくお願いします!

JK:うちの派手な服を着てる人がいるっていうんでね。それがきっかけ。渋谷西武だったかしら? よく買ってくれたわね。

ラモス:派手すぎるんですよ(笑)黄色とか緑とかカラシ色とか……赤とか紫とかピンクとか……あの当時、そんなの着るのはラモス瑠偉しかいないなって(笑)

JK:いないいない、今もいない! 大きなショウをやった時も見に来てくれたわね。最後フィナーレにも出てくれて。

ラモス:いきなりですよ! もう照れ臭くって(*^^*)まさかステージに上がらせるとは。

出水:当時のヴェルディ川崎はJリーグ開幕当初からスターがそろってましたよね!

JK:サッカー界で一番の年でしたよね。Jリーグができて、カズさんとラモスがいて、ジーコがブラジルから来て。

ラモス:あの時代はすごかったですよね。ジーコは私たちにとっては「白い神様」って言われているくらいすごい存在でしたね。

JK:神様と言えば、私ペレにも会ったの! 3.11の時に「こういうときにペレが来ればみんな元気になるのに」ってちょっと言ったら、「だったら呼びましょう!」ってことになって、本当に来てくれて。それで被災地に一緒に行ったの!

ラモス:私も日本でお会いしてるんですよ。釜本さんの引退試合でも国立競技場で一緒に出させてもらって。最高でした。選手としてはサッカーの神様と同じピッチに立てるだけで、どれだけ幸せなことか。

JK:日本に来た時ペレに革のシャツをあげたの。そしたらずーっとそれを着てくれたの。インタビューの時とか。優しい人よね。

ラモス:ジュンコ先生にはヴェルディのユニフォームを作っていただきましたよね。

JK:私はヴェルディファンだけど、ドーハの悲劇のときに会ったでしょう。同じヒルトンホテルに泊まってて。あそこから始まったわね。ラモスが言ったじゃない、「もっと強いユニフォームがほしい」って。

ラモス:そうそう。僕の中で一番素敵なユニフォーム。今でも大事にしてます。

JK:私、全部の選手のユニフォームをもらって持ってるんです。全員の名前入りで! もし何かあったら使ってください(笑)全員集まって何かするときとかね。私全部持ってるから!

ラモス:みんな喜ぶと思いますよ! 本当に1回使ってみたいですね、OB戦とか。素晴らしすぎるよ!

JK:バスもデザインしたのよ。

ラモス:そう、素敵なバス! 派手だったですよね(笑)初だったですよね、ああいうバス。

JK:選手を包むユニフォームだと思ったのよね。バスが来るだけで選手が来るとみんな思っちゃうわけ。そこで記念撮影したりとかね。信号で止まるでしょ、そうするとバーッと人が集まっちゃって大変だったの!

ラモス:人だらけでした! ホテルから国立競技場まで20分ぐらいずーっと、信号が止まるたびに大変なことになって! ちゃんと手も振らなきゃいけないから疲れる(^^;)試合行く前に疲れ切っちゃうから「悪いけど、もうカーテン閉めましょう!」って(笑)

JK:バスの外だけじゃなく中もデザインしたのよ。最初シャンデリアとかついてて、そんなのヴェルディに似合うわけないでしょう、って辞めたでしょ?ほっといたらシャンデリアにふかふかの絨毯になってたわよ。ああいうんじゃないからってシンプルにしたのよね。

ラモス:あれ正解。温泉行くわけじゃないんだから! ほんとにお願いしますよ。

JK:私も1回バスに乗せてもらったの。パリから戻ってきたら、あのバスで迎えに来てくれたの。(空港から)出てきたらヴェルディのバスが止まってて、「ヴェルディの選手も乗るんだ?」って思っちゃった(笑)周りの人も、選手が乗ってると思って手を振るのよ! いやぁ、いい思い出(^^)

出水:Jリーグがものすごく盛り上がって、みんなが大好きで、社会現象になった時代ですよね! ラモスさんはその時代をどう振り返りますか?

ラモス:いや~懐かしいの一言ですね。私の中ではJリーグ最初の3~4年間が一番忘れられないですよね。

出水:今年ヴェルディは創立50周年ということになりますが、ラモスさんは今年東京ヴェルディのアドバイザーに就任しています。実際には50周年に合わせて何をやる予定なんですか?

ラモス:ちょっと残念なんですが、去年からバタバタ忙しくて。50周年のための準備をしたかったんですけど。僕はビーチサッカーの監督をやりながらだから、ワールドカップの予選もちょうどあって。3月からアドバイザーになりましたので、素敵なサポーターのもとで、素敵なヴェルディを復活させたいなと思っています。

出水:平成元年から日本国籍を取得して、1991年に日本代表に初選出。この時のことはどのように感じてますか?

ラモス:正直、まさか日本代表に選ばれるとは思いませんでした。日本人になったのは日本代表になるためじゃないんです。読売クラブへの感謝があって。昔日本に来た時にいろんなことがあって、バイクの事故に遭って1年間手術したりとか、「日本から追い出せ」とも言われたし。でも見守ってくれたことに恩返しがしたくて、アジアチャンピオンになりたかった。私が帰化すると、外国人枠が1つ空くんです。読売クラブをもっと強くするために、アジアチャンピオンになりたかった。(当時の日本代表チームの)横山監督さんから北京アジア大会に呼ばれたときはビックリしました。うれしくてたまらなかったです。この国を愛し、てたし、仲間たちをずっと応援していたし……まさか声をかけてくれるとは思わなかったのでうれしくてたまらなかったですね。

JK:それから帰化したのね。そうなると日本のために、ってなるわね。

ラモス:最初北京アジア大会に選ばれたとき、私とカズは何にもできなくて。みんな愛国心もなくて、遊んでるだけなんです。私とカズだけ代表に対するイメージが違ったのかな。最後にカズが「これでいいのか」って。「私もうやめます」ってハッキリ言いました。日本代表ってこと、日の丸を背負ってるってことがどれだけ名誉なことなのか、みんなわかってなかった。23人のなかで4~5人だけ。これじゃ韓国に勝てない。監督さんもそれはわかってて「次のキリンカップに絶対来い」「いや、俺は辞めます」「絶対変わるから」って。本当に横山監督は恩人だね。チームも変わって、そこで初めてキリンカップに優勝したんです。

出水:そうなんですね。横山監督の存在もそうですが、ラモスさんやカズさんも背中で「こういうことだぞ」って見せたのも大きかったんじゃないかと思います。

ラモス:愛国心持ってる選手もいけど、少なすぎたんですよね。結局みんながそういう存在を待っていたんですね。私とカズとか、柱谷とか井原選手、都並とか、そういう戦える選手が出てきて、そこからじゃないかな。代表が遊びじゃないっていう。

出水:サッカー日本代表の試合といえば、やっぱり聞きたいのが1994年のアメリカワールドカップの予選、いわゆる「ドーハの悲劇」。あの一瞬は選手はもちろん、日本のみなさんが覚えている試合ですよね。

JK:日本中が忘れないですよ!

ラモス:私の中では悲劇じゃないですよ。あれは日本サッカー界の希望です。なぜ悲劇? 私たちが日本に帰ってきたらJリーグが待ってたし、1億5000万円ぐらいもらってたし。あれは希望ですよ。結局あれから中田たちが「俺たちもできるんじゃないか!」というつながりになったと思います。言い訳じゃなくてね。なぜ神様が私たちをそこまで行かせなかったのかは聞きたいと思いますけど。

JK:よく「負けは勝ち」って言いますもんね。それによって、2度と負けないために大きな教訓になる。日本中の教訓になった。あれから日本のレベルがあがったわよね。

ラモス:(W杯)行きたかったけど、私の中では希望だったんじゃないかなと思います。すべてがそこから見直すところもあったんじゃないかな。

JK:いい経験だったわね。サッカーわからなくても、あれだけはみんな知ってるのよ。

ラモス:まさか日本がどうなってるか分からないんですよ。私は新聞が読めなくて、家族にも電話してなくて、帰ってきたらあんなに3000~5000人が「感動をありがとうございました」って。私はバカだったから、感動を与えるために行ったんじゃないんだよって言った。そしたら初音ちゃん(妻)が「あなたここへ座って。日本がどうなったか分かってるの?」って。そこで初めて僕も「ごめんね、日本を連れて行きたかった。ごめんなさいね」と思うようになった。10人のうち7人ぐらいがあの時間までTVを見てたっていうのは、当時はすごいことですよね!

出水:すごい視聴率でしたからね!

JK:でもそこからサッカーファンができたし、女性もみんなサッカーを応援するようになったし、面白いってことがわかったのよ。

ラモス:スポーツ界全体が盛り上がりましたね。野球界も、バスケット界も。

JK:よそはね、女性ファンがいないの。サッカーは武器を持たない戦争でしょう。戦争なんだもの。

ラモス:一応ボールを使う戦争だからね。それぞれの国がプライドを持って、必死に戦ってるんですよね。遊びじゃないんです。日の丸背負って楽しんでくるっていう選手の言うことがわからない。遠足に行ってる場合じゃないんですよ! 結局当時の日本は、その4年ぐらい前にイタリアワールドカップの予選で香港とマレーシアに負けてるんですよ。4年間で私たちはあそこまでもっていった。オフト監督の下であそこまで作り上げたっていうのはすごいことだと思います。

JK:ドーハの時、ヴェルディが香港で試合してね。私はそれを見に行ったの。

ラモス:えっ? 何をしてるんですか! 代表のほうが大事やろ! お願いしますよ! それで負けたんやないか?! 初めて聞いたよ……先生、アカンて!

=OA楽曲=
M1. ELA E CARIOCA / Ono Lisa

「コシノジュンコ MASACA」
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