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武田砂鉄×北尾トロでやっぱり「山田うどん」、そして「町中華」。

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6月14日(金)のゲストは、ライターの北尾トロさん。武田砂鉄さんが河出書房新社で働いていたとき、北尾さんの本を担当していたとのことで。当時の「山田うどん」本についても盛り上がりながら、新著『夕陽に赤い町中華』について伺いました。

武田:北尾さんとは色んな企画をしましたが、その中でも7年前になりますが、埼玉県を中心とするローカルうどんチェーン店の山田うどんの本である『愛の山田うどん』、そして調子に乗ってもう1冊『みんなの山田うどん』という本、2冊作らせてもらいましたが、あれは何だったのでしょうか?あの山田うどんブームは(笑)

北尾:すっごい面白かったね(笑)なんかやると、どんどんリアクションが来て。勝手に道が開けていくような。

武田:山田うどん側からも話があって、「ラジオ聞きました。是非話を聞かせてください」というのがあって。
北尾:ラジオが鍵を握っていたんだよね。

武田:山田うどんがロードサイドで店舗を作っていることが多かったから、元々ラジオリスナーとの親和性も高かったんですよね。

北尾:1960年代後半からの歴史のある山田うどんがさ、去年屋号を変えるという大変革に乗り出したんですよ。今は、”ファミリー食堂 山田うどん食堂”という、”食堂”という言葉が2個入っちゃってる不細工な感じの、代理店の匂いが全くしない屋号に変わったんですよ。よっぽど「食堂になりたい」という思い、「俺達は食堂だぜ!」という気持ちがね。で、屋号が変われば看板も変わりますよね。それで何を思ったのか、山田うどんが発明した回転看板をやめるという。

武田:これは本当に山田界には激震が走りましたよね。

北尾:衝撃。回らなくなる。見てください、『愛の山田うどん』のサブタイトル。”廻ってくれ、俺の頭上で!!”(笑)

武田:山田ファンからすると、「世の中色んなお店が出来て、色んなビルが建つけど、山田うどんのあの回転看板はいつまでも俺達の頭上で廻っていてくれ」という思いを込めて付けたタイトルが、まさか山田側から止めるという(笑)

北尾:しかも急ピッチでそれが進んでいて、直営店が全体で160店舗ぐらいあるんですが、もう回っているのは20店舗ぐらい。しかも故障しているのもあるから、実質10店舗ぐらいじゃないかと。

武田:じゃあよく鉄道であるラストランみたいな感じで、最後のラスト回転は見に行かないといけないですね。

北尾:それは山田うどんの人に言ってます。「必ず知らせろ!」と(笑)

武田:何があっても駆け付けるからと(笑)

武田:最近”町中華”にスポットを当てて、『夕陽に赤い町中華』という集英社インターナショナルから本を出されましたが、そもそも町中華探訪のきっかけというのは何だったんですか?

北尾:5,6年前ぐらい。町中華は、学生時代通っていた店がある日、久々に行こうとしたら潰れてたんですよね。で、友達と行こうとしたんだけど、「町中華はほっとくと消えていくのかな?」と呟いたら、友達に「何、その言葉?」と。「それって一般用語なの?」って言われて。町中華という言葉は人から聞いたんだけど、いつも町中華に行くときは一人で行くもんで。発声をしたことがなかったんですよね。

武田:頭のなかで「町中華」という言葉は言ってたけど、人に言ったことがなかったんですね。

北尾:そう。それが面白かったので、じゃあ遊びで食べ歩いてみようと。昔通った店を行き始めたのが2013年ぐらい。そこからそれが面白くなって。町中華って戦後の食文化の一つなんですよ。

武田:この本読むと、それが一番伝わってきますよね。

北尾:町中華について考えてると、戦後のある断面が見えてくるのかなと思って。食べるのも良いんだけど、「美味い、まずい」やら「☆いくつ」やらってつまんないじゃないですか。そんなことをやるよりも、親父の鍋使いとかさ。

武田:むしろ、中華鍋に振られに行ってる感じですよね(笑)

北尾:そういうのを見に行ったり。火の使い方や調味料の技、あと床のヌルっとした感じ。色々見るポイントが見つかって、町中華は面白いなと思うんですね。

武田:この本読んでて面白いと思ったのはノスタルジーじゃなくて、今まだあるものを記録しておくことが重要なんだなと思うんですね。

北尾:まだギリギリ間に合うからね。かつて駅前食堂とか、昔ながらの定食屋さんとかって今はほとんどないですけど、絶滅しかけたときに「懐かしい」とか「良かった」とかって言うんだけど、やっぱりある内に食べに行かないと。

武田:読んでビックリしたのが、「何で町中華がたくさん出来たのか?」を考えると、中華料理だから中華のことを考えるんだけど、むしろこの本でよく出てくるのはアメリカで。戦後すぐ、米不足が続いているところをアメリカが「チャンス!」と思って、小麦をとにかく売り込んだと。それによって麺業界、ラーメン屋さんが増えたと。

北尾:それを狙ったというより、パン食を日本に根付かせようと。学校給食とかをメインに。あとは家庭ですね。キッチン化を走らせて、そこで洋風のハイカラなメニューを教えて。

北尾:そこで、闇市とかでこぼれてくる小麦を使ってラーメン。ラーメンは戦前から人気があったので。人々が熱量やパワーを求めて、ラーメンが大人気になったんですね。それで独立して行って。最近は見掛けないけど、屋台とかを引くようになって、お金を貯めて町中華を開業するという人も出て来て。地方から来る人、満州から帰ってくる人が多くいて、「食っていかなきゃいけない!」という中、手軽に始められたのが日本式の中華食堂だったんです。

武田:地方から上京する人たちと、満州などから帰ってきた人たちがまず何を始めるかと言ったら、アメリカの小麦政策と合わさって中華料理屋を始めるというのは、色んな掛け合わせがあってドラマチックだなと思いますね。まだ町に残っている勝ち組の町中華は、そのときからの勝者ですよね。戦後の日本をその町からずっと見続けていた、勝ち組なんですよね。それなのに、特にそこまで美味しくないってすごくないですか?

幸坂:う〜ん…(苦笑)
武田:「う〜ん」だって(笑)

すごい熱量は、radikoで確かめてみて下さい。

北尾トロさん「町中華は戦後の食文化の一つ」http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20190614163242

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