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宇多丸、『旅のおわり世界のはじまり』を語る!【映画評書き起こし 2019.6.21放送】

アフター6ジャンクション

宇多丸:

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『旅のおわり世界のはじまり』。(バックに流れる)この「愛の讃歌」がね、またちょっと今までとは違う感じでね、これから響くようになると思いますけど。『クリーピー 偽りの隣人』『散歩する侵略者』などの黒沢清監督が、オール・ウズベキスタンロケを敢行したロードムービー。

とある夢を抱くテレビ番組レポーターの葉子は、取材のためにウズベキスタンを訪れる。撮影クルーとシルクロードを旅する中で、葉子の心にささやかな変化が起きていく。主人公の葉子を演じたのは、黒沢監督作品の『Seventh Code』『散歩する侵略者』に出演した前田敦子。また、加瀬亮、染谷将太、柄本時生などが脇を固める、ということでございます。ということで、この作品『旅のおわり世界のはじまり』をもう見たというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>のからの監視報告(感想)をメールでいただいております。ありがとうございます。

ただ、メールの量が「少ない」って……おい! どうなってんだよ? 本当にね。ちょっとそれは残念なんですけど、賛否の比率は「賛「が7割、その他3割……でもね、公開規模がね、小さいんですよね。シネコンとかでかかっているわけじゃないんでね。主な褒める意見としては、「女優・前田敦子の演技が見事。はまり役」「コミュニケーションが取れない異国での孤独・不安など、黒沢清作品らしい全編に漂う不穏感や居心地の悪さも素晴らしい。ウズベキスタンの風景も美しい」とかですね、「自分が本当にやりたいことと現実とのギャップに悩む主人公の姿に共感」とかがありました。否定的な意見としては、「主人公が理不尽な辛い目にあうだけで見ていて辛くなる」「思わせぶりなシーンばかりで大きな山場もなく退屈だった」というようなご意見がございました。

 

■「見終わってからも自分の中で映画が持続する、最高に清々しい大傑作」(byリスナー)

ということで、代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「頭巾」さん。「『旅のおわり世界のはじまり』、素晴らしかったです。黒沢清の映画としても、前田敦子の映画としても、大満足の1本でした。この映画には黒沢清の代名詞であるダンボールもスクリーンプロセスもありませんが、最初から最後までまごうことなき黒沢映画であり、しかもこれ以上なく自己言及的な黒沢映画だと感じました。また、この作品の飽くなき映画の探求を前にして、映画はこんなにも自由でこんなにも楽しいのかと驚かずにはいられませんでした。映画の虚構性と偶然性をたたえる一方で、映画の固定観念を破壊する、ゆえに映画の法則を恢復せよと言わんばかりに、映画へと立ち返る終盤には胸を打つものがありました」。

で、いろいろと書いていただいてですね。「……一黒沢清ファンとしてうなったのは、前田敦子と加瀬亮の食卓での会話シーンです。外部の存在を強烈に意識させる白いカーテンを背に向けた加瀬亮と、彼に向き合う前田敦子。だんだんと2人の内面へと侵入していく撮影と編集。そして前田敦子の視線の動きに痺れました。2時間弱の漂泊の末に、<女優>と<旅の終わり>を描き続けてきた2010年代の黒沢映画を軽やかに締めくくり、新しい映画の誕生を高らかに宣言する。見終わってからも自分の中で映画が持続する、最高に清々しい大傑作でした」ということでございます。

一方、「ドブネズミ」さん。「個人的に今年いちばんのハズレでした。ひたすら前田敦子が理不尽な目にあうだけなので、見ていて辛くなりました。特殊性癖の持ち主しか喜ばないのではないでしょうか? 劣化版『世界の果てまでイッテQ!』とでも言うべきバラエティー番組の取材クルーは常に機嫌の悪いディレクターや薄ぼんやりしたADと没個性な人ばかり。彼らの掘り下げがあれば『辛いのはみんな一緒なんだな』とも思えるのですが、掘り下げがない以上は主人公に降りかかる災難の具現化でしかありません。この映画を見て観客は何を持ち帰ればよいのでしょうか? 得る物が何もない2時間でした」という、非常に対照的なメールでございました。

 

新境地を切り開いた黒沢清監督の一作

はい。ということで『旅のおわり世界のはじまり』、私もテアトル新宿で2回、見てまいりました。昼間の回で、両方とも結構入ってて、ところどころで自然に笑いが起こるような、本当にいい雰囲気の劇場でしたけどね。黒沢清監督作品、『ウィークエンド・シャッフル』時代からいろいろ何個か扱っておりまして(2016年6月25日放送『クリーピー 偽りの隣人』評2017年9月16日放送『散歩する侵略者』評)。書き起こしが残っているやつもありますので、ぜひそちらも参照していただきたいんですが。とにかくですね、僕は、これまでの作品評でも言っているように、長年の黒沢清映画のファンなわけですね。

ただ、その目から見てもですね、今回の『旅のおわり世界のはじまり』は、もちろんこれまでと同じく、ザ・黒沢清映画! な不穏さとかですね、あっと驚く映画的な飛躍、というのもたしかにあるんだけど、それ以上に、ちょっとこれまでになかった……要するに、これまでに通じる部分っていうのもたしかにもちろんあるんだけど、それ以上に、これまでになかった部分、これまでになかったアプローチ、タッチが際立つ。まさに「新境地を切り開いた」と言うのが相応しい一作になっている、という風に思いますね。

 

■「海外ロケ」を逆手に取ったクレバーなアプローチ

まず、日本とウズベキスタンの国交樹立25周年、というタイミング。あと、劇中でも出てくるナヴォイ劇場っていうのがウズベキスタンにあって、それの完成70周年記念という、それがあってからの、国際共同製作企画というのがまず先にあってですね。要は、「ウズベキスタンで全編ロケする」っていうこと、あとはその「ナヴォイ劇場っていうのを出してくれ」という、この条件さえ満たせばどんなんでもいいですっていう、まあ大枠はあるけど自由度は非常に高い、という形で、国際的にも評価が高い黒沢清監督に白羽の矢が立った、という形らしいんですけどね。

で、そこで黒沢さんが書き下ろした脚本のアプローチっていうのが、まず大変に独特、かつ、まあ非常にクレバーだなって思ったんですね。要は、監督ご自身はですね、さっきメールにもありましたけども、本当に『世界の果てまでイッテQ!のイメージという風におっしゃってますけど、とにかく、ああいうバラエティ色強めの旅番組、そのレポーターを務めるタレントの女性の視点を通して、日本人から見た異国であるそのウズベキスタン、その人々や文化との距離感とかね、本人の、「こんなところまで来てわたし、何やってんだろう……?」っていうような葛藤と成長、というのを描いていくという。

つまり、「とにかくウズベキスタンで何かを撮り上げる」っていうこの作品の制作プロセス自体と、重なる作りになってるんですよ。それによって、まず単純に、「ああ、この作り、上手いな、頭いいな」と思ったのは、たとえば街中でロケとかした時に、道行く人が、撮影隊とか、あと主人公に向けるその好奇の目とか、などなどがですね、要するに作中に自然に取り込めるわけですよ。普通に「テレビ隊が撮影をしている」っていう場面を撮っているから、みんながこっちを見ていても、全然おかしくないわけじゃないですか。

映り込む人などなどを無理にコントロールしないで済む設定なのが、まず上手い、頭いいなと思って。実際ですね、黒沢清監督作品では考えられないほど、あえて全てをコントロールしていない、言ってみればちょっとドキュメンタリックなショットみたいなのも結構多い作品でして。要は、黒沢清作品というのは、日本の街並みとかっていうのをいかに映画的に切り取るかっていう、そういう戦略が常にあるがゆえに、独特の緊張感が……そういう風に完全にコントロールされた画面っていうのが、黒沢清作品のカラーを形作ってきたわけなんですけど。

今回はそういう、画面のコントロールっていうのに対する意識的な縛りっていうのを、あえて解き放ったかのような……非常に風通しのよい感じが、全編から伝わってくるわけですね。これ、オール海外ロケっていうのをここまでプラスに転じてみせられるっていうのがまず、日本の映画では実は結構少ないんですよね。オール海外ロケになると途端にダメになる、っていうが結構多くて。なので、戦略としても非常にクレバーなアプローチだな、という風に思います。

 

■海外ロケで際立つ、前田敦子の「わたしの居場所は本当はここではないんだけどな」性

そして、なによりもすごいのは、そこで主人公・葉子役として最初から想定されていた……つまり当て書きで書かれているのが、他ならぬその前田敦子である、ということですね。まあ言うまでもなく、元AKB48、不動のセンター。なおかつ、AKB卒業後は、女優として本当に素晴らしい仕事の数々を残されております。たとえば僕が評した中で言うと、2013年12月7日に前の番組で(時評を)やりました、『もらとりあむタマ子』とか。あとはちょっと僕ね、時間がなくて見れてないんだけど、いま公開中の『町田くんの世界』でも、やっぱりあっちゃんがすごい持ってくらしいんですよね。これ、ちょっと見ておきたかったんですけど、すいません、時間がなくて、まだちょっと行けていない。でも、かならず行きます!……などでも、好演を見せているという。

で、先ほども言いましたように、黒沢清映画の出演、さっき言った『散歩する侵略者』での長澤まさみの妹役も最高でしたけど、本作に直接連なる何かって言えば、やっぱり2014年の『Seventh Code』。1時間の中編……というか、もともと前田敦子さんの同名曲のミュージックビデオなんですね。ところが、それがローマ国際映画祭で賞とかとっちゃったりして、国際的にも非常に高く評価された作品で。

エキセントリックな女性の、自分探し旅物語なのかな、と思いきや、まあ終盤で、文字通りあっと驚く急展開があって……一大スパイアクションというか、一大活劇になっていく、っていう怪作。まあ、めちゃめちゃ面白いんですけど。鈴木亮平さんと大立ち回りを繰り広げる、というね。めちゃめちゃ面白い作品でしたけど。で、こっちの『Seventh Code』はロシア・ウラジオストクのロケ作品なんですね。

なんだけど、とにかくこれ、黒沢清監督ご自身の、パンフレットに掲載されてるインタビューの中の発言としてね、前田敦子さんを評して曰く、「誰とも交わることなく1人ポツンとフレームに映っていても、『たしかにここにその人がいる』という感覚が画面を通じて強烈に伝わってくる」「孤独感に近い気もしますが、決してネガティブなものではない。ある種のタフさも含んだ『実存感』と言ってもいいもの」っていう風におっしゃっていて。僕はこれ、本当に我々が彼女に感じる魅力の本質を、完全に言い当てていると思いますね。

なんかその、どこにいても居心地が悪そう。どこにいても「わたしの居場所は本当はここではないんだけどな」っていうのを、内側に秘めて、溜めこんでいるような。あの、なんか不機嫌そうなんだけど、強い意志を感じさせる存在感、というかね。それを見事に言い当ててると思って。とにかく、彼女のそういう資質が、海外ロケをするとさらに際立つわけですね。異国で、アジアの女の子がポツンとそこに立ってる。孤独で、なんか心もとないんだけど、屹立してる感じもある、というか。間違いなく、そういう側面はあると思うんですね。

で、とにかくその黒沢清監督作品が、ここまで1人の俳優、女優から触発されて、その1人の個人に全編で焦点を絞って、ほとんどドキュメンタリー的でさえあるようなアプローチで作り上げられた、っていう例は、少なくとも長編作品ではいままでにないわけですね。だから、どんだけやっぱり前田敦子がミューズなんだ、っていうことだと思うんですけども。ということで、今回のその『旅のおわり世界のはじまり』。

 

■起こる出来事は些細なものでも……「なんでこんなに面白いのかよ!」

出だしはさっき言った『Seventh Code』に、ちょっと重なるところもあるんですね。要は、前田敦子さん演じる主人公の女性が、異国の只中にポーンと放り出されて。で、荷物を抱えながら、ドタバタドタバタ右往左往してるところから始まる。これは非常に近いわけですよ。『Seventh Code』だとあの赤いジャケットとかジャンパーに対して、今回は、おそらくウズベキスタンの街並みとか、あと草原の緑とか空気感とのバランスを考えたんでしょうね、あのオレンジのウインドブレーカー、すごく印象的ですけども。まあそんな感じで、右往左往して。そこから始まる話。

なんだけど、『Seventh Code』とは非常に対照的に、今回は、起こることそのものは大変ミニマムです。後半、物語の外側では、それこそ黒沢清過去作の、『カリスマ』とか『回路』とかを思わせるような、超巨大なカタストロフが起きてるんだけど、主人公たちの周囲はあくまでも……まあ見方によっては、先ほどのメールにもあった通り、見る人によっては、「えっ、なにも起こってないんですけど?」っていう風に思うような話、とも言える。それもまあ、間違いではない。

ただ、やっぱり視点を主人公・葉子に絞って、彼女から見た「世界」ですね、その自分以外の世界の、彼女から見たその刺々しさとか、よそよそしさとか、寄る辺なさっていうのを、非常に丹念に描き出すことで……出来事としてはごく些細なことだとしても、それら全てが、僕は、異様なまでにスリリングさをたたえていると思いました。「この1個1個が、なんでこんなに面白いのかよ!」と思いながら見てましたけどね。

たとえば、最初の湖でのロケ。まず、防水ズボンに関して、「これ、前に穴が空いてたんですけど」なんてことを言う。そういう会話から、彼女が、これまでも過酷なロケ……決して快適とは言えないロケ、撮影をこなしてきたんだな、っていうのが伝わってくる。がんばってきたんだな、っていうのが伝わってくる。で、「(穴が空いていたのは)直しましたんで」って言われて、文句ひとつ言わずに履く。

にも関わらず、たとえば染谷将太さんがですね……これは実は染谷将太さん、黒沢清その人の佇まいも多分に反映しているという、ディレクター役ですね。その、絶品の事務的な感じ悪さ。とにかく事務的に……しかも、せっかく外国に来てるのに、その場の出来事を取り込んで撮るのがドキュメンタリックなお仕事であろうに、ずっと台本に目を落としていて、周りを見ようとしてない感じがまた、腹が立つな!っていう(笑)。

 

■誰にでもあるはず。「今、自分はなぜここでこんなことを……?」という瞬間

そんな染谷将太さん演じるディレクターであるとか、あるいは、加瀬亮さんが演じる、やはりこれまた絶品の、職人ゆえの倦怠感というのかな、職人として仕事をきっちりこなしてきたがゆえの倦怠感、心を削られないための倦怠感を漂わせているベテランカメラマン。あとは、いかにも「命令に従うしかないんですよね」っていう従順さを全身にまとってる感じの、柄本時生さん演じるAD。この撮影クルー3人の、「ああ、本当にこんな感じなんだろうな、『イッテQ!』のロケとか!」って思わされるような「本物感」が、まずすごく素晴らしいと思うんですけど。

だから、とにかく彼らの言動の端々から……彼らのバックボーンを僕らも十分に見ている(も同然だ)と思うし。そして、その彼らの言動の端々からですね、主人公・葉子は、いちいち「わたし、なんでこんなことやってるんだろう……?」と思わざる得ないような、疎外感を強く感じている。ということがですね、たとえばその、カメラが回ってる間の……それまではずーっと、すごく薄暗い声で、ブツブツブツブツ原稿を覚えていたりして、非常に薄暗い雰囲気を持っている彼女が、カメラが回り出すと、まあ我々がよくテレビで見るような、レポーター的な振る舞いをワッとしだすわけですね。

非常に器用なんですね。その、痛々しいまでのがんばり。あそこで米を食べて、「パリパリして美味しい!」って言った瞬間に、思わずもう劇場で爆笑が漏れてましたけど。だから彼女は、基本的にとても優秀なんですよね。機転も利くし、ガッツもあるし。ということなんだけど、それだけに痛々しい。で、カメラが回ってない時、それ以外の時の、この内にこもるような、世界を丸ごと拒絶してるような、頑なな沈んだ表情とのギャップで、要は我々観客側にも、彼女がいかにいちいち傷ついてるか、いかにいちいち自分の存在とか行動とかやってることに疑問を感じているのか、っていうのが、キリキリと伝わってくる。

これはやっぱり、我々誰もが、全員こういうことはあるでしょう?っていう。僕だって、すごく好きな仕事をやってますけど、やっぱりある瞬間、「あれ? オレ、いまなにやってんだっけ? なんでいま、こんなところに来てるんだ?」って思うこと、やっぱりありますよ。普通に社会人として仕事を重ねていたら、絶対に誰にだってある瞬間じゃないですか。彼女の苦しみは、誰にでもある苦しみであり悩みだと思うんですよね。で、彼女にしてみれば、そうやって心を閉ざしていってしまうのも無理からぬ状況、というのが描かれているわけです。

 

■不安げに、頑なに、テテテテテッ……と見知らぬ街を駆けていくあっちゃん

たとえば、さりげないところですけどね、ロケバスの車内で着替えているところを、通行人、主に男性たちの視線にそれが晒されている、っていうショットが2回ぐらい出ますよね。あれだって、何とも言えないヤダみ、なんか暴力性すら感じるようなショットだったりしますよね。だからそうやって心を閉じざるを得ない中で、でもそういうところで、そういう時に限って、ロケ先の食堂のおばさんが、なんか親切にしてくれてるらしいんだけど、彼女はもう、それを素直に受け取ることもできない。

それを認めてしまうと、「わたしがさっきやった仕事って何だったんだよ? わたしって何?」っていう感じになっちゃう。どんどんどんどん沈んだ気分を深めていくばかり、ということになっていく。だからこそ彼女は、東京にいる、その姿は見えない彼氏との連絡っていうのを、唯一の心のよりどころしていて。そこで彼女がひとりになった時に、我々から見ると「ブブッ、ブブッ……」としか鳴らない、その携帯の音のみに心を許してる感じっていうのも本当に、「かわいそうに……」っていうね。本当に切なくなる場面。

で、おそらくですけど、クルーとプライベートな時間まで共有したくない、という気分からでしょうかね。1人で、夕飯を買いに行くっつって、バザールに行くという彼女……こんな風に、作品中計3回ある、主人公・葉子の、街中彷徨いシーン。これこそが、「前田敦子×海外ロケ」っていうものの真骨頂たるくだりでして。とにかく頑なに、世界に対して、堅いガードを解かない。不安そう、かつ頑固そうな表情を崩さない前田敦子=葉子はですね、異国の街中を、これです、ひたすら小走りで……ずーっと小走りで、画面を斜めにテテテテテッと、駆け抜けていく。

彼女がまたですね、「えっ、お前、何でそこに行った?」っていうような、よくわかんない坂とか土手っぽいところとか、なんかわかんない道路脇とかをですね、明らかに行き先が分かってるわけでもないのに、たぶん怖さと不安さからなんでしょうか、とにかくひたすらテテテテテッ……と、小走りで横切っていく。で、時にはその、道端にたむろってる男たちとバッと出くわして、「ひいっ!」なんつって、思わずおののきつつ。そんな怯え方していたら余計に危ないんじゃないの?っていうぐらい、壁際をまたテテテテテッ……といく、というような。

すると、さらにその角を曲がった先には、ちょっとそれこそブニュエルとかフェリーニ的と言っていいような、ちょっと幻想的な、ある出会いがあって。しかもそれが、中盤とラストの伏線にもなっているわけなんですけども。とまあこんな感じで、彼女のこの小さな冒険旅行……ビビりながら、「ノー!」と言いながらの、小走りぶらり旅がですね。まるで本当に我々観客も、知らない街のどこかにポンと放り込まれたような感覚で、すごくスリリングだし、いちいち面白いわけです。

 

■厳しいロケを笑顔でやりこなす葉子の姿につい思い出すのは……

で、その街を彷徨うシーンの見せ方も、いろいろ変化があって。中盤。さっき言ったナヴォイ劇場っていうところに誘い込まれるように入り込んでいくくだりの……要するにいくつもの部屋を通過していく、ちょっとだまし絵のような見せ方をしているわけですね。編集も含めて。その、夢幻的なタッチも面白いし。そこからの、ホテルの部屋に帰ってパターンとベッドに倒れこんだ瞬間に、窓からブオーッと風が吹き込んでくるという、これはまさにザ・黒沢清!っていうケレン味あふれる演出も、ちょっと笑っちゃいましたし。かと思えば、クライマックスと言っていいかわかりませんけども、あの巨大バザールの、どんどん深部に入り込んでいく、というシーンの、これはもう明らかに撮っている側がキャッキャキャッキャ言っていて何よりも楽しそうな、逃走劇、サスペンスタッチ。これも愉快ですし。

あと、思わぬところでザ・黒沢清!とといえば、2日目のロケで葉子が乗せられる、絶叫マシーン。ここがいちばんの残酷シーンと言っていいでしょう。巨大な止まらない機械の恐怖感。これはまさに黒沢清映画的な恐怖感なんだけど、それがしかも本作では、前田敦子本人による、紛れもない生身のスタントシーンでもあるわけですよ。あっちゃん、本当に3回、回ってるらしいんですよ。だからそこで、「もう1回、行こうか」「オレが隣に座るから、もう1回」のセリフに、オレ、思わず映画館で、本当に「えっ、マジか?」「うそーん!」って、思わず声に出して言ってしまったという(笑)。

しかもそこで、当然のごとくふらっふら、嘔吐までしている。現地の関係者のおっさんがね、「脳の血管が切れて死ぬぞ!」とまで言って警告して、止めているのに。結果ふらっふら。でも、そこでクルー側、あのディレクターの、「葉子、やれるか?」という問い。これも、「一旦彼女の意思を確認してみせる」って話法が、またちょっと残酷なんですよね。でもそれに対して「やれます……」って言う。

で、やはりまたさっき言ったように、我々が日々テレビで目にしているようなタイプのレポートを、明るい調子で……しかも一言、自分なりのアレンジまで加えてやりこなす葉子の、その痛々しくも健気な感じ。思わず僕は、やっぱりここで、AKBドキュメンタリー二作目での『フライングゲット』……ふらっふら状態のあっちゃんが、立ち上がって、ニコーッとして『フライングゲット』を歌い出す、あの瞬間。それを想起したのは僕だけではないはずだと思うんですけどね。だから、彼女自身の人生にもちょっと重なるような瞬間なんですけど。

 

■身体を張ったパフォーマンスで我々に語りかけてくるラスト

ということで、彼女がね、羊のオクにかける「本当には何を望んでいるの?」というあの言葉、まさにそれは、彼女自身への問いかけでもあって。で、そこから中盤、さっき言ったナヴォイ劇場で見た理想の自分の幻影に促されるかのように、彼女が初めて、自分の本当の心情を他者に語るところ。で、それを受けた加瀬亮演じるカメラマンも、人生の先輩らしくそれを受け止めてみせる。さっきのメールにあった場面ですね。この会話シーンは本当に見事に感動的。

そこでだんだん、カメラが初めて、加瀬亮の顔とかにちゃんと寄っていく。少しずつ画角が寄っていくあたり。このへんも感動的でしたし。あと、通訳のテムルさん。これ、演じるアディズ・ラジャボフさんという方は、ウズベキスタンでは大スターの方らしいんですけど、日本語を全くしゃべれないどころか、聞いたこともないのに、あの長台詞&長回しって、本当にすごすぎ! ですけども。彼が……要は彼が日本語通訳をするに至るきっかけとなった、歴史的経緯を語るところ。つまりあれは、これまでの撮影クルーの振る舞い全体が「見返される」っていう瞬間でもあって。

僕がよく言う「見る/見返す」の、その視点の逆転。「うわっ、見られていた! オレたち、恥ずかしい!」ってなるという。あそこも非常に胸にグサッと刺さるところですし。で、そこからいろいろね、バザールでの逃走劇から、とある一大事件を経て、少しずつ世界に対して心を開けるようになっていく葉子が、ラストのラスト、山頂で、あるものを見て。彼女はですね、ついにこの世界と折り合いをつけて生きていく覚悟を手に入れて、それを表明するわけです。まさにこれね、『サウンド・オブ・ミュージック』とか、あとは『ラ・パロマ』とかね、こういう山頂のあたりで急に歌い出す、みたいなのを思わせるような、映画的な飛躍。

中盤のそれとも重なるんだけど、中盤のそれは彼女が見ている幻影(ということがはっきり示される描写)なのに対して、こちらはその物語的な現実を超えて、フィクションがこちらに語りかけてくる、というような感覚なわけですよ。より飛躍が大きいというか。しかもそれを、本当に見事な、前田敦子さんご自身の身体を……まさにその、身体を張ったパフォーマンスで見せる。リアルタイムで伴奏をつけた生歌に、後からオーケストラをつけて、あの抑揚というか、あの感情のカーブを作っているらしいですね。まあ、これはぜひ劇場で見て、「うわーっ!」となっていただきたいんですけど。

 

風通しのいい、黒沢清監督の新境地にして大傑作!

ということで、ここに至ってやっぱり、「これは誰もが感じる現実の葛藤でしょう」ってさっき言いましたけども。その現実の我々に対する問いかけであり、エールであり、っていうところに最後、着地をしてくる。しかもそれがもう、やはりその黒沢清さんならではの大胆な映画的飛躍であり、しかもこれまでの黒沢清映画には全くなかった、なんかすごい風通しがいい作りの先に出てくるものであり……っていうことで。

まさに僕も、先ほどのメールにあった通り、黒沢清監督の新境地であり、新たな大傑作だと。ちょっとつまんなかったっていう方、もう1回ディテールを味わい直してみてください。1個1個がマジでスリリングっていうか、「映画って、このくらいのことで、なんでこんなに面白くなるの?」「なんでこんなに面白いのかよ!」(笑)と思いながら全編、見ておりました。最後、本当に滂沱のごとく泣いてしまうようなエモーションも現れる、本当にすさまじい傑作でございました。大好きな一作がまた生まれてしまいました。ぜひ劇場でウォッチしてください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『ザ・ファブル』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

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