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宇多丸、『ドッグマン』を語る!【映画評書き起こし 2019.9.20放送】

アフター6ジャンクション

 

TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『ドッグマン』2019823日公開)。

オンエア音声はこちら↓

宇多丸:

ここからは私、宇多丸がランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞して評論する週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのはこの作品……『ドッグマン』。(不穏なBGMが流れる)そうそう、あんまり音楽がガンガン鳴るタイプの映画じゃないんですけど、自然音っていうんですかね、ディスコのシーンとか以外は、これが何ヶ所か流れる、というのがありますね。

ということで、『ゴモラ』などで知られるマッテオ・ガローネ監督による不条理ドラマ。イタリアの寂れた海辺の街でドッグサロンを経営するマルチェロは、暴力的な友人シモーネのせいで、家族や仲間の信頼を失ってしまう。マルチェロは平穏な日常を取り戻そうと、ある行動に出るのだが……。ということで、主演のマルチェロ・フォンテさんは、本作で第71回カンヌ国際映画祭で主演男優賞を獲得されました。

はい。ということでようやく当たったという感じですね。この『ドッグマン』をもう見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「ちょっと少なめ」。まあ、公開規模もかなりね、小さいですし。あと、公開からずいぶん、結構経っちゃったってっていうのもね。ちょっとそこは残念でしたけどもね。すいませんでした。

ただし賛否の比率は、ほとんどの感想が「褒め」のかたでございました。褒めている方の主な意見は「大人になったリアルジャイアンとのび太不条理な暴力に満ちた世界とわりきれない結末。終始スクリーンから目を離すことができなかった」「今年のベスト悪役候補、シモーネが恐ろしすぎた」「舞台となるイタリアの団地が不穏過ぎる」などなど。否定的な意見は「もっとエグい映画を期待していたが、意外と淡々としていて物足りなかった」というものでございました。

■「『イタリア版ドラえもん』どころではない。普遍的で恐ろしいテーマ性を持った傑作」(byリスナー)

代表的なところをご紹介いたしましょう。ラジオネーム「ラ・ラ・ランド」さん。15歳、中3の方。「ハネケに魅了され、ランティモスに歓喜した不条理劇好きの自分にとって至福の103でした。全編に張り詰める突然の暴力への緊張感。登場人物の感情を説明台詞なしに表す見事な心理描写。圧倒的な不穏さを醸し出すロケーションと映像。そして本作最大の魅力となっている役者陣の演技は、今年見た映画の中でもトップクラスのものでした。

いつ爆発するかわからない暴力の時限爆弾のようで、行き過ぎたジャイアニズムを持つシモーネを演じたエドアルド・ペーシェ。そして表面上はシモーネの暴力を引き出さないように接し、彼への友情を感じているが自身の人生を壊されるにつれ、暴力への恐怖と憎悪を持ち始める主人公マルチェロ演じたマルチェロ・フォンテ。2人の繊細かつ大胆な演技が作品に妙なリアリティを与え、ある種の寓話性をも与える。実に素晴らしい」ということでございます。ありがとうございます。

……余談になりますが、自分は小学生の時に同学年の暴力性を抱えた子の止め役をしていたことがありました。その時は自分はまさにマルチェロのようで、不必要に刺激せずに優しく接し、怒りを収めようとしていました。本作を見て自分があの時に一歩間違った対応していれば、マルチェロのように振り回される人生になっていたかもしれないと思いましたし、暴力性を抱えた人間との距離感や関わり方を改めて考えさせられました。

本作は『イタリア版ドラえもん』みたいに軽く揶揄されることも多いですが、この作品は人間との付き合い方など、様々な、普遍的で恐ろしいテーマ性を持った作品だと思いますし、鑑賞後に実際の事件が元になっていると知り、さもありなんだと感じました。全ての要素が見事で一部の人の背筋も凍らせる。都内2館上映はあまりにも少なすぎる。好き嫌いは分かれると思いますが、たくさんの方に見ていただきたい大傑作だと思います」ということです。

まあ、言ってみればドラえもんのあの人間関係……藤子・F・不二雄先生のああいう漫画に出てくる人間関係も、あれはああいう風にコーティングされてるだけで。あれは全然醜い……ゴリゴリに醜いですからね。あれだってね。という面もある。とにかく感想メールありがとうございます。

一方、「ミスターホワイト」さん。「何より目を奪われるのは舞台となった荒廃した海辺の団地です。この作品の真の主人公と言っていいでしょう。主人公の風体も強いものがあり、ダメながらも幸せになろうと奮闘する姿は強烈です。ただし、中盤の大きなアレがあっても大きく変われていない点は見ていて歯がゆかったです。

本当に人としてダメな、ピュア・イーヴルと言える大男、純粋な邪悪と言えるようなこの大男は最近の煽り運転暴行男を連想しますが、この大男へのとどめのあたりはグダグダで、ここで男の変化を見せれていたらな、と思うのです。意味深な最終シークエンスも余計でした。ちょっと惜しいです」ということです。「70点」というようなことも書いていたいだております。みなさん、ありがとうございます。

現代イタリア映画界を代表する巨匠、マッテオ・ガローネ監督のキャリアとは

はい。ということで『ドッグマン』、私もヒューマントラストシネマ渋谷で2回、見てまいりました。満席でした。公開から結構経ってるのに、ほぼ満席状態でしたね。しかも客層も、老若男女というかね。まあ文春とかで取り上げられて、非常に高評価だった、というのもあるとは思いますけどもね。ということで、この番組では519日に、京都ドーナッツクラブ代表、ラジオDJとても活躍されてます野村雅夫さんに、今年のイタリア映画祭の上映作品の中のおすすめの1本として、ご紹介いただきました。

監督と共同脚本は、マッテオ・ガローネさん。日本では先ほどね、オープニングでも話題に出しました、ナポリを拠点にする巨大組織カモッラの実態を描いた実録ギャング物、『ゴモラ』という2008年の作品。こちらが有名ですね。カンヌ映画祭のグランプリ作品でございます。僕も日本公開時、非常に評判を……それで僕も「なんかイタリア版『グッドフェローズ』とか、そういう感じかな?」と思って見に行ったら、そのあまりにも淡々とドライに突き放したタッチに、むしろガーンと食らったという。本当に忘れがたい1本、という感じでございます。

だから、思ってたより地味な映画なんだけど、そこがすごいというか怖いというか、そんな感じですね。で、そのマッテオ・ガローネさん。その後もバンバン撮っては高く評価されていてですね。2012年の『リアリティー』という、これは打って変わって非常にポップでカラフルなパッケージングなんだけど、結局やっぱりすごく突き放した、ビターな味わいの寓話。マッテオ・ガローネさんの映画は、今回のも含めて、実録ベースでも、全体が寓話っていうね、非常に寓話的な作りだ、ということは言えると思いますが。その『リアリティー』でも、またもカンヌ映画祭グランプリ。連続で取っちゃうというのはすごいことですよね。

ということで、いまや押しも押されぬ、名実ともに現代イタリア映画界を代表する巨匠中の巨匠となっております。で、2015年にイタリア・フランス・イギリス合作の『五日物語 -3つの王国と3人の女』という、これは初の英語作品で。わりとマッテオ・ガローネさん、それまで知られてない役者さんをキャスティングして、その実在感を強調する、っていうのが多いんですけども、これに限っては、わりと世界的に有名なキャストを揃えて。それでVFXもあったりするようなファンタジーなんだけど……ギョッとするほど残酷だったり意地悪だったりする、ダークなおとぎ話っていうね。ちょっとひどい話すぎる。本当にヴァンサン・カッセルが嫌いになる!っていうね(笑)。面白かったですけどね。

そんなのもやったりして。そこから久々にですね、さっき言った『ゴモラ』とか、その『ゴモラ』の前々作に当たる、2002年の『剥製師』という作品があって。これ、日本ではですね、2003年だかのイタリア映画祭での上映と、当時のシネフィル・イマジカで放映したぐらいで、ソフト化もされてなくて。で、僕はすいません、ちょっとね、輸入盤の取り寄せが間に合わなくて。予告編とかネットの情報でしか調べることができなくて。ちょっとこれ、申し訳ございません。

まあとにかく、パンフレットによると、その『剥製師』のロケハンをしている時に見つけたらしいんですけども、『剥製師』『ゴモラ』に続いて、「コッポラ村」というね、ナポリ郊外、ナポリから40kmだか離れているという郊外の、かつては都市開発で一時は栄えたけども、いまやすっかり寂れてガランとしてるという、その海辺の街というか村というか、そこでロケした実録ベースの……これも88年にローマで起きた、「マッリャーナの犬屋事件」っていうのがあったらしくて、それを元にして大きくアレンジをしている、という実録ベースの犯罪物。それもやっぱり、ドライに突き放した犯罪物、っていうことですね。

で、特に、手に職を持ちつつも、なんかナメられがちな貧相な1人の男に焦点を合わせたという点で、『剥製師』により近いところに回帰した一作、とは言えるかもしれない。まあ『剥製師』が僕は見れていないのでちょっと申し訳ないですけども。まあ、概要を見る限りは今回の『ドッグマン』は、『剥製師』に近いのかな、という感じがします。どんな映画なのか、順を追って話していきますけども。

■強烈な印象を残す無名の俳優マルチェロ・フォンテ、犬、コッポラ村

まず、ド頭ね。洗い場というかシンクに繋がれた、ものすごく獰猛そうな、言うことを聞いてくれなさそうなワンちゃんが、ワンワン! ウーッ!つって、ゴリゴリに威嚇してくる。それをですね、もう見るからに貧相な、明らかにその犬より……もう瞬時に殺されそうな、貧相な猫背で痩せた小男が、しかし怖がるというよりは明らかに愛情を持って、「アモーレ、アモーレ」とか言いながら、なだめて身体を洗ってあげようとしている。で、見てる側は、「これ、大丈夫か? ちょっと危なくねえか?」って……実際に見ていて、怖く感じる、危なく感じるんだけども、なんだかんだでドライヤーをかける頃には、ワンちゃんもすっかり気を許してる風でもあることで、「ああ、意外とやるな、この男」という感じがする。

これが主人公のマルチェロ。演じるマルチェロ・フォンテさんという方は、これまで全く無名の方で、オーディションで選ばれたという方ですけども。本作の演技で、カンヌ映画祭主演男優賞を見事獲得。こんな感じで、先ほどもチラッと言いましたけども、マッテオ・ガローネさん、全く知られていないような役者さんをキャスティングして、まるで素人とか本物みたいな人をキャスティングして、キャラクターの実在感を増す、というのの名手でもある。それでその人が賞とかを取ってしまう、みたいな名手でもあるという。

ちなみに、犬のトリマーショップが舞台ですから、ワンちゃんたちがいっぱい出てきますけども、そのワンちゃんたちも、カンヌ映画祭のパルム・ドッグ賞受賞、というのがございます。

ともあれこの冒頭の、獰猛そうな犬とマルチェロの、その距離の詰め合いと、それを檻の中から一種客観的に眺めているようにも見える他の犬たち。この構図が、この映画全体の、要は非常に暴力的で手がつけられない存在と、それに寄り添うことが得意でもあるような主人公……なんなら、もしくはそれとなくコントロールすることが得意でもあるような主人公という、この映画全体の人間関係とか力関係のあり方を、ド頭でそれとなく暗示しているようなオープニング、っていうことですね。

ということで、さっき言った海辺の、本当に寂れた街、コッポラ村。海からカメラがパンしていくと、なんというか、海辺なんだけども、雑草みたいなのがボーボーに生えていて、非常になんか汚らしい感じの海辺があって。そこからグッとカメラがパンしてゆくと、建物が映る。建物そのものはそこそこモダンなんだけど、明らかに朽ち果てかけている、っていう感じだったり。やっぱり全体にガランとしていて、妙に景色が開けてるのね。妙に空も広いし、人もいないし、妙になんか景色が開けている。で、そこにあんまり人がいないもんだから、なんかこう、現実の景色なのに、抽象的な光景に見える。夢の中の光景のようにも見える、というあたり。

一度見たら結構忘れられない独特の空間なんですけど。ある意味、これはメールにもあった通り、この印象的なロケーションこそがもうひとつの主題、もうひとつの主人公とさえ言えるような、非常に鮮烈な光景という。で、とにかくそんなコッポラ村でですね、その犬のトリミングサロン、毛の手入れをしてあげるサロンを細々とやってる、主人公のマルチェロさん。で、その「ドッグマン」という看板が出ているお店の横には、知人、友人でもあるフランコという方が経営している、ゴールド(金)の買取屋があって。それは中盤で、ある決定的な事件の舞台ともなるわけですけども。

■いちばん悪い方向に成長してしまったジャイアン=シモーネと、いちばん悪い方向に成長してしまったのび太=マルチェロ

まあ、横に店が並んでて。それで、吹きっさらしで、ちょっと埃がフーッと吹いていて、ひとけがなくて、ちょっと西部劇的にも見えるという。そんなストリート、町の連中と、主人公のマルチェロは、一緒に挨拶してメシ食ったり、あとはサッカーをしたり……このサッカーしてる風景がまたね、夜明け前なんですけど、なんか霧がワーッとけぶっていて、やっぱりちょっと超現実的な光景。溝口健二風と言いましょうか、マッテオ・ガローネさん、溝口健二をフェイバリットのひとつに挙げているんで、明らかに溝口健二風の画作りをしようとしてるんだと思うんだけど。

こんな感じで、実録ベースで、撮っているのもリアルな実景なんだけど、なんかこうグラフィカルで、夢幻的に見える、という世界の切り取り方。これはまさにマッテオ・ガローネさんならではの持ち味、ということだと思いますね。とにかくそのメシを食ったりサッカーをしたり、あるいはたまにね、離婚をしたと思しき妻が愛娘を連れてきて、預けてくれて遊ばせてくれたりとか。もちろん愛すべきワンちゃんたち、特に飼い犬のジャックなんていうのもいて。一緒にパスタを食べて……「汚えな」って思いながら見てましたけども(笑)、パスタを食べたりなんかして。

まあ、慎ましいながらも何の問題もなく、マルチェロさんは幸せに生きているわけです……ある一点を除いては。その一点というのが、おそらくはマルチェロとかその近所のみなさんとは、地元の幼なじみなんでしょう。みなさんがたとえる通り、ドラえもんで言うジャイアン。そのジャイアンを1000倍粗暴で邪悪にして、まともなコミュニケーションが取れないまま成人になってしまったような感じ。その着こなしも、常時ジャージか、あるいは「アンクルサム」って、ちょっと意味深長っていうか、深読みしてもいいですよって言わんばかりのロゴがついた革ジャンをですね、まあ本当にそれ風に着こなす大男のドチンピラ、シモーネっていうのがいるわけですね。

演じているエドアルド・ペーシェさん。これ、日本公開作だとエドアルド・ペーシェさんの出演作は、2015年の『神様の思し召し』っていうので、結構これ、重要な役で出てて、これで賞を取ったりなんかしてるんですけども、(今回のキャラクターとは)全然違う人ですよ! なので今回の『ドッグマン』用に、なんでもパンフレットによれば、眉間を特殊メイクで、たぶんもっこりさせているんですね。なおかつ、徹底的に肉体改造をして。ほとんどセリフがなくて、しゃべることと言えば人に自分の言うことを聞かせるとか、自分の欲望を押しつける、というだけの最低限のワードのみ。

あとは、もちろん人の言うことに聞く耳を持たないから会話にならない。まともな会話が成り立たないし、それで常に鼻息をフガフガいわせながら、身体をゆすっている。で、そのゆすっている感じには、薬物中毒ゆえなんでしょう、ちょっと神経質さも含まれるみたいな、そんな感じで。とにかくかかわり合いを持ちたくない感満点の、これはまさに名演。だってエドアルド・ペーシェさん、Wikipediaとかに載っている写真を見ると、普通にイケメンですよ。端正な顔立ちの。

驚きですね。役者って、本当にすごいねって思っちゃいましたけども。とにかくこの、まあいちばん悪い方向に成長してしまった……わかりやすいんでこれを使いますよ。いちばん悪い方向に成長してしまったジャイアンが、その意味で明らかに、やはりそれに比例して悪い方向に成長してしまったのび太たるマルチェロに、コカインをせびったり、悪事の手伝いをさせたりして、もっぱら自分の都合のいいように利用、搾取をしている。そういう状態なわけですね。

■共依存的関係のシモーネとマルチェロ、皆さん身に覚えないですか?

でですね、シモーネ、彼と対峙する時のマルチェロを演じるマルチェロ・フォンテさんがですね、本当にまた、絶品なんですよね。たとえば最初、娘と楽しくワンちゃんをトリミングしているわけです。そこにシモーネがどうやら押しかけてくる。それはまだ観客にはわからないわけです。「どうやら人が来たらしい」っていうので顔をこっちに向けると、そのマルチェロの顔が明らかに、「あっ、来ちゃった……っていう感じで、もう瞬時に表情がくもるわけです。これだけでもう、雄弁に語っている。

なんだけど、彼を迎えるためにドアを開けた瞬間、これはもう習性というべきか、卑屈な笑顔を、どうしても瞬時に作ってしまう、っていう感じ。これもよく出ているわけですね。で、「やめて、帰って」と繰り返すんだけども、結局はシモーネの強引さ……というよりも、やっぱりさっきから言っているように、実質的なコミュニケート不能っぷりに、押し切られる形で行ってしまう、っていうこの2人の関係性。本当にこのシンプルなワンシーンで、もう過不足なく伝えきってますよね。

とにかく本作は、このマルチェロ・フォンテさんの佇まい、そして何よりも、顔ですね。この、人間の弱さ、醜さ、優しさ、そして聖なるもの、崇高なものも含んだような、人間性のすべてを含んだような顔。これをひたすら堪能する一作、とも言えると思います。まあ、カンヌ映画祭で主演男優賞というのもたしかに、というような名演でございます。で、お話上の問題はですね、もちろんそのシモーネは、街全体の厄介者でもあって、その筋の人たち……要はそれはカモッラでしょうね、それにお金を払って、「ちょっと殺ってもらおうぜ、おい」なんていう話が出ちゃうぐらい、みんな我慢の限界なわけですけども。

先ほどもオープニングでさんざんキャッキャ言って話していましたけども、あのスロットマシーンみたいなのに八つ当たりするくだりの、あの幼稚さと、中途半端な凶暴さ(笑)。ゴトゴトいわせて場所を移動するっていう。「おい、やめろ!」っていうね(笑)。あと、あの盗っ人猛々しさですよね。「機械を壊しているのはお前なのに、なんでこっちが金を払わなくちゃいけないんだ?」っていう。あれとか、もう全てが最低!っていう感じのシモーネなんですけども。

ただ、みんなが疎ましく思ってるシモーネに対して、やっぱり主人公のマルチェロだけは、いちばんの被害者のはずなのに、ちょっとモードが違うんですね。おそらくは咄嗟にっていうことなんでしょうけども、シモーネの危機を救いさえする。一度でなく何度も。それが行くところまで行くのが、中盤の驚くべき展開だったりするわけですけども。悪事の片棒も、最初は「嫌だ、嫌だ」って言ってるんだけど、なんか結果オーライ、みたいに考えてるところあるんですよ。なんかご褒美をもらうとそれなりに嬉しそうな……車を運転してて、「ああ、盗んできたんだ。結構いいじゃん?」って、なんかニヤついたりしてるわけですよ(笑)。

だったりもするし……シモーネの危機を救うあるシーンではですね、若干同性愛的なニュアンスさえ漂いだす。背負った彼の顔を気遣うように見るんだけど、どう見てもなんかちょっと、口づけしようとしてるかのようにも見える、みたいなね。一方でシモーネもですね、もちろん限りなくペットに近い感覚にせよ、それがシモーネにとっては、ギリギリの友情っぽいものとしても機能している、っていう。

つまり、要はちょっと共依存的な関係なわけですね。ただこれね、この2人は寓話だから極端に戯画化してますけど、僕はやっぱり、「やっぱりどうしても、この人にゴネられると、断れないんだよな……」っていう、嫌だし、なんならそれがいい結果を招くわけがないのわかってるのに、「ええい、オレが我慢すればいいんだ!」でやっちゃう関係って、みなさん、絶対にありますよね? 人間関係の中で。1人や2人じゃきかないと思いますけどね。だからすごく普遍的な、ある種の人間関係の歪さを表現していると思うんですね。

■「関わり合っちゃダメ! そっちに行っちゃダメ!」という物語推進力

一方で、他の街の連中……じゃあね、シモーネは最悪なんだけども、他の街の連中はっていうと、マルチェロは「すごく大事だ、仲がいい」っていう風に言ってるんだけども、特に、さっきも言ったけど後にある決定的な事件が起こることになるマルチェロの隣の店の、隣人。金の買取屋のフランコさん。実は、シモーネが登場する前に、最初にマルチェロにコカインを都合させるのは、フランコさんですよね。サッカーの練習が終わった後に。

まあ、もちろんシモーネとは違って金はちゃんと払っていると思いますけども。シモーネからもらった盗品を、マルチェロが買い取ってもらおうとするくだり。だから、マルチェロはマルチェロでちょっと、それはどうか?っていう感じなんだけど。そこでも明らかにフランコさん、なんかあんまり、マルチェロのことをそんなに好きじゃないよね?っていうか、個人的な親しみとか親愛を感じてるようには到底見えない、っていう感じで。いみじくもあとでシモーネが、「友達っていうけど、金だけの関係だろ?」ってうそぶくのが、案外、そこまで的外れでもないような布石が(敷かれている)。

そしてやっぱりこの、マルチェロの本質的な疎外感というのが、ラストの展開につながっていく、という。そういう布石が、序盤からちゃんと置かれているわけです。で、とにかくその、平穏な日々をシモーネに危うくされる、っていうのがあって、観客たちは、「関わり合っちゃダメ! そっちに行っちゃダメ!」っていう。これが非常に推進力となって、本当にグイグイと見させられてしまうわけですね。

で、それがまず極に達するのは、一幕目の最大の見せ場。「おう、チワワが吠えるからさ、冷凍庫の中に入れてやったよ」「えっ、えっ? 死んじゃうじゃん!」「おう、まあでもしょうがねえだろ?」っていう。チワワを冷凍庫に、その泥棒に入ったやつらが入れちゃったと聞いたマルチェロが、よせばいいのにその家に戻って、そのチワワを救おうとするくだり。まず、パイプを伝って上に登る場面のスリリングさもすごいですし、凍ったチワワ……完全に凍っていて、もうダメじゃん!っていう感じがするあそこからの、ワンショットでの、これは本当に本作の白眉ですね。

そして、さっきから言っているように中盤。「そっちに行っちゃダメ!」の極みのごとき、驚きの行動をマルチェロが取る、というところ。これはぜひ、劇場で見ていただいて、「ああーっ!」と驚いていただきたいですけど。そしてさらに三幕目、クライマックス。多くの観客が望む、マルチェロの逆襲。それはたしかに果たされるんです。緊張感あふれる長いワンショットでね。「ああ、やっぱりそうきたか」っていう復讐、逆襲を果たす。

さらには、ここに犬の目線が入ることで――これはオープニングと対になっています――犬の客観的な目線が入ることで、より人間の残酷さが際立つ、劇的な展開もあってですね、たしかに多くの観客が望んだようなマルチェロの逆襲は、果たされる。しかし、マッテオ・ガローネ監督の真骨頂は、その先なんですね。さっきから言ってるように、リアルな実録物、で撮っているのも、実際の街の実景です。言っちゃえば、ネオレアリズモ的な伝統ですよね。ロッセリーニとか……あと、何より『自転車泥棒』的ですよね。

その、娘の前でお父さんが怒られる……わかります? 親が子供の前で怒られてしょんぼりっていうのの嫌さ。完全にこれはヴィットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』。そのイタリアのネオレアリズモの伝統の先にあるものでありながら、同時に、これはマッテオ・ガローネさんの持ち味として、フェリーニとか、あとはパゾリーニの何かの作品にも通じるような、夢幻的な世界。ちょっと現実から一線を越えたような世界観というのも、マッテオ・ガローネさん、作品として撮っていて。要は今回の作品は、そのリアルな実景、リアルな犯罪物として進んできたのが、最後にそういう夢幻的な世界に、その一線をポンと越えるという。

■イタリア映画のネオレアリズモの伝統と、フェリーニに代表される夢幻的な世界との融合

つまり、マッテオ・ガローネさんが、両者をフュージョンさせたところで話が終わる、というか。イタリア映画の歴史の最先端で、それをフュージョンさせてみせる。そして自分の作風的にも、(リアルなものと夢幻的なもの)両方やってきましたけども、それを両方フュージョンさせる、というような。自身のキャリアを更新してみせる、イタリア映画の歴史も踏まえた上で更新してみせる、というようなところに着地してみせた。

明らかに……僕、マッテオ・ガローネさんは全作見ているわけじゃないですけど、この並びで見た中では、これが現時点のひとつの到達点なのかな、と思いました。めちゃめちゃ面白いです。話そのものはわかりやすいのに、そこから読み取るものがめちゃめちゃ多いという。そして後から、こういう寓意性があるのかな?っていろいろと考えるのも、本当に面白い。さっきの「アンクルサム」とかも含めて、いろんな寓意を当てはめることもできて、面白い作品です。満席も納得だし、賞を取るのも納得。ぜひぜひ劇場でご覧ください!

(ガチャ回しパート中略 ~ 来週の課題映画は『アス』です)

以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。

(ガチャパートにて)

『ドッグマン』ね、冷凍されたチワワのシーンの話をもっとしたかったよ!

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